008-5-02 終幕、異端勇者は『日常』を愛している

 四月を迎え、春の陽気が包む頃合いとなった。新生活に対して期待や不安を胸に抱く、変化の季節だ。そして、『始まりの勇者』が引き起こした、のちに『世界変革事変』と呼ばれる事件。その解決から二ヶ月が経過したことにもなる。


 その間に、世界は大きく変動した。『始まりの勇者』の目指した理の変化ではなく、人間の社会が変わり始めたのだ。


 大々的なものは二点。


 ひとつは、ワールド・コーポレーションの倒産だ。アヴァロンの不祥事によって経済が不安定化しているところに、当社のテロ加担や過去の不祥事が次々と流出。世間から大バッシングを受けた末に潰れた。過激なデモが何度も発生し、瀬海せかいを含む社長一族などは表も歩けないほど。世界一と称された企業とは思えないくらい、呆気ない幕引きだった。


 ナンバーワン陥落による経済の混乱は、未だに収まっていない。その事態を予想――否、コントロールしていたつかさやミュリエルの手腕で破綻はしていないが、色々なモノの価値が乱高下しているのが現状。彼女たち曰く、年内には安定させられるとのこと。


 もうひとつの社会変化は、アヴァロンが解体されたこと。発言力の高い英国と米国のアヴァロンがテロに加担していた事実は、それだけ重かった。上層部のほとんどは更迭ないし逮捕され、その影響はアヴァロンを有する国家にも波及したほど。


 ただ、勇者を保護する組織を失ったままでは困る事情も多いため、アヴァロンに代わる組織が編成された。正式名称はフトゥルーム。ラテン語で未来を指す言葉だった。


 名を変えただけで、組織内の活動に大きな差異はない。とはいえ、まったく変化がないわけでもなかった。


 『世界変革事変』以来、世界の人々は一般人と勇者との関係性を考えさせられた。現状維持では破綻する未来しかないと理解したのだ。


 結果、フトゥルームの活動内容に、勇者と一般人の交流企画が加わった。アヴァロンの時のように隔離をするのではなく、相互理解のためのコミュニケーションを取ろうという方針に転換したわけだ。今はまだ企画の立案段階だが、年度末には第一回の交流会が行われるだろう。


 いつか、フトゥルームという組織自体の必要がなくなる。そういう未来が到来することを願いたい。






 一方の蒼生あおいたちも、新学期を翌日に控えるにあたって、いくらかの変化があった。


 もっとも環境が激変したのは司だ。


 彼女は今回の騒動で政治家たちの裏事情を掴み、それをネタにして、自前の治療院の開業を認めさせた。前々から、治療するのに政府の許可が必要な状況を快く思っていなかったらしく、此度の一件はちょうど良い機会だったとか。


 学生との二足の草鞋のため、さばける患者の人数に限界はあるが、開院一ヶ月で、既に三桁に届きそうなほど重症患者を助けている。彼女レベルの錬成師だから為せる技だろう。


 ただ、良いことばかりではない。難病や重傷をいとも簡単に治せる司は、当然ながら身を狙われる。場合によっては、暗殺者を仕向けられる時もあった。


 とはいえ、『救世主セイヴァー』にも名を連ねる彼女が、その辺の有象無象に倒されるはずもない。たとえ、思わぬ不意打ちを食らったとしても、今の彼女は不死を会得したので、死ぬ心配はいらなかった。そも、不死になったからこそ、治療院開業に手を出したようだった。万が一の可能性が皆無になるゆえに。


 そういうわけで、司は今日もせっせと働いている。「ブラック労働だー」などと愚痴を吐いてはいるが、以前よりも生き生きしている気がする。


 たぶん、不死の探究という悲願を遂げたため、心に余裕ができたのだと思われる。また、誰かのために働くことへ充実感を覚えているのも含まれるか。彼女の根は、とても優しい人だから。


 真実まみも大きく生活を変えた側だ。


 彼女も司と同様に、夢への一歩を踏み出した。というのも、インターネットを用いた記事を書き始めたのだ。主な内容は日本フトゥルームでの出来事で、日常コラムから重大事件の取材結果など多岐に渡る。


 どうやら、真実には文才があったようで、ネット記事は瞬く間に人気を博した。特に暴露系の記事は評価が高く、ネタを仕入れ方法について読者の間で論争されているとか。本業の人からインタビューの話も出るほどらしい。魔眼由来なので、誰もマネはできないが。


 まだ流行り程度の話題性ではあるが、この機会を活かして大成すると真実は気合を入れている。勉学の方が疎かになっていて心配だけれど、夢に向かって頑張ってほしい。


 侑姫ゆきは、無事に大学へ進学した。受験直前まで勇者召喚されていたり、受験前後で『世界変革事変』が起こったり、勉強どころではなかったと思うが、それは杞憂だったようだ。何でも、風紀委員長を務めていたのが大きなアドバンテージになっていて、引く手あまただったらしい。


 今後、侑姫は刑事を目指すという。今までは他人に言われるがままに人助けをしていたが、これからは自らの意思で誰かを助けたいのだと。そして、いつか胸を張って、一総かずさへ告白したいと言っていた。


 ミュリエルとメイド姉妹は、事業を立ち上げると言っていた。まだ本格始動していないからと詳細は伏せられているが、話によると結構大きなプロジェクトらしい。楽しみやら怖いやら、やや複雑な気分だ。


 その他のメンバーは、さして変わったところはない。普通に進級しただけだった。まぁ、学生の時分で、進学以外に早々変化が起こるはずもない。前述の面子が特殊だっただけ。


 嗚呼、ひとつだけ変化と呼べるものがあった。


 『世界変革事変』のすぐ後、蒼生が正式に『救世主』入りを果たした。二つ名は、非公式の時のものを流用して『破滅の少女プラエド』。記憶が戻ったことに加え、滅世めっせい異能を含む、世界を滅ぼす異能らをコントロールできるようになったことを証明した結果、各国の上層部より認められた。


 といっても、非公式が公式になっただけ。今までも一総に引っついて『救世主』業務に関わっていたため、蒼生の生活は以前と大差なかった。一総の監視任務が取り下げられた程度。


 だから彼女は、これまでと相変わらない生活を続けていた。




「はぁ」


 深夜。明日から新学期が始まるというのに、蒼生は眠らず、リビングのソファに腰かけている。


 彼女の表情は暗い。照明が落ちているので物理的にも暗いのだが、比喩的な意味でも暗かった。常に無表情の彼女には珍しく、誰にでも分かりやすい状態だった。


 理由はハッキリしている。『世界変革事変』より二ヶ月も経っているのに、一総かずさは『神座』から帰ってきていないのだ。


 ただ、蒼生を含む一総を慕う女性たちは、彼の帰還を疑っていない。彼が死ぬ情景など想像もできないし、帰ってくると約束したのだ。それを、こちらが疑うわけはなかった。


 蒼生の心が曇り空である正確な原因は、せっかく気持ちを交わし合ったのに、全然触れ合えていないことに他ならない。真実まみたちが全力でイチャコラしていたのを見ていた反動か、彼女もそういったこと・・・・・・・をしたい欲求に駆られているのだ。


「はぁ」


 再び吐いた溜息がリビングに響く。


 他の人影はない。もう夜も遅いため、同居しているメンバーは、すでに自室で眠っているだろう。


 彼女が未だ起きているのは偶然だった。何となく目がさえた、それだけの話。


 しかし、ボーッと座るだけなのは失敗だった。何もしていないと、どうしても一総たちのイチャコラを想起してしまい、色々と欲求不満に陥ってしまう。そのせいで、余計に眠気が遠ざかってしまう負の連鎖だ。


 蒼生は気分を切り替えようと台所へ向かう。ホットミルクでも飲もうと考えたのだ。


 冷蔵庫から牛乳パックを取り出し、自分用の黒猫が描かれたマグカップに注ぐ。それから電子レンジで温めた後、スプーン一杯のハチミツを垂らした。


 ホカホカに温まったミルクをスプーンでかき混ぜつつ、仄かに香る甘い匂いを堪能する。


「あっまぁ」


 本当はリビングで飲もうと考えていたが、我慢できずに一口だけ味見した。ミルクとハチミツの柔らかい甘味が口に広がり、それだけで幸せな気分になる。


 ホットミルク一杯で気分転換できるとは、我ながら安上がりな女だと自嘲してしまう。


 ふぅふぅと冷ましながら、ホットミルクを無心で味わう。集中して飲んだせいか、あっという間にコップは空になった。


 幸せの時間が終わると、途端に先程までの憂鬱さがよみがえってしまう。彼のこと考えないのは、もはや飲食の時だけかもしれない。いや、その場合でも、彼の料理を恋しく思うから、こういった簡素な飲み物の時くらいか。


「思った以上に、私は夢中だったっぽい」


 ふと、口をついたセリフ。その言葉は、ただキッチンに響くのみのはずだった。


 ところが、ひとつの返答が戻ってきた。


「何に夢中なんだ?」


「え!?」


 突然の声に、蒼生は肩を上げる。そして、ほぼ反射的に声のあった方──彼女のすぐ隣へ顔を向けた。


 そこには見知った人物がいた。


 日本人の平均的な顔立ちで、覇気のまるで感じられない立ち姿は、とても容姿端麗とは言えない。でも、希望を宿した瞳はどこまでも輝いていて、蒼生の視線を強く惹きつける。また、隣り合うこの立ち位置は、非常にしっくりきて安心できた。


 そう、彼は一総だ。紛うことなく、蒼生の待ち望んだ一総その人だった。


「おっと……むぐっ」


 思わず落としてしまったマグカップを、器用に取っ手から受け止める一総。少し屈んだ彼に生まれた隙を逃さず、蒼生は抱き着いてキスをした。


 勢いに任せたせいで歯がぶつかってしまい、尋常ではない痛みが走る。それでも、蒼生は唇を離さなかった。やっと叶った触れ合いを手放さないよう、熱心にその温もりをむさぼった。


 一総も、彼女がどういった心情なのか理解しているようで、大人しく乱暴なキスを受け入れている。


 たっぷり十分、キスを終えた蒼生は息を荒げていた。気分が高揚したのもあるが、慣れない行為のため、満足に呼吸ができていなかったのだ。


 一総に抱き着いたまま息を整えると、蒼生は勝色の瞳で彼を見つめる。


「遅い」


「ごめん」


「待たせすぎ」


「悪かった」


「釣った魚に餌を与えない?」


「そんなつもりはなかった、すまない」


「みんなも心配してる」


「あとで謝るよ」


「これからは一緒」


「ああ、いつも通り、隣にいてくれ」


 交わされる会話は、感動の再会とは思えぬほど淡々としていた。


 だが、これが最適なのだという空気があった。熟年の夫婦とも言うべき、“そうあって当然“という雰囲気であった。


「あっ、忘れてた」


 一通り話した後、蒼生が思い出したように口を開く。


「おかえりなさい、かずさ」


「……」


 花開く笑顔だった。一総でさえ呆気に取られるくらい、美しい笑みだった。


 今の彼女には、もう絶望の色はない。


 それを認めた一総も笑う。


「ただいま」




 伊藤一総は、こうして日常に帰っていった。


 彼はこれからも日常を求めるだろう。日常平穏を、日常友人を、日常恋人を守っていくだろう。


 だって、異端者──異端勇者は日常を愛している、のだから。



――――――――――――――――――――


この話をもって、「異端勇者は日常を愛している」の本編は終了となります。

約一年間もお付き合いいただき、誠にありがとうございました。


拙作は、決して流行りに乗っかったものとは言い難い内容でしたが、こうして皆さまにご覧いただけたことは感謝に堪えません。


さて、本編が完結いたしました「異端勇者」ですが、もう少しだけ後日談やら閑話を続けようと考えております。まだ拾っていない設定もありますからね。

とりあえず、一月いっぱいは投稿が続きますので、引き続きよろしくお願いします。

 

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