008-4-05 彼は一人、日常を守る

「はぁ」


 自分の腕に貫かれた『始まりの勇者』が死んだのを認め、一総かずさは小さく息を吐いた。彼は今、『覇力』を全身にまとっている。重傷もすでに完治していた。


「ギリギリだったな」


 今でこそ無傷で立っているが、先程までは死んでもおかしくない重傷だった。【無の闇】の発動があと少しでも遅かったら、この戦いの勝者は逆転していただろう。それほどまでに、今回の戦闘は接戦だった。


 あの【無の闇】は蒼生あおいが発動したものだ。彼女の離脱する直前に聞かされた話によると、先刻の戦闘中に、遅延発動の術式で『始まりの勇者』の体内へ仕込んでおいたらしい。体内での発動だったため、『覇力』に防がれることがなかったわけだ。


 ──いや、『始まりの勇者』が『覇力』の扱いに慣れていなかったから、体内で起きた【無の闇】を無効化されなかった。そう表すのが正確か。


 本来の『覇力』による強化は、概念強化の類になる。たとえ体内であっても、【無の闇】を抑えられたはずだ。そうならなかったのは、練度不足のせいで体の表面にしか『覇力』を展開できなかったため。


 もしも、彼がもう少し『覇力』の扱いに達者だったら、遅延発動した【無の闇】はまったく通じず、一総の不意打ちも失敗していた。


 ここまで話をまとめれば理解できるだろうが、今回の勝利は蒼生の功績が大きい。事前の戦闘で時間稼ぎし、敵の隙を作る攻撃を隠蔽していたのだ。


 彼女の支援がなければ、必敗とは言わずとも、勝率が大幅に低下していた。少なくとも、何ヶ月にもおよぶ泥試合になっていた公算が高い。下手すると年単位での戦闘もあり得た。


「さよならだ」


 一総は『覇力』を使い、『始まりの勇者』の遺体を消滅させた。そのうち生き返るのではないかとヒヤヒヤしていたので、これでやっと安心できる。


 さて。一総が何故『覇力』を使えるのか、何故今まで使わなかったのか。その辺りを疑問に思うだろう。


 まず後者の回答は、慎重を期したかったためだ。


 相手は自分の裏をかき続け、世界に挑戦した存在。しかも、元神をも欺いた経歴がある。そのような狡猾な相手に対し、バカ正直に全力投球をしては、必ず隙を突かれると踏んでいた。実際に『始まりの勇者』は、滅世めっせい異能や『覇力』などの手札を隠しながら戦っていた。最初から『覇力』を使っていたら、どこかで足元をすくわれていた気がする。


 蒼生の仕込みを知っていたのも理由のひとつだ。真正面から『覇力』で戦った場合の泥試合より、ギリギリでも短期決着の方が勝率が高いと踏んだのである。


 それで、肝心の『覇力』を習得した経緯──もっと正確に言えば、どうやって滅世異能を習得したのか。


 『始まりの勇者』の推察通り、一総には滅世異能の適性がまったくない。通常の異能のように習得するのは難しかった。


 しかし、よく考えてほしい。一総は『神座』の正統後継者である。『神座』の操作に『覇力』が必要だというのに、一総がそれを扱えないのは不自然なのだ。つまり、滅世異能を覚えるための裏技が存在するわけである。


 といっても、裏技なんて呼称するほど仰々しいものではない。ただの修行のゴリ押しだった。彼は何百年という時間を、滅世異能の習得に費やしたのだ。


 修行の時間は、次元魔法を駆使して捻出した。単純に【時間停止クロック・キープ】を行うのは、さすがの一総でも魔力が足りない。ゆえに、時間進行の緩やかな異空間を創造し、その中で修行に励んだわけだ。


 米国アヴァロンから帰国後の十日間──異空間換算で約七百年──すべてを使って、何とか覚えた程度。まず、実戦では使いものにならないというのだから、一総と滅世異能の致命的な相性の悪さが窺えた。


 まぁ、お陰で『覇力』を会得できたし、滅世異能を封じる術も開発できたので、得られるものは得られたと考えるべきなのだろう。


 こうして、あらゆる努力と協力もあって、無事に目的を達したわけだが、彼にはまだ、やるべきことが残っていた。


 自由になった左腕を僅かに下げ、おもむろに横へ振るう。すると、一総の目の前に、白亜に囲まれた豪奢な玉座が出現した。


 これこそ、『始まりの勇者』が求めた『神座』のメインコンソール。世界群すべてを掌握できる、まさに“神の座“だった。


 一総のやるべきこととは、『始まりの勇者』の引き起こした事象の後始末である。まず、ここへ続く『楽園の門』を閉じなければならない。その次は、現世に流出したエネルギーの回収。さらには、今回の騒動で乱れた異世界の鎮静化。言葉にすると少なく感じるけれど、実際の作業は膨大だった。


「すぅぅぅ、はぁぁぁ」


 玉座を前に、一総は大きく深呼吸をし、集中力を高める。その表情は、どこか硬さがあった。


 そこへ声がかけられた。


「かずさ」


 振り向くと、背後に蒼生が立っていた。


 戦いの終わりを感づいて戻ってきたようだ。声がかかるまで気配を悟れなかったとは、この後のことに思考を奪われすぎていたらしい。


 彼女は、そんな一総らしくない状態を見抜いたようで、心配そうに眉を寄せている。


 蒼生に心配をかけるのは本意ではない。一総は努めて笑顔を装う。


「村瀬は先に帰っててくれ。途中で真実まみつかさ、ミュリエルたちと合流できると思う」


「かずさは?」


「オレは残業さ」


「それは必要なこと?」


「ああ、必要だ」


「絶対に?」


「絶対に」


 今までになく、蒼生は執拗に確認してきた。きちんとポーカーフェイスはできているはずだが……。


 内心で緊張を覚える一総。


 その懸念は的中する。次の蒼生の言葉に、彼は硬直してしまった。


「……ちゃんと帰ってくる?」


「大丈夫だ」


 キッパリと断言した。


 彼女の杞憂だったわけではない。むしろ、その懸念は正しい。一総は帰還できない可能性があった。


 この玉座は、『神座』の後継者のみが座するのを許された代物。つまり、後始末をするには、後継者になる他ない。幸い、彼は後継者たる資格を満たしているのだが、その後継者になることが、今回の問題の根幹だった。


 というのも、後継者──世界群の管理人になった後、その者が玉座ないし『神座』より離れられるか不透明のためだ。


 一応、離席は可能であると、事前に元神から聞いてはいる。だが、彼は元々管理者として生み出された存在。人間から管理者に昇華する一総とは条件が異なる。何かしらの要因で、違う結果が導き出される確率もあった。


 また、物理的には可能でも、状況が許してくれないことも考えられた。


 元神が追い出されて間もなく、勇者召喚なんていう災害が発生してしまうのだ。勇者召喚は残すつもりではあるけれど、管理者の負担は想像に難くなく、安易に離れられないかもしれなかった。


 帰れない可能性はゼロではない、呆気なく帰れる場合だってある。


 しかし、フタを開けてみなければ何も分からない状況のため、最悪の展開を想定するしかなかった。


 ただ、その不安を蒼生へ伝えるわけにはいかない。告げれば、きっと彼女もこの場に残ろうとしてしまうから。それは、一総の望むところではなかった。


「……わかった。先に帰る」


 固い意志が実り、蒼生の説得に成功する。


 彼女は未だ心配そうな表情を浮かべているものの、コクリと頷いた。それから、エリアの出入り口である門へときびすを返す。


 門を潜る直前、蒼生は肩越しにこちらを向く。


「待ってるから」


 その短い言葉には、万感の想いが込められている気がした。これからも一緒にいようという、彼女の意思が伝えられた風に思えた。


 門の向こう側へ蒼生が消え、一総は一人切りとなる。


 最後の大仕事が、彼を待っていた。

 

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