007-5-02 暴動の裏で(前)
暴徒の先遣隊が会場に突入してからは、あっという間に事態は動いていった。ホールに正気の者が集ってバリケードを張ったものの、その物量差には焼け石に水にすぎない。『
米国の勇者らはよく頑張っている。普通なら五分と持たないところを、十分以上も維持しているのだから。
ちなみに、ミュリエルたちは手を貸していない。緊急時とはいえ、敵認定されている彼女たちを自由に戦わせるほど、彼らは自暴自棄にはなっていなかった。
かく言うミュリエル側も、何もするなという提案は渡に船だった。彼女たちにとって、現状の最優先事項は元凶の排除。ミシェル・ブラウンの捜索に集中できるのは喜ばしい。
戦うメンバーは徐々に減少して、残るは十人ほど。ホールはとっくに崩壊し、野ざらしの場所を囲まれている。逃亡経路など存在せず、敵の大群に睨まれていた。
もはや詰みだ。この状況からの逆転は一介の勇者には不可能。それこそ、
米国側の人間の誰もが絶望に染まっていた。一般人らは地面にへたり込んでおり、戦っている勇者たちの顔色も暗い。
そのような切迫した場でも、ミュリエルたちは平然としていた。自分たちのなすべきことのため、極限まで集中力を高めている。
そうして、いよいよ戦線が瓦解し、暴徒の波に呑まれようという瞬間。ミュリエルは小さく呟いた。
「見つけた」
彼女は遥か彼方を見つめ、僅かに頬を緩ませた。
それから、ミミとムムへ指示を出す。
「後はよろしく」
短い言葉とともに、ミュリエルはその場から飛び出す。文字通り、空を駆ける。
急を要するので簡潔すぎる指示になってしまったが、あの二人なら問題なく対処してくれるはずだ。何と言っても、彼女らは
実際、メイド姉妹は期待に応えてくれた。【
敵に空間魔法使いがいない以上、いくら数が多かろうとメイド姉妹の相手ではない。彼女らの扱う
未だ姿の見えないマイケル・ブラウンの動向が気がかりではあるけれど、あの二人なら大丈夫だと信じよう。
ミュリエルは十年のつき合いである従者を信頼し、飛ぶ勢いを加速させる。ただでさえ風を切る速度だったのが、ついには音を置き去りにした。飛んだ瞬間から【精霊化】と【神罰:
飛翔すること数秒。ミュリエルは目的の場所に辿り着いた。
米国アヴァロンの最東端。視界をずらせば米国の大地が窺える断崖絶壁。場所が場所なだけに建物は疎らで、本来なら警備員以外に人影は存在しないはずだった。
しかし、今は違う。この場には、警備員とは異なる先客が待ち構えていた。
その人物は、ミュリエルが地に足をつけると同時に、彼女へ声をかけてくる。
「あたしの居場所を見つけるなんて、やるね〜。さすがは霊魔国きっての天才。異世界人のくせに『
場にそぐわぬ軽口を叩くのは、ミシェル・ブラウンだった。
浮かべる人懐っこい笑みや派手な衣装は変わらない。ところが、彼女の瞳の色は違った。獲物を前にした肉食獣の如き、ギラギラした欲望を湛えていた。
「そんな黒々とした気配を漏らしておいて、よく言うわよ。こちらの狙いを理解していた上で、わざと顔を出したのでしょう?」
「あ、バレた? でも、やるなって思ったのはホント。あの大混乱の中で簡単に探れない程度には、気配は抑えてたし」
ミュリエルが呆れた風に返すと、ミシェルは
まるで親しい友人に向けるような喋り方だが、実際のところは敵意満々だ。彼女が声を発する度に、重苦しい圧が降りかかる。ミュリエルほどの実力者だからこそ、平然としていられるのだった。
「暴徒たちを止めなさい。あなたが操作しているのは分かっているのよ」
まだ戯言を続けようとするミシェルを制し、ミュリエルは要求した。
敵意をまったく隠していないのに悠長な会話を続けるのは、時間稼ぎを望んでいるとしか考えられない。こちらが早急な事態の収束を願っている以上、呑気に敵の思惑に乗るわけにはいかなかった。
すると、ミシェルは肩を竦める。
「つれないなぁ、ミュリエルは。もうちょっと雑談を楽しんでもいいんじゃない?」
相も変わらず、ふざけたことを宣う彼女。
だが、もはや、ミュリエルにそのような無為な時間につき合う気概はなかった。
「【神罰:
返事の代わりと言わんばかりに、攻撃を見舞う。彼女の詠唱に合わせ、ミシェルのいた場所から白炎が燃え上がった。
魄火の炎は、霊力を高濃度圧縮した代物。当たれば最後、対象の魂が燃え尽きるまで燃え続ける。まさに一撃必殺の攻撃だった。
ただ、ふざけた言動をしているとはいえ、相手も『ブランク』に所属する者。このような不意打ちで倒れるはずもない。
「うわっ、あっぶないなぁ」
殺気を捉えたようで、その場からバッと飛びのいて魄火を回避した。火の粉ひとつ付着しなかった辺り、かすっただけでも
「【神罰:
ミュリエルは霊剣を生み出し、身体強化の神罰を施すと、間髪入れずにミシェルへ接敵した。
事前情報によると、彼女は
瞬時に間を詰め、ミシェルを袈裟斬りに払い捨てる。
長年剣の修練を積んできたミュリエルが完璧だと胸を張れる、渾身の一撃だった。
しかし、彼女は安堵しない。逆に強烈な危機感を覚え、即座に身を翻した。
直後、先程まで彼女の頭のあった場所に、拳大の光線が走る。あのまま残心していたら、間違いなく死んでいた。
見れば、少し離れた位置からミシェルが杖を構えている。
どうやら、いつの間にか幻覚を見せられていたらしい。気取らせず術中に落とすとは、予想以上の腕前だ。
背筋に冷たいものを感じつつ、ミュリエルは次なる手を打つ。
「【神罰:
彼女の周囲に、手の平サイズの霊球が三つ現れる。
この球は砲台であり、彼女の身を守る盾だった。三つの球体は自在に宙を舞ってレーザーによる攻撃を放ち、ほぼ自動でミュリエルへの攻撃を防ぐ。
今回は防御重点で設定する。これで、幻覚からの不意打ちは解決できるはずだ。
再び攻撃に繰り出すミュリエル。
対するミシェルは、同じ手は通じないと察したようで、別の異能を発動した。
「【プロテクト】、【
勇者なら誰でも知る、汎用的な魔法だった。前者はバリアを張る防御魔法、後者は対象の
こちらの身体強化を消し、威力の落ちた斬撃をバリアで受け止める。そういう作戦なのだろう。バリアに向かって素の攻撃を打ち込めば、硬直からの反撃を高確率で狙える。無難だが、安定した作戦だった。
だが、ミシェルの作戦は通りなどしない。何故なら、【神化】は通常のディスペルの影響を受けないためだ。つまり、攻撃の勢いは一切落ちることなく、彼女の展開した防御を粉砕する。
「ぐっ」
霊剣は深々とミシェルの体を斬り裂いた。右腕のつけ根がザックリと割れる。【プロテクト】が多少の緩衝材になっていた模様で、腕を斬り落とすには至らなかった。
とはいえ、敵に先手を打って大ダメージを与えたのは間違いない。ここは一気に押し切ろう。
ミュリエルはそう意気込み、再度霊剣を振るう。今度は闇の精霊魔法も発動し、周囲の地面から無数の闇の刃を殺到させた。
百八十度すべてを網羅する攻撃。逃げ場のない状況に、ミシェルはようやく顔を歪めた。
そして、ついに
「【
次の瞬間、ミシェルを中心に、辺り一体のものが吹き飛ばされた。闇の刃は掻き消され、ミュリエルも透明な壁に押し出されるよう、後方に弾かれる。
ミュリエルは何とか宙で姿勢を整えて着地した。それでも勢いは殺せず、大きく靴裏を引きずる結果になる。
ミシェルが放った先の異能の影響か、砂埃が霧のように舞っていて視界が悪い。
ミュリエルには何が起こったのかの、おおよその見当がついていた。
相手は空間魔法を使い、周囲一帯のすべてを弾いたのだ。修行の一環で、
今までもったいぶっていた異能を使わせたということは、敵を追い詰めている証左だった。
奥の手を切ってきた以上、少したりとも気は抜けない。そう心のうちで気を引き締めるのと同時、閃光が襲いかかった。
指先よりも細い糸のような光の筋が、モウモウと舞い上がる砂埃を裂き、ミュリエルの額へ目がけて走る。
光速のそれを、しかも視界不良の中で回避するのは至難のわざ。
しかし、精霊化をし、神罰を複数発動している今の彼女に、不可能なことなどほぼ皆無だった。
まず、【衛砲】の自動防御が働き、光糸の前に躍り出る。空間魔法だったらしい光糸は【衛砲】を難なく突破してしまうが、一瞬の攻防のお陰で僅かな猶予が生まれた。
あとは何てことない。【神化】で引き上がっている身体能力に任せ、頭を少し横にずらすだけだ。光糸はミュリエルの側頭部の横を通り抜け、背後の虚空へ消えていく。
その後も連続で光糸が放たれるけれど、一発目と違って不意打ちではないため、すべて余力をもって回避した。
四回目の攻撃が終わった直後、ミュリエルも反撃に打って出る。
【黒箱】
精霊化の特典により、予備動作なく展開される精霊魔法。彼女の上空に一筋の黒線が伸びたかと思うと、それを起点として大きな立方体が出現し、彼女たちを覆い隠した。
漆黒の舞台が完成すると、一瞬にして余計な不純物──砂埃や建物など──が消え去る。残るのはミュリエルとミシェルの二人だけだった。
ミシェルの様相は凄惨だった。先程斬り裂いた右腕は今にも胴体から落ちそうで、ダラダラと鮮血を流している。飄々としていた顔も、今や般若の如く歪められていた。
ミシェルは無事な左腕を掲げ、何かをしようとしているが、これ以上は余計な行動を許すわけがない。ミュリエルは、再びノーアクションで精霊魔法を発動した。
【影留め】
掲げられていた左腕に、無数の闇が突き刺さる。
伸ばした包帯にも似た闇の帯は、その見た目に反してとても鋭利だった。帯らは腕を貫通し、虚空に固定してしまう。そして、貫通した部分から侵食を始め、腕を黒く染めていく。
「チッ」
ミシェルの判断は早かった。侵食を許してはいけないと直感したのか、空間魔法で即座に左腕を斬り落としたのだ。
固定された左腕をその場に放置し、ミシェルは素早く後方へ飛び退く。それと同時に、こちらへ向かって、空間魔法の刃を数発繰り出した。
ミュリエルはそれらを【隔絶】で受け切るが、その間に相手は最低限の治療を済ませたらしい。おびただしく流れていた血は止まっていた。
このまま押し切れると思ったが、簡単にはいかないようだ。腐っても【救世主】を名乗っていたということだろう。
攻撃を再開しようとしたところ、ミシェルが口を開く。
「ねぇ──」
ところが、ミュリエルは手を止めない。精霊魔法による槍の雨と【衛砲】の砲撃が、ミシェルへと殺到する。
彼女は早々に決着をつけたいのだ。敵の話に耳を傾ける理由はなかった。
それらの攻撃を慌てて避けながら、ミシェルは舌を打った。
「チッ、話くらい聞けよ!」
「……」
今までの彼女らしくない悪態。こちらが素なのかもしれないが、ミュリエルは関係ないとばかりに無言で接近。霊剣で横凪に斬り払う。
完璧に捉えたかと思ったが、斬撃は避けられてしまった。おそらく、また幻術の類を仕かけられたのだろう。完全な術中にハマったわけではなく、ほんの一瞬──こちらの攻撃を逸らすためだけに使われている。威力こそ小さいが、テクニカルで的確な術の使い方だった。
(
加えて、常に複数の弱体化を施してくる。こちらも耐性付与はするのだが、その穴を突くようにバリエーションを変えてくるモノだから、防ぎ切れなかった。
そういった攻防もあり、ミュリエルの攻撃は決定打にならない。そのままズルズルと戦闘は続いていく。
その間も、何かとミシェルは会話を試みようとしていたが、諦めがついたらしい。溜息と共に吐き捨てる。
「もういいや。こっちが勝手に喋るから」
彼女はミュリエルの攻撃を回避しながら問う。
「あんた、あたしらの邪魔してもいいの? あたしらが目的を達成すれば、『異端者』は救われるかもしれないって言うのに」
その言葉に、ミュリエルの眉がピクリと動いた。
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