002-1-04 試作会と古傷
準備期間に入り幾日か。喫茶店のメニューを一通り確定させた
余談だが、一総は臨時で風紀委員をやることになったものの、調理責任者の役目は継続した。一度引き受けた仕事を放り出すのは気が咎めたこともあるが、一総自身がやる気だったことが大きな理由だ。
せっかく日常を日常らしく楽しめるチャンスだというのに、それを高々ダブルワーク程度で諦めるわけがない。休憩時間が激減することとなったが、勇者――しかも、何百と異世界を渡り歩いた彼にとって、これくらいの仕事量は苦でもないのだ。
ジュワッ。
熱せられたフライパンにバターが広がる音が鳴る。香ばしい匂いが漂ったところで溶いた卵を投下。固まりすぎないよう注意を払いながら、丁寧に菜箸でかき混ぜていく。
手慣れた様子で調理を進める一総を見て、ギャラリーは感心の息を漏らした。
一総は他者との交流がゼロに近く、色々と良くない噂が流れている。そのため、いくら人気者の蒼生が太鼓判を押そうとも、拭い切れぬ不安があったのだ。熟練の動きを見せる彼に、安堵するのも当然の反応と言えた。
ほどなくして、黄金に輝く逸品が完成する。一総が最も得意とする料理であり、喫茶店での看板商品となる予定のオムライスだ。
焦げ目ひとつない滑らかな卵と鼻孔に届く豊かな香り。それだけで食欲が刺激され、この場にいるほとんどがゴクリと喉を鳴らした。
生徒たちがお互いに視線を交わし合う。誰が最初に食べるかを決めるために。
ただ、一向に一人が決まる様子がなかった。食欲に負けた複数名が、我先にと全く譲ろうとしないからだ。その中には蒼生も含まれる。
一総は蒼生を軽く小突く。
「君は前に食べたことあるんだから、最初に食べたって意味がないだろう」
そもそも、本来なら味見役で参加する意義すらない。彼女はクラス内で誰よりも一総の料理を知っているのだから。ここにいるのは、一総の目の届く位置にいさせるためだ。
「うー」
蒼生は小突かれた頭を押さえ、不満そうな声を上げながら、こちらを見上げる。
彼女のような美少女から潤んだ上目遣いをされては年頃の男子として感じるものがあるが、そのようなことで絆される一総ではない。
毅然とした態度を崩さずに言う。
「ここは
「え、私?」
オムライスを物欲しげに見つつも“最初の一口争奪戦”からは身を引いていた
一総は首肯する。
「調理責任者なんだし、最初に意見を聞いておきたい」
すると、司は両手の平を胸元で合わせ、パァと花が咲いたような満面の笑顔を見せた。
「やった! じゃあ、お言葉に甘えていただくね」
遠慮していただけで、本心では逸早く食べてみたかったようだ。彼女は嬉しそうにスプーンを手に取ると、オムライスを一口だけ食した。
周りから嗚呼とうらやむ声が漏れる。
しばらく、司は静かに咀嚼していたが、次第にわなわなと震え始めた。
震えるほどマズかったのか? やっぱり一総の料理は危険だったか?
そのように周囲は騒めいたが、当の司がそんな雑音など聞こえていないようにポツリと呟いた。
「お、美味しい……」
小さな声だったはずなのに、彼女の言葉は明瞭に響いた。
「すごい美味しいよ、これ! あんまり豪華なお店とか行ったことないけど、このオムライスならプロにも通用するんじゃないかな!?」
両の手をブンブン振って大絶賛する司。普段の柔らかな雰囲気が吹き飛ぶほどテンションが上がっている模様だ。
彼女の様子に呆気に取られていた他の者たちも、そのうち好奇心を沸き立たせる。皆一様にスプーンを手にし、次は自分だと一皿に殺到した。
一総は一人一口であること、調理担当を優先することを言伝て、調理室の片隅へと移動する。あのまま料理の傍に立っていては、揉みくちゃにされると判断したからだ。
安全圏にてオムライスに群がるクラスメイトたちを眺めていると、蒼生が近づいてきて隣に並んだ。
彼女はグッと親指を立てている。オムライスは美味しかったと伝えたいらしい。
一総の指示に従わなかったことになるが、それを言う前――司が食べた直後――には既に食べていたので、うるさく指摘しなくても良いだろう。
それよりも、平時とはいえ、フォースの連中を出し抜く行動力は驚嘆に値する。いつもボーっとしているくせに、ものすごい食い意地だ。
蒼生に半ば呆れた視線を向けていた一総だが、ひとつ息を吐いてから試食を続けるクラスメイトたちへ目を戻した。
「あの様子なら、今のレシピのままで良さそうだな」
オムライスを食べて感動している彼らの姿が見える。眉をしかめている者はいないので、全員に気に入ってもらえたようだ。
普通に喜んでいる者から狂喜乱舞している者まで。これほど反応の差が大きいのは、好みの差というよりも経験の差だと思われる。
勇者の中には、異世界にいる間に王家に仕える輩もいる。落ち着いている生徒は、そういった時に宮廷料理などを食した経験があるのだろう。王家へ食事を提供するほどの料理人と比べたら、一総の品など可愛いものだ。
一総は自身の料理の腕を“アマチュア以上、一流未満”と評している。その道を極めた一流のプロにはさすがに敵わないが、そこらの店よりは美味しいものが作れると自負していた。勇者召喚されながらも研鑽を続けていたのだから当然だ。特に、十八番のオムライスには並々ならぬ自信があった。
だから、クラスメイトたちの反応は予想通りだった。
とはいえ、安堵する気持ちはある。他人に料理を振る舞うのは蒼生が現れるまで何年もなく、少なからず緊張は存在したのだ。
美味しいと言ってくれる彼らを見て、微かに頬を緩める一総。
その横で、蒼生が身長のわりに大きい胸を張る。
「かずさの料理がおいしいのは当然のこと」
「なんで村瀬が威張るんだよ」
然も自分のことのように自信満々に言う蒼生がおかしくて、一総は思わず笑った。
嗚呼、なんて楽しい日常なのだろう。
そう実感する。
これこそ彼が求めている日常の光景であり、かつて失ったモノだ。
『これ美味しいよ、一総! あなた天才ね!』
『すごいな、一総は』
『私たちの誇りね!』
唐突によぎる
『もう話しかけないで!』
『なんなんだ、お前は! 化け物め!』
『あなたは私たちの汚点だわ』
他人の前で泣き叫ぶわけにもいかない。一総はそれを落ち着かせるため、顔をしかめながらも深呼吸を繰り返した。
勇者として鍛えられた精神力もあり、痛みは十秒と経たずに引いていった。
「だいじょうぶ?」
一総の異変に気がついたらしい。蒼生が心配そうにこちらを覗き込んできた。
本当のことを言うわけにもいかないので、一総は問題ないと微笑み返す。
(そうだ。何も問題ない)
息を整えた彼は、人知れず拳に力をこめる。
(もう二度と、日常を手放したりしない)
その時、一総の瞳に映るのは願望か、はたまた狂気の類か――――。
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