008-5-01 終幕、帰還

 『楽園の門』を目前にした空の上。夜の帳もすっかり降りた真夜中。一時は戦争の如き大乱戦が巻き起こっていたが、見る影もないほどに落ち着いていた。現在も続いている戦闘は、もはや三つしかない。


 そのうちのひとつ。門前で繰り広げられている『勇者ブレイヴ師子王ししおう勇気ゆうきと『剣姫ヴァルキリー桐ヶ谷きりがや侑姫ゆきの争いは、未だ激戦の様相を呈していた。剣撃と異能の応酬は熾烈を極め、他者の接近をまったく許さない。実際、無謀にも近づいた勇者は、その余波によって撃墜されていた。


 この戦いを見学していた大半は、『さすがは世界一位と元フォース最強だ』と思ったことだろう。


 だが、一部の頭が回る者や『勇者』当人は違った。どうして接戦になっているのだ、という疑問が頭の中を埋め尽くしていた。


 勇者召喚数の差は、戦力の差に直結するのが常識だ。だのに、召喚十五回の『勇者』に新米『救世主セイヴァー』の侑姫が食い下がれている。いや、侑姫には余裕が見られることから、彼女の方が押しているかもしれない。


 それはあり得ない光景だった。何か仕かけがあるのではないかと疑うのが普通であろう。『勇者』もそれを考え、戦闘中は常に周囲の気配を探っていた。


 単純に侑姫の方が強いのが事実なのだけれど、常識しか知らない彼らには認められなかった。


 侑姫の霊魔刀と『勇者』の聖剣が激突し、何度目かのつば迫り合いとなる。魔力、霊力、聖気が波状に広がっていき、遠巻きの連中をも吹き飛ばした。


 重なった刃が火花を上げる中、『勇者』は苦々しい顔をする。


「退く気はないのか?」


「はぁ……」


 対し、侑姫は重い溜息を吐く。


 この問いかけを、彼は何度も投げかけてくるのだ。それこそ、もう両手両足の指を使っても数え切れないほどに。あまりにも執拗で、無意味な行為だった。


 普通なら諦めがつくだろうに、『勇者』は全然怯まない。世界変革が正しいという自分の主張を、誰もが心の底では認めている。そう疑っておらず、こちらが翻意することを本気で信じているのだ、ゆえに、善意百パーセントで説得を続けてくる。


 侑姫は、一総かずさが『勇者』を苦手としている真の意味を理解できた気がした。ここまで“自分の主義主張が正義である“などと信じ込める者は、他にいないだろう。ただ子供のままなだけか、自分を信じなければいけないトラウマでも抱えているのか。


 十中八九、前者だろう。『勇者』の瞳は、勇者にしては輝きすぎている。


 世界滅亡の危機なんて極上の悪意に立ち向かった勇者は、基本的に過酷で凄惨な現実を知っている。だから、子供ながらの期待や希望を、少なからず見失う。


 しかし、この『勇者』は、それがまったくない。少年の如き未来への希望や人間の善性への期待を、その目に宿していた。


(世間の一総への評価、彼の方が似合ってるんじゃないかしら)


 よっぽどぬるい異世界を経験していなければ、このような純真無垢の勇者は生まれない。空間魔法を使わずとも互角に戦える現状から察していたけれど、『勇者』は酷く弱かった。今までは、ダントツの異能数のゴリ押しで勝ってきたのだと分かる。


「何とか言ったらどうなんだ!」


 色々とペラペラ喋っていた『勇者』が、唐突に大声を上げた。どうやら、まるで話を聞いていなかったことに気がついたらしい。


 どうしたものかと悩む。何か言葉を返したところで、それが無意味なのは理解していた。向こうも、こちらの話を全然聞いていないのだ。かといって、無視を続けても、耳障りな雑音は止まらない。


 ──いい加減、決着をつけようかしら?


 そんな悪魔の囁きが、耳をかすめる。


 この技術の“ぎ“の字もない『勇者』を叩きのめすのは、割と簡単な作業だ。空間魔法まで用いれば、瞬殺も容易い。


 だが、それを実行すると目立つ。下手すれば、今後の世界のリーダーのようなポジションを押しつけられる可能性だってあった。


 それはごめん被りたい。せっかく自分だけの道を踏み出したのに、また周囲に流されるのは嫌だった。


「ん?」


 本当にどうしたものかと懊悩おうのうしていたところ、ふと妙な気配を捉える。


 気配の先は『楽園の門』の方。他は誰も気がついていないようだが、確かに感知した。


 ただごとではないと判断した侑姫は、迫り合っていた『勇気』を力任せに振り払い、霊術で牽制。それによって生じた間隙かんげきを利用し、門の方を注視した。


 最初は不動の『楽園の門』だったが、程なくして変化が現れる。


 ピキッ。


 ほんの僅かだが、門の装飾の一部が独りでに欠けた。しかも、その欠損は始まりにすぎず、ゆっくりとあちこちが欠け始めた。徐々に欠損する間隔は狭まっていき、ついにはビシリと大きな破損が起きる。


 そこからは早かった。轟音を鳴らしながら門は崩れていき、最後は跡形もなく消失してしまう。あまりにも呆気ない幕引きに、その場にいた全員が呆気に取られてしまった。


「終わった、の?」


 侑姫が呆然と呟く。


 すると、それに答えるかのように、女性の悲鳴が聞こえてきた。侑姫たちの更に上から響いてくる。


 とっさに空を仰ぐと、そこには四つの人影があった。かなり上空にいるようで、裸眼で正体を探るのは難しい。


 だが、人影は落下している模様で、視力強化をするまでもなく、次第にその姿を認められた。


 はたして、人影は『楽園の門』へ突入した少女たちだった。真実まみつかさ、ミュリエルの三人に加え、敵に捕まっていた蒼生あおいも揃っている。


 門の崩壊と蒼生の無事を鑑みて、やはり事件は解決したようだった。


 とはいえ、安堵するのは早い。どうにも、空に出てきたのは想定外だったらしく、彼女たちから慌てた様子が伝わってくる。よくよく見てみれば、ミュリエルと蒼生はガス欠を起こしているし、真実に至っては意識を失っていた。


 これなら、現状に焦っても仕方がない。まだ余力のありそうな司くらいしか、何らかの対処はできないだろう。


 侑姫は四人の助力に向かう。上空に駆け出し、気絶している真実を受け止めた。ミュリエルと蒼生は、同じく駆けつけていたメイド姉妹が引き受けていたので問題ない。


「私だけスルーは酷くない?」


「自力で何とかできるんだから、手助けはいらないでしょうに」


 司は頬を膨らませて抗議してくるが、自身の錬成術で空気の足場を生成しているのだから、文句を言われる筋合いはなかった。


 ムムに抱き止められたミュリエルはぼやく。


「助かったわ」


「いきなり現れるので、驚きましたよ」


「アタシも驚いたわ。マミを回収したと思ったら、突然空に放り出されたのだもの」


 向こうも、この事態は想定していなかったという。


 ミュリエルは一度溜息を吐き、それからミミの腕の中にいる蒼生を見た。


「カズサは勝ったみたいね。無事で良かったわ」


「蒼生ちゃんが無事で良かったよー、おかえりなさい!」


「おかえりなさいませッス、アオイさま」


「アオイさまのご帰還、誠におめでたく思います」


「無事で何よりよ、村瀬さん」


 ミュリエルの言葉を皮切りに、その場にいた全員が蒼生の生還を喜ぶ。


 それを受け、蒼生は嬉しいような、申しわけないような、複雑な表情を浮かべた。


「ありがとう。それと……心配かけた。ごめんなさい」


 彼女は、心の底から反省しているように思える。


 敵にさらわれたとしか聞いていなかった侑姫は、その謝罪の意味を理解できない。ただ、彼女の発する空気より、深い事情があったのは察しがついた。


 とはいえ、今回の侑姫は、手を貸しただけの協力者の立ち位置。不用意に踏み込むのも気が引ける。今は、中心人物たちに進行を任せよう。


 侑姫が沈黙を決めている間も、蒼生たちの会話は続く。


「気にする必要はないわ。アタシは祖国の借りを返したのと、カズサに助力しただけだもの」


「お嬢さまは素直じゃないッスねぇ」


「ツンデレは十年前に卒業したのではなかったので?」


「ツンデレ言うな!」


 コントにも似たミュリエルたちの会話に、蒼生は目を丸くする。


 反応からして、一言も咎められなかったのが意外だと感じたのか。


 彼女が言葉を返す暇もなく、司が続く。


「本当に心配したんだからね。みんなが米国から帰ってきたと思ったら、蒼生ちゃんが誘拐されたって言うんだもん。色々事情はあったんだろうけど、今度からは独断専行しないで相談してよね。私たち、友だちでしょ?」


 最初はやや怒り気味に、最後は慈愛を込めた語り口だった。


 彼女のセリフを聞き、蒼生は感極まったように言葉を詰まらせる。


 見ていた限り、彼女たちの仲は問題ないようだ。外野が口を出す必要はなさそう。


 侑姫は安堵を胸に宿し、先から気になっていた疑問を口にする。


「そういえば、一総はどうしたの?」


 この場には突入組のうち、一総の姿がなかった。


 今回の事件の解決の立役者かつ最愛の人を労おうと思ったのだが──


「後始末してる」


 答えたのは蒼生だった。


 彼女曰く、事件で荒らされた世界の修正作業を行っているとか。だから、合流には遅れているらしい。


 それを聞いた司とミュリエルの表情が一瞬だけ陰った気はしたが、すぐさま引き締まった。


「そう。であれば、アタシたちも後始末を頑張りましょうか」


「さっきから敵意を向けられてるもんねぇ」


 司は呑気に言っているけれど、割と危機的な状況だった。何せ、『勇者』を始めとした変革派の勇者に囲まれているのだ。我に返った彼らは、侑姫たちが変革を阻止したのだと察し、こうして襲いかかろうとしている。


 もはや変革派の敗北は決定的なのだが、まだ逆転できる可能性を捨て切れないのだろう。


 ミュリエルは素早く戦況を分析する。


「幸い、日本の『救世主』二人は、『華炎マジシャン』が未だ抑えてくれているわ。その他の有象無象程度、消耗したアタシたちでも大丈夫でしょう」


「一時休憩してた三人も外側にいるし、彼女たちと連携すれば、包囲網の突破は難しくなさそうね」


 侑姫も自身の見解を口にすると、ミュリエルも頷いた


「ええ、そうね。だから、まずは包囲網からの脱出を優先。その後は各個撃破がベストね。時間がすぎれば、嫌でも負けを認めるでしょうし」


 いくわよ! そうミュリエルが号令し、彼女たちは消化試合を始める。






 約一時間後。予想通り、変革派が負けを悟ったことで、戦いは幕を閉じた。


 ──しかしこの日、ついぞ一総が蒼生たちの前に姿を現すことはなかった。

 

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