007-3-04 ターニングポイント

 蒼生あおいと夜空を眺めて一時間弱。結局、あれから一言も話すことなく、二人は宿舎に戻った。


 とはいえ、徒労ではなかったと思う。傍にたたずむだけでも一定の効果があったのか、部屋に戻る時の蒼生の顔色は、最初の頃よりはマシになっていた。ほんの些細な変化でしかないけれど、彼女が今すぐ無茶な行動を起こすことはなさそうだった。


 蒼生がベッドで横になるのを(気配察知で)見届けた一総かずさは、自室に戻らずに、元来た道へUターンする。宿舎の外へきびすを返し、月光の届きづらい路地裏まで歩く。


 夜光と闇の狭間にて、彼は足を止めた。そして、不意に口を開いく。


「隠れてないで、出てきたらどうだ?」


 背後、路地の角に向かって話しかけながら、彼は振り返った。


 しばらく静寂のみが降りた。だが、一総がじっと微動だにしなかったゆえに焦れたのか、静寂の中に新たな音が生まれた。


「いつから、気づいてましたデス?」


 独特なイントネーションの日本語と共に姿を現したのは、米国アヴァロンで一総たちの案内人を担っていたジェシカだった。部屋着だろうダボダボのジャージとボサボサの頭髪から、先刻まで眠っていたようにも見えるりだった。


 しかし、決して彼女は就寝などしてやいない。


 一総は肩を竦める。


「最初っからだよ。あの『門』に案内されてから、ずっとオレを見てるじゃないか」


 無論、視覚的な意味ではない。ジェシカは異能を使って、一総を一日中監視していたのだ。片時も目を逸らさず。


「タイミング的に、重要機密を教えたから監視してるのかと最初は考えた。でも、どうにも別口だと感づいてね。頃合いも良かったし、こうして声をかけたんだ」


 いくら許可を得たからとはいえ、国家機密を知った他国の『救世主セイヴァー』を野放しにするわけがない。監視をつけるのは当然だと考えていたので、最初の方は気に留めていなかった。


 ところが、途中でおかしい点に気がついたのだ。ゆえに、ジェシカの監視はアヴァロンの指示とは別の思惑であると判断した。


 そこまで話すと、ジェシカは困ったような表情を浮かべ、ボサボサの頭を掻いた。


「ありゃりゃ、バレバレでしたデスカ。一応、訊いておきたいんデスけど、どうして別件って分かったんデス?」


「あんなに粘度の高い意識を向けられたら、誰だって気づくさ」


 執着、偏執、依存。浮かぶ単語はいくつかあるが、一総からすれば、どれも向けられて好ましい感情ではない。そのようなものを丸出しに見られていれば、嫌でも察知できるというものだ。


「Wow、走るパトスが抑え切れてませんでしたデスネ」


「呑気なもんだな、ストーカー行為がバレたのに。訴えられるかもしれないんだから、もっと緊張感を持ったほうがいいぞ」


 飄々とした態度を貫くジェシカに、一総は呆れた視線を向けた。


 実際、一総が彼女を訴えれば、ほぼ百パーセントの確率で勝訴する。勝てるだけの証拠を、すでに揃えているからだ。


 加えて、異能を行使した犯罪は、通常より量刑が重くなる。被害者が『救世主』というのも、余計に立場を悪くしていた。


 米国の研究に多大な貢献をしているジェシカといえど、決して無事で済む状況ではない。だのに、彼女はまるで焦った様子を見せなかった。


 ジェシカは笑う。


「もしカズサ殿が訴えるつもりでしたら、こうして話す時間さえも与えてないでしょう?」


「……まぁ、そうだな」


 彼女の言う通り、最初から訴えるつもりであれば、今のような対話の時間など作らず、裁判所に駆け込んでいる。


 簡単な推理であったが、一総は訝しんだ。


 ジェシカは、市街で暴動が起こった際にはとても混乱していた。それなのに、今は冷静沈着である。この差異が些か不気味だった。異なるシチュエーションだからと言いわけもできるけれど、それ以外の何かがある風に感じた。


 違和感を与えない程度に、ジェシカを観察する。


 時間にして数秒。彼は「嗚呼」と納得の声を漏らした。上気した頬や潤んだ瞳、普段より早い心拍。これらが彼女の現状を物語っていた。


「ファトゥウスを前にして、テンションが上がってるのか」


「自分がファトゥウスさまだって認めるんデスネ!!!」


 口内を転がす程度の声量だったのだが、ジェシカは耳聡く捉えていたらしい。彼のセリフに食い込む勢いで、奇声もとい喜声きせいを上げた。


 普段の一総なら、絶対にファトゥウスの名を口に出さなかった。だというのに、その愚を犯したのは、すでに彼女に正体を知られていたためだ。


 そう。一総がファトゥウスだと看破したゆえに、ジェシカは彼を監視していたのだ。結婚したいとまで豪語していたのだから、その行動に至るのはもありなん。


 しかし、それと共に疑問も生じる。


 ファトゥウス名義での活動には、一般の勇者にとって難題な代物も含まれている。当然、他者から見たら、『異端者』や『救世主の名折れ』などと呼ばれている一総には、とうてい達成できる内容ではないだろう。だから、彼は姿を隠していた。大国や秘密結社の追跡をけむに巻くほど徹底的に。


 ともすれば、一体どうやって彼女は一総の正体を見破ったのか、不思議で仕方なかった。彼女の記憶の表層を読み取った時、酷く驚いたものだ。


 空港での初対面時や『門』の見学初期では、そういった兆候は見られなかった。本当に突然、ジェシカは一総の正体を見破った。


 『門』を観察する短時間に、何かがあったのだとは察しがつく。だが、いくら思考を巡らせても結論は出ない。


(色々とおかしすぎるんだよ。パズルのピースが欠けてるみたいに、過程をすっ飛ばされてる感じだ)


 熱烈なファンのジェシカが、長年ファトゥウスの正体を探っていることは、記憶走査をした段階で知っていた。ただ、彼女の持つ情報量では、どう足掻いても一総に辿り着けないはずだった。


 何かが、ジェシカに干渉したのは確定している。でも、その『何か』が皆目分からなかった。


 何せ、ジェシカにその情報をリークしても利点がない。彼女は自分がファトゥウスの正体を知りたかっただけで、誰かにその事実を教える気は一切ないのだ。一総がストーカーされる以外、何の変化も起こっていない。メリットがない以上、干渉した何者かの目的が読めず、黒幕も明かせなかった。


 一総たちに損害がないのなら放置しても良かったが、どうにも座り心地が悪い。


 だから、ここで白黒をつけるつもりだった。人気ひとけのない場所でジェシカを炙り出したのは、すべてをハッキリさせるため。


 憧れの人を前にしたジェシカは、勇者とは思えぬほど無防備だった。期待に瞳を輝かせる彼女には悪いが、ここはこちら・・・の都合につき合ってもらう。


「悪いな」


 謝罪を口にしながら、一総はジェシカに急接近。右手で彼女の頭をガシッと掴み込んだ。


 彼女が疑問を浮かべる隙も与えず、一総はひとつの異能を発動する。


 概念魔法【概念解析オールスキャン】。


 一般的な魔法よりも上位に存在するもので、文字通り対象のすべてを読み解く力だ。頭を触ること、対象が術者を拒絶しないこと。その他様々な制約はあるが、どのような異能よりも詳細な情報を取得できる優れものである。


 ジェシカはファトゥウスの術式を拒絶しないだろうと踏んで行使したのだが、その思惑は当たったようだった。すんなり魔法は浸透し、次々とジェシカという人間を暴いていく。


 数分後。【概念解析】を終えた一総は、同じ体勢のまま、ボソリと呟いた。


「【スリープおやすみ】」


 対象を眠らせる精神魔法を詠唱隠蔽で施す。


 すっかり油断し切っていたジェシカは、あっという間に眠りについた。


 崩れ落ちる彼女の体を抱き留め、一総は溜息を吐く。


「安らかな寝顔だ。まぁ、半年くらいマトモに寝てなかったみたいだし、当たり前か」


 勇者でなければ死んでいただろう。


 研究者タイプの勇者には一ヶ月は眠らないといった輩も多いが、さすがに今回は度がすぎていた。『ブランク』──『救世主』のミシェル・ブラウンが操っていたのだ。


 彼女は“眠り“に特化した魔法使いだった。対象を眠らせる単純な弱体化デバフはもちろん、ジェシカに仕かけた『対象を覚醒させる強化バフ』や催眠系統の異能など、多彩な“眠り“を施せた。


 何故、今まで一総は気づけなかったのか。その理由は以前考察していた通り、思考誘導という非常に弱い術だったためだ。おまけに、誘導を仕かける接続時間もほぼ一瞬。


 干渉時間が短すぎては、一総であっても【概念解析】のような大がかりな異能を使うしか、知る術はない。


 そも、その程度の干渉で、本来ならここまで確実な誘導はできない。個人差はあれど耐性のある勇者相手なら、なおさら影響を受けないだろう。


 だから、状況を甘く見すぎていた。自分で自分を殴りたくなる大失態だ。


 状況から見て、対象が眠っていないほど術を強力に施せる、といった強化バフスキルを所持しているのだと思う。


(室長のジェシカが操られてなら、『門』の関係者は全員術中だろうな)


 そうであれば、『門』の異質さに納得がいく。裏で操作していれば、都合の良い代物も作れるに決まっていた。


 いや、下手をしたら、影響範囲はもっと広大かもしれない。ジェシカにファトゥウスの話を暴露したところから、『ブランク』が一総へ干渉する気なのは分かる。であるならば、今回の渡米自体が仕組まれた可能性も否めなかった。


 疑ったらキリがないのは理解している。しかし、現状を考慮すると、身内以外は全員敵だと認識せざるを得ない。


「後手後手だな」


 一総は苦虫を噛み潰したような表情を浮かべる。


 そして、眠るジェシカを背負って宿舎に戻った。


 手早く彼女をベッドに寝かせ、すぐさま外へ向かう。これから、ミシェルの術中にある連中を解放しにいくのだ。


 翌朝、米国の救世主との交流会があるけれど、今回ばかりは仕方ない。未だ、『ブランク』がジェシカをけしかけた理由が判然としていなかった。ともなれば、相手が一総へ干渉する意図を持つ以上、対抗する他にない。


 隠密の準備を整え、三度みたび玄関扉に手をかける。


 その時、ピクリと一総の動きが止まった。


 彼は僅かに振り返る。


「村瀬の奴、起きてるのか?」


 私室にいる蒼生の気配が、彼女は覚醒していると示していた。


 てっきり、部屋へ戻ってすぐに眠ったと思っていたが……。


(まぁ、気配は安定してるし、問題はないか)


 護衛として、精度の高い分身も置いていく。問題が起こったとしても対処できるはずだ。


 意識を向けたのは一瞬。今はそれよりも優先すべきことがあると、かぶりを振った。


 そうして、一総は宵闇に覆われた街へと身を投じる。




 この行動を後々悔いることになるとは、この時の一総は思いもしない。街に繰り出さず宿舎に残っていれば──洗脳の解放の方を分身に任せれば良かったとは一切考えない。


 今、彼は──世界は、大きな未来の分岐点を通過したのだ。

 

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