007-5-01 八つ目の世界
時は
彼は研究エリアの端に転移したらしく、前方二十メートルほどに例の門が見受けられる。そして、その門の側には二人の人影があった。
ひとつは言わずもがな。一総がここに来た理由である蒼生その人。拐われたにしては大人しく立っており、外傷も見られない。
もうひとつは、蒼生をここまで連れてきた犯人。一総以外の次元魔法の使い手である『始まりの勇者』だった。
『始まりの勇者』の姿を認めた時、一総は僅かに目を
大衆に知られる『始まりの勇者』とは、黒髪短髪で痩身の日本人男性のはずだ。五十年前の当時で二十台半ば。順当に歳を食っていれば、今は七十歳を超える老人である。
にも関わらず、目の前にいたのは、自分よりも年下の少年だった。柔らかい茶の髪と微かに赤らむ頬を持った十二、三歳程度の男児。あどけない表情が、今の場の空気と乖離している。
ただ、一総が驚いたのは、外見が大きく変貌していたことではない。勇者にとって容姿の変化は稀に起こり得る現象なので、
問題なのは二点。
一点は、少年──『始まりの勇者』と面識があったということ。
そして、二点目。これが最大の驚愕箇所なのだが────『始まりの勇者』は、一総よりも格段に強者だった。
ひと目で理解できる。彼の内包する圧力は、一総を数段上回るもの。
以前は、これほどの圧は感じなかった。実力を隠していたのか、短期間で成長したのか。真相は分からないが、蒼生の奪還が一筋縄ではいかないのは確か。
「ふぅ」
ひとつ深呼吸をし、強張っていた体をほぐす。
自分より強い敵を相手にするなど、今さらなことだ。久方振りの経験ではあるが、強大な敵に立ち向かうことは、決して初めてではない。
それに、『始まりの勇者』は一総よりも前から勇者として活動している。しかも、今は
だから、大丈夫。これは想定内のトラブルだ。
心の
すると、タイミングを見計らったように、一人の拍手が鳴り響いた。
「さすがは『異端者』だね。かなり本気で威圧したんだけど、一瞬で平静を取り戻すなんて。あの神が認めるだけあるよ」
揚々と語り始めたのは『始まりの勇者』だった。
彼は場違いなくらい陽気な声を上げる。
「さて、本来なら多少の雑談に興じたいところだけど、ボクも時間の余裕がなくてね。前置きなしに訊こう。──何の用で追いかけてきたかな?」
分かり切った問いかけだったが、それに込められた意図は察することができた。要するに、この問答を終えたら後戻りは許されない、と言っているのだ。
問答無用で戦い始めない辺り、向こうの傲慢さが窺えるけれど、これも強者ゆえの態度なのだと納得する。
今なら引き返せる。そう、命の危機を感じた本能が訴えてくる。
しかし、一総の答えは決まっていた。考えるまでもなく、彼は声を張る。
「村瀬を返してもらおう!」
死の危険性など知ったことか。これまでにも、死にかけたことは幾度と経験している。そんなことより、蒼生の身の安全が大切なのだ。彼にとって、彼女が隣にいない日常は考えられないものとなっていた。たった一年、されど一年。二人の毎日は、言葉で片づけられないくらい、大事な積み重ねだった。
迷いない一総の言葉に、『始まりの勇者』はヒュゥと口笛を吹く。
「愛されてるねぇ、『破滅の少女』は。じゃあ、『異端者』には絶望を味わってもらおうかな」
彼はイタズラっぽい笑みを浮かべると、片手を顔の横に掲げて小さく振った。それはまるで、背後の蒼生に前へ出るよう指示を出したみたいに。
──否。“みたい“ではなく、まさしく指示を出したのだった。『始まりの勇者』のジェスチャーに従い、目を伏せた蒼生が一総の前に歩を進める。
「村瀬?」
予想外の展開に、一総は訝しげに首を傾ぐ。
困惑する彼に、『始まりの勇者』は容赦のない現実を告げる。
「これからキミの相手を務めるのは彼女、村瀬蒼生だよ」
「……は?」
思わず固まってしまう一総。それくらい、『始まりの勇者』が口にした内容は信じられないものだった。
洗脳の類を疑い、急いで蒼生へ【走査】の異能を施す。彼女を発見した時点で、何も仕かけられていないと調べはついていたが、それ以外の可能性を考えつかなかったのだ。
そんな一総の反応を見て、『始まりの勇者』は愉快そうに大笑いする。
「あっはっはっはっはっはっ。まさか『異端者』がそこまで慌てるなんてね。『破滅の少女』は、思ってた以上にキミの弱点だったらしい」
彼が笑っている間も、一総は走査を続ける。見落としがないよう、頭のてっぺんから足の先まで徹底的に。
だが、蒼生から異常は何ひとつ発見できなかった。
困惑の晴れない彼へ、『始まりの勇者』は語る。
「『破滅の少女』には何の術もかけてないよ。だって、彼女はボクらの目的に賛同し、協力してくれることになったんだから」
「なんだって?」
これまた想定外の回答に、一総は蒼生の方を見る。
彼女は未だに視線を下に向けており、その表情は窺えない。
蒼生から真相を聞き出すのは困難だと判断した一総は、『始まりの勇者』へ問うた。
「目的とは何だ?」
敵が事実を語るとは限らないが、他に情報源がない以上は仕方がなかった。
すると、『始まりの勇者』は「嗚呼」と両の手を合わせる。
「そういえば、ボクたち『ブランク』が何を目指してるのか、キミには話してなかったね。断片的には知ってるようだけど……いい機会だし、ここで伝えておこう。ただ、さっきも言った通り、時間の余裕はないから手短になるよ」
どこか茶化した雰囲気を出しつつ、『始まりの勇者』は説明を始めた。
八つの世界はそれぞれ異なる理に支配されており、それらが後に生まれる世界の理となった。
一、
二、
三、
四、
五、
六、
七、
八、
この八項目こそ、『原初の理』と呼ばれる全世界の根幹。神座と八つの世界を中心に、世界群は拡大していった。
ところが、ひとつの世界が、世界群の成長を阻害するようになる。
はたして、それは『終の理』を司る世界だった。かの世界の本来の意義は、世界が増殖していく中で現れる
結局、神の手により『終の理』は削除され、『原初の理』は七つに減った。
とはいえ、完全抹消できたわけではなかった。『終の理』は七の細かいカケラとなって四散し、世界の終焉に現れる
──そう。蒼生が習得している滅世異能とは、元々は世界の法則そのものだったのだ。理と等しい力なれば、世界を滅ぼせるのも得心がいく。
ここまでは、以前に『空の部屋』の主である神より話を聞いていた。ここからは『始まりの勇者』が明かす内容。
「ボクはね、この世界を九番目──いや、八つ目『原初の理』の世界、『
「八つ目の、『原初界』?」
突拍子のない話題に一総が眉をしかめると、彼は両腕を大きく広げる。
「『原初界』は、他の世界と比較しても強大な力を内包してるんだ。キミにも分かりやすく例えるなら、ミュリエル嬢の故郷である
「まさか、あんたたちが『鍵』とやらを持ち込んでいたのは……」
『始まりの勇者』の言葉を受け、一総は霊魔国での騒動を想起する。
一連の事件の黒幕は『ブランク』所属のグゼという男であり、彼の本来の目的は“『鍵』を世界の中心に差す”ことだったと聞いた。
これまでの話を繋げると、『ブランク』は『原初界』すべてに鍵を差しており、それがこの世界を八つ目にする下準備だと読める。
「その通り! 『異端者』くんは理解が早いから、無駄なお喋りをカットできて助かるよ」
大仰にリアクションを取る『始まりの勇者』。
それを一総は忌々しげに見る。
「ってことは、あんたらの計画にあった『楽園』の正体は、八つ目の『原初界』ってことか」
「そうだよ。新たな『原初の理』が誕生すれば、この世界も潤沢な力が満ちることになる。あらゆる資源不足は解消されるし、勇者と非勇者との
「エネルギー不足の解消は分かるが……」
一総は首を傾いだ。
前者の問題は、多量の新エネルギーによって解決するだろう。異能の源の恩恵によって資源不足とは無縁の世界は、彼も度々目にしている。だが、後者はどう繋がるのか、いまいち理解に及ばなかった。
一総の反応を見て、『始まりの勇者』はわざとらしく手を叩いた。
「そういえば、まだ教えてなかったね。この世界が『原初界』になるということは、すなわち異世界と同質になるってことなんだ」
「………………ッ!?」
『始まりの勇者』の意図が読めず、何秒か思考を回す一総だったが、その真意に気づくと
「うんうん、『異端者』くんなら気づいてくれると信じてたよ」
かの勇者は愉快げに
その清々しい笑顔が憎たらしく、一総は吐き捨てるように言う。
「この世界の人間すべてを勇者にするつもりかッ」
要するに、この世界の全人類に異能を与えてしまおう、という魂胆なのだ。
確かに、平等に異能を持つのなら、差別などは減少するかもしれない。しかし、いくら何でも強引すぎる。今でこそ世界は安定しているが、それは犯罪に手を染める勇者──魔王よりも止めに動く勇者の方が多いため。全人類が異能者になったら、今のバランスが崩れてしまう。その先に待つのは、弱肉強食の
彼らの目指す未来に大きな危機感を持つ一総だったが、『始まりの勇者』はお構いなしに話を続ける。
「ただの勇者じゃないよ。この世界を“八つ目“にするための方法は特別仕様でね。『門』を通じて全『原初界』と『神座』を繋げ、この世界自体の位階を上昇させるんだ。だから、今までの勇者の比にならないくらい、強力な力が手に入る。うーん……神に近づくって表現するのが適当かな。言うなれば、『天使』になるのさ」
彼の飄々とした語り草とは異なり、その内容は常軌を逸していた。この世界の人間全員を勇者にするどころか、人外に昇華させると
頭が痛くなるのを感じながら、一総は静かに問う。
「で、そこまでして、あんたは最終的に何がしたい?」
「うん? 今語ったのが、計画の全貌だけど?」
「惚けても無駄だぞ」
『始まりの勇者』はキョトンと小首を傾いでいたが、一総はバッサリ切り捨てた。
この世界を八つ目の『原初界』にする。一見すると、これが最終目標に思える。だが、ここで終わりだとは到底考えられなかった。神から『神座』を奪い、世界群すべてを巻き込んだ彼の目指す代物が、世界ひとつの改編のみのはずがない。
一総が鋭い眼光で睨みつけていると、『始まりの勇者』はニヤリと口角を歪ませた。
今までの笑顔とは質が異なっていた。今までが“少年の無邪気な笑み“であるのなら、今のは“執念に囚われた老獪の浮かべる粘着質な笑み“だろうか。背筋の凍える彼の本質が垣間見えた気がした。
「残念、時間切れだ」
『始まりの勇者』が返したのは、一総の質問への答えではなかった。
彼が言葉を吐くのと同時、彼らの背後にあった『門』が震え出す。幾重の光の筋が走る様子から、『門』が起動したのだと理解した。
振動は『門』に留まらない。次第に地面や施設全体へ伝播していき、立っているのもやっとなほどの揺れに変化する。そして、『門』の内側──入口が閃光を放ち始めた。
まばゆい光のせいで、入口の向こう側は見通せない。でも、【次元魔法】を扱える一総は、感覚的に『門』の繋がる先を理解した。
八つの異世界の存在が認められる。内七つは『原初界』だろう、一総にも覚えがある座標だった。
覚えのない最後のひとつは、先程の会話から察するに『神座』。『門』越しでも圧倒される存在感があった。
異変は、それだけでは収まらない。
(膨大なエネルギーが流れ出てるッ)
『原初の理』がこの世界へと流出していた。元々の世界で際限なく溢れていた力は、容赦なくこちらの世界を満たしていく。
ひとつの世界でも十二分なのに、それが七つも。世界が
敵の思う通りに運ばせるわけにはいかない。そう、一総は『門』の破壊へ動こうとするが、彼と『門』の間には蒼生が立ちふさがっていた。
「どいてくれ、村瀬!」
「……」
一総の声に対し、蒼生は俯いたまま。ただ、こちらの動作に警戒はしており、『門』への接近は牽制されていた。
打開策を練る暇もなく、『始まりの勇者』は意気揚々と言う。
「さあ、はじめに説明した通り、キミには『破滅の少女』と戦ってもらうよ。『破滅の少女』、昨晩も言ったけど、彼の打破がキミの入団試験だ」
「昨晩だと?」
『始まりの勇者』のセリフに、一総は耳聡く反応した。
まるで昨日のうちに交渉済みであるような物言いに、彼は怪訝な表情を浮かべる。
『始まりの勇者』は語る。
「次元魔法使いの先輩としてアドバイスしておこう。【時間停止】の察知は、分身には難度が高いよ」
「チッ」
一総は舌を打った。
今の言葉ですべてを察したのだ。『始まりの勇者』は、一総が昨晩街を駆け回っていた間に蒼生と接触しており、その時に彼女と何らかの取引をしたのだと。
分身の見張りでは甘かった。彼の【次元魔法】の腕前は、完全に一総の想定を超えていたのだ。
彼が自分の不甲斐なさを悔いている間にも、事態は加速度的に悪化していく。
目前の蒼生を見つめ、一総はひとつ深呼吸をした。
悩んでいる場合ではない。あの『門』を止めないと、取り返しのつかない状況に陥る。
千の異世界を渡った一総の決断は早かった。断腸の思いには違いないが、クヨクヨと悩む時間はなかった。
「村瀬、覚悟はできてるな?」
「……私にも譲れないものが、ある」
一総の最後通牒に、蒼生はその綺麗な
彼を見据える彼女の瞳は真っすぐで、否応にも抱いた覚悟が伝わってくる。
(そんな泣きそうな顔で言うなよ……)
いつもの無表情に見えるが、一総には蒼生の悲哀が理解できた。彼女も、この対峙は望んでいなかったと分かる。
退けない事情があるのだろう。しかし、一総も退くわけにはいかない。
示し合わせたかのように、二人は身構える。
いつも隣にいた二人が、今ぶつかり合おうとしていた。
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