004-3-05 哀れな情報源

「おや、お前たちは……」


 昼食後。午前と同様に屋敷内を見回っていた一総かずさたちは、不意に背後から声をかけられた。


 声色に乗せられた嫌悪感からして桐ヶ谷きりがやの人間なのは明らかだったが、この展開は些か新鮮味があった。というのも、これまで出会った桐ヶ谷の者は二人を無視するか、遠巻きに陰口を叩くのが基本だったのだ。直の接触は初めてのこと。


 他者と異なる対応をするのは誰なのか。多少の好奇心と厄介ごとが起こるだろう予感を抱きながら、一総と蒼生あおいは声の方へ振り向く。


 立っていたのは剣道着を身につけた青年だ。歳は二十代前半くらい。背丈は百八十を超え、引き締まった体つきをしている。目鼻立ちはハッキリしていて、それなりに容姿は整っていた。目力の強さから向上心の高さが窺える。


 二人は目前の青年に見覚えがあった。


「えっと……ああ、あの時の警官か」


 記憶を探り、すぐに答えを導き出す一総。


 それを聞き、蒼生も得心した。


「そうそう、ゆきの婚約者だとかいう」


 二人の率直な意見としては、こうやって対面するまで彼の存在などすっかり忘れていた。ポッと出の婚約者(仮)よりも、桐ヶ谷家での騒動の方がよっぽどインパクトが大きかったせいだ。


 一総たちの呟きは聞こえていなかったようで、青年──牛無うしなしは自信と傲慢さに満ちた表情を浮かべたまま、こちらへと近づいてきた。


侑姫ゆきと一緒にこの家へ押しかけてきたとは聞いていたが、まさか野放しでウロチョロしてるとはね。当主方は何を考えてるのやら」


 やれやれと肩を竦める青年。


 本人を前にしての言い様といい、発言の端々から感じられる不遜さといい。この男も他の門下生の例に漏れず、勇者を心底嫌っているらしい。いや、面と向かってこのような態度を取れる辺り、他の者以上に酷い。昨日から収集した情報によると、牛無は周囲の人間から相当厭われているようだったが、この性格を考えればもありなん。


 面倒な奴の目に留まってしまったと陰鬱な気分になる一総。だが、色々と不可解なところのある彼を探れる良い機会でもある。監視のみでは何も分からなかったし、このチャンスを活かすべきだろう。


 溢れそうになる溜息を堪えつつ、一総は口を開く。


「何のご用でしょうか、警察官さん」


「僕の名前は牛無義生よしおだ、警察官さんはやめたまえ。侑姫から聞いていないのか?」


 屋敷の人間は誰一人として彼の下の名前を喋っていなかったため、ここで初めてフルネームを知った。


 一総は素直に答える。


「ええ。一度もあなたの話題は上がりませんでしたよ。これっぽっちもね」


 こんな言い方したら、傲慢な牛無は間違いなく怒る。より面倒くさいことになるのは受け合いだ。


 しかし、十分にリターンがあるとも踏んでいた。こういう手合いは、感情的にさせるとボロボロ情報を溢してくれるのが相場だから。


 予想通り低い沸点を超えたようで、牛無は眉尻を大きく上げた。


「口の利き方がなってない小僧だな!」


「それはお互いさまでしょう?」


 大仰に肩を竦め、より一層あおる。


「減らず口を……。こんな世間知らずの小僧が友人など、侑姫はかなり見る目がないらしい。結婚した暁には、彼女の交友関係を洗い直さなくてはならないな」


「あなたに見直された交友なんて、目も当てられなさそうですね」


「どういう意味だ!」


「言った通りの意味ですよ」


 よほど狭量な人間なのか、単純な煽動にも関わらず、牛無は面白いように怒りを深めていった。敵対者ながら、少し心配になるレベルだ。


 一総は容赦なくあおり続ける。


「そもそも、あなたは桐ヶ……侑姫先輩に相手にされてないじゃないですか。先日逃げ出したのだって、あなたとの婚約が嫌だからですし。自分の器を知った方がいいですよ」


「何だと!? 好き放題言ってるが、お前が何を知ってるって言うんだ!」


「侑姫先輩の本心を知ってますよ。婚約を嫌がってることは、彼女自身から聞きました」


 勇者を嫌っていることから察するに、侑姫との結婚も次期当主の座が目的としか考えられない。傲慢で短気、結婚を出世の道具としか見ていない男など、多少顔が良くても願い下げだろう。将来の幸せが微塵も見込めない。このような輩と結婚するのは誰だって嫌だと思う。


「というか、よくそこまで強気でいられますね。オレや侑姫先輩は勇者なんですよ? 武力を以って、やり返されるとは考えないんですか?」


 一総と侑姫が安易に腕力へ訴えることは万が一にもあり得ないが、牛無の妙な自信の正体を見極めるために忠告しておく。


 普通なら手の内を晒すはずないが、頭に血が上った彼にそんな自制心が効くわけもない。フンと鼻で笑うと、ペラペラ語り出した。


「侑姫がそんなことを仕出かすなんて、あり得ないな。彼女は桐ヶ谷家に決して逆らえない・・・・・・・・。お前が襲いかかってきた場合も問題ないな。真の力・・・を持つ僕が、紛い物の力を振るうお前に負けるはずがない」


 一総を見下ろす牛無の瞳には、愉悦にも似た妖しい輝きがあった。


 これは嘘を吐いている感じでも、桐ヶ谷流を盲信する感じでもない。何か別の、確かな自信を持っている者の目だ。真の力とやらが関係しているのだろうが……。


「武術で異能を打ち破れるとでも?」


「クハハッ、僕は他の門下生とは違う。選ばれし力を持っているんだ。『イビルドア』の行使する異能など、目ではないよ」


「『選ばれし力』ですか?」


「フハハ、お前には分からないだろうなぁ。選ばれてない者には分かるはずもない」


「つまり、異能のような力を、あなたも所持していると?」


「異能なんて紛い物と同一視してほしくないものだな。あれは世界を掌握できる神の力だ。それを僕が手に入れ、桐ヶ谷家も渡りをつけた。もはや『イビルドア』など恐るるに足らない」


 己しか知らない事実を部分的にひけらかして優越感に浸ったお陰か、牛無は先程までの怒りを鎮められたようだった。


 彼は口角を凶悪に釣り上げる。


「ゆえに、侑姫がどう思おうと、お前たちが何か妨害を計ろうとも関係ないんだよ。『イビルドア』風情が桐ヶ谷家を──選ばれし僕を止められるわけがない。どう足掻いたって、お前たちの敗北は決まってるんだ」


 野望でドロドロと濁った瞳で睨みつけてくる牛無。


 一総は、それを真っすぐ受け止めた。ただただ無表情に見つめ返す。


 彼の表情に一切変化がなかったのが癪に触ったのか、牛無はつまらなさそうに鼻を鳴らした。


「まぁ、いい。せいぜい短い平穏を噛み締めることだ。近いうちに再び会うことだろう」


 こちらの反応を見もせず、彼は哄笑を上げながら去っていった。


 一連の牛無の態度はあまりに幼稚。少し前まで桐ヶ谷流の落第生だったのも頷ける。ここまで阿呆な奴は戦士失格だ。


「あそこまでいくと、逆に憐れ」


 蒼生も同じことを思っていたらしい。


 とはいえ、今はそんな彼であったことに感謝しよう。大した手間をかけずに牛無や桐ヶ谷家が黒であると判別できたのだから。桐ヶ谷の監視を欺く幻術を発動していた甲斐があったというものだ。でなければ、牛無が語る前に邪魔が入っていただろう。


(あとは向こうの調査結果と、桐ヶ谷家が動き出すのを待つだけだな)


 調査の方はどれくらいかかるか不明だが、桐ヶ谷家は早くて今夜には動き出すと思われる。残り数時間しか猶予はないけれど、それまでしっかり休んでおこう。


「散策は終わりにして、部屋に戻ろう。今夜から忙しくなりそうだ」


「……暗に『朝まで寝かさないぞ』と誘ってる?」


「なわけないだろ。何だ、その雑なボケは」


 蒼生が急に妙なことを言いだすものだから、シリアスな空気が霧散してしまった。


「てへっ、ごめんね」


「…………」


 右拳を頭に当て舌を出す、俗に言うテヘペロをやる彼女だったが、せっかくの可愛らしいポーズも真顔かつ無表情では台なしだ。


 一総の反応が不満なのか、蒼生は腕を組んで小首を傾げた。


「おかしい。これでイチコロにならない男子はいないという話なのに」


 確かに、蒼生のような美少女がテヘペロを行えば、男などイチコロだろう。真顔でなければ、だが。


 一総は溜息を吐く。


「いきなり、どうしたんだ? いつもの村瀬らしくないぞ」


 天然なところがある彼女だが、空気が読めないわけではない。今回の行動はあまりに突飛で、何か理由があるのだと推測した。


 蒼生は相変わらずの無表情で彼の顔をジッと見つめると、徐に言葉を紡いだ。


「この家に来てから、かずさは気を張り詰めすぎてる。だから、リラックスさせようと思った」


「何だって?」


 思ってもみなかった返答に、一総は呆けてしまう。


 そんな彼に構わず、蒼生は続けた。


「何か理由があって緊張しているんだと思う。庇護対象の私に頼れないのも理解してる。でも、何もしないでいるなんて、私には無理だった」


 抑揚の少ない声。しかし、そこに含まれる感情は大きかった。


「だから、オレを和ませようとジョークをかましたのか」


「うん」


 呆気に取られながらも言うと、蒼生はためらいなく頷く。


 彼女の言う通り、この屋敷に入ってから一総は常時警戒をしていた。敵地だというのもそうだが、桐ヶ谷家の態度が彼の過去を彷彿とさせ、気が落ち着かなかったのだ。


 普段とは異なる様子の一総を案じ、自分にできることを行おうとする蒼生。それは何とも健気で……心が温まった。これからも彼女を守っていこうという気概が湧いてくる。


 蒼生にそこまで心配をかけて、いつまでも気を張り詰めているわけにもいかない。そう考え、一総はフフッと小さく笑った。


 そして、意地悪い笑みを浮かべる。


「気遣いはありがたいけど、村瀬の冗談のセンスは壊滅的だな」


「むっ、一言余計」


 不服そうに言う蒼生だったが、その声にトゲはなかった。


 一総と蒼生、二人の空気日常はいつだって変わらない。

 

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