004-3-03 桐ケ谷の質

 広大な桐ヶ谷きりがや邸の端。人の気配のほとんどない廊下を、一総かずさは当て所なく歩いていた。


 時刻は日付変更を回るくらい。そのような夜更けに何をしているのかと言うと、情報収集を兼ねた暇潰しだ。彼にかかれば、安楽椅子探偵も裸足で逃げ出すレベルのことを寝っ転がりながらでもできるのだが、侑姫ゆきの話が正しいのなら当分はこの屋敷に監禁されることになる。それならば、用意された自室で暇を持て余すよりも、自らの足で敵地を視察しようと考えた。


 無論、一総には常に桐ヶ谷家の監視が張りついていたけれど、も当然のように、彼は連中を撒いている。いや、撒くどころか、幻術を用いて情報操作をしているほどだ。監視している者たちは、今頃熟睡している一総の幻影を見ているはず。


 というわけで、一総は誰に咎められることもなく桐ヶ谷邸を練り歩く。


 不気味なくらい静まった屋内を進むことしばらく。一総は複数人が話し合う声を拾った。前方にある、明かりのついた一室からだ。現在地や部屋の大きさからして、おそらく門下生の私室だろう。室内には三人程度の気配が感じられる。


 何かしらの情報が得られるかもしれない。そう判断した彼は盗聴系の異能を発動しつつ、談笑の漏れる部屋の前まで近づいていった。


「まさか、この桐ヶ谷邸に『イビルドア』を泊める日が来るとはなぁ」


 タイミング良く、一総たちのことを話題に上げていたようだ。無駄話につき合う時間が減ったことに、一総は頬笑む。


「全くだ。しかも、監視するだけなんだろ? 男の方はヒョロくて覇気のない奴だったから、簡単に叩きのめせると思うんだが。当主の考えることは全然分からんな」


「同感。でも、当主の指示には間違いはないさ。今まであの方の言う通りにしてきたから俺たちはココにいるんだし」


「そうだなー」


 当主の久道くどうは、門下生たちから相当信頼を寄せられているらしい。まだ三人の意見しか聞いていないが、あの心酔っぷりを見ると、他の者らも同じだと思われる。


 久道が慧眼けいがんの持ち主であることは、一総も認めるところだ。悪評を真実だと信じ込ませる常時発動型の認識操作に引っかからず、適切な行動を指示できたのだから。


 この認識操作は、一総の特異性を露見させないためのセーフティだ。常時発動かつ大規模なので効果はそれほど強くないが、耐性を持つ勇者でさえ大半をおとしめられるくらいの強固さはある。


 それを一般人の身で回避したのだから、彼の精神力と分析能力は驚嘆に値した。一総が本気を出す事態はあり得ないが、久道は注視しておいた方が良いだろう。


 門下生たちの雑談は続く。


「とはいえ、女の方は見てくれは良かったよな。今まで見てきた誰よりも美人だったぞ」


「確かに見た目は良かったけど、『イビルドア』だからなぁ」


「おいおい、あんな上玉は他じゃ見られないだろ。俺は『イビルドア』だとしてもヤれちゃうね」


「マジか、俺は無理だ。お前はどうなの?」


「うーん、道具として使う分には問題ないかな?」


「お、それいいね。奴らに人権なんてないし、イメージにピッタリだわ。当主に頼めば、消す前にヤらせてくれないかな?」


「そんなの俺たちに分かるわけないだろ。ダメ元で訊いてみたら?」


「そうしてみるかなー。何もせず消すのは惜しいし」


 ギャハハと下卑た笑い声が響く。


 一連の会話を聞いていた一総は、ゆっくりと息を吐いた。胸中に湧き上がった強烈な感情と、頭にわだかまった熱を逃がすように。


 正直、聞くに耐えない下品な話だった。人を道具として扱おうとしている品性を疑うし、何より自分の仲間を傷つけようと考えていることに怒りを覚える。蒼生あおいは彼の日常の一部であり、それを損なわせようとする者は、神が許しても一総が許さない。


 他人へここまで感情を昂らせたのに一総自身驚く反面、それだけ自分が彼女の存在を認めているのだと納得もする。過去の彼は、身内に対して同様の気持ちを抱いていたのだから。


(身内、か)


 冷えた頭で自嘲気味に反芻する。


 未だ家族というものに恐れを持っている一総。だが、そのトラウマは着々と癒えていっていた。全てを失ってから一切回復しなかったものが、ここ数ヶ月で劇的な治癒を見せている。


 間違いなく、蒼生たちの影響だろう。常に傍に立つ蒼生、彼を愛しているという真実まみ、最近になって同行することが増えたつかさ。彼女たちの強引なほどの接触は、少しずつだけれど、一総に変化を及ぼしていた。下衆な会話ですり減った精神を、三人との他愛ない日常を思い出して回復させているのが良い証拠だ。


 これは近いうちに告白の答えを返すことになりそうだ。そんなことを考えながら、一総は門下生たちの雑談の盗み聞きを続けた。


「そういえば」


 あれから数十分。益体もない話が続いていたが、今発せられた一言は、これまでと異なる何かを感じた。これから話される内容は、一総にとって有益なものだと直感が告げている。


 床に腰を下ろし扉に寄りかかっていた彼は、居住まいを正して傾聴する。


「お嬢の婚約者って、本気でアイツになるのか?」


 どうやら侑姫の婚約者──あの若い警官の話題のようだ。


「そりゃ当然だろ。当主がお決めになったんだ。異論なんて出るはずがない」


「そうそう」


 どこか不満げな声音の一人に反し、残る二人は全く疑念を抱いていない様子。このレベルまで来ると信仰の類だ。


 不満げだった一人は、慌てた風に否定する。


「いやいやいや、当主の決定に異論はないさ。でも、アイツに関しては疑問があるんだよ」


「疑問って?」


「アイツ──牛無うしなしって、入門してから数年は落ちこぼれだったじゃん。それなのに、この一年で一気に門下生ダントツで強くなったから、妙だなと思ったのよ」


「才能が開花したとかじゃないのか?」


「それにしたって限度があるだろ。たった一年で師範代を超えるって尋常じゃないぞ。まるで『イビルド──」


「おい、それ以上はやめておけ」


「っと、そうだな。すまん。今のは失言だったわ」


「いいって。聞かなかったことにしてやる」


「その代わり、今度何か奢ってくれ」


「マジで? ちぇー、チクられるよりはマシかぁ」


 一瞬、空気が張り詰めたが、すぐに軽口を言い合う門下生たち。


 内の一人が「それで」と紡ぐ。


「結局、お前は何が言いたいんだ? お嬢を取られた醜い嫉妬か?」


「ああ。お前はいつも『お嬢っていいよな』って言ってたもんな」


「ちげーよ! そりゃ、あんな美人と結婚できれば、ヤリ放題だし文句ないけどよー。所詮はお嬢も『イビルドア』だからなぁ。桐ヶ谷家次期当主の座を考慮しても、さすがに結婚は無理だわ」


「ふーん。じゃあ、何が言いたかったんだよ」


「別に大した理由はねーよ。ただ、牛無はちょっと妙だなって思っただけさ」


「何だ、オチないのかよ」


「お前らは俺に何を求めてんだ」


 他愛のない話の戻っていく門下生たち。


 一総は口元に手を当て、ふむと呟いた。


 侑姫の婚約者──牛無だったか──は落第生だった。それが一年で師範代以上の力を身につけたと。門下生の一人も言いかけていたが、まるで勇者みたいなパワーアップだ。異能を覚えれば、短期間で一般人より強くなることは容易い。


 しかし、それでは説明はつかないだろう。異能を習得するには、原則として異世界へ赴く必要がある。住み込みで修行をする桐ヶ谷流で、牛無とやらに他者へバレず勇者召喚から帰還をなせたとは考えられなかった。不可能に近い。


 牛無は桐ヶ谷邸で暮らしているので、異能によって彼を観察できている。だが、現時点で怪しい動きは見られなかった。


(もう少し注意して見張っておこう)


 もし、牛無が異能を所持していた場合、面倒ごとの発生が確定する。隙を突かれて欺かれないようにしなくてはいけなかった。可能性の片鱗はあったけれど、やはり気のせいでは済まないようだ。


 気だるげに立ち上がった一総は呟く。


「寝るか」


 わずらわしそうな声を耳にした者は、誰もいない。

 

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