003-3-02 司の正体

 何故、『始まりの勇者』以外の誰もが【空間魔法】を習得できていないのか。理由は至極単純だ。【空間魔法】の存在する異世界へ到達した者がいないからだった。


 異能とは、それが存在する世界にて実際に触れなければ覚えることができないと言われている。ゆえに、ただ一人を除いて【空間魔法】の使い手はいなかったわけである。


 しかし、現在。一総かずさによってその常識が崩されていた。まさに『異端者』の称号に相応しい所業と言えよう。


 静寂に包まれているというのに、妙に落ち着かない雰囲気の蔓延したリビング。この中で平然としているのは一総だけだ。いつも無表情である蒼生あおいでさえ、そわそわしているのだから。


「センパイ、今言ったことってマジですか?」


 恐る恐るといったていで、真実まみが窺ってくる。


 頭脳労働の得意ではない彼女でも拭えぬ常識。それを破っているのだから、問い直したい気持ちは十分に理解できた。


 一総は深く頷く。


「マジだ。オレが【空間魔法】が使えるなんて冗談を言うわけないだろう。誰かの耳にでも入ってみろ。即刻、どこかの国の捜査員エージェントやら裏組織の刺客やらが押し寄せてくる」


 下手をしなくても、千の異能を持つことが露見するより大事になる。そのような状況、日常を重んずる一総の望むところではない。だからこそ、何よりも優先して秘密にしていたのだ。


 彼の言わんとしていることが理解できた真実は、呆れた様子で頷いた。


「ですよねー。でも、【空間魔法】ですか……。センパイは本当にとんでもない人ですね」


 驚きすぎて笑えてくるレベルです、と空笑いする真実。


 そこへ司が言葉を挟む。


「一総くんが【空間魔法】を使えるのは分かったけど……いえ、未だに信じ切れてないけど、とりあえず真偽は置いておいて、どうして私たちに明かしたのかな? メリットよりもデメリットが大きい気がするんだけど。私たちが誰かに話すかもしれない危険を考慮してないわけでもないんでしょう?」


 真意が測り切れないと彼女は言った。


 対して、一総は静かに答える。


「司の言うようなリスクは考えたさ。君たちがさらわれて、無理やり情報を吐かされることだって、あり得るかもしれない」



「それを背負ってでも、私たちに教えるべきだと判断したの?」


「ああ。理由はいくつかあるが……第一に、【空間魔法】の使い手というのは、オレを以ってしても厄介だということ。万全を期して臨む必要がある」


「かずさでも……」


 蒼生が呆然と呟く。


 彼への信頼が大きい彼女にとって、衝撃の内容だったのだろう。一総は苦笑する。


「認識外からの特攻、感知不可の隔離、ノータイムで放てる一撃必殺級の攻撃などなど。とっさに考えつくだけでも面倒極まりない術が列挙できる。オレ一人なら対処も問題ないが、三人を守りながらになると、さすがに厳しい部分があるんだよ」


「一総くんがどれだけ警戒しても、護衛対象である私たちが正しく危険を認識してないと意味がない。そういうことかな?」


 司が確認の言葉を投げると、一総は首肯した。それから、「それに」と続ける。


「村瀬と真実の二人は、絶対に他人へ話さないって信じてる。問題ないだろう?」


「かずさ」


「センパイ」


 若干照れくさそうに言う彼に、蒼生と真実は感動の眼差しを向けた。


 じれったいような温かい空気が流れる中、司は気まずそうに口を開く。


「えっと、私は?」


 自分のことを言及していないことに、彼女は首を傾ぐ。


 何も考えていないとは露ほども思っていない。一総の用意周到さを知っていれば、そのような考えが浮かぶはずがなかった。


 それは間違いではなく、彼はすぐに返答した。


「司の場合、秘密を握ってるから心配するまでもないな」


 一総の発言に、ピクリと眉を動かす司。


 彼女の研究には協力しないと断言したことを、否が応でも思い返してしまうのだろう。瞳の奥に仄暗い感情が渦巻いている。


 それを見通していた一総は、彼女が何か言う前に言葉を放った。


「言っておくが、研究のことだけじゃないぞ」


「……なに?」


 司にとって思いがけないセリフだったに違いない。低く冷たい声が漏れる。


 試すような彼と、徐に鋭くなっていく彼女の視線が交差する。そこに生まれるのは重苦しい何かだ。


 事情を把握していない蒼生と真実は、困惑気味に二人を見守る。


 一総は説く。


「研究してる内容や錬成術を得意としていること、君の魂の状態。それらを鑑みれば、嫌でも推測ができる。『連世れんせいの門』を――」


「やめろ!!!」


 司は言葉を狂った声音で彼の言葉を遮った。


 初見の蒼生たちは驚いているが、甲高く音程の外れたそれは、研究を止めろと諭した時の様子に似ていた。


 ここまでの情報をすり合わせ、何となく司の事情を察する。今一総が語ったことは、彼女にとって非常に重要な秘めごとなのは間違いなかった。


 静まり返る室内。司の荒い息遣いのみが響く。


 しばらくして呼吸を整えた司は、忌々しそうに一総を睨んだ。


「どこまで知ってる? いつから知った?」


「詳しくは知らないさ、興味ないし。ある程度予想はできるが、何をしたのかくらいしか分からない。いつから知っていたかを訊かれれば……君の根幹のことを指しているなら、最初からだ」


 完全には落ち着いていないのだろう。普段とは異なる荒々しい口調の司。


 そんな彼女に対して一総は飄々と答えるものだから、ますます彼女は苛立った。


「奥の手を持ってたから、おれがそっちの秘密を握ってても何もしなかったわけか」


「まぁ、それが全てではないけど、概ねそうだな。ここまで効果があるとは思ってなかったが」


 どことなく面白そうに言う彼と、舌打つ彼女。


 司はゆっくり深呼吸を繰り返し、それから言葉を紡いだ。そこに先程までの荒々しさはない。


「分かった。そっちが口外しない限り、私もあなたの秘密を守ると誓うよ。【誓約魔法】でも使う?」


「本来なら使った方が安心なんだが、今回は止めておこう。さっきの様子から話す心配はなさそうだと確信できた。それに、下手に魔法を使うと痕跡を探られる可能性もある」


「……そんなことできるの?」


「めちゃくちゃ希少だが、そういう異能もある」


「じゃあ、止めておこう」


 とんとん拍子で話を進める二人。そこには数分前まであった敵愾心など微塵も存在しなかった。


 急展開に次ぐ急展開に目を丸くするのは、蚊帳の外にいた蒼生と真実だ。


「結局、どうなったんでしょう?」


 意味の分からない状況を尋ねるため、真実がおずおずと口を開く。


 一総は肩を竦める。


「司は秘密を守ってくれるってことだ」


「えっと、それは分かったんですけど、天野センパイの秘密とは?」


「ああ、そっちか」


 蒼生も気にしている様子が見られる。友人を大切にしている彼女のことだ。あそこまで取り乱した司のことが心配なのだろう。


 ただ、二人とも空気を読んでいるようで、無理に訊き出そうという感じではなかった。可能であれば聞いておきたいといったところか。


 一総は司へ視線を送る。返答をどうするか決める権利があるのは彼女だ。


 数秒ほど目を合わせる二人だったが、司が溜息を吐いた。


 そして、蒼生たちを見る。


「私の秘密は、私の根幹にかかわることだから、安易に漏らすわけにはいかないんだ。覗き見した一総くん以外には、今まで誰にも知られてなかったくらいだもん」


 ジトッと恨みがましい目を、司は一総へ向ける。


 彼は顔をしかめた。


「嫌味言うなよ」


「あら。勝手に他人の内情を暴露しようとしたんだから、これくらいはいいでしょう?」


 からかうように笑う司。対する一総の表情は苦々しい。


「お、教えてはもらえないってことでしょうか!?」


 唐突に始まった気心の知れたような会話を止めさせるため、真実は大声で割って入った。


 先まで今にも戦い始めそうな険悪な空気を作り出していたのに、この二人の切り替えの早さはおかしすぎないだろうか。というか、一総と甘い空気を出すなんて羨ましすぎる。真実の心は混乱と嫉妬でいっぱいいっぱいだった。


 無論、二人の切り替えが早かったのには理由がある。お互いに秘密を抱え合ったのだから争うのは不毛。これからは仲良くしましょうと、暗黙のうちに手を取り合ったのだ。頭脳に秀で、勇者として場慣れしているからこそできた調停だろう。


 とはいえ、場を和ませるために恋人まがいの会話が行えてしまえるのは、異常な親交の回復速度だが。


 嫉妬に燃える真実を微笑ましく思いながらも、話が脱線しすぎるのも良くないと、司はゴホンと咳を込んだ。


「本当なら黙っておきたいんだけど、同じ敵に狙われてる者同士、ある程度は信頼関係を築いた方がいいと思うんだよね」


「つかさとは友達」


 すでに信頼関係はあるから無理するなと訴える蒼生。


 だが、司は苦笑いをしながら、首を横に振った。


「確かに蒼生ちゃんとは友達だよ。でも、それだけで命を懸けられるかは別問題でしょう?」


「むぅ」


 言いたいことが理解できたのか、蒼生は渋々と言った様子で黙り込む。


 友に命を懸けられる人間など、ごく少数だ。だから、秘密を明かし、連帯感を生ませようというわけだ。


「といっても、全部は語れないんだ。明かしても問題ないことだけだね。ごめんなさい」


 司は申しわけなさそうに言う。


 蒼生と真実は首を横に振った。


「問題ない。つかさとは何があっても友達」


「私も構いません。最初から無理に聞こうとは思ってませんでしたから」


「ありがとう」


 礼を言った司は、蒼生たちを見据えつつ沈黙する。おそらく、これから話すための言葉を選んでいるのだろう。


 その思案は一分も経たずに終わった。


 彼女は実にあっさりと語る。


「私はね、元々男なんだ。初めて行った異世界で錬成術を学んで、今の体へ作り替えたの」


 衝撃的すぎる発言に、二人が声を上げて驚いたのは言うまでもない。

 

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