005-3-01 霊魔国軍、地獄の特訓の幕開け

 早朝。霊魔国王城内にある訓練場にて、国軍の兵士が勢揃いしていた。もっとも広い訓練場だったが、万を超える兵士が集まったとなれば、そこに余裕などあるはずない。人口密度はすさまじい高さだった。


 集合をかけられた理由を兵士たちは知らされていないようで、ガヤガヤと騒がしい。


 そのうち集合時間を回ったのか、兵士たちの前に五つの人が現れた。それは果たして、一総かずさたちだった。つかさとムムを除くメンバーが出揃っている。


 大半の兵はミュリエルの姿を認め、見惚れると共に姿勢を正す。


 だが、一部の者たちは反応が異なった。わざと気配を殺していた一総を目ざとく見つけ、その正体を黒鬼こっきと見破り、顔を真っ青にした。この場に集められた意味を大雑把に悟ったのだ。


 吸魂魔ソウル・サッカーの肌は元々青白いため、顔色を悪くした彼らは完全に色を失くしている。少し心配になるレベルではあるが、これから行うことの免除はできないので、見て見ぬふりをしておく。


 まぁ、手加減したとはいえ、一総の隠密を見破った兵士たちだ。優秀であるのは間違いないため、それなりに目はかけておいた方が良いだろう。


 内心でそのようなことを考えつつ、一総は兵士たちの集まる方へ一歩踏み出した。同時に、押し殺していた気配を解放する。


 多くの兵士が困惑を見せるが、そんなものはお構いなしに一総は口を開いた。


「霊魔国軍の兵士たちよ、よく集まってくれた。知ってる者もいるだろうが、オレの名は一総。お前たちが黒鬼と呼ぶ人間だ。今日から一ヶ月間、お前たちの強化訓練を受け持つことになったので、よろしく頼む」


 軍の人員のほとんどが集められた理由が、それだった。


 軍をわざわざ鍛えなくても、戦争を終わらせることはできる。それくらいの力を一総たちは有しているのだから。


 しかし、それでは霊魔国に未来はない。敵である王国には、何らかの方法で異常強化された兵士たちがいる。彼らが引退する十数年を軍の力だけで耐えしのげなければ、今回の戦争を終わらせても無意味なのだ。


 ゆえに、霊魔国軍を鍛えることにした。全世界最強の筆頭格である一総の手にかかれば、その程度をこなすのは二週間もあれば容易い。一ヶ月という期間は、念のために余裕を持たせた結果である。


 一総の発言に、兵士たちは大いに混乱する。指導を務めるのは恐怖の権化とされている黒鬼なのだから当然だ。彼らにとって、ドラゴンとタイマンを張る以上の恐怖と言っても過言ではない。


 その畏怖は伝播していき、軍全体に大きなうねりを起こす。このまま放っておくと錯乱する者まで現れ、ケガ人が続出してしまうだろう。これから訓練をするというのに、その結果に陥るのは本意ではない。


 だから、彼女を連れてきたのだ。


「静まりなさい」


 ミュリエルが一総の横に並び、言葉を放った。


 たった一言──それも大声ではなく、普段の会話程度の声量だったというのに、彼女の声を耳にした者全てが沈黙した。異能を行使したわけではない。ミュリエルの持つ王の風格が、兵士たちの感情を押し黙らせた。


 一総は感嘆する。王女が一声かければ、軍属の者は落ち着きを取り戻すと考えてやらせたのだが、予想以上の効果だった。


 普段は気安い雰囲気のミュリエルも、きちんと王家の血を引いているようだ。今の彼女は、誰がどう見ても“王”だろう。見ているだけで、自然と背筋が伸びる。


 ミュリエルは荘厳な雰囲気を維持したまま続ける。


「まず、カズサは我ら霊魔国を救うため、貴重な時間を割いてくださっているのです。そのように怯えるなど失礼であると自覚しなさい。彼には単独で問題を解決する力があるというのに、今後の霊魔国を憂いて、わざわざ稽古をつけてくださるのです。感謝はすれど、それ以外の感情を向けるのは言語道断です」


 上手く隠してはいるが、言葉の端々に怒りが見えた。彼女は一総贔屓ではあるが、それとは別に、恩を仇で返すような態度が許せないのだと推察できた。一総は全然気にしないのに、律儀なものだ。


「加えて、カズサが行う訓練についてはアタシのみではなく、陛下の許可も得ています。つまり、この訓練は王命に等しいのです。皆、それぞれに思うところはあるでしょうが、国に仕える者であるのなら潔く受けなさい。あなたたちにも大切な何かがあるでしょう。であれば、その何かを守るためにも勇気を出して臨みなさい。兵士のあなたたちが戦わずして、誰が戦うのですか!」


 ミュリエルの力強い鼓舞は、確かに兵士たちの心を打った。しばし沈黙する彼らだったが、おもむろに声が上がり始める。


「そうだ、妻を守るのは俺しかいない!」


「俺だってカノジョを守るんだ。黒鬼を怖がってる場合じゃない!」


「私も王国の連中に負けっぱなしは嫌だわ!」


「王女様の言う通りだ。黒鬼の訓練がどれだけ残虐だろうと、軍属の俺たちがいつまでも怯えてるわけにはいかないぞ!」


 兵士たちの士気は持ち直されたようだ。一総に関して散々な言われ方をしているけれど、やる気がないよりは余程良い。


 うおおおおおお、と盛り上がっている兵士たちを見て、一総は苦笑を溢す。それから、訓練場内に響き渡る大声を張り上げた。


「それでは、早速訓練を始めたいと思う。といっても、キミらにはこの後も仕事が残っているため、時間を要する訓練を行うつもりはない。これからとある術を全員に施すので、それにかかった状態で一日中すごしてほしい」


 言い切ると同時に、一総はふたつの魄法はくほうを発動した。霊力を視認できる者がいれば、彼を起点に、ふたつの波紋が兵士たちに向かって放たれたように見えたはずだ。


 ひとつ目は【選定】。範囲内の魂を識別し、その後に発動する術の対象を選別できるというもの。これは対象になるかならないかだけではなく威力の微調整も可能で、かなり応用性に富んだ術だ。


 ふたつ目は【加圧する魂ソウル・コンプレッション】。霊波を発展させたもので、文字通り魂へ圧力をかける。魂に直接ダメージを与えるこの術は並みの拷問よりも痛烈な上、下手をすれば存在を抹消できるほど凶悪でもある。


 この二種類を用いて行うのは、兵士たちの魂へ適度な重圧を施すこと。個々人ごとに適切な威力の【加圧する魂】を与え、魂の強化を促す訓練だった。


 霊術とは、霊力を魂という名のエンジンにくべることで発動する。エンジンの馬力次第で霊術の威力や範囲などが変わってくるし、最終的には最奥たる魄法にも到達できる。だから、魂を鍛えるのは霊術使いの基本的な訓練。


 ──だが、一総が行ったのが一般的な訓練方法とは限らない。


「うごっ」


「くっ」


「うぇ」


 幾人もの兵士が苦しそうに呻き、その場で四つん這いになる。いや、声を出せたり、四肢で体を支えられているだけ良い方だろう。だいたい四分の三は息をするのも精一杯といった感じで、地に体を投げ出していた。


 訓練場の地面が倒れ伏す兵士たちで埋まってしまったのを確認し、事態を引き起こした張本人は溜息を吐く。


「弱いな」


「そう思うなら、少しは手加減しなさいよ。このままじゃ、死人が出るわよ!」


 即座にツッコミを入れるミュリエル。


 彼女の言う通り、兵士の中には白目をむいているどころか魂の光が弱まっている者もおり、現状を維持していると死人がたくさん出そうだった。


 計画の練り直しが必要だな。そう呟くと、一総は発動していた魄法を解く。いきなり解放しては地上に引き上げた深海魚のような状態になってしまうため、徐々に力を緩める形で解除する。


 ほどなくして、兵士たちは佳境を乗り越えた。大半が気絶してしまったが、命の危機に瀕した者は出ていない。


「あ、あのー……」


「何をしたの?」


 背後で待機していた真実まみ蒼生あおいが尋ねてきた。霊術を学び始めたばかりの二人は、何が起こったのか理解できなかったのだ。


 一総へ呆れた視線を向けながら、ミュリエルが答える。


「兵士たちの魂に直接、『重圧を与える』って干渉をしたのよ。魂に負荷を加えると、反作用によって魂が強化されるの。でも、ねぇ」


「聞いた限りだと効率の良い訓練方法だと思うんですけど、何か問題があるんですか?」


「問題は目の前の光景が物語っているんだけれど……何て説明したら良いのかしら?」


 小首を傾ぐ真実や蒼生にどう説明したら良いのか、ミュリエルは考えつかなかったみたいだ。倒れ伏す兵士たちから大きな問題があるのは理解できているだろうが、このような結果になった理由を上手く言葉にできない。霊術初心者の二人に、分かりやすく伝えられる自信がないといったところか。


 ミュリエルが頭を悩ませていると、救いの手が差し伸べられた。


「そんな難しい話でもないッスよ」


 何と、口を挟んだのはミミだった。頭脳労働が苦手な彼女に、今回の一件を片づけられるのか疑問が残るが、とりあえず好きにやらせることにする。


 ミミは身振り手振りを加えながら説く。


「簡単に言うと、魂は筋肉と同じなんッスよ。超回復でしたっけ? 筋肉は傷つけると、より強くなって回復するってやつ。魂も同様の効果が出るんッス」


「ああ、そういう」


「理解した」


 なるほどな、と一総も頷く。


 使い魔のパスによって、ミミは一総の世界の知識を知っている。ゆえに、二人に馴染みのある知識に寄せた説明ができるのだ。自分の常識にある事象で例えられれば、大雑把にでも仕組みを覚えられるものだ。


 ミミは説明を続ける。


「で、ご主人様の訓練の何が非常識だったかっていうと、筋肉で例えるなら、『筋肉を直接刃物で傷つけて超回復させようとした』って感じッスね」


「うわぁ」


「……」


 二人はドン引きだった。蒼生に至っては、無言で一総へ悲しみのこもった視線を向けてくる。


 一総は誠に遺憾だといった様子で返した。


「刃物は言いすぎだろう。ヤスリで撫でた程度のダメージしか与えてないぞ」


「うわぁ」


「……」


 返ってきた反応は変わらなかった。一総にとって手加減したつもりでも、真実たちからしてみたら大した変わりはないらしい。


 解せぬと首を捻る一総を余所に、ミュリエルは口を開く。


「超回復っていうものがどうなのか・・・・・は知らないけれど、魂への直接干渉が強化に繋がるのは本当よ。一歩間違えば廃人コースだから、実際にやる人はほとんど・・・・いないけれどね」


 瞑想や限界まで霊力を放出するなどが一般的な訓練であるのは事実だが、魂へ干渉することが一番高い効果であるのも事実だ。失敗は許されないので、魄法を手足の如く扱える一総だからこそ可能な訓練だが。


「そんなことより、さっさと兵士らを起こそう。寝てる暇はないんだから」


「『そんなことより』って、あなたが気絶させたんでしょうに」


「オレは耐えられるギリギリを見計らったんだ。魂の限界を見誤るほど、オレの眼は落ちちゃいない。それなのに倒れたってことは、あいつらの忍耐力が魂に釣り合ってないってこと。つまりは鍛錬不足に他ならない。訓練をサボってる国軍なんてシャレにならんぞ。多少はスパルタでいかなきゃダメだ」


「……反論の余地もないわね」


 やんわりと兵士たちをフォローしようとしたミュリエルだったが、理路整然とした一総の文言に封じられた。


 実際、霊魔国軍は精神的たるみが出ていた。自分たちは誰よりも優秀な種族であると偉ぶり、懸命に訓練をせずとも勝てると増長している節があった。バァカホ王国に敗走した現在でも、だ。


 この傲慢さが治るのであれば、血反吐を吐くくらいの訓練を施しても問題ないのでは? とミュリエルも考えを改め始めた。霊魔国の未来と兵士の安全、比較してどちらに天秤が傾いたのか……言うまでもないだろう。


「分かったわ。遠慮なくやっちゃって」


「OK、承った。ほら、お前ら起きろー。訓練は終わっちゃいないぞ」


 王女直々に許可が下りたので、一総も自重しない。


 声かけと共に霊波を放ち、気絶した兵士らを叩き起こす。そして、再び【選定】と【魂の加圧】を発動した。


 同じ失敗はしない。先程の彼らの反応から限界の威力を見極め、何とか普段の生活が送れる程度に保った。全員顔色は酷く悪いが、両足のみで立ち上がっている。これなら問題ないはず。


 誰も倒れていないことを確認し、一総は満足げに首肯した。


「よし、本日の朝練はここまで。今の状態で一日中生活をして、魂の強化に努めてもらう。夜には解けるよう設定してあるが、明日の朝練で再びかけ直すから、肝に銘じておくように。あと、加圧生活に慣れたら、朝練のメニューを追加していくから、そのつもりでいてくれ」


 魂に重圧を加えられるだけでもつらいのに、そのうち追加の訓練があるという。地獄のような所業に、兵士たちは一様に身を震わせた。


 唯一の希望であるミュリエルへ視線を向けるが、彼女は苦笑いするだけで、手助けをしてくれる様子は皆無。もはや、この地獄の訓練を受ける以外の道は存在しなかった。


 愉快そうに笑う一総と絶望に沈む兵士たち。この両極端の図は、しばらくの間の朝の恒例となるのだった。

 

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