004-4-04 心の迷宮(1)

「みんな、無事か?」


 一総かずさの声が聞こえ、蒼生あおいはハッと我に返る。


 目を開ければ、彼女の周りに一総、真実まみつかさの三人が揃っていた。皆、問題ないと返事をする。


 侑姫ゆき桐ヶ谷きりがやの連中の姿が見当たらないが、彼女らは大丈夫なのだろうか。そういった心配をしつつ、蒼生は状況確認のために周りを見渡す。


 そこは摩訶不思議な空間だった。上下左右を壁に囲まれているのだが、全てに円と多角形が入り混じった不可解な模様が描かれており、ひとつとして同じ色をしていない。一方向だけ道が開けているが、それもいくらか進んだ辺りで壁があるのが目視できる。その地点で左右の壁が途切れているから完全に閉じ込められているわけではないけれど、どこか閉塞感があった。何と表現すれば良いか。そう、この雰囲気は──


「何というか、迷路みたいですね」


 蒼生が思い浮かべたものと同じ単語を、真実が口にした。


 迷路という言葉は実にしっくりくる。まだ他の場所がどうなっているか不明だが、何となく先の道は入り組んでいるような気がするのだ。


「迷路──まぁ、似たようなものか」


 真実の発言に一総が首肯した。


 彼は苦々しい表情をしているものの、先程までとは変わって落ち着いている。現状がどうなっているのか知っている様子だった。


「一総センパイは、ここがどこなのか知ってるんですか?」


 真実が問う。


 すると、ここに来てから今まで付近をウロウロしていた司も、彼女に同調した。


「私も教えてほしいかな。ここから脱出しようと『連世れんせいの門』をさっきから使ってるんだけど、全く反応しないし。それどころか異能がほとんど使えない。相当な異常事態だよ」


「ええ、本当ですか!?」


「それは……驚き」


 司の報告に、蒼生と真実は瞠目どうもくした。


 錬成術に詳しくない二人ではあるが、大まかな説明は受けていた。錬成術はほとんどの異世界に存在する異能であり、『連世の門』はそれらを繋げられる奥義。【空間魔法】にも匹敵する代物が発動しないというのは、現状の異常性を浮き彫りにしていた。


 そして何より、異能が使えないことは致命傷だ。勇者である彼女たちの強さは異能に依存する。それが封印されては、この緊急事態を乗り越えられない可能性が高い。死活問題だった。


 司は真剣な表情で続ける。


「まだ全部の術を試したわけじゃないけど、ざっとは検証してみたよ。体内に行使する異能──【身体強化】の魔法とかは問題なく使えるんだけど、外部に放出するタイプは全滅だね」


 ほら、と彼女は足元で錬成術を発動するが、錬成円が発光するだけで、それ以上の変化は起きなかった。


 二人も自分にできる異能を発動してみるが、結果は司と同様。体内に向けたものは効果を発揮するものの、体外への効果は無に帰してしまった。


 こんな短期間に重要事項の検証を済ませてしまう司の優秀さに感嘆しつつ、蒼生と真実は難しい顔をする。異能の全てを封じられていないのは不幸中の幸いだけれど、依然厳しい状況だ。攻撃も防御も手段が限られてしまうのだから。


 深刻な様子の二人を見て、司は苦笑する。


「あまり難しく考えなくてもいいと思うよ」


「でも、異能のほとんどが使えないんですよ? こんな状況でそれは困るじゃないですか」


「何かあってからじゃ遅い」


 この中で一総の次に場慣れしている司が楽観的だなんて、一体どうしたのだろうか。


 訝しむ蒼生だったが、答えはすぐに判明した。


「それはそうだけど、状況を一番理解してる一総くんが冷静なんだから、思ってるよりも酷い展開にはならないんじゃないかな」


「なるほど」


「納得」


 司の指摘に、真実と蒼生は深く頷いた。誰よりも強くて慎重な彼が何も言わないのだ。それだけで最低限の安全が確保されていると信じられる。


 先と打って変わって、蒼生たちの表情は和らいだ。


 二人が安堵する様子を見届けてから、司は再び尋ねる。


「それで、今はどういった状況なの?」


「そうだな……」


 問われた一総は考え込む。ここに来てから、ずっと思案している様子だった。焦っている風ではないので危険性は低いのだろうが、何か懸念があるのだと思われる。


 友として手助けしたい気持ちはある。しかし、この未知の状況で自分にできることが如何に少ないか理解していた蒼生は、彼が頼ってきてくれるまで黙して待つことを選んだ。


 一総なら必要であれば頼ってくれる。そういった信頼が、蒼生の中には確かに存在した。


 十秒ほど逡巡した一総は語り出す。


「まず、この場所の名を『心の迷宮』と言う。文字通り、対象となった者の心を迷宮という形で具現化したモノだ。君らが迷路のようだと予想したのは正しい」


「何で、私たちがそんな場所に?」


「ここに来る直前、いきなり妙な奴が現れただろ。そいつが桐ヶ谷先輩の心をこじ開けた」


「『心をこじ開けた』、ですか。嫌な表現ですね」


 真実が顔をしかめる。


 蒼生は思い返した。謎の少年が突如現れ、それに対して一総が酷く焦っていたことを。そこから導き出されるのは、あの少年が一総に近しい実力を有しているという予想だ。一総と並ぶ実力者であれば、心をこじ開けるといった荒唐無稽な事象を起こせるのも納得できた。


 同時に恐怖する。少年が敵であるのなら、彼は一総を除く全員に対し、侑姫と同様のことを仕かけられるのだ。


 同じ結論に至ったようで、司は顔色を悪くしながら訊く。


「『心の迷宮』なんて現象を私は聞いたこともないんだけど、何の目的のために行われる異能なの? あの少年は何者で、どうして風紀委員長の心をこじ開けたんだと思う?」



 推測でも良いから、少年の正体や目的は共有していた方が良い。もしかしたら、この場にいる全員が襲われる可能性があるのだから。──いや、あの場で一総は少年の腕を斬り落としていた。確実に敵対すると構えるべきだろう。


「『心の迷宮』が何たるかと、あいつが何者かの説明は一緒にできる」


 話の流れを想定していたのか、一総は淀みなく言葉を紡いだ。


「『心の迷宮』とは、【空間魔法】を習得するために必要な試練なんだ。自分の心と記憶に向き合い、成長することで【空間魔法】を得られる。これは決められた場所でしかできないはずの試練だったんだが……それを自在に行える組織はひとつしかない」


「『ブランク』だね」


「そうだ」


 司の返しに一総は首肯した。


 確かに、【空間魔法】が関連であれば、一総以外には例の組織しか候補がいない。『心の迷宮』が【空間魔法】の習得試練なら、それを実行した少年が『ブランク』の一員だと考えるのは自然だった。


 無論、未だ邂逅していない第三勢力の可能性も否定できない。だが、『ブランク』が『心の迷宮』を自由に開けると仮定した方が、とある謎が解消されるのだ。


 謎とは、『ブランク』に多くの空間魔法使いが所属している事実。今まで『始まりの勇者』──と一総──しか使い手がいなかったというのに、同じ組織に十人以上も在籍しているのは、情報源が一総でなければ絶対に信じなかったレベルのことなのだ。どうやって人数を揃えたのか、ずっと疑問だった。


 ところが、『心の迷宮』を開けられるのなら話は変わる。組織の理念に賛同する者に試練を受けさせれば良いのだから。


 『心の迷宮』の概要と、少年が『ブランク』の一員である可能性が高いことは理解した。


 しかし、まだ不明瞭な点が残っている。それは他の二人も同じだったようで、真実がそれを問うた。


「でも、それならどうして、桐ヶ谷センパイの心をこじ開けたんでしょう? 『ブランク』にそんなことをするメリットはないと思うんですが」


 組織外の人間である侑姫に、試練を受けさせる意図が分からない。メンバーに入る予定の者なら理解できるが、侑姫がテロリストの味方をするとは到底考えられない。むしろ敵対するだろう人物へ強力な異能を与えるなど、正気の沙汰とは思えなかった。


 その質問を受けた一総は、眉間にシワを寄せた。


「桐ヶ谷家と『ブランク』は協力関係にあるんだ。であれば、父なり母なりが命令すればいい。『ブランクに協力しろ』ってな。それなら奴らは強い手駒を手に入れるってメリットが発生する」


「じ、実家に命じられたからって、普通はテロリストなんかに与しないんじゃ?」


 真実は疑わしげに意見を言う。司も懐疑的な顔だ。


 二人ともアヴァロンでの侑姫しか知らないから、とても信じられないのだろう。


 逆に、桐ヶ谷家での彼女をいくらか見ていた蒼生は、さすがにそれはないと思いつつも、一総の発言に得心する部分があった。


 こればっかりは即座に信じてもらうのは難しい。一総も二人に言い聞かせるつもりはないようで、言葉を重ねず話題を変えた。


「で、ここからの脱出方法を説明したいんだが」


「異能での脱出は無理なんだね」


 司の言。彼女自らが試したので、確実に無理だと実感しているようだ。


「ああ。ここは取り込まれた存在以外の定義が曖昧なんだ。だから、異能を放とうとしても揺らいでしまう。【空間魔法】も座標が不確かで使いものにならない。正攻法で脱出を目指す他ない」


「その正攻法とは何でしょう?」


 真実の問いに、一総は指を二本立てた。


「方法はふたつだ。この試練を課された当人──今回は桐ヶ谷先輩が試験を突破すること。もしくは、先輩か試練に巻き込まれた人間──オレたちが迷宮のボスを倒すこと」


「肝心のゆきは?」


 一総の言い振りだと侑姫も迷宮に捕らわれているみたいだが、その姿は一切見つからない。


「別地点にいるはずだ。『心の迷宮』展開時に体が接触してないと、同じ場所には転移しないからな」


「だからあの時、私たちを担いだんですね」


 真実が納得したと頷いた。


 蒼生も得心する。『心の迷宮』が開かれる直前、あんなに急いでいた理由がよく分かった。司はともかく、蒼生と真実が一人で転移していたらどうなって・・・・・いたか。考えるだけでゾッとする。


 蒼生が一総へ心から感謝している間も、会話は続く。


「ということは、あの場にいた面々も迷宮にいるの?」


 司が緊張した面持ちで尋ねる。


 蒼生にその意図は読めなかったが、一総は察したようだ。


 彼は首を横に振る。


「『ブランク』の少年がいるのか心配してるんだろうけど、それは大丈夫だと思う。本家の試練でも、心を開ける役は取り込まれなかった。本家と異なる確率も否定できないが、『接触していると同じ場所に転移する』って部分は変わりなかったから、大体が本家と同様の蓋然性がいぜんせいが高いとオレは考えてるよ」


「完全には安心できないけど……今ここで考えても仕方ないか」


 一総の推測を聞き、司は深く考えるのをやめたようだ。とはいえ、彼女のこと、いざという時の対策は考慮しておくはずだ。


 司は重ねて質問をする。


「桐ヶ谷流の人たちと遭遇した時はどうするの? そっちは取り込まれてるでしょう?」


「あー、そうだなぁ」


 そういえばそうだった。そんな言葉を漏らしつつ、一総は腕を組む。


 なるほど、悩ましい問題だ。蒼生の正義感は助けてあげようと囁くのだが、桐ヶ谷の屋敷で起こった数々を思い返すと、素直に手を貸す気持ちが湧いてこない。かといって、見捨てるのも良心の呵責にさいなむ。


 一総がこちらをチラリと盗み見た。


 そこで気づく。彼は蒼生の心情に配慮して、桐ヶ谷の人たちの処遇を悩んでいるのだと。普段の彼なら容赦なく切り捨てる者たちだというのに。


 一総の心遣いが嬉しく、同時に申しわけなくも感じた。蒼生は何も役に立てていないのに、迷惑ばかりかけてしまっている。


 蒼生は口を開く。


「かずさ、思う通りにやって」


 自分のことは気にしなくて良いと伝える。せめて、彼の決断の足を引っ張らないために。


 一総は小さく頷いた。


「基本、無視で行こう。助けを求めるようなら手を貸してもいい。各自の判断に任せる。ただ、オレがダメだと判断した場合は諦めてくれ」


 彼の結論に、皆が首肯する。異論はなかった。


 それを認めた一総は視線を道の先へ向けた。


「さて、タイミングはバッチリだな。始まるぞ」


「何がですか?」


 真実が問いつつ、全員で彼と同じ方を向く。


 この場からだと見えづらいが、左右に続く路に何かの影が存在した。迷宮に取り込まれた他の人間だろうか。


 蒼生はそう予想したが、それは一総によって否定される。


「【空間魔法】を得るための試練が、だよ。迷宮のモンスターが襲いかかってくるぞ」


 一総が言い切った瞬間、左右の道から大量の人型の何かが流れ出てきた。カタカタと音を鳴らし手足を激しく振るさまは、決して人間の動きではない。生理的な気持ち悪さを感じる不気味な化け物だ。


「デッサン人形っぽい見た目だな。一見は木製だけど、そんな柔な素材じゃないだろう」


 およそ十数に及ぶ化け物の波が迫っているのに、一総はあっけらかんとした態度をしている。


 そこに、司が焦った声でツッコミを入れた。


「あれは何!? あんな気持ち悪いものが出るなんて、私たち聞いてないんだけど!?」


「そうだったか? 試練なんだから、当然道中にも障害はあるぞ。まぁ、安心してくれ。モンスター一体は試練を課された者の半分くらいの強さだから、強敵ってほどじゃない」


「風紀委員長の半分って十分強いと思います! センパイは私がシングルだってこと、忘れてませんか? 死んじゃいますよ!」


 フォース最強の半分程度は、確かに十二分に強い。しかも、それが複数体で襲いかかり、こちらは体外に影響を及ぼす異能が使用不可となっているのだ。生半可な実力では生き残れない。


 物理技主体の蒼生は何とかなる。錬成士とはいえ、フォースである司もギリギリ食らいつけるだろう。でも、真実は無理だ。彼女は精霊魔法主体だし、経験も浅いから。それを一総が理解していないはずがないのだが、一体何を考えているのか。


 蒼生は迫り来る人形どもに注意しつつ、一総の顔を覗き見る。


 彼は笑顔だった。いつになく楽しそうに笑っていた。


「『心の迷宮』には、ひとつ大きな特徴があるんだ。それは外部の干渉を一切受けつけない孤立空間だということ。ここで起きたことは、誰にも知られないんだよ」


 要するに、


「この中ではオレが本気を出しても何ら問題がない。だから、安心して戦え。最強オレがバックアップしてやる」


 一総以外の面子に衝撃が走った。


 今まで周囲の目を気にして力をセーブしていた彼が本気を出す。膨大な力を有しているのは理解しつつも詳細が判然としなかったそれを、目にすることができる。


 驚き、恐怖、歓喜。様々な感情が彼女たちに湧き上がった。


 一総は続ける。


「『ブランク』を相手にするには、君らは弱い。基本的にオレが守り切るつもりだが、それにだって限界がくる可能性もある。これはチャンスだ。フォース最強の半分の実力を持つ化け物軍勢と安全に戦えるなんて、レベルアップできるいい訓練になるだろう?」


 まさに彼の言う通りだった。本気の最強一総のバックアップがありながら、実力の申し分ない敵と交戦できる。自分の実力を高める絶好の機会と言えた。


「やってやりますぅ!」


 真っ先に飛び出したのは、何と真実だった。


 蒼生は『ブランク』の標的になっていて、司は構成員の一人と対峙した。そのため、今後も連中につけ狙われる公算が高い。だが、真実は違う。二人とは異なり、かのテロ組織に狙われる要素がほとんどないのだ。


 鍛える動機が薄いというのに、先程まで泣き言を言っていたというのに、我れ先に飛び出した理由。おそらく、一総の足手まといにはなりたくない一心なのだろう。ひとえに一総を好きだから。自分より格上の群れに突っ込む勇気を生み出す愛の深さは計り知れなかった。


 彼女には負けていられない。


 蒼生も駆け出す。横には司も続いていた。


 考えることは同じのよう。皆、一総の力になりたいのだ。真実の持つ愛情とは違えど、彼の役に立ちたい気持ちに変わりない。


 薄気味悪い人形の化け物がひしめく中、蒼生たちは全力で戦い続けた。

 

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