007-4-03 予定調和

「……許可しよう。キミらの手に負えないようだったら、『五つの流れ星』も手を貸そう」


 超人の言葉を確認した直後、天童てんどうはすぐさま行動を起こした。


「ふふふ。では早速、外で待機している兵たちを差し向けましょう。伊藤いとう一総かずさ、あなたたちは最早もはや罪人よ。逃げても無駄なんだから、大人しくお縄につきなさい!」


 彼女の浮かべる笑みは、心底意地の悪いものだった。到底、深窓の令嬢が作る表情とは思えない。


 じきに、ホールの外から騒音が聞こえてきた。すでに無線で指示を与えていたようで、会場を囲んでいたフォースたちが雪崩れ込んできている。この場に到着するまで秒読みといったところ。


 絶体絶命のピンチと言って差し支えない状況だ。


 一総たちにとって、自らを捕縛しようと企む連中を一掃するのも、この会場──それどころか米国自体から逃亡するのも容易い。だが、そのようなことをしても、その後に安心は得られない。


 ワールド・コーポレーションの関係者を害したという冤罪をかけられたのだ。きっと、米国側は一総らを指名手配するだろうし、日本も庇ってはくれない可能性が高い。


 かの会社の権力を考慮すると、現時点で世界中が敵に回ったと想定するべきだ。であるなら、天童の言う通り、逃亡は無駄な行為だった。


「はぁあああ」


 面倒くさい展開に、一総は大きな溜息を吐く。それは天童や『五つの流れ星』の面々など、ホールにいる全員の耳に届くほど盛大なものだった。


 彼のあからさまなバカにした態度に、米国側の輩は表情を歪める。


 天童は鼻で笑った。


「ふん。どうしようもない事態に直面して、自暴自棄にでもなったの?」


 天童の瞳は侮蔑の色に染まっていた。ただ、その奥に僅かな動揺が見え隠れしている。


 手加減したとはいえ、彼女は一総の威圧をその身で受けたのだ。彼の動じない姿を見て、一抹の不安が拭えないのだろう。先の「一総に恐怖している」との発言は、あながち嘘ではないのかもしれない。


 天童の言を受け、一総は肩を竦める。


「そんなわけないだろう」


 この程度の追い込みで自暴自棄に陥るなど、天地がひっくり返ってもあり得ない。


 そも、前述していたように、天童の行動や発言は全部予想していたのだ。予想通りの展開に動じるわけがないし、対策を講じていないはずがない。


 絶体絶命のピンチは、必ずしも“詰み“ではない。特に、世界最強たる『異端者』にかかれば、簡単に危機を覆せる。


 とはいえ、今回は『異端者』の力は使わない。この程度の状況、一総の力を明かさずとも解決できる。


 彼は一言呟いた。


「ムム」


「かしこまりました」


 事前に作戦を共有していたムムは一総の横に立ち、一礼してから術式を展開する。


 突然の異能の発動に、その場にいた勇者のほとんどが身構えたけれど、誰も止めなかった。というのも、『超人オーバーマン』が手で制止をかけたからだ。


「危険はない。様子を見よう」


 『五つの流れ星シューティング・スターズ』のリーダーの鶴の一声もあり、ムムの術は無事に発動する。


 それは映像を映し出す類の異能だった。会場のどこからでも見える高さに、半透明の球体が出現する。それから、とある人物が投影され始めた。


『如何にも敬語に慣れていないといった感じね。これだから労働階級の者は下賤なのよ』


 果たして、それは天童あかりだった。この映像は蒼生あおいたちが彼女と初めて出会った時のもので、ムムの記憶を元に放映しているのだ。


 あの時の一部始終が流され、米国側の面々は大いに動揺した。おそらく、普段の天童は猫をかぶっていて、変わり果てた彼女の態度に驚いているのだろう。


 天童も、慌てた様子で周囲に弁明しているが、一総たちは手を緩めない。


「ミミ、村瀬」


 今度はミミと蒼生を呼び出す一総。


 ミミは妹と同じ術式を編み出し、蒼生へ向けて発動した。


 再び映り出す過去の記憶。それは、天童が問題にしていた昨日の一件だった。


『何度見ても、忌々しい顔の庶民ね』


 吐き捨てるような天童のセリフから始まり、その映像は一総たちがトイレから立ち去ったところで途切れた。


「「「「「………………」」」」」


 ホールに痛々しい沈黙が帳を下ろす。


 米国側の冷たい視線は、すでに向ける方向を変えていた。視線の先は、無論天童あかりである。


 彼女は大量の冷汗を流していた。


 今回の事件は、元々証拠がなかった。当事者の説明でしか、何があったのか証明する術がなかった。後ろ盾が確かな天童の訴えだからこそ、成立していただけ。天童の証言を信用したからこそ、米国側は一総たちの敵に回ろうとしたわけである。


 しかし、その前提は、一総たちが記憶映像を見せることで崩された。問題があったのは天童の方で、一総たちは身を守ったにすぎないと証明したのだ。いくら米国アヴァロン内でワールド・コーポレーションの地位が高かろうと、一国の代表を言いがかりで逮捕できるほどではない。


 沈黙の支配する空間。一総は周囲の空気など気にも留めず、補足し始める。


「一般人の彼女に対し、あの威圧は度がすぎていたとは認めます。その点は謝罪しましょう。ですが、我々が一方的に悪者だった事実はありません」


 こちらにやましいところはないと断言する姿に、他の人々は揺るがされた。ざわざわと小声で意見を交わし合っている。


 彼らの話す内容は言わずもがな。誰もが一総側の支持に鞍替えしており、形勢は逆転していた。


 ただ、ここまで事を大きくした天童が、簡単に身を退けるはずはなかった。


 彼女は身を乗り出し、必死に状況の打開を試みる。


「お待ちください。今の映像は偽物です。彼らは自らの罪を隠蔽し、私をおとしめるため、捏造した映像を見せているんです!」


「偽物だって証拠はない」


 そこへ、米国側で彼女をもっとも嫌う『智者プロフェッサー』が口を挟んだ。


「本物だって証拠もありません!」


「それを言うなら、あんたの証言が事実である証拠もないな。映像である分、伊藤一総側の方が信憑性は高いぞ」


「動画編集ができるように、あの映像も改竄かいざんした代物の可能性があるじゃないですか。一方的に片方を信用するのは不公平かと──」


「先程の映像は、霊術による記憶の投影だ。それを改竄するには十年単位の修練を積むか、他種の異能と組み合わせるしかない。術式を発動した彼女たちは十七歳のシングル。逆立ちしても映像の改竄なんてできないんだよ」


「なっ……」


 『智者』の一刀両断に、天童は反論の言葉を失う。


 異能のプロフェッショナルである『救世主』に不可能だと言われてしまった以上、一総たちの証拠が確かなものだと保証されたのと同じだった。


 ただ、訂正しておくと、『魄法はくほう』を修めているメイド姉妹は、記憶映像の改竄を容易く行える。今回は何もしていないし、混乱を招くだけなので、余計な口出しはしないけれど。


 趨勢は決した。『智者』の発言により、どちらに正義があるのかは自明だった。


「ウィリアム、そちらを頼む」


「おう」


 『超人オーバーマン』がそう『城塞キャッスル』に指示を出すと、彼は即座に行動を起こし、天童の傍らにいた兵士を押さえ込んだ。


「グレイ……はもう動いてるか。さすがだな」


 『智者』はすでにホール内から姿を消していた。こちらに迫っていた百の兵の対応に向かったのだ。


「マイケルとミシェルはその場で待機だ。キミらは天童あかりの立場に近い。悪いが、一歩も動かないでくれ」


「りょーかい」


「仕方ない」


 命令を下されたブラウン兄妹の返答は淡白だった。婚約者といっても政略上のものなのだろうが、この反応の薄さは些か不気味だ。


 一総がかの兄妹を警戒しているところ、一通りの指示を終えた『超人』は彼らの元へ近づいてきた。


 そして、彼らの目前の到着した途端、首が吹っ飛んでしまうのでは? という勢いで頭を下げた。


「キミたちにいらぬ嫌疑をかけてしまい、申しわけない! 謝って済む問題ではないことは重々承知しているが、どうか怒りを収めてほしい。オレにできることなら、この命を差し出す以外は何だってする。この通りだ!」


「あー……」


 必死な様子で謝罪をする『超人』に対し、一総は困った風に頬を掻いた。


 定番の茶化し文句を口にする絶好の機会なのだろうが、彼はそういう性格ではないし、ふざけられる空気でもない。


 あわや国際問題に発展しかけたのだ。『超人』がこういった発言をするのは無理もなかった。


 そこまで慌てるなら、最初から向こうの肩を持たなければ良いものの……と言いたいところだが、それだけ米国アヴァロンの中枢にワールド・コーポレーションは食い込んでいるのだろう。あの対応が、米国の『救世主』のトップとして迫られた決断だったのは想像に難くない。


(あれだけ勇者産業に消極的だったのにな)


 一総は心のうちで苦笑いする。


 彼が家を追い出される数年前まで一切勇者関連事業に手を出しておらず、今も、表向きは勇者と一線を引いているスタンスの瀬海せかい


 あの連中が『ブランク』と組んでまで何を望んでいるのか、一総は純粋に疑問だった。


 とはいえ、今はその謎を解消している場合ではない。今もなお頭を下げ続ける『超人』に何と声をかけるべきか、一総は頭を捻った。


「頭を上げてくれ、トーマス。オレは怒ってないし、キミに何かしてもらわなくても、これ以上の問題にするつもりはないよ」


 結局無難な言い回しをした。変に繕った方が、妙な勘違いを生んでしまうと考えたためだ。


 それに、嘘は言っていない。天童の決行した穴だらけのゴリ押し作戦に呆れはすれど、怒りは湧いていない。このような些事で、日本と米国の間に亀裂を生むような事態も望んでいない。


 裏から多少の圧を瀬海へかけるつもりはあるけれど、今回の件はこれでお終いにする気満々だった。


 しかし、『超人』としては、何もしないわけにはいかないらしい。しつこく贖罪しょくざいをしたいと食い下がってくる。


 気にしてない、それでは申しわけが立たない。そういった問答を繰り返すこと十分程度。借りひとつということで、ようやく『超人』は折れてくれた。


 最初は多額の慰謝料や米国アヴァロンのポストを用意すると提案されていたので、これでも、かなり削ることに成功した。


 一総の求めるのは平穏な日常であり、そのような厄介ごとの種になりそうな代物など、まったくもって欲しくはないのだ。


 天童の奸計を退けるよりも、『超人』との交渉の方が疲れたかもしれない。


 そう内心で考えながら、改めて状況確認を行う。


 ホール内に変化は少ない。天童は呆然と座り込んでおり、ブラウン兄妹を含めた『救世主』たちにも動きはない。動きらしい動きは、政府関係者らがコソコソと話し合っているくらいだ。


 ホールの外は大きく変わっている。『智者』が上手く立ち回ったようで、百もいたフォースの兵士たちは綺麗に撤退していた。


 一悶着あったものの、おおむね交流会は成功したと判断して良いはず。


 一息吐き、癒されるために恋人たちの元へ向かう一総。


 笑顔で迎え入れてくれる彼女たちを見ると、彼も自然に頬が緩む。やはり、日常こそが自分の帰るべき場所だと実感する。


 ところが、運命はそう容易く一総に安寧を与えてはくれなかった。


 彼がミュリエルたちへ「一段落した」と声をかけようとした瞬間、言い知れぬ感覚が背筋を凍らせた。彼のよく知る、彼ともう一人しか味わえない時を刻む感覚・・・・・・


 対抗策は練っていたはずなのに何故?


 そんな疑問を考える余地はない。一総は引き延ばされる体感に焦燥感に覚えながら、急いでひとつの異能を発動する。





「【時間停止クロック・キープ】!」





 詠唱破棄する余裕すら、今の一総にはなかった。

 

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