005-x-03 閑章、剣姫の行く先(3)

 バァカホ王国に侵攻された元カルムスド霊魔国領にある大森林。その中層には自然溢れる場には不釣り合いの光景があった。


 それは家だ。レンガを積み上げただけの簡素な代物で、家と表現するにはあまりにも稚拙だったが、雨風をしのぐには十分な建物だった。


 そのようなボロ宿に住むのは、カミラという七歳の少年。侑姫ゆきが霊獣に襲われているところを助けた吸魂魔ソウル・サッカーの子供だ。


 身寄りがない彼を、まさか王国軍の陣地へ連れていくわけにもいかず、森の中で生活を送らせているのである。無論、侑姫は毎日ここへ通っていた。


 森で手に入れた獣や野菜などの食料を手土産に、今日も侑姫はカミラの元へ訪れる。


「カミラ、いい子にしてたかしら?」


「お姉ちゃん!」


 侑姫が家の中に顔を出すと、カミラは満面の笑みを浮かべて抱きついてきた。


 少年の世話を始めてから一ヶ月。最初こそ警戒されていた彼女だったが、今ではかなり心を許してくれていた。命を助けてくれた上に生活の面倒まで見てくれる優しい人、という認識なのだろう。


 子供に懐かれること自体は嬉しいものの、侑姫の心中は複雑だった。というのも、カミラへ自分が王国軍に所属している事実を打ち明けていないためだ。


 彼は、自分の両親が殺された一端が侑姫にあることを知らない。それを知った時、幼い少年がどれほど傷つくのか、想像するだけで胸が張り裂けそうになる。


 真に彼のためを考えるのであれば、早々に真相を明かした方が良いのかもしれない。しかし、カミラが絶望する様を見るのは耐え切れそうになく、結局語らずに一ヶ月が経過してしまった。侑姫の精神的脆弱さが露呈した結果だった。


 せめて、カミラの面倒を見てくれる人が発見できるまでは黙っていよう。彼との関係を崩せば、危険が及ぶのは彼だから。


 そう自身に言いわけをし、侑姫はカミラとの温かな時間をすごしていく。




 侑姫が作った食事をカミラと共に食べる。二人は笑顔を絶やさず、話題も尽きなかった。たいていはカミラが楽しそうに森の様子を話すのだが、侑姫もしっかり話題を提供する。仲の良い姉弟のような風景があった。


「ごちそうさま! お皿、洗ってくるね」


「お粗末さま。私がまとめて洗っちゃうわよ?」


「これくらい自分でやるよ。料理してくれるお姉ちゃんへのお礼!」


 そう言って、カミラは洗面台のある方へ駆けていく。


 健気で微笑ましい彼の背中を見送りながら、侑姫は頬を緩めた。


 心を開いたのはカミラだけではなかった。侑姫もまた、少年に親愛の情を向けていたのだ。同情や懺悔から世話を始めた関係ではあるが、一日の大半を一緒にすごせば愛おしくもなってくる。カミラを見守る彼女の心境は、息子へ向ける母の愛情に近いものがあった。


 だからこそ心苦しい。事実を喋れないことに。真相を明かした時、彼に嫌われる可能性があることを。


 その日もいつも通り陽が暮れるまでカミラとすごし、家の周囲に結界を張ってから王国軍陣地へと帰った。








「これはこれは、ユキ殿ではないですか。こんなところでお会いするとは奇遇ですね」


 陣営に戻ってすぐ、侑姫はグインラースと遭遇した。金髪碧眼の優男は、にこやかな笑みを浮かべながら近づいてくる。


 それに対し、侑姫は眉を若干ひそめた。


 彼女は彼のことが嫌いなのだ。軽薄で傲慢で強欲で、プライドが高く弱者に容赦がない、と彼女が嫌う要素がてんこ盛りの人物ゆえに。


 そのような人物に好かれていると思うと、本当に溜息が出そうになる。いくら嫌いな人間でも失礼を働くわけにはいかないので、目の前で露骨な態度は取らないが。


 侑姫は表情筋を精いっぱい動かし、何とか愛想笑いを浮かべた。


「こんばんは、フェムルガ殿」


「こんばんは。月明かりに照らされるあなたも、やはり美しい。あと、私のことは気軽にグインと呼んでほしいな」


「ありがとうございます」


 彼のキザったらしい賛美など嬉しくないが、一応の礼を言っておく。後半は無視した。


 まったく取り合わない侑姫の態度に、グインラースは苦笑いを溢しつつも会話を続ける。


「この時間に外にいたということは、またもや森へ出かけていたのですか?」


「ええ、自然の中を散策するのは、いい気分転換になりますから」


「マイナスイオン効果? というものでしょうか。いやはや、歴戦の勇者であらせられるユキ殿も、戦で心労を募らせてしまうものなのですね」


「それはもちろん。生きている相手を――ましてやヒトを手にかけるのは、いつまで経っても慣れませんよ。その一線を踏み越えてしまえば、獣と変わらないでしょう」


「なるほど、確かにユキ殿の言う通りなのかもしれませんね。……ただ、あなたはひとつ勘違いをしていらっしゃる」


「勘違い?」


「霊魔国の連中は、断じて“ヒト”ではありません。あれらは魔族、化け物の一種なのです。至高の種族である我ら人間の姿を模倣する浅ましき愚物であり、上位種たる人間に狩られる運命にあるにえです」


 上っ面の笑みを浮かべていた侑姫の表情が、若干揺らいだ。


 吸魂魔ソウル・サッカー含む魔族が化け物でないことを、彼女は当然知っている。彼らはその身に生命と知性を備えた立派なヒトであり、決して命を容易く摘み取られて良い存在ではない。


 吸魂魔がおどろおどろしい姿をしていたら、多少の理解を示せただろう。しかし、彼らは人間と瓜ふたつの見た目をしている。


 自分たちと似た容姿の者たちを、老若男女問わず殺せてしまう王国の人間の感性が信じられなかった。四度も異世界の戦場を渡った侑姫でさえ、無抵抗の者を切り捨てるのにある程度の葛藤があるというのに、目の前のグインラースを含めた王国軍の連中は些かのためらいもないのだ。


 グインラースから話を聞いて、己の価値観とこの世界のそれとの大きな乖離を改めて認識した。


 彼らとは絶対に分かり合えない。人間至上主義という彼らの信条は下手な信仰よりも根深く、それを変えるには百年以上の月日を要するに違いない。


「そう……ですね」


 自分が納得できない見方への拒否感から反論の言葉が口を衝こうとしたが、何とか堪えて首肯するに留める。


 ここで反抗的な姿勢を見せるのは得策ではない。そんなことをすれば王国軍に警戒されてしまい、最悪の場合はカミラの存在が露見してしまう。それだけは、絶対に避けねばならないことだった。


 その後、幾許か言葉を交わして二人は別れる。


 自らの天幕へ帰る道中、侑姫は決意を固めていた。


(カミラのことが露見するのは、絶対に回避しなくちゃいけない)


 バレれば、あの小さき命は潰える未来が確実に訪れる。自分を慕う彼を見殺しになどしたくはなかった。


 これが偽善――否、それ以上に醜悪な行動であることは理解している。カミラ以外の霊魔国民を殺害するのに加担しているくせに、都合の良いことを言っているのは重々承知している。


 それでも、侑姫は自身の決めた道を突き進みたかった。かつての親友と重なって見えた少年を守り抜きたかった。


 これが侑姫の半生で初めての自発的な反抗だということに、彼女は気づいていない。


 この選択こそが、侑姫の今後を左右する重大な決断になろうとは、誰一人として知る者はいなかった。

 

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