008-4-04 神座を巡る戦い(3)

(少し対策が上手くいったからって、調子に乗りやがって。雑魚のくせに)


 一総かずさを一瞬で吹き飛ばした『始まりの勇者』は、心のうちで毒吐いた。


 彼は、自分が戦闘狂ウォーモンガーであると自認していた。事実、将来の障害になりそうだった『異端者』をわざと放置していたし、滅世めっせい異能の分析期間で自身への挑戦者を募った。過去の多くでも、わざわざ戦いへ身を置くことがあった。


 しかし、今回の戦闘で一総に切り札ふたつのを封じられ、その認識が間違っていたと気づいた。


 『始まりの勇者』は、どこまでも快楽主義者だったのだ。多少苦戦するのは許容できるが、自分優位で戦況を進められないと楽しめない。相手を叩き潰すのが楽しかったのであって、戦うこと自体は興味なかったのだ。敗北どころか接戦さえも気分が悪くなる。


 だからこそ、一総に抱く感情は怒りだった。ここまで自分を追い詰め、無様な姿をさらさせたことに、言い知れぬ憤りを覚えていた。


 先程までは、一総を散々あおって戦いを楽しんでいたくせに、かなり自分勝手な言い分だろう。


 だが、それが『始まりの勇者』という人間だった。一見は人当たりの良さそうな人物なのだが、実際は強大な力に任せて他者を振り回し、思い通りに事が運ばないと癇癪を起こす。そういう子どもじみた感性の持ち主なのだ。


 ゆえに、一総の手によって自由を抑えられた『始まりの勇者』は、なりふり構わなくなった。本来なら、自分より格下と見ていた『異端者』に使う予定のなかった、最強の切り札を容赦なく行使した。


「ふーん。初めて使ったけど、こんな感じなのか」


 かなり遠くへ一総が飛ばされたのを良いことに、『始まりの勇者』は今し方使った力の確認をする。


 彼は身体中に、黒、白、銀を雑に混ぜたようなオーラをまとっていた。魔力でも、霊力でも、神力でも、念力でもない。今までに類を見ない力だった。


 名を『覇力』という。八つの『原初界オリジン』の理をすべて修めた者が発現できる力で、世界群の理を自分の思うがままに操作できる能力を持つ。そして、『神座』を操作するのに必要不可欠なものだった。


 ──そう、八つである。現存する七つの『原初界』はもちろん、『覇力』の習得には滅世異能も必須だった。だから、『始まりの勇者』がこの力を手に入れたのは一総との戦闘直前であり、使用したのも先の攻撃が初で間違いない。


 だが、『始まりの勇者』は一度の行使で確信した。『覇力』に勝る異能は存在しないと。この力を振るえば、誰が相手でも圧倒的勝利を掴み取れると。


 それは、ここまで彼を追い詰めた『異端者』も例外ではない。


 『始まりの勇者』は不機嫌だった表情を一転、その顔に嗜虐的な笑みを浮かべた。頬をつり上げたそれは凶悪で、彼が何を考えているのか容易に想像がつく。


 『覇力』をまとった両手を何度か握ると、『始まりの勇者』は一総の飛んでいった方を見た。


 そこには、こちらの様子を窺う一総がいた。おそらく、突然発動した『覇力』を警戒しているのだろう。彼にとってこの力は未知数のはずだから、慎重を期するのは当然の反応だった。


 というのも、『覇力』は口伝できない。入手して初めて、この力の存在や使い方を認識するのだ。詳しい原理は分からないけれど、『神座』辺りが関わっているのだと思われる。


 そういうわけで、一総は『覇力』を知らない。彼は滅世異能の適性が皆無だから。


 少し考えれば、すぐに結論に達することだ。一総は千以上も世界を救った、真の救世主とも呼べる存在。世界を救う者が、その対極である滅世異能を覚えられるはずがない。


 正直、『異端者』風情に『覇力』を使わされたのは腹立たしい。あの状況から逆転する手はあったし、普通の異能だけでも勝ちの目はあったが、『始まりの勇者』が求めるのは圧勝。ある程度の自尊心プライドは諦めるしかなかった。


「まぁ、ここからは一方的になぶれるんだし、気にしないでいっか」


 ようは発想の転換である。『覇力』であれば、他ではできない蹂躙を繰り広げられる。楽しむという点では、むしろプラスのはずだ。


 気持ちを切り替えた『始まりの勇者』は、意気揚々と一総の元へ跳ぶ。もはや自重は捨てたので、『覇力』による位置操作を使う。


 自分の位置情報を書き換え、一瞬で一総の目前に立った『始まりの勇者』は、彼が反応する暇なく片手を横に振った。


 向こうは空間魔法の防御を展開していたようだが、『覇力』の前には無意味である。手に触れた防御に干渉し、効果を逆転させた。一総の身を守っていたはずの空間魔法は、彼を傷つける攻撃魔法へ早変わりする。


「ぐはっ」


 空間魔法の斬撃が、一総の胸を横一文字に斬り裂いた。防御を転換させての攻撃だったため、相手は完全に無防備。抗う術は何ひとつなく、心臓に食い込むほどの致命傷を負わせる。


 血反吐を溢す一総は、追撃されないよう【転移】を試みたようだった。心臓を破損したのに、よく踏ん張るものだ。


 その必死の足掻きは滑稽で、とても愉快なものだった。その悪あがきを許しても問題はないのだが、一総に絶望を与えるため、踏み潰すことにする。『覇力』で相手の【転移】に干渉し、転移先を現在地の一歩後ろへ変更した。


 結果、一総は『始まりの勇者』の目前から脱せず、重傷のまま接近戦をする事態に陥ってしまう。


 『始まりの勇者』は容赦しなかった。満身創痍の一総に向かって、『覇力』を込めた拳を何度も繰り出す。肋骨や腕の骨などを叩き折り、肉を裂き、血管を断裂させる。それでいてトドメを刺さないよう注意を払っていた。『覇力』を使えば即座に殺せるだろうに、これまでの鬱憤うっぷんを晴らす目的で、一総を延々となぶり続けた。


 重傷の一総に、抵抗する術はないだろう。【転移】を筆頭とした離脱する手段は『覇力』で潰しているし、必要以上の回復も封じている。『始まりの勇者』の独壇場だった。


「あははははははははははははははは!!! 死ね、死んじゃえ!」


 哄笑を上げながら、『始まりの勇者』は何度も何度も何度も拳を振り下ろす。骨を砕き、肉を潰し、血を撒き散らす。


 それに対し、一総は黙々と耐え続けた。体のほとんどがボロボロで、無事なのは腕で死守している首から上のみ。いや、残された左腕はもはやミンチで、しっかりガードしているとは言い難い。そのせいで衝撃は殺せず、顔も大きく腫れていた。


 ドン、ドン、ドン。大砲を鳴らす以上の音を響かせ、『始まりの勇者』の拳打が一総へ何発も食い込む。一発でも地を割る威力の攻撃が、『覇力』によって異能を無効化された彼の体へ吸い込まれる。


 肉と骨はゲル状になるまで混ざり合い、血は水気を失って黒い塊と化す。それでも、『始まりの勇者』は止まらなかった。この状態が最高なのだと気分を昂らせ、次々と拳を放り込んでいく。


 如何ほどの時間が経過しただろうか。十分か、三十分か、一時間か、それとも数時間は経っているか。興奮し切った『始まりの勇者』は、すでにその辺りの感覚が麻痺していた。


 といっても、彼は何も困らない。『神座』ではエネルギー摂取など必要としないし、『異端者』を超える強者はいない以上、もう彼を止められる邪魔者は存在しないのだ。いくらでも遊んでいられた。


(それにしても……)


 勇者としての冷静な部分が、静かに疑問を浮上させる。どうして、目の前の敵は立ち続けるのかと。


 勝ち目がないのは分かり切っているはずだ。こちらが死なないよう調整しているとしても、どこかで心が折れても不思議ではない。だのに、一総は今もなお、攻撃を受け続けている。まだ負けていないと言わんばかりに、不動を保っている。


 何か逆転の手があるのか?


 そんな考えが脳裏をよぎるが、すぐさま首を横に振った。


(あり得ない。こっちには『覇力』があるんだ)


 『覇力』はこの世界群の頂点である。それは覆せぬ事実であり、どのような小細工を弄しても届かない。従って、一総が勝てる見込みはゼロなのだ。


 そう、勝てるわけがない。常識的に考えて・・・・・・・、こちらの勝利は確定している。


 『始まりの勇者』はそこで思考を放棄した。自分の中の常識を信じ、勇者の本能を否定した。


 これが『覇力』を手に入れる前の彼だったら、違う判断を下しただろう。きっと常識よりも本能を優先したはずだ。


 結局、『始まりの勇者』は油断した・・・・のだ。『覇力』という至高の武器を入手してしまったがために、進化することを止め、“常識“なんて不確かな概念に固執してしまった。


 普通に考えれば分かったはずだった。勇者──ましてや超越者たる自分たちに、常識は通用しないということを。


 そして、勇者の最大の死因は、油断だということを。






 拳を振るう――が、何故か一向に一総へ到達しない。


「……は?」


 思わず間の抜けた声が漏れる。


 いや、『何故か』とわざとらしく誤魔化す必要などない。理由は分かり切っているのだ。『始まりの勇者』の右の拳が――それどころか、もう片方の拳まで完全消滅していた。ゆえに、彼は拳を振るえない。


 原因は、腕のつけ根に出現した闇。『始まりの勇者』もよく知っている異能、【無の闇】による浸食だった。


 どうやって『覇力』の防衛を突破したのか、誰がこの【無の闇】を発動したのか。様々な疑問が脳裏をよぎる。しかし、彼がそれらに答えを出すことはなかった。


 ズドン、と『始まりの勇者』の体に突然の衝撃が走った。同時に、口元から何かの液体が垂れる。


 反射的に拭うと、それは赤かった。見慣れた猩紅しょうこう、嗅ぎ慣れた鉄臭。紛れもない血液。拭ったにも関わらず、次から次へと血は口から溢れ出す。


 ゆっくり、ゆっくり。おもむろに衝撃の中心地、自身の胸元へ視線を向ける。そうして、ようやく彼は認めた。自分の胸に刺さる腕の存在を。それが黒、白、銀の内在したオーラをまとっていることを。


「うそだ、ろ」


 『始まりの勇者』は『覇力』をまとう一総に驚愕する。それから、吐血しつつも呆然と続けた。


「なんで、おまえが……」


 あり得ないのだ、『異端者』がその力を手にするのは。入手条件に滅世異能の習得がある以上、世界を救う者であるはずの彼に、『覇力』を覚えられる素養はない。


 もしかして、先の【無の闇】は一総の術ではないか。そのような仮説が浮かぶけれど、それこそ違うと断言できる。目前の敵が異能を使ったかどうか見破れぬほど、『始まりの勇者』は落ちぶれていないのだから。


 意識が混濁する。今も血を失い続けているせいで、どんどん思考能力が低下していく。どうしようもなくまぶた・・・が重くなり、手足の先から力が抜けていった。


 心臓を潰されたせいで起きる症状ではない。自慢ではないが、この程度の重傷で死ねるほど柔ではないのだ。おそらく、『覇力』が影響している。自身の体を貫く腕から、一総の『覇力』が命を侵してきているのだろう。


 もはや『始まりの勇者』の命は風前の灯火だった。


「それだけ力があるのに……現状維持を目指すの、か」


 誰よりも強者であると自負していた自分よりも強いのに、目前の敵は変化を望まない。何ひとつ代わり映えのしない、面白くもない日常を求めるという。


「これからも、多くの勇者が死ぬ。……ボクの変革は自己満足だけど……決して、決して、間違ってなかった」


 『始まりの勇者』の真の目的からすれば副産物でしかないが、勇者召喚が終わることによって救われる命は多いと予想できた。変革直後の混乱はあるだろうが、長い目で見れば、変革派に正義があったはずだ。たとえ裏があったとしても、マッチポンプだったとしても。


「オレはオレの日常正義を守るだけさ」


 淡々とした返し。しかし、その言葉に込められた信念は、非常に強固だった。


 『始まりの勇者』は自嘲気味に溢す。


「『異端者ヘレティック』──いや、『異端勇者イミュータブラー』。キミは……どこまでもブレないね」


 次第に、視界が黒く染まっていく。


 それが何を意味するか、彼は感覚的に理解していた。恐怖はないと言えば嘘になるが、その心の大部分は諦観だった。自分の力量では『異端勇者』には敵わないという諦めだった。


 こうして、『始まりの勇者』はその命を散らした。

 

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