004-3-02 崩壊の嚆矢

 桐ヶ谷きりがや邸の最奥。ここは当主の書斎であり、あらゆる間諜対策が施されている。重要な話をする時には決まって使われる部屋だった。


 その部屋には四人の人影があった。


 一人は侑姫ゆきだ。一番下座に腰を下ろしており、所在なげに肩身を狭くしている。視線は下に落ちていて、どことなく怯えが見えた。一総たちが見たことのない弱々しい姿だった。


 残る三人の内約は男二人に女一人。男の方は四十代と七十代という年齢差を除けば、どちらも精悍な顔つきと鋼のような体つきをしており、一目で武を修める者だと理解できる。一方、女は一見穏やかな美熟女だが、内在する気配は強者のそれであり、湛える笑顔が不気味さを醸し出す。


 彼らの正体は、侑姫の父母と祖父だ。桐ヶ谷家の方針を決める面々で、侑姫が頭の上がらない相手。


 今この場には桐ヶ谷一家が勢揃いしていることになるのだが、漂う空気は一家団欒とは真逆のものだった。侑姫を除く三人からは鋭く重い覇気が放たれており、一触即発という言葉が適切だろう状況だ。


 そのような重苦しい雰囲気の中、侑姫の父であり桐ヶ谷家現当主、桐ヶ谷久道くどうがそのいかめしい口を開いた。


「お前とあの妖者ようじゃらの関係はなんだ?」


 低く凛としたバリトンボイス。「なるほど、侑姫の娘だ」と得心できる美しい声音だったが、現状ではその評価も一変する。彼の放出する覇気と叱責を含んだ語調により、閻魔大王の沙汰を受けたような息苦しさを覚えた。


 侑姫は父の言葉に肩を震わせるが、何とか唇を動かす。


「お父様、勇者のことを妖者と呼称するのは止めてください」


 妖者というのは異能者を指す蔑称のひとつ。「あやかしの類に属する者」というニュアンスを持つ造語で、主に年配の反勇者派が使う。化け物と罵るのと変わらない単語だ。


 自分ならともかく、友である二人が侮蔑されるのは我慢ならなかったのだろう。侑姫は僅かに残された勇気を振り絞って苦言を呈した。


 しかし、その大勇に対する反応は冷ややかなものだった。


「あなたは当主である久道さんに意見できる立場ですか?」


 真っ先に言葉を発したのは母の侑美子ゆみこ。侑姫が美しく歳を取ったらこうなると思えるほど彼女に似た和美人だが、浮かべる表情は冷徹で毒々しい。


 続いて、久道も言う。


「改める必要がどこにある? 直接化け物と言わないだけ有情だと私は思うがな。それとも当風とうふうに『イビルドア人外』と呼んだ方が良かったか?」


 嘲るような口調。


 侑美子は同調するよう頷き、祖父の玄道げんどうは反応こそないが、反論もない辺り同意見だと窺える。


「そうではなく……」


 侑姫は言葉を紡いだが、途中で止めた。彼らが勇者を憎んでいることや、その考えを断固として翻さないことは分かっていた。ここで意見を重ねても何も変わらない。それでも苦言を呈してしまったのは、彼女の真っすぐな性格ゆえだ。


 苦虫を潰したような表情をする侑姫に対し、久道は再度問う。


「そのような些事よりも、先の質問に答えろ」


「……分かりました」


 彼女にとって些事などではないのだが、これ以上続けても進展がないのは目に見えているし、命令されては逆らえない・・・・・


 侑姫は渋々頷き、回答する。


「彼らは私の友人です。少なくとも、私はそう認識しています」


 やや煮え切らない答え方だったが、これは相手が相手だけに仕方のないことだ。


 蒼生あおいとは知り合ってから日が短く、話した機会も少ない。今日、一緒に遊んだことで仲は深まったと思うが、向こうも友だと認識してくれていると断言する自信がなかった。


 一総かずさに対しては、つき合いこそ長いけれど、蒼生以上に友人だと思われている自信がなかった。というのも、一総のドライな性格を理解していたからだ。彼の視点からすると、自身のレッテルは『傍迷惑な先輩』、もしくは『知人以上友人未満』である可能性が高い。実際、それは正しく、一総は最近まで友はいないと語っていた。


 そんな複雑な心情を簡潔に表したのだが、久道らは気に留めない。


「島外でも共に行動をするほどの友人、か」


 久道が眉間にシワを寄せて呟く。言葉の端々から苦々しさが溢れていた。


 その反応は侑姫が懸念していた通りのもので、彼女は一総たちを庇うように補足をする。


「二人と島外で出会ったのは偶然で、こちらから同行を頼んだのです」


「それでも、我々から逃亡中のお主が頼りにするほどの者たちなのじゃろう?」


「それは……はい」


 彼女のフォローは虚しく、玄道によって潰されてしまう。


 確かに、あの時出くわしたのが二人──正確には一総でなかったら、護衛を頼むことはなかった。侑姫が彼へ信頼を寄せているという点は揺るがしようがない。


 首肯した彼女を認めた久道は、次なる命令を下した。


「あの二人の詳細を話せ」


 そこには、言外に「洗いざらい話せ」という意味が含まれていることを悟った。


 請われた以上・・・・・・、侑姫に逆らう術はない。彼女は二人の表向きのプロフィールや出会った経緯、一総の持つ力に対する自身の所感などを語った。さすがに、蒼生の世界を滅ぼす異能については喋っていない。明かした時の騒動を憂慮したのもあるが、政府から他言しないよう命令・・を受けていたためだ。


 一通りの説明を聞いた久道たちは、一様に難しい表情をしていた。


「『帰還総数世界二位』であり、『帰還速度世界一位』の『救世主セイヴァー』ですか。噂には聞いたことがありましたが、あの者がそれだと」


「それほどの記録を出しておいて、『異端者』と蔑まれているのは不可解じゃのう。こやつが言うように、実力を偽っているのは間違いない」


「妖者など取るに足らない存在ですが、『救世主』となれば油断はできません。しかも、栄光を捨てるどころか蔑まれる立場に甘んじるという、得体の知れない奴。何をしでかすか分からない恐怖がありますね」


「そうじゃな。儂としては屋敷にいる今消すのが得策と考えるが……それは当主である久道が決めること。どうする?」


 意見を交わし合った侑美子と玄道は、久道へ視線を向ける。


 当の彼は腕を組み、瞑目していた。ここまでの情報を踏まえ、どのような判断が桐ヶ谷のためになるか熟考しているのだ。


 静寂が室内を包む中で、侑姫は目を見張っていた。


(消す、って言ったの?)


 彼女は先程祖父の漏らした発言に驚愕していた。


 桐ヶ谷の者が勇者を憎んでいたのは、昔から知っている。だからこそ、自分の立場は弱いのだし、家の影響力が強い地元の警察や消防に勇者は在籍していない。


 だからといって、今まで消すなどの過激な発言はなかった。彼らは異能のことを『努力しないで手に入れた怠惰の力』と間違った認識をしていたが、決して弱者と侮っていたわけではない。異能者相手では戦局は不利(これも大分甘い見通しだが)と事実を受け止めていたので、安易に勇者へ戦闘を挑むことはなかったのだ。


 だというのに、勝利を掴めるどころか、命を容易く奪えるような物言い。とても信じ難いことだった。


 自分が不在の間、実家に何が起こったというのだろうか。根掘り葉掘り尋ねたい気持ちが湧き上がる。だが、訊いたところで実りある回答は望めないと思う。一人娘とはいえ、勇者である侑姫の立場はそれほどに弱い。家に籍を置かせてもらえているだけ感謝しなければならない立ち位置なのだ。


 膝の上にある両拳を握り締め、訊き出す方法が何かないかと思案しているうち、とうとう久道がまぶたを開いた。


「我らの監視の元、明日いっぱいまで様子を見よう。その期間で奴らの情報を収集し、結果により下す処遇を決める」


「つまり、保留するということか?」


 不服そうな声色で問う玄道。


 対し、久道は厳かに首肯した。


「そうだ。現状では『異端者』とやらの情報があまりにも欠如している。今聞かされた内容は、あくまで概要や噂にすぎない。二人がそのことを疑問に持たず、確たる情報として話していたのも保留にした要因のひとつだな。奴は認識をずらす能力を持っているのかもしれない。それらを考慮すると、抹消するにしても用意周到に準備を進めるべきだ」


 彼の説明を聞き、玄道たちはハッと顔を見合わせた。指摘されたことで、情報の不確実性に気がついたようだ。二人は一総への警戒心を引き上げる。


 久道は続ける。


「これより二日、奴らへの攻撃は禁じる。あくまで監視に徹しろ。これは桐ヶ谷の全てに伝達するのだ。それと奴らの逃亡を防ぐため、結界の展開も忘れぬよう。念を入れて、最大出力にすること」


 彼の指示に、玄道と侑美子は深く頷く。


 結界という単語に疑問を抱く侑姫だったが、これに関しても問うたところで無駄骨だろうと黙した。


 最後、久道の目が侑姫へ向く。


「お前にも三点命じる。ここでの会話を奴らへ伝達ことを禁じる。また、今回の計画の妨害を禁じる。そして、奴らの世話は全面的に・・・・お前が行え。こちらは一切関与しない」


「承知しました」


 侑姫に承諾する以外の選択肢はない。彼らの世話を『勇者憎し』の他の面々に任されなかっただけ良しとしよう。


「では、解散だ。各自、自分の任を果たせ」


 久道以外の三人は徐ろに退室していく。


 廊下を歩く侑姫は思考を回した。


 三人の雰囲気からして、最終決断が抹殺となるのは必定。一総たちが負けるとは思えないが、彼らを巻き込むのは申しわけないどころの話ではないし、何ごとにも想定外は存在する。生まれた猶予である二日を生かし、何とかして自らの家族を止めなくてはいけない。


 妨害は禁止されたが、何とか抜け道を探そう。


 自身の手足が震えるのを感じる。世界を四度も救った彼女ではあるが、実家に逆らうことへ心の底から恐怖を覚えていた。それは桐ヶ谷侑姫の根底を否定する行動ゆえの怖れ。しかし、止まるわけにもいかない。正義を貫くことも、彼女の根底であるのは間違いないのだから。


 侑姫は底から湧く恐怖に必死で気づかないフリをしながら、一総たちへの元へ向かった。




 これより彼女の運命は加速する。脆弱な剣は、徐々に崩壊を始めた。

 

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