004-2-01 侑姫の人柄(1)

 侑姫ゆきの要請は一緒に行動することであって、特に目的地が存在するわけではない。強いて言うなら、彼女の実家から距離を置くことか。よって、午後の一総かずさたちの予定は、当たり障りなくショッピングとなった。


 買い物なら先日行ったのだが、今回は一総たちが来なさそうな場所を選んで回るようだ。


(だからといって、真っ先に下着屋はないだろうに)


 店の一角で待ち惚けをしている一総は、内心で愚痴を溢す。


 確かに、一総と蒼生だけでランジェリーショップへ訪れなかったのは間違いないが、かと言って、今の三人で行く店でもないだろう。まだ、二人だけの方がカップルと勘違いされる程度の被害で済む。


 彩り華やかな店内や女性客の訝しげな視線、視覚から与えられる苦痛は一種の拷問のようだ。一総をおとしめるためにチョイスしたのでは、と邪推するくらいには居心地が悪かった。


 どれくらい時間がかかるのか、絶賛買い物中の蒼生たちの会話へ耳を傾ける。


「村瀬さん、デカっ。……え、前よりサイズが大きくなったの? まだ成長するのね……」


「ゆきはスタイルが良くてうらやましい。私は背が低いから」


「それだけの武器を持ってる方が、私としてはうらやましいけどねぇ」


 そこまで聞いたところで、一総は盗み聞きをやめた。


 すぐに終わりそうにないことが分かったし、余計な妄想を抱きそうになったからだ。


 彼とて年頃の男、そういうことへの興味がないわけではない。まぁ、多大な経験により、初心とは言えないほど擦れてしまっているけれど。


 周りを気にしない方が精神衛生上よろしいと判断した一総は、懐から文庫本を取り出して読書を始めた。本に集中することで、余計な雑音を排除する。


 十分くらい経っただろうか。彼の元に近づいてくる気配がひとつあった。


「下着屋で本を読むなんて不審な輩ね。身柄を拘束した方がいいかしら?」


 おどけた様子で声をかけてくるのは侑姫だ。一総の横に並び、彼の読む本の中身を確認しようと覗き込んでくる。


 一総はパタンと文庫本を閉じ、大仰に溜息を吐いた。


「先輩が連れてきたんでしょう? オレは手持ちぶさたなんですよ。ジロジロと周囲を見るのも悪いですし」


「もしかして、照れてるの?」


 侑姫がニヤニヤと意地の悪い笑顔を見せる。


 その表情で確信した。彼女はこの状況を想定していながら、連れてきたのだと。


 良いようにしてやられたままというのも癪なので、やり返すことにする。


「そうですね、先輩の下着姿を見てしまえば、男なら興奮してしまうのは否めません。手入れの行き届いた艶やかで繊細な黒髪、黒曜石のように透き通った目、真っすぐな鼻梁、小ぶりで麗しい唇、健康的でしなりのある四肢、豊かな胸部とくびれた腰。ざっと挙げただけでも、これだけ美しい点が存在する先輩ですからね」


 上から順に、手で指示しながら褒めていく。


 一見、全く仕返しのように見えないが、そうでもないのだ。あれだけ優秀な容姿を持っておきながら意外ではあるけれど、彼女はストレートな賛美に弱かったりする。瞳を真っすぐ見つめて褒めちぎれば、ご覧の通り。熟れたリンゴの如く真っ赤な顔をした侑姫のでき上がりだ。


 侑姫は瞳を揺らし、肩を震わせながら言う。


「お、お世辞でも嬉しいわ。す、少し変態チックに思わなくもないけれど、わ、悪い気はしない。あ、ありがとう」


「事実を言ったまでですよ」


 追い討ちとばかりに言葉を紡ぐ。


 ただ、仕返しによる発言ではあるが、お世辞のつもりは全くない。彼女は誰もが溜息を吐くレベルの美人であり、瀟洒な風格をまとっている。


 その辺りは侑姫自身も理解しているはずだが、お世辞などと返してしまうところから初々しさか感じられた。


 一総の追い討ちに、侑姫は湯気が出そうなほど頬を染める。そして、両手をワタワタと顔の前で振って、終いには俯いて沈黙した。何とも愛らしい反応である。


 侑姫の可愛らしさと仕返しの成功に、思わず笑みが溢れる一総。


 これに懲りて今後は下着屋に連れてくるのは控えてほしいが、イタズラ好きな面がある彼女のことだから無理な話だろう。その時になったら、同じことを繰り返せば良い。


 そんな風にあくどい思考を回していると、いつの間にやら復活した侑姫がこちらを睨みつけていた。でも、残念ながら頬の赤さが取れていないので、全然怖くない。


「せっかく女性下着専門店に連れてきて、盛大に一総をからかってやろうと思ったのに、結局私がしてやられるのよね」


「やっぱりオレへの当てつけだったんですか……」


 文句を口にする侑姫に対し、一総は勘弁してくれと脱力する。


 その反応を見て、彼女はおかしそうに笑った。


「ふふ、半分冗談よ。実際は、村瀬さんの下着が足りてないんじゃないかって思ったのよ。彼女の動きを見てて、サイズが合ってないのは分かってたからね」


「そういうことですか」


 体に合っていない下着を身につけていることから、下着の数が足りていないと予想したようだ。そういえば、先程成長し続けている云々という話をしていたのを思い出す。


「学生のうちは色々成長するから、衣類はこまめに買いに行った方がいいわよ。下着の買い物なんかは女の子から言い出すのは恥ずかしいでしょうから、今後は一総が気にしてあげてね」


 アドバイスを言う侑姫の表情は、とても優しげなものだった。イタズラ好きなのは玉に瑕だが、こういう心遣いができるところは彼女の美点だと思う。風紀委員長として多くの人員の上に立っていると納得できる気の回し方だ。


 侑姫の優しさに改めて触れ、一総は小さく笑む。


「ありがとうございます。しかし、あの村瀬が下着程度で恥ずかしがるってことはないと思いますよ」


「どういうこと? 普通、年頃の女の子が異性に『下着を買いに行きたい』なんて言いにくいと思うんだけど」


 一総の指摘に、侑姫は首を傾げた。


 当然の疑問だ。彼もその身で実際に体験していなければ、彼女と同じ反応をしたに違いない。今思い出しても、頭が痛くなる珍事だった。


「『普通』はそうでしょうね。村瀬は普通の範疇に収まりませんから」


「一体、あなたと彼女の間に何があったのよ」


 実感のこもった嘆きを聞き、侑姫は困惑の声を上げる。


 以前に起こった事件のことを話そうと、一総は口を開いた。しかし、それは初動だけで中断を余儀なくされる。というのも、にわかに店内が騒がしくなったからだ。


「騒がしいわね」


 店内の空気が変わったことに気がついた侑姫が、周囲を見渡しながら怪訝そうな顔をする。


「もう見た方が早いですね」


「何が?」


「村瀬が普通じゃないところですよ」


 騒動の原因を悟った一総は諦観を湛えた表情で言った。


 それを見た侑姫は顔をしかめる。嫌な予感がする、といった心の声が聞こえてくるようだ。


「かずさ」


 とうとう蒼生が一総たちの背後まで到着した。侑姫が周囲を窺っていたはずだが、【気配探知】で得られた情報から察するに、巧みに死角を突いてきたらしい。何という技術の無駄遣いだろうか。


「なっ!?」


 蒼生の接近に驚きつつも背後を振り向いた侑姫は、度肝を抜かれた顔をした。驚愕のあまり声が出ないらしく、パクパクと口を動かしている。それだけで自分の予想が正しいと、一総は確信した。


 逃亡したいところだが、出入り口は蒼生の方にしかない。振り向く以外の選択肢は残されていなかった。


 意を決して彼は振り返る。


 視線の先にいたのは、黒の下着姿の蒼生だった。それも、かなり大人びたデザイン、妖艶さを匂わせる代物。


 彼女は頰ひとつ染めずに言う。


「似合う?」


 一総は天を仰ぐ他なかった。

 

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