002-1-02 風紀委員長

 勇者が異世界へ召喚される回数というのは、生涯に一、二回程度が基本だ。その中でも、五回以上召喚された経験のある強者を人々は敬意を称して『救世主セイヴァー』と呼ぶ。


 救世主は他の勇者と比較にならないほど強い。実例はないが、単独で小国を落とせるのではないかと囁かれるほどには。


 ゆえに、各国は彼らを手放さないよう様々な優遇措置を取り、その代わりとして仕事の依頼を出す。それが現在の救世主の在り方だった。



 波渋はしぶ学園の一角にある空き教室。机も椅子もない空っぽの部屋には、夕刻とあって赤い陽射しが差し込み、左坏祭さつきさいの準備に勤しむ生徒たちの喧騒が聞こえてくる。


 一総かずさが調理責任者になった日の放課後。彼は一通のメールによって、この教室へ呼び出されていた。政府からの依頼通達だった。


 腕を組み、改めて周囲を見渡す一総。


 殺風景の教室にあるのは彼と、彼と共に行動する義務がある蒼生あおいの姿のみ。


 他の救世主が見えないことから、今回は一総を指名した依頼だと分かる。即ち、誰かに押しつけることは不可能だということだ。


 また、経験則ではあるが、指名依頼は普通のそれより面倒なものが多い。気合を入れて臨む必要があるだろう。


 一総は内心で溜息をく。せっかく、左坏祭という日常イベントを楽しめると喜んだ矢先の呼び出しだ。陰鬱な気分になっても仕方がない。


 本音を言えば、依頼なんて非日常な業務など断りたいところなのだが、救世主の恩恵を少なからず受けている身として、それは許されることではない。今は、できる限り短期間で終わる依頼であることを祈るしかなかった。


 そうして待機すること十数分。指定された時刻をいくらかすぎているのにも関わらず、一向に誰かが現れる気配は感じられない。場所を間違えたのかとメールを再度確認してみたが、こちらの勘違いはなかった。追加の連絡も来ていない。


 別のところへ移動するわけにもいかず、待ち惚けすること十分が経った頃、ようやく教室に人が訪れた。


 ガラガラガラと、勢い良く扉が開け放たれる。


「待たせてごめんなさい。会議が押してしまって……」


 聞こえてきたのは、打って響いたような芯のある綺麗な声。


 扉の方へと目を向ければ、そこには声の主が立っていた。


 ポニーテールに結わえた長い黒髪と切れ長の瞳が印象的な、見目麗しい少女。身長は百七十くらいと高く、スラリと伸びた手足、出るところは出て締まるところは締まった美しい肢体はモデル顔負けだ。


 彼女は凛と背筋を伸ばし、ブレのない歩みでこちらへ近づいてくる。


 少女の姿を認めた一総は、呆れたような表情で口を開いた。


「あなたの差し金ですか、先輩」


「その通りよ、後輩」


 彼の声には、珍しいことに多少の気安さが混じっていた。少女の方も、満更ではなさそうに笑みを見せて首肯する。


 この光景を目の当たりにして驚愕したのは蒼生だ。いつも他人と一線を置いている一総が、僅かとはいえ親しげにする相手がいたのだ。無理もない反応だ。


 蒼生は無表情を少し崩しながら尋ねる。


「あの人は、誰?」


 一総への呟きだったのだが、少女の方にも聞こえていたらしい。少女は蒼生の顔をジッと見つめると、思い出したように手を叩いた。


「ああ、君が噂の転入生ね。聞いてた通り、すごい美人だわ」


 少女も蒼生に匹敵する美人なのだが、彼女は平然とした様子で続ける。


「初めまして、私は桐ケ谷きりがや侑姫ゆきという者よ。あなたより学年はひとつ上で、所属はフォース。あと、この島の風紀委員長なんかをやってるわ。よろしくね、村瀬蒼生さん」


 少女――侑姫は大きな胸に片手を乗せ、ハキハキと名乗った。


「私の名前……?」


 蒼生は小首を傾いだ。


 侑姫はクスリと微笑む。


「そりゃ知ってるわよ。あなたは自分で思ってる以上に有名人なのよ? それに、風紀委員長として、村瀬さんみたいな特殊な事情の子は知っておかないといけないし」


「私のことを知ってるの?」


「ある程度は、ね」


 そう言って、侑姫は頬笑む。


 蒼生については、世間の混乱を避けるために一部関係者以外には秘匿であるものが多々ある。代表的なものは“世界を滅ぼすレベルの異能”を所持していることか。


 アヴァロンにおける風紀委員とは、従来の組織とは異なるものだ。犯罪行為に及んだ勇者を実力行使込みで取り締まる権限を有しており、警察に準ずる力がある。しかも、学校の枠を超えて島中に人員がいるため、規模も大きい。


 そんな組織のトップである侑姫が、蒼生の情報を得ていても不思議ではないだろう。


 彼女は言う。


「だから、何か困ったことがあったら頼ってね。力になるから」


「……分かった」


 風紀委員のことは以前に耳にしていたこともあって、その頼もしさを理解している蒼生は素直に頷いた。


「それで、先輩がこの場に現れた理由はなんですか?」


 区切りが良かったので、一総は話の方向修正を試みる。


 半眼で訊いてくる彼を見て、侑姫はニヤリと頬を崩した。


「あら、一総は理解してると思ったんだけれど」


「まぁ……それはそうですけど」


 侑姫が顔を出した理由など、ひとつしかない。それでも尋ねたのは、相手から口にしてもらう必要があったからだ。彼女はそれ知っているはずなのに、わざわざ混ぜっ返す辺り性格が悪い。


 眉を寄せる一総とニコニコ笑う侑姫。二人の視線が交差することしばらく、先に目を外したのは侑姫だった。


 彼女はコロコロ笑みを溢しながら口を開く。


「意地悪してごめんなさい。今回は私が一総に指名依頼を出したわ。えーっと、暗証番号は……」


 ランダムに並ぶ英数字を紡ぐ侑姫。


 それを聞いて、一総は首肯した。


「依頼主本人だと確認しました。それでは詳細を窺いましょう」


「相変わらず真面目よね」


「ルールですから」


 唇を尖らせる侑姫に対し、一総は真顔でバッサリと切り捨てる。



 救世主への依頼には二種類ある。


 ひとつは政府が依頼主である公式依頼。依頼の大半はこちらで、国益に関わる仕事だったり、警察や風紀委員の手に負えない事件が回ってくる。先日の勇者殺し事件や蒼生の監視などが分類される。


 もうひとつは政府以外――一般の者が出す一般依頼だ。こちらの内容は多岐に渡るのだが、もちろん簡単に依頼できるものではない。何重もの役員のチェックを受け、初めて可能となるのだ。



 今回の侑姫の件は、まさに後者だ。


 そして、一般依頼の場合、本人確認のために相手から『依頼を出したのは自分であること』と『事前に渡された暗証番号』を話してもらわなくてはならない。これは依頼主を別人が偽ることを防ぐための処置だった。


 侑姫が素直に規定通り行わなかったのは、一総を試したかったからだろう。本当に性格が悪い。


「先輩はオレに何を依頼したいんですか?」


 あとで政府からも教えられるのだが、本人からも直接尋ねなくてはいけない。これもルールのひとつだ。


 すると、侑姫はフフンと得意げな表情をする。


「そんなの決まってるわ。苦節四年、願い続けていた要望が遂に叶うのよ!」


「やっぱりアレですか……」


 一総はげんなり呟く。


 彼女が依頼主であると分かった時点で、依頼の内容は察しがついていた。だからこそ、彼は渋い顔をしてしまう。


 そんな一総など知ったことかと、侑姫は腰に両手を当てて高らかに言った。


「一総、あなたには左坏祭の間、臨時風紀委員を担ってもらうわ」




 一総が初めて侑姫と面識を持ったのは四年前、彼が中学一年の時だ。召喚回数世界二位だとか帰還最速だとか、そう勝手に持てはやしていた連中が、勝手に失望して離れていった頃と重なる時期。


 当時の二人は接点など一切なかった。属する学校は異なり、住む場所も大きく離れていた。辛うじて、侑姫が一総の噂を耳にしたことがある程度のもの。


 そんな二人がどうして出会ったのかというと、それは当時風紀委員見習いだった侑姫が、研修のために一総の生活する区画に訪れたからだ。そこで発生した通り魔事件に巻き込まれ、お互いを認知することとなった。一総にとって最悪の形で。


 何があったのかといえば、迂闊にも侑姫の目の前で力の一端を見せてしまったのだ。逃亡する通り魔が一総に向かって刃物を突きつけてきたため、まだまだ異能の隠蔽技術が未熟だった彼は思わず反撃してしまったのである。結果、犯人を追っていた侑姫に目撃されたのだ。


 周囲に侑姫以外の目はなく、行使した異能も体術系のスキルのみだったので、大きく見積もってもフォースの実力の範疇で言いわけできるレベルだったのは不幸中の幸いか。


 しかし、シングルでも勝てるのではないかと言われるほどの一総が取った行動となると、違和感が生まれてしまう。案の定、犯人撃退の手際の良さに感激した侑姫は一総の素性を調べ上げ、彼が本来の実力を隠して生活していると悟ってしまった。


 一総の意思を尊重して事実を黙っていてくれたことは良かったが、彼女のそれからの行動は彼を辟易させた。


 なんと、風紀委員への勧誘を始めたのである。それもかなり執拗に。下校時に校門で待ち伏せするのは序の口で、休日に寮へ押しかけてくることもあった。彼女が委員長になってから頻度は減ったが、ピーク時はそれこそ毎日欠かさず顔を合わせていたと思う。


 もちろん、一総は毎回断っていた。それでも、侑姫は微塵も諦める様子を見せなかったのだ。


 四年もそのような関係が続けば、ある程度気安くなっても仕方ない。蒼生が感じた親しげな気配というのは、どちらかというと気疲れからくるものが大きいのだが。


 そういう経緯もあり、一総が風紀委員に所属することは、侑姫の悲願と言って過言ではなかった。



「オレと先輩の関係はこんなものかな」


 風紀委員の本部へ向かう道すがら、一総はこれまでのことを蒼生へ簡単に説明していた。


 一総と蒼生が離れることはできない以上、彼女をこちらの事情に付き合わせてしまうことになる。そのため、色々と話しておいた方が良いと考えたのだ。


 それらを聞いた蒼生は無表情に「なるほど」と頷くほかの反応を見せない。内心は窺い知れなかった。彼女のことだから、妙なことは考えていないとは思うけれど。


 一通り話し終えた一総は、この頃癖になりつつある溜息を盛大に吐き出す。


「こんな強硬手段に打って出るなんて、思ってもみませんでしたよ」


 侑姫は何かとしつこいが、一総の意思を無理やり捻じ曲げるマネはしてこなかった。だから、今回の依頼にはそれなりに驚きがあった。


 侑姫は憂いを帯びた表情を見せる。


「私としても無理に引き込む手は使いたくなかったんだけどね」


「さっき、思いっ切りドヤ顔してたじゃないですか」


「それはお約束ってやつよ。知らないの?」


「知りませんよ、そんなもの……」


「まぁ、真面目な話をすると、救世主の一人を臨時で雇用しなさいって上からのお達しがあってね。勇者殺し事件とかあったから、左坏祭では警備を強化したいみたい」


「政府からですか」


 若干、眉を寄せる一総。


 その反応を見て、苦笑しながら侑姫は続ける。


「そう。今回の依頼は形式的には一般依頼だけど、本質は公式依頼と変わらないわ」


「面倒くさいことしますね」


 来島者が増える左坏祭にて警備の人員を増やしたいのは分かるが、どうして最初から政府が依頼しないのだろうか。調べるほどではないが、釈然としないところがある。


「本当よね。上としても思惑があるんでしょうけど」


 こちらの手間も考えてほしいわ、と侑姫は肩を竦めた。


 一総はひとつ頷く。


「経緯は何となく分かりました。つまり、ちょうど良いから、オレを引き入れてしまおうって考えたんですね?」


 どうせ救世主を雇うことになるのなら、前々から欲しかった人材を指名することにしたのだろう。そも、わざわざ指名しなくても、こういう依頼は正義感の強い『勇者ブレイヴ』の勇気ゆうきが受けるはずだから。


 侑姫はニンマリと笑む。


「さすが一総、察しが良くて助かるわ。あなた、ちょっと体験するだけでもって誘っても首を縦に振ってくれないんだもの。これも運命だと思うことにしたわ」


「柔軟な思考ですね」


「風紀委員は堅物じゃ勤まらないからね」


 皮肉っぽく呟くが、侑姫は平然と返す。


 一総は脱力しつつ、言葉を続けた。


「ところで、訊き損ねてたんですが、依頼中の蒼生の対応はどうするんですか? 置いていくにしろ連れていくにしろ、危険が伴うと思いますけれど」


 今まで無言を貫いていた蒼生をチラリと確認する。


 自分の話題が上がったからか、彼女もこちらへ顔を向けていた。ジッとくらい瞳を注ぐ様子は、一総の決定に従うと言っているように感じられた。


 改めて、侑姫の方へ視線を戻す。


 実際のところ、蒼生に関しての心配はそれほどしていない。事情を知っている侑姫がそこを失念しているとは思えないし、問題があるなら政府が依頼を許可するわけがない。絶対と言い切れないのは悲しいが、対策がない可能性は低いだろう。


 その予想は的中していたようで、侑姫は問題ないと口を開く。


「村瀬さんには一総についていってもらおうと考えてるわ。彼の傍にいれば何の問題もないでしょ。完璧な対策よ」


 自信満々に言い放つ彼女だが、それには一総も黙っていられない。


「先輩はオレを過大評価しすぎだと思います。って、村瀬も同意だと言わんばかりに頷くな」


 こちらの実力を疑わない二人に、一総は頭の痛い思いをする。


 侑姫はクスクスと頬笑んだ。


「半分冗談よ。ちゃんと他の案があるから安心して」


「半分本気ってことですよね、それ」


「あなたの傍の方が安全なのは事実でしょう?」


「…………はぁ」


 これ以上は何を言っても無駄だと諦め、一総は小さく息を吐く。


 突出した力を見せたわけでもないのに、どうして彼女は一総のことを信頼するのか。それが一総には理解できなかった。彼の気づかぬところで決定的な情報が流れているのか……。そうだとすれば、何としてでも潰しておかなくてはいけないところだが。


 心の内で渋い表情を作る一総を尻目に、侑姫は続ける。


「それで村瀬さんの対策だけど、一総たちにはフォーマンセルを組んでもらうわ。風紀委員の巡回ってツーマンセルが基本なんだけど、一総の他に二人もいれば、対応の幅も広がるでしょう」


「警備人員の増強が目的なのに、わざわざユニットを減らしたら本末転倒では?」


 一総が疑問を口にする。


 すると、侑姫がチッチッチッと指を振った。


「私が指示されたのは『警備人員の増加』ではなく『警備の強化』よ。何を持って強化と指すのかは意見が分かれるでしょうけど、一総のチームは人が増えた分、対応力が上がる。それはちゃんと警備の強化に繋がってるわ。だから問題ないのよ!」


 一総は首を捻る。


 確かに筋は通っているけれど、どこか屁理屈なところが拭えない気がするのは、彼女が私的な理由で一総を指名したと知っているからだろうか。政府が許可したのだから、彼女の言う通り問題ないのは正しいとは思うが。


 見れば、蒼生も小首を傾いでいるし、侑姫自身も若干冷や汗を垂らしていた。苦しい言いわけであることは自覚があるようだ。


(あれこれ言っても仕方ないか)


 依頼として受理されたのだから、こちらは黙って仕事をすれば良いだけだ。


 一人納得し、追及することは止めておくことにする。


 そのまま、三人は他愛のない会話を続け、風紀委員本部へと辿り着いた。

 

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