005-x-02 閑章、剣姫の行く先(2)

 桐ヶ谷きりがや侑姫ゆきは森の中を散策していた。一週間前に王国軍が占領した街の近くにある森で、青くて若い木々が生い茂る美しい場所だ。


 木の葉のざわめき、川のせせらぎ、動物や虫の鳴き声。自然的な音の数々は、戦争で荒んだ彼女の心を癒してくれる。


 降って湧いて出た休憩時間を使って偶然足を運んだのだが、なかなかどうして、その選択は最善だったと思う。それほど、この場に溢れる自然は彩り豊かだった。


「戦時じゃなきゃ、なおさら楽しめたのに」


 僅かに眉をひそめて愚痴を溢す侑姫。


 侑姫は戦闘最特化の勇者である。当然、五感強化系の異能も習得しており、彼女の鋭敏な嗅覚は近場の戦火の残臭を捉えていた。せっかくリフレッシュした気分が台なしだ。


 自傷の危険性もあるため、五感強化系の異能は自分に都合の良い調整ができる。戦場を想起させる匂いのみを排除することも可能だ。だが、それは行わない。


 何故なら、休憩中とはいえ戦時中だからだ。今いる森のような視界の通らない場所では、不意打ちを食らう可能性は否めない。また、万が一自陣が襲われた時、即座に駆けつけられない。状況把握を密にするためには、感覚強化を怠るわけにはいかなかった。


「私が襲われるなんて、あり得ないでしょうけど」


 色々理屈は並べたが、念のための対策にすぎない。現在の戦況で敵国が攻めに転じるのは愚の骨頂だし、気配察知系の異能も習得している上に武の達人である侑姫の不意を打つなど、よほどの強者でない限り不可能だ。それこそ、異能数で圧倒している『勇者ブレイヴ』や底の知れない『異端者ヘレティック』くらいだろう。


 両者ともこの世界には存在しない――侑姫はそう認識している――ので、やはり感覚強化による警戒は一応の用心の域を越えなかった。


 侑姫は、森の自然を堪能しながら奥へ進んでいった。時折、付近を霊獣がうろつくこともあるが、気配を消していた彼女には気づくことなく通りすぎていく。


 辺りの空気が重くなった気がした。最近習得した霊術の感知によると、一帯の霊力の密度が濃くなったようだ。


 人類未踏の地は大気の霊力が濃いと聞いたことがある。おそらく、そろそろ森の深層に踏み込むことになるのだろう。


 エリザベート王女殿下――王国側には、あまり遠出はしないよう申しつけられている。この辺で引き返した方が良いか。深層がどのようになっているのか興味はあるが、自分に課せられた任務を放棄してまで確認したいとは思わない。


 そう判断した侑姫は、自陣へ帰るためにきびすを返した。


 その時――


「うわあああああああああああああああああああああ」


 背後――森の奥の方から甲高い悲鳴が聞こえてきた。声の感じから、齢十前後の子供と予想できる。


 侑姫は声のする方へと駆け出した。


 なんで森の深奥に子供がいるのか、罠の可能性、未知の状況に無暗に突っ込むのは危険ではないか。そういった疑問は全て置き去りにした。そのようなことを考えている暇があったら、一刻も早く救出に動くべきだと考えたゆえに。


 研鑽した桐ヶ谷流の歩法、【縮地】を筆頭とした異能の歩法、そして空間魔法の【短距離転移ショートジャンプ】。それらを組み合わせた彼女のスピードは、尋常ではないくらい速い。一歩踏みしめる度に速度を上げていき、とうとう二キロメートルを三秒で走破した。


 到着地点には、侑姫が置き去りにした懸念は存在しなかった。百センチメートルくらいの背丈の子供が、成人男性をも丸呑みにできそうな大蛇に襲われているだけだ。周囲に潜んでいる者の気配もない。


 侑姫が駆けつけた直後、大蛇は子供を呑み込んでしまおうと大口を開いた。彼我の距離は一メートルもなく、子供は涙を流して呆然としている。


「ッ!」


 侑姫は足に力を込めた。普通なら間に合わない状況だったが、秒速一キロメートルで走れる彼女なら問題はない。


 大蛇が頭を地面に打ちつけた時、すでに侑姫は大蛇の背後へと移動していた。もちろん、襲われていた子供は彼女の腕の中に収まっている。


 大蛇は獲物を逃したことを即座に察した。何らかの感知方法により数秒と置かず侑姫たちを認識すると、怒りに身を震わせ、蛇行しながら彼女らに突撃してきた。


 侑姫は迫り来る敵を真っすぐ見据える。


(内包する霊力からして、災害級の霊獣ってところね。霊力の濃い深層に住んでるからか、現地の人たちじゃ対処が難しいレベルの強さだわ)


 勇者で換算するならトリプルと同格。大多数の者なら勝利を得るのは覚束ないだろう。


 しかし、侑姫はその大多数には含まれない。


 彼女はフリーの左手を大蛇へ向け、霊術を放った。


「【霊剣乱舞ゼルテン・シュテッヘン】」


 上下左右前後、大蛇を囲む三百六十度に無数の剣が生み出された。凝縮した霊力で生成されたそれらは、侑姫の意思に従って大蛇に殺到する。


 強固な外皮をものともせず、百に迫る霊剣は大蛇の肉を突き破り、貫通し、大地に縫い留めた。まさに『滅多刺しゼルテン・シュテッヘン』の名に相応しい術だった。


 大量の血を流す大蛇はピクリとも動かない。かの化け物は、一瞬のうちに命を刈り取られた。


「もう大丈夫よ」


 危険を排除した侑姫は、抱きかかえていた子供を安心させようと笑顔で告げる。


 何が起きたのか理解が及んでいないようで、子供は目を見開き固まっていた。ただ、すぐに自分が助かったことだけは察したらしく、体の力を抜いて気絶してしまった。


 パッと見た感じでは七、八歳くらいの少年だ。今まで全然食べていなかったのか酷くやせ細っているし、安心して気を失うのも無理はない状態だ。


 どうして、このような場所に子供が単独でいるのか疑問に思う。放っておくこともできないので、意識が戻るまで看病するとしよう。その後のことは――また、その時に考えれば良い。


「とりあえず、もう少し安全な場所まで移動しなくちゃ」


 子供を抱きかかえたまま、侑姫は森の深奥から脱出するのだった。








 森の中層にて、侑姫は子供の意識が戻るのを待った。


 本当は医療設備のある王国軍陣地へ運び込みたかったが、その案は早々に棄却した。というのも、この少年が吸魂魔ソウル・サッカー――敵国の人民だと判明したからだった。


 人間至上主義を掲げ、これまで襲った町や村の住民を皆殺しにしている王国軍のことだ。子供でも容赦なく殺してしまうだろう。


 使命だから王国に従属しているが、侑姫本人としては皆殺しを忌避している。助けた命をわざわざ差し出すマネはしたくなかった。だから、森の中に留まり、少年の回復を待っているのである。


 幸い、少年に目立った外傷はないので、覚醒まで時間はかからないはずだ。


「ん……あれ?」


 しばらくして、少年がおもむろに目を覚ました。


 侑姫は彼を不安がらせないよう笑顔を向ける。


「おはよう。痛いところとかない?」


「えっと……ない」


 少年は警戒した様子で答えた。どうにも、侑姫が大蛇から救ったことは覚えていないらしい。彼からしてみれば極限状態だったし、仕方のないことかもしれない。


 それを察した侑姫は、彼の警戒を解こうと会話を試みる。


「そんなに怖がらなくていいよ、キミに何かしようとは思ってないから。私の名前は侑姫って言うの。キミの名前を聞いてもいいかしら?」


「…………カミラ」


 未だ警戒の色は濃いけれど、会話を続けてくれる意思はあるみたいだ。


 内心で安堵の息を漏らしつつ、質問を重ねる。


「よろしくね、カミラくん。もうひとつ質問なんだけど、カミラくんは何でこんな森の奥深くにいたのかな? 子供一人で来るには、だいぶ危ないわよ」


 正直、深層まで辿り着けたのは奇跡というしかない。表層や中層にも霊獣はいるため、生半可な隠密では気づかれてしまうのだ。決して、子供だけで歩く場所ではなく、だからこそ何かしらの事情があると踏んだ。


 カミラはその問いに対し、沈黙した。唇を噛み締め、湧き上がる感情を我慢するように、顔をやや俯かせる。


 侑姫は強引に訊き出すことはしなかった。カミラの反応だけで、大体の事情を察したからだ。


 彼の両親を含めた保護者は死んでしまったのだろう、王国との戦争によって。王国軍の手によってか、この森にいる霊獣に殺されたかは分からない。だが、彼が戦禍を逃れるために森へ訪れたのは間違いなく、間接的に侑姫が関わっているのも確かだった。


 自分のせいで、二桁にも届かない子供が天涯孤独の身になってしまった。このまま放置すれば、カミラが死ぬのは避けられない運命だ。


 その事実を目の当たりにし、久しく動かなかった心が強く揺さぶられる。心臓をわし掴みにしたような強烈な痛みに襲われる。


 あの時と同じだった。名も忘れた親友と同様に、自分の行いの結果、目の前の命は摘み取られようとしていた。


 ギュッと心がきしむ。逃れられない痛みを彼女に与える。絶望に染まったカミラの瞳を見る度に、判然としない焦燥感に駆られる。今まで目を背けてきた現実を突きつけられ、どうしようもない不安と悲痛を覚えてしまう。


 気づいた時には行動に移っていた。


 侑姫はカミラを抱き締め、宣言した。


「大丈夫。私がカミラくんを守ってあげるから!」


 突然抱き着かれたカミラは驚き硬直したが、次第に肩を震わせ始める。それから彼女の胸に顔を押しつけ、嗚咽を漏らした。


 お父さん、お母さん。そう泣く彼の声を聞き、侑姫ももらい泣きをしてしまう。


 森の中で共に泣く二人は、その日から一緒に暮らすことになった。

 

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