007-4-04 窮地の混乱

 気がついた時には、すべてが止まっていた。周囲の人や物、自身にまとわりつく空気、そして自分の身体。己の思考力以外のことごとくが、まるで氷漬けにでもなったかのように固まっている。


 この感覚に、ミュリエルは覚えがあった。魄法はくほうの奥義、神罰の【留定アハト】。万物の魂を縛りつけて固定してしまう術に、現状はとても酷似していた。


 ただ、似ているだけで同じ術ではないと、ミュリエルは確信している。かの術は魂あるものを擬似的に停止させているだけだが、現状は真の意味で万物の時が止まっているように見受けられた。


 本当の意味での時間停止。これをなせる者の心当たりなど、ミュリエルは二人しか知らない。そして、彼女の意識が停止していない時点で、誰が術者なのかは断定できていた。


 ミュリエルの推測は正しく、思っていた通りの人物──一総かずさから声が届く。


『聞こえてるか、ミュリエル』


 それは頭に直接響く念話だった。時間停止の展開前には視界内にあった彼の姿はなく、すでに何か行動を起こしていることが窺える。


 異常事態を察したミュリエルは、冷静に必要な言葉を紡いだ。


『アタシたちは何をするべき?』


 状況の確認などしている場合ではない。彼が人前にも関わらず【次元魔法】を行使した時点で、一総を以ってしても切羽詰まった事態なのだから。


 であるのなら、ミュリエルのやるべきことは決まっている。彼の後顧の憂いを断つこと、それしかない。


 心底悔しいが、一総でも焦る問題に、自分たちがついているわけがないのだ。だから、彼が問題に集中できるよう、露払いはすべて引き受ける。それこそ、今のミュリエルたちに可能な唯一の手助け。


『話が早くて助かる』


 ミュリエルの内心を悟ってか、一総は余計な心配は口にせず、簡潔に現状の説明を始めた。


 彼の語った内容は、正直に言って最悪の展開だった。


 まず、敵の首魁の『始まりの勇者』が蒼生あおいさらったこと。


 先に相手が【時間停止クロック・キープ】を使用したため、どう足掻いても阻止はできないらしい。以前、同様の失態をしたために対策は立てていたが、相手の方が上手だったよう。ゆえに、これから一総が単独で奪還に向かう。


 単独という部分に不安を感じるが、一総と『始まりの勇者』との戦いに対応できる力はない以上、彼を信じる他にない。


 次に、米国アヴァロンにいる大半の人間が暴徒と化したこと。


 これにはミシェル・ブラウンが関わっているようだ。彼女の睡眠を利用した異能を使い、一般人から勇者までの多くの人々を操っているとか。暴徒たちは交流会の会場であるこの場を目指しており、このままでは悲惨な展開は必至だ。


 本来の『五つの流れ星シューティング・スターズ』の力なら、有象無象の大群でも問題なく対処できる。だが、かのメンバー内には元凶であるブラウン兄妹が紛れている。彼らが場を乱すのは火を見るより明らかであり、現場が大混乱に見舞われるのは確実だろう。


 だからこそ、この窮地にミュリエルたちが動く。獅子身中の虫のブラウン兄妹──の分身──も排除するわけだ。


 きっと、これからミュリエルたちの行う行動は、彼らを敵とは知らない米国連中に非難されると思う。だが、背に腹は変えられない。一総のために、蒼生の救出を確実にするために、その辺りは無難に収められるよう尽力する。


『時間が足りず、ミミとムムには【時間停止】を施せなかった。使い魔のパスでミュリエルに従うようには言っておくから、上手く使ってくれ』


『助かるわ』


『……そろそろ限界だな。あまり猶予を与えられなくて悪い』


『気にしないで。それほど切羽詰まった状況ってことでしょう?』


 彼の謝罪と同時に、周囲の時間が緩やかに動き出したのを察知した。


『では、健闘を祈る』


『そっちもね』


 お互いに励まし合った後、一総の気配が消えた。蒼生の元へ向かったようだ。


 ミュリエルは静かに術が解けるのを待つ。その思考は、如何にして問題を解決するか、そのシミュレーションで埋め尽くされていた。








黒の大破ノヴァ・シュヴァルツ


 時間が動き出すと共に、ミュリエルは即興で繰り出せる中で最大火力の精霊魔法を、ブラウン兄妹二人へ放った。


 指定座標に闇の球体を出現させ、それを一気に膨張させる技。体の中心に球体を植えつけられた二人は、当然汚い花火になり果てる。


 バチュッと鈍い音が鳴り、周囲には血肉が飛び散った。新鮮な赤色がホールの一部を染め上げる。


(へぇ。分身でも死体が残るって、相当精巧に作られているわね)


 事前に偽物であると知っていた彼女でも、思わず本物だと信じてしまいそうなほど、リアリティ溢れる死体だった。


 数拍の静寂がホール内を包み込んだが、すぐさま阿鼻叫喚の嵐に包まれる。目の前で人が、それも『救世主セイヴァー』が死んだのだから無理もない。『救世主』のくせに呆然としてしまっている『城塞キャッスル』の反応はいただけないけれど。即座に術者であるミュリエルを補足かつ警戒を始めた『超人オーバーマン』を見習うべきだ。


 錯乱するホール内を尻目に、ミュリエルは移動を開始する。いざという時に逃亡しやすい端っこ。壁は破壊すれば良いので、逃亡ルートを確立しやすい場所がベストだろう。無論、移動中にメイド姉妹への説明は済ませておく。


 この間、『超人』に監視し続けられていたが、彼が何かアクションを起こすことはなかった。向こうからすれば『救世主』をほふった凶悪犯なので、慎重に出方を窺っている模様。


 ホールの隅に集まった三人は、【遠話】の魄法はくほうを用いて密談をする。


『ためらいなく木っ端微塵にするとは、さすがお嬢さまッスね。そこに痺れる憧れるッス!』


『姉さん、ふざけてる場合ではないですよ。これから暴徒の大群が押し寄せてくるんですから』


『ムムの言う通りよ。それに、潰したブラウン兄妹は分身。本体の方が何もしてこない保証はないわ』


 姉妹の会話を聞き流しながら、ミュリエルは広範囲探知を始めた。


 一総には劣るが、彼女も魄法を修めた才媛だ。その索敵範囲はとても広く、集中すれば百キロメートル以上をカバーできる。これは、その方面に特化したフォースと同等の力量である。


 探知は十秒と待たずして終わった。何故なら、目標物がとても分かりやすかったから。


『目標を補足したわ。うじゃうじゃ来ているわね』


 柳眉をひそめるミュリエル。


 それもそのはず。彼女の脳内には、軍隊アリの如く街中を行進する人々の姿が映っていた。某映画で『人がゴミのようだ』と言う表現があるけれど、まさにそのような感じである。


『この様子だと、この会場内にいる人間と昨晩一総が解呪した人たち以外は、一人残らず操られているみたい。先遣隊は五分もせずに到着しそうよ』


『どうして、会場内の人は操られてないのでしょう?』


 ミュリエルの状況説明に、ムムが疑問を呈した。


 彼女の疑問はもっともである。


 ミュリエルは「仮説にすぎないけれど」と前置きしてから話す。


『アタシたちに逃げてほしくなかったのかも。アタシたちの手にかかれば、会場にいる人数程度は時間をかけずに突破できるから。異変を前もって察知され、ここから脱出されるのを防ぎたかったってところかしら』


『今からでも逃げようと思えば逃げられるッスよ?』


『それも可能でしょうけれど、実際は逃げられないでしょう。この場にいる正気の人たちを置いていったら、アタシたちが犯人だと思われるじゃない』


 ミミの問いに彼女は間髪入れず返すと、ムムは納得したように頷いた。


『なるほど。敵は意地でもムムたちを足止めしたいわけですね』


『そうなると、ミミたちはいち早く事態を解決するべきってことッスね!』


 ブラウン兄妹の目的が足止めにあるのなら、できるだけ早く、それを乗り越えれば良い。シンプルな回答だった。


 ミュリエルは首肯する。


『その通りよ。アタシたちは、少しでも早くカズサの元へ――』


 その時、【遠話】をミュリエルは中断した。


 彼女がチラリと横へ視線を流した瞬間、風船を割る音を何十倍にも大きくしたような、特大の破裂音が一帯を震撼させる。


 ホール内にいた一般人やダブル以下の勇者は、大音声だいおんじょうのせいで耳に異常をきたしたのか、頭の両脇を抑えてうずくまっている。酷い者だと耳から血まで流していた。


 音の発生源はミュリエル――正確には、ミュリエルと『城塞』だった。彼が音速の拳を繰り出し、それを彼女のまとう闇が防御したのだ。


 現在進行形で、『城塞』は闇の防御を突破しようと拳に力を込めており、ミュリエルは涼しい顔で防ぎ続けている。せめぎ合う拳と闇が、ギチギチと震えていた。


「女性の顔を迷いなく狙うなんて、『城塞』殿は容赦ないッスね」


「容赦はありましたよ、姉さん。ダダ漏れの殺気によって、今から殴りかかりますと宣言してたじゃありませんか」


 ミュリエルの横で、それぞれ感想を口にするメイド姉妹。


 その呑気なセリフを聞き、ようやく先の破裂音を無事に乗り切った者たちが再始動した。


 真っ先に動いたのは『超人』だった。


「何をしてるんだ、ウィリアム。やめるんだ!」


 彼は瞠目どうもくし、慌ててこちらに駆け寄ってくる。


 『城塞』は聞く耳を持たなかった。憎悪と憤怒を湛えた瞳をミュリエルへ向け、血反吐でも吐きそうなほどの裂帛した声を上げる。


「お前ぇぇぇえええええ、どうして二人を殺したんだぁぁぁあああああああああああ!!!!!!!!!!!!」


「……」


 それに対し、ミュリエルは冷めた目で見つめるだけだった。


 『城塞』が何を怒っているのか。その理由は明らかであり、共感できる部分はある。しかし、仮にも『救世主』の起こした行動がコレというのは、興醒めも良いところだった。


 溜息を吐くなどの態度は取っていないが、失望の感情は露骨に窺える。それが余計に『城塞』の神経を逆なでした。


 彼も、メイド姉妹以外の周囲の人間も気づいていない。二人の実力差がどれほどのものかを。おそらく、「『城塞』は攻撃方面を得意としていないが、逆にミュリエルは防御特化の勇者だから防げている」といった風に推測しているのだろう。勘違いも良いところだ。


 ミュリエルは異世界人であり、真に勇者ではない。だが、彼女の修めた異能は破格の領域で、その実力は『救世主』をも凌駕する。それこそ、赤子の手を捻るレベルの圧倒的差が存在した。やろうと思えば、いつでも『城塞』はブラウン兄妹と同様木っ端微塵になるのだ。


 といっても、いくら彼からあおられようが、そのようなバイオレンスなマネを行うつもりは毛頭ない。何故なら、この勘違いは彼女の狙ったものなのだから。


 ミュリエルは特殊な素性の露見を防ぐため、自身の実力を偽っている。緊急時とはいえ、その辺りの事情を明かすわけにはいかなかった。だから、頭に血の昇った単細胞城塞に攻撃させ、力の誤認を目論んだのである。


 ブラウン兄妹を始末しなければ、こういった面倒は回避できていたかもしれないが、それは選択できなかった。彼らを生かしておけば大混乱が発生すると分かり切っていながら、その不安要素を残しておくバカではない。


 思惑通り、誰も彼女の実力を見破れず、事態は硬直する。


 ミュリエルは襲いくる『城塞』を視界の端に収めつつ、状況が動き出すのを待った。メイド姉妹は、襲撃者が他に出ないよう周りを威圧する。


 こちらから「暴徒の群れが近づいてきている」とあばく手もあったが、止めておいた。ブラウン兄妹を始末したと思われているミュリエルたちの言葉を、この場にいる面々が信用するとは考えられないからだ。それどころか、「暴徒の発生もお前たちのせいだ」などと言いがかりをつけられる可能性もある。


 『城塞』の攻撃音のみが響く、ピリピリした空気。並みの神経なら、意識を手放していそうなほどの緊張感。それが五分、十分と続く。


 きっと、この時の米国側の人間は、いつ状況が打開するのか頭を悩ませていたに違いない。


 その悩みは無駄に終わる。さらなる問題が舞い込むことで、それどころではなくなるために。


「大変だ! ……って、なんだ、この状況は?」


「手短に説明するのは難しい。それより、何が大変なんだ?」


「あ、ああ。実は――」


 ホールの外で動いていた『智者プロフェッサー』が、慌てた様子で入室してきた。


 最初こそホール内の惨状に瞠目どうもくしていたが、『超人』に促されたこともあって、冷静さを取り戻す。


 それから彼が語ったのは、まさに暴徒の大群のことだった。ここに来て、ようやく彼らも新たな危機を認識した。


 米国アヴァロンの住人の大半が襲いかかってくる。その事実を知った人々はわめき出す。


 無理もない。一千万を超える暴徒と相対するなど、勇者でも泣いて逃げ出す展開だ。いや、むしろ、勇者ゆえに、そのような無謀は犯さないだろう。実際、この場にいる誰よりも、『救世主』たちの顔色は悪い。どれくらいの危機に直面しているか、もっとも理解しているのだと分かる。


 強制的に頭を冷やされた『城塞』は、ミュリエルに繰り出していた手を止め、しかめっ面で『智者』に問う。


「逃げらんねぇのか?」


「無理だ。一都市全員が敵に回ってるんだ、逃げ道なんてあるはずがない」


「地下を使うのは?」


「そっちも埋まってる」


「じゃあ、飛ぶのは?」


「暴徒の中には勇者もいるから、異能で叩き落とされる」


 『超人』と『城塞』が次々と逃亡案を出していくが、『智者』はすべてをバッサリと切り捨てた。誰も、自分たちだけで逃げる選択を出さない辺り、『五つの流れ星シューティング・スターズ』のお人好し度合が滲み出ている。彼らだけなら逃げ切れる可能性もあるというのに。他の国の『救世主』では、こうはいかないだろう。


 討論が進むにつれ、『五つの流れ星』三人の顔は青に染まっていく。


 現状が逃げ場のない断崖絶壁だと、嫌でも実感してしまったのだ。それも死地と評しても過言ではないレベルの。


(当然よね。ただでさえ一千万人なんて相手にできないのに、足手まといの政治家たちや敵っぽいアタシたちまでいるんだもの)


 議論を白熱させる『救世主』たちを、他人ごとのように眺めるミュリエル。


 彼女としても、今の状況は危機的のはずなのだが、何故か余裕が窺えた。それはミミやムムも同様で、周囲に警戒を払いながらも緊張感はない。


 ミュリエルには明確な目的があった。時間稼ぎであろう暴徒騒ぎを、一刻も早く鎮静化すること。それが一総の助けになると信じているのだ。


 事態の収拾においてもっとも手っ取り早い方法は、その元凶を潰すこと。今回の場合、雲隠れしているミシェル・ブラウンの仕業のため、すぐに叩きのめすのは難しい。かといって、暴徒全員を鎮圧するのも無謀すぎる。


 では、どうするべきか。


 ろくに作戦を考案する時間のなかったミュリエルが導き出した答えは、ブラウン兄妹が顔を見せざるを得ない状況を作る、というものだった。


 ゆえに、目になりそうなブラウン兄妹の分身を先んじて潰したし、メイド姉妹と協力して、この場を覗けない結界を張っている。今こそ警戒して近寄ってこないが、暴徒との乱戦に陥れば、きっと様子を見に来るはずだ。


 そして、『救世主』たちが大した対策を取れぬまま、暴徒の第一陣が会場へ到着する。


 すなわち、一総が蒼生あおいを追ってから五分後。暴徒たちの怒号とともに、大きな地震が会場を揺らした。

 

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