003-3-03 暁の語らい

 翌朝。一総かずさは自宅のベランダにて、早朝の風に当たっていた。


 陽が昇ったばかりの時間帯のため、街には仄かに霧がかかり、僅かな車の音しか届かない。どこにでもある明け方の風景が広がっていた。


 一総が何故、このような時間にベランダへと躍り出ていたかといえば、夜を徹して敵への対策を講じていたからだ。具体的には、蒼生あおい異能具いのうぐの調整と真実まみつかさの防具の作成をしていた。


 一通り作業が終わったので、今は休憩をしていたわけである。


 ボーっと外を眺めていて浮かんでくるのは、昨晩の司のカミングアウトだ。


 誰よりも女性らしく振る舞っていた司が、実は元々男だった。そのような発言を耳にすれば、普通は嘘だと一笑にふすか、大いに混乱するかの二択となるだろう。


 蒼生と真実は後者だった。それはもう、面白いくらいに慌てふためいていた。蒼生は口を半開きにしてフリーズしていたし、真実は声を張り上げて質問を繰り返した。


 とはいえ、最終的には司のことを受け入れたのだから、あの二人の度量は目を見張るものがあると言って良い。司も、心なしか安堵していたようだった。


 混沌と化した場を思い出し、ついつい頬を緩ませる。


 すると、背後から声をかけられた。


「一総くん、何してるの?」


 振り向くと、そこには司が立っていた。


 司は寝間着として一総のジャージを拝借しているのだが、それが神秘的な彼女の容姿とミスマッチで、微かな笑いを呼んだ。


 前から笑んでいたこともあり口角が上がるのを止められないでいると、彼女は訝しげに尋ねてきた。


「何か楽しいことでもあった?」


 自分の姿が原因だとは全く考えていないのだろう。少し間抜けな様子が窺え、さらに笑いを誘ってしまう。


 ただ、いつまでも笑っていては失礼極まりないので、何とか緩む表情筋を制し、言葉を返すことにした。


「思い出し笑いだ。昨日のことを思い出してた」


「……そっか」


 昨日のこと、というセリフだけで通じたらしい。嬉しいような、照れているような、面映ゆい顔をしている。


 やはり、一部とはいえ、蒼生たちに自分の秘密を受け止めてもらえたのは感慨深いものがあったようだ。――いや、一部だからこそ、か。


 彼女が語ったのは元男という事実だけ。そう至る経緯やら方法、一総が指摘していた“研究”については何ひとつ話していない。結果だけを見れば、周りを騙して女子の中に紛れ込んだヘンタイと思われても仕方なかった。


 そのような隠しごとだらけにも関わらず、蒼生と真実は文句なく友人として受け入れてくれたから、なおさら嬉しかったのだろう。


 一総が司の心情を推察していると、彼女が問うてきた。


「あなたは何も訊かないの?」


「何のことだ?」


「分かってるくせに」


 あざとく頬を膨らませる司。その可愛らしい仕草は、元男と判明しても衰えない。つくづく、すさまじい技術だと思う。


 司の問いの意味を、一総はもちろん分かっている。彼女が語らなかった部分を尋ねないのかと質問しているのだ。蒼生たちは友情を信じて追及しなかっただけで、一総はそういった理由がないだろうと投げかけているのだ。


 どう答えようか悩む。司の過去など、一片たりとも気にならない。彼としては、ただ単に興味がないの一言に尽きた。


 加えて、もうひとつ理由がある。


「自分の辛い過去を聞かせて、同情を誘うつもりだろう?」


 あわよくば、色々と手伝わせるつもりだとか。


「チッ」


 小さく舌打ちが聞こえてきた。一総の指摘は的中していたらしい。


 というよりも、露骨な反応を示す辺り、己の性格の悪さを隠す気がなくなったようだ。完全に開き直っている。


「優等生の仮面を被るのは止めたのか?」


 そう尋ねると、司は肩を竦めた。


「あれは“私の理想の女性”を演じてるだけだからね。正体がバレてる相手にまで演じるのは疲れるんだよ」


 一総は得心した。


 どうして彼女は性別を変え、しかも性格の異なる人物になり切っているのか謎だったが、自分の理想だったからか。


 となれば、今の見た目や口調なども『理想』とやらなのだろう。わざわざ体を造り替えてまで理想の女性を求めるとは、筋金入りのヘンタイだ。


 呆れを通り越した一種の感心を抱きながら、軽口を続ける。


「だったら、喋り方も元に戻したらどうだ? オレは気にしないぞ」


「もう今の話し方が素になっちゃったんだよ。女でいる方が男でいた時間より長いわけだし」


「そうなのか? キレた時は荒い口調になってたと思うが」


 アルテロとの接触前や昨晩の話し合いの時を例に挙げると、司は苦笑を浮かべた。


「今のキャラづけって清純で優しい女の子って感じじゃない?」


「そうだな」


「で、私の理想の『天野司』はあまり激情に駆られて怒らないわけ。つまり、そうなった時のボキャブラリが非常に少ないから、とっさに口を衝いたのが男の時の言葉遣いだったってところかな」


「そういうことか」


 要するに、普段は今の口調で定着しているけれど、それでは口汚い語彙がほとんど喋れないから、憤怒した際は自然と前の話し方に戻ってしまうわけだ。良いところのお嬢様が他人の悪口を言葉にできない現象に似ている気がする。


「喋り方といえば――」


 その流れで、一総たちは朝景色を眺めながら雑談に興じていった。








 しばらく語り合い、そろそろ朝食の準備を始めようかと一総が考え始めたところ。司が不意に尋ねてきた。


「ねぇ、本当に訊かないの?」


「必要ないな」


 今度は誤魔化さなかった。何故なら、彼女の瞳が不安に揺れていたため。


 司は問いを重ねる。


「どうして?」


「第一に。そもそも、オレは君が体を造り替えていることを随分前から知ってた。だから、今さら詳しく知りたいなんて意欲が湧かない」


 彼女の正体を知ったのは高校入学してすぐ。出会った直後のことだ。


 友好的に話しかけてくる司の姿は全く違和感がなかったが、逆にそれが怪しかったために魂を覗いたのだ。魂にも性差は現れるので、一発で判明した。


 それから約一年。事情を調べずとも平気で生活できたのだから、改めて内容を聞きたいとは思わないのだ。


 一総は続ける。


「それにハッキリ言ってしまえば、司自身に興味がない。男だろうが女だろうが。過去に何があろうが。オレに影響を与えるのは今の『天野司』だけなんだから、気にする必要性を感じない」


 自身が過去のトラウマに縛られているせいか、一総は他人の過去に一切の興味が向かない。良く言えば、過去に偏見を持たず、その人の“今”のみを見ている。悪く言えば、他人に関心がない。それが一総という人間のモノの見方だった。


 彼の主張を聞いた司は、ポッカーンと呆気に取られた表情をする。それから数秒して、彼女は笑い声を漏らし始めた。


「あはははははは、興味がないのか。はははは」


「何がおかしいんだ?」


 怪訝に眉を寄せる一総。


 声のトーンから好意的に捉えられているのは理解したが、まさか先の言い方で、そのような反応が返ってくるとは考えていなかった。予想外のことに困惑する。


 司は笑いながら答える。


「ふふふ。いやね、学校やそれ以外でも人気者の私に対して、真顔で興味ないなんて言う人がいるとは思わなくて。まぁ、とっても一総くんらしいとは感じるけど。ははは」


 笑い声は止まる様子なく、仕舞いには涙まで流し始めた。どれだけ笑うんだ、と一総も呆れ顔である。


 たっぷり時間をかけて、ようやくボルテージが収まった彼女は、明るい調子で口を開いた。


「いやー、久しぶりに大声出して笑ったかも。ありがとう、一総くん」


「別に笑いを取りたくて言ったセリフじゃなかったんだけど」


 悲しくて泣かれるよりはマシなのだが、笑って泣かれてしまうのも、それはそれで反応に困るものだ。


 一総の苦言に、司は軽く謝る。


「ごめんごめん。今まで一総くんみたいな返し方をする人と会ったことがなかったから、新鮮だったんだよ」


「そうなのか? 他にもいそうな気がするけど……。というか、オレたち以外にも喋ったことあるのか」


「意外といないものだよ。蒼生ちゃんたちみたいに信頼があるから受け止めてくれる人、過去があるから今があるって熱弁する人、むしろ元男だからいいって言うヘンタイ。大体、この分類だね」


 ちなみに、この世界で教えたことがあるのは一総くんたちだけだよ。そう司はウィンクする。


 一総は露骨な可愛いアピールを無視して、話を続けた。


「最後以外はありきたりな分類だな。オレとしては変わったことを言ったつもりはないんだが」


「十分変人だと思うよ? こんな美少女を捕まえて、慰めるでもなく『過去にも今にも興味ない。知りたくもない、面倒くさいから』なんて切り捨てちゃうのは一総くんくらいだって」


「そこまで言ってないだろう」


「でも、内心ではそう思ってたでしょう?」


「…………」


 一切否定できないので、黙り込むしかない。


 そんな彼の様子に不満げな顔を多少見せつつも、司は楽しそうに言葉を紡ぐ。


「そんなわけで、ここまで蔑ろにされたことなかったから、おかしくて笑っちゃったんだ。なんか、私まで昔のことを話すのなんて、どうでも良くなっちゃったよ」


 先程までとは異なり、憑き物の落ちたような表情で微笑む司。


 彼女は流れのままに言う。


「そういうことで、『不老不死』の研究も手伝ってくれない?」


「却下。何が『そういうことで』なのか分からん」


 一総は間髪入れずに答える。脈絡のない会話に、些か頭痛を覚えた。


 司は唇を尖らせた。


「今の流れならいけると思ったんだけどなぁ」


「どう考えれば、そうなるんだよ」


 一気にお気楽な調子になった彼女に対して、一総は呆れた顔を見せる。


 それを見て司は小さく笑うと、くるりと背中を向けた。


 そして、


「まぁ、研究の方は気長に交渉するからいいや。じゃあ、私は部屋に戻って蒼生ちゃんたちを起こしてくるね」


 と、言いたいことだけ言って部屋の中へと入っていってしまった。


 残された一総は彼女の背中を眺めるだけに終わる。


 彼は微かに息を吐いた。


「何がしたかったんだか」


 過去を語って同情を引きに来たかと身構えたが、結局のところ無駄話をしただけだった。途中で気が変わったのか、本当に駄弁りたかっただけなのか。


(考えても仕方ないか)


 早々に思考を放棄する。今考えるべきは本日襲来するだろう敵のことであって、司の真意ではない。


「んー、朝ごはん作りますか」


 彼は一度大きく伸びをすると、難しい思考を振り払って室内へと戻っていった。

 

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