008-2-01 第一の門番
門の先は不思議な世界だった。藍色の空間に、最低でも野球場ほどの広さはあろう純白の立方体が、いくつも浮いている。
ザッと周囲を見て、他の人の気配がないことを確認した一総は言う。
「各自、自分の異能を確かめろ」
異世界へ来てから、最優先で行わなければならない作業を指示した。
世界が違えば、異能の定義が変わるのは常識。この結果如何では、今後の戦いで足手まといになりかねないのだ。
幸い、この世界――推定『神座』では全異能が使用可能らしく、全員から問題ないとの声が返ってくる。
ところが、安心するのも束の間だった。
「きゃあああああああああああああああああ!!!!!!」
唐突に、
真っ先に敵襲を疑った三人の行動は迅速だ。
異能による走査では、異常は見られない。少なくとも、外部からの攻撃は受けていないようだった。
真実に何があったのか心配しながら、一総は彼女の傍へ駆け寄る。そして、震え、息を荒げる真実に寄り添った。
「なっ」
うつむく真実の相貌を覗いた一総は、息を呑んだ。
彼女の顔を覆う両手の隙間から、多量の血液が滴っていた。血の出どころは、両目で間違いないだろう。
一総は、真実の大ケガに動揺したのではない。そのケガに、あらかじめ気がつけなかったことに驚いたのだ。これほどのケガを負っていたのに、事前の走査では認められなかった事実に、衝撃を隠せなかった。
急いで治癒の異能を施す。どうやら精神的にも参っていたようなので、精神魔法の【
彼の治療は効果てきめんで、あっという間に真実の傷は癒えた。同時に落ち着きも取り戻したらしく、体の震えも収まっている。
「大丈夫か?」
「はい。心配かけて、すみません」
一総が声をかけると、真実はゆっくり顔を上げた。
ただ、両手は離したものの、一向にまぶたを開く様子がない。開こうという気力が一切見られなかった。
「まだ痛むのか?」
傷は完璧に癒えた自負はあったが、念のために尋ねる。ここは未知の領域たる『神座』だ。何が起こってもおかしくない。
真実はフルフルと
「いえ、違います。目を開けると、またケガを負いそうなんで」
「……どういうことだ?」
一総は目を
見るという行為がダメージを受ける要因であるのなら、自分を含む他のメンバーの身も危うい。早々に、事情を聞き出す必要があった。
真剣味を増した彼の言葉に、同等のトーンで真実は返す。
「ここ、情報が多すぎるんです。空間内に、溢れんばかりの情報が漂ってるんですよ。特にあの透明の板は、家電の説明書かってくらい、びっしり情報が詰まってます」
「情報過多のせいで脳内の処理が追いつかず、自傷してしまったってことか?」
「はい」
自分なりの解釈を混ぜて内容をまとめると、彼女は簡素に頷いた。
真実の眼は、すべての情報を見抜く能力を有している。目前に広がるあまりの情報量に脳がパンクし、これ以上のインプットを防ぐため、瞳が機能停止を起こしたようだった。
見えすぎるゆえのデメリット。贅沢な悩みではあるが、真実にとっては大きな痛手だ。
何せ、真実の実力はその瞳に由来する。それが半ば封印されてしまえば、戦力の大幅ダウンは必然だった。
「ミュリエル。
「了解よ」
魂の情報を見抜く眼を持つミュリエルへ警告をし、一総は思考を巡らせる。
思慮するのは、真実の扱いについて。
『神座』の特性上、この中で彼女が目を開くことは不可能に違いない。力の根源を制限された状態で、この先の戦いについて来られるか怪しかった。
加えて、入口でこれほどのダメージを受けたのだ。深奥へ進むにつれて情報量は増えていくと予想できる以上、彼女の身はいっそう危険になるだろう。最悪の場合、立っているだけで即死しかねない。
すると、一総が何を考えているのか察したようで、真実が口を開いた。
「センパイ、お願いします。私も一緒に行かせてください」
「それは……」
「一生のお願いです!」
彼が言葉を濁すと、彼女は頭突きでもしようかという勢いで頭を下げた。
「目をつむってればダメージは負いません。魔眼のお陰で行動に支障はありませんし、全力とはいきませんが、戦闘も問題なくこなせます。どうか、私に友だちを救出する手助けをさせてください!」
必死の懇願だった。声が震えており、もしかしたら涙を流しているのかもしれない。
どうして、ここまで食い下がってくるのか。どう考えても、ただの友人へ向ける献身ではない。
一総は少しだけ考えを巡らせ、心当たりを見つける。
思えば、真実はほとんどの時間を一総と共にすごしていた。それはつまり、
約九ヶ月、ずっと一緒だった友人。その月日は彼女たちの絆をより強固にし、無二の親友とも呼べる関係へ昇華させたのだろう。
だからこそ、真実は最後まで力を貸したいと願うのだ。自らの手で助けることは叶わずとも、その助力になりたいと立ち上がったのだ。
真実の安全を想うなら撤退させるべきだが──即断できなかった。必死に
無論、完全に足手まといであれば即断できたが、残念なことに、真実には相応の実力がある。一考する余地が残されてしまっていた。
一総は迷い、他の二人へ意見を求めて視線を向ける。
彼女たちは肩を竦めるだけだった。アドバイスをする気はないらしい。
溜息を吐く一総。
ここで止めに入らない辺り、彼女たちは意見を述べているも同然だった。
ともすれば、真実への返答も決まった。
「分かった。同行を許可する」
「センパイ!」
「ただし、条件がある。今より状態が悪化しそうなら撤退すること。その時、下手に誤魔化したりしないこと。いいな?」
この条件は譲れない。如何に真実が願おうと、彼女の命には変えられないのだから。
こちらの心情は理解しているようで、真実は不満を漏らすことなく頷いた。
「分かりました、約束は守ります」
彼女の小気味良い返事を認めてから、一総は立ち上がる。それから進路を定め、歩み始めた。
「それじゃあ、行くぞ」
「えっ、行く方向、分かってるの?」
三百六十度、世界は広がっているのに。そう、司は驚いた表情を見せる。
一総は迷いなく首肯する。
「ああ。向こうがオレらを誘ってるからな」
ここに来てから感じていた。『始まりの勇者』による殺気と蒼生の力の波動を。
罠とも考えたが、その線は薄い。圧倒的強者である彼が、わざわざ絡め手を使う理由がない。
常に強者側だった一総には分かる。敵は、来られるものなら来てみろと挑発しているのだ。
であれば、それに乗らない選択肢はない。
一総たちは駆け出す。『神座』の最奥を目指して。
○●○●○
どれくらい走っただろうか。一総の先導の元、いくつもの白い立方体を飛び渡り、藍色の世界を突き進んでいく。
代わり映えのしない景色が続くだけだったけれど、大都市級の広さを持つ立方体に足を踏み込んだ時、とうとう変化が訪れた。
変化はふたつ。望んだものと、望まないもの。
前者は、立方体の最奥に門があったこと。二メートルほどの小ささだったが、その様相は先の『楽園の門』と類似していた。ほぼ間違いなく、次のステージへ向かうための扉だろう。
後者は、門の前に立つ人影だった。二十代後半の、金髪をオールバックで固めた男。白衣をまとっており、線の細さからして研究気質の人物だと推定できる。この場にいることから、『ブランク』の一員であるのは明らかだった。
「門番ってところかしら? まるでゲームね」
ミュリエルが呆れた風に呟く。
司も彼女の意見には同意だった。
彼らは──いや、『始まりの勇者』はゲーム程度の認識でいるのだろう。自分がラスボスとして待ち構えるダンジョン系のゲームといった感じか。
どこまでもナメている。世界を懸けた戦いなどお遊びにすぎない、と言わんばかりだ。
敵の首魁にイラ立ちを覚えながらも、彼女たちは前進する。門番の攻撃射程距離まで着々と近づいていく。
その間、司は状況の確認に努めた。周辺の地形や敵の様子、伏兵の有無など。一片も取りこぼしのないように情報を拾う。
本来は一総や真実の専売だが、現状は見えすぎる彼らより、錬成師として情報処理に長けた司の方が向いている。
そうして、彼女はひとつの結論を下した。
「ここは私が引き受けるよ」
門番の相手は自分のみが行う。そう司は告げた。
これは事前に話し合っていたことだった。敵が戦力の逐次投入をしてきた場合、こちらも同様に対処すると。
全員で叩き潰した方が早いのは確か。しかし、それを行なうと、『始まりの勇者』と消耗した状態で向かい合うことになってしまう。
そも、かの敵と渡り合えるのは一総しかいない。であれば、残りは露払いに徹し、一総を最奥に送り届けるのが最善だった。
順番までは決めていなかったが、敵の戦力を考慮し、司が名乗り出たわけだ。
ゆえに、彼女の言に誰も反論しない。力強い瞳で、任せたと願うのみ。
「断界、開門」
出し惜しみはしない。射程範囲に入ると同時、司は『
藍色の世界を彼女の魔力が駆け巡り、その本質を上書きしていく。
上書きが敵の元へ到達した時、彼は眉をひそめたが、それ以上の行動は起こさなかった。
対抗手段がなかったのか、こちらに先手を譲ろうという慢心なのか。敵の真意は不明だけれど、無事に『
司は敵の正面十五メートル地点で立ち止まり、一総たちは敵の男を迂回するように門へ駆けていく。
一総たちを留めようとしたのか、敵がピクリと体を揺らす。
だが、それを許す司ではなかった。
「させないよ」
彼女が宣言すると共に、敵の動きが止まる。まるで何かに縛りつけられているかの如く、微動だにしなかった。
タネは簡単。彼の周囲の空気が、司の錬成術によって固められていたのだ。
『断界』のルール改定により、今や彼女が念じるだけで錬成術が完了する。予兆どころか発動過程さえない術を防げるはずもない。
そうこうしているうちに、一総たちは門の向こう側へ消えていった。これで、司の最初の役目は終了。あとは、目前の敵を足止めしていれば良い。
「やってくれましたね」
いつの間にやら空気の塊から脱した敵が、こちらに歩み寄ってくる。
脱出されるとは思っていなかった司は多少驚きつつも、冷静を装って答える。
「すべてが終わるまで、あなたには私と踊ってもらうよ」
「美女とダンスできるのは大歓迎……と言いたいところですが、私にもリーダーから与えられた使命があるので、ご遠慮させていただきます」
「そう易々と行かせるとでも?」
「以前ならまだしも、今のあなたなら骨が折れるでしょうね。あなたの言う通り、すべてが解決するまで踊ってしまう可能性もある」
思わぬ弱気な発言に、司は肩透かしを食らった。どこか自信満々な様子から、もっと強気な言葉を吐くと予想していたのだ。
しかし、彼女の感想は時期尚早だった。
でも、と彼は続ける。
「それは私一人でお相手した場合の話。私の人形兵千人を相手に、あなたは何分耐えられますかね?」
両腕を広げて宣言すると、彼の背後の上空に、次々と天使が現れた。銀の髪と羽根を携えた、戦女神を連想させる女性たちが、続々と転移してくる。
人形兵と呼ばれた天使らは、パッと見でも『
呆然と天使たちを眺める司へ、敵の男は慇懃無礼に言う。
「申し遅れました。私の名はヴァン。かつてあなた方が倒したグゼの師を務めました、しがない錬成師です。短いつき合いになるでしょうが、よろしくお願いします」
「……クソッタレ」
対し、彼女は渋面を
一対千一。
圧倒的物量差の戦いが、今始まろうとしていた。
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