007-5-03 暴動の裏で(後)

「あんた、あたしらの邪魔してもいいの? あたしらが目的を達成すれば、『異端者』は救われるかもしれないって言うのに」


 その言葉に、ミュリエルの眉がピクリと動いた。攻撃の手を緩めるまではいかないが、明らかに興味を抱いた反応だった。


 それを見て、ミシェルは小さく笑う。


「あたしたちは、この世界を一段階上に昇華させようとしてるのよ。そうなれば、世界中の人々は上位の生命体に生まれ変わるの。その結果、どんな変化が起きると思う?」


「……」


 ミュリエルは返答する代わりに斬撃を放った。


 ミシェルはそれを紙一重で避け、あざ笑う。


「あはははっ、あんたには分かりっこないよね。特別に教えてあげる。勇者召喚が終わるのよ。この世界から勇者はいなくなるんだよ」


「……どういうこと?」


 手こそ止めなかったが、とうとうミュリエルは口を開いた。


「どうもこうもないって。この世界の人々は人間を止めるんだ。勇者は人間にしか務まらないんだから、必然的に勇者召喚は発生しなくなるってわけ」


「根拠がないわ。たとえ人間から昇華しても、勇者召喚は続くかもしれない」


「嗚呼、あんたたちは知らないんだっけ。勇者召喚がどうして発生したのか」


 ミュリエルの疑問に対し、ミシェルは哄笑をあげた。嘲笑を多分に含んだそれは、とてつもない悪意に満ちている。


 彼女は嗤う。


「勇者召喚はね、『神座』の管理者が不在のために起こったバグなのさ。本来なら神が修正する不具合を、この世界の人間が肩代わりしてたってわけ。この世界が昇華すれば、『神座』には新たな主人が誕生する。つまり、勇者召喚も必要なくなるのよ!」


「それって──!?」


 ミュリエルは目を見開いた。


 『神座』から神を追い出したのは『始まりの勇者』だ。彼は正式な後継者ではないため、『神座』の機能を十全に扱えていないと聞く。


 そこから導き出される答えはひとつだった。


「あんたたちは……『始まりの勇者』は、自身の私欲を満たすためだけに、世界中の人々を巻き込んだっていうの!?」


 勇者召喚のせいで命を落とした人数は途方もない。生き残れたとしても、その人生を翻弄された人ばかりだ。


 影響は、勇者当人だけでは収まらない。家族や友人は当然のことながら、異能の到来によって職を追われた者も多い。


 ミシェルの言い方から察するに、異世界の人々も被害を被っている。勇者の活躍は、元々神の仕事だと言うのだ。であるのなら、後者の方が混乱少なく問題を鎮静できていた可能性は高い。


 たらればの話にはなるが、『始まりの勇者』は世界群すべてを私欲に巻き込んだわけだ。計り知れない混乱を振り撒いて。


 十年前と先日の祖国の被害、そして一総かずさが数多に傷ついてきた経験。それを思うと、ミュリエルは怒りを抑え切れなかった。


 そのような彼女の内心など知らず、ミシェルは言葉を続ける。


「私欲って言い方は適当じゃないね。あの方には崇高な目的があって、それがもうすぐ叶うのよ。それと共に、あんたの愛しい人は今までの苦難から解放されるんだから、色々とお得じゃない?」


 きっと、ミシェルは心の底から『始まりの勇者』を敬愛しているのだろう。言葉の端々から昂る感情が窺える。


 おそらく、彼女の言うように、『始まりの勇者』はミュリエルの想像に及ばない壮大な目的を有しているのだろう。『神座』の存在自体、すでに理解の外にある。


 しかし、それらはミュリエルにとって、どうでも良いことだった。どこまでも上から目線のミシェルのセリフは、彼女の感情を逆撫でするだけだった。


「ふざけるな!」


 カズサや多くの人たちを傷つけておいて、今さら「元凶がなくなって良かったね」などと収まるわけがない。しかも、それを仕組んだ張本人たちが良い目を見る結果で。


 他人の命を、人生を、尊厳を、何だと思っているのだ。目前の敵は、どうしようもなく身勝手で下衆だった。


 我慢の限界を迎えていた。手加減をしたつもりはないが、もはや容赦をするつもりはなかった。


 ミュリエルは目の前にいる不快な女を消し去るため、これまで以上の力を解放しようと構える。


 ──だが、その力が形となることはなかった。


 彼女が技を放とうとする寸前、彼女らを覆っていた【黒箱】に亀裂が入る。それは瞬く間に全体へ広がり、ついには箱を全壊させた。


 ガシャンと陶器の割れるような音が響き、黒箱の破片が一帯に舞い落ちる。


 パラパラと黒片が舞う中、ミュリエルの前にドサリとふたつの影が落ちた。


 はたして、それらはミミとムムだった。


「ミミ、ムム!」


 ミュリエルは慌てて二人へ駆け寄る。


 彼女たちは外見こそボロボロではあったが、致命傷は受けていないようだった。命に別条がないことに、大きな安堵を覚える。


 メイド姉妹は、荒い呼吸をしながら体を起こす。


「ごめんなさいッス。あいつを抑え切れませんでしたッス」


「申しわけございません。ムムたちでは力不足だったようです」


 彼女たちの睨む先――ミシェルの横には、彼の兄であるマイケル・ブラウンが立っていた。黒いコートに黒いズボンという全身黒ずくめの彼は、多少傷は見られるものの、ほぼ無傷といって良い。


 ミュリエルたちが戦っている間、メイド姉妹はマイケルの相手をしていたのだろう。


 二人の力量を考慮すると、ここまで一方的に負けるはずはない。となると、何か姑息な手を使われたと見るべきか。


「力不足なんてことはない。あの人数を守りながら、よくオレの相手をしたさ」


 マイケルの言葉から、ミュリエルの推測が正しかったと証明される。


 どうやら、メイド姉妹は正気だった米国アヴァロンの人々を護衛しながら、彼と戦闘を繰り広げていたらしい。


 通常の状態でも拮抗している戦力だ。ハンデが加わっては、一方的にやられても仕方ない。


 卑怯だとは言えない。戦いとは勝った方が正義。その場にあるものを利用し尽くしてこそ、なのだから。


 それを理解しているから、メイド姉妹は悔しげに歯を食いしばるだけ。何も反論はしなかった。


 その代わり、ミュリエルが口を開く。


「じゃあ、ここから第二ラウンドね。あなたたち兄妹とアタシたち三人の戦いよ」


 ミミたちにジェスチャーで回復を促しつつ、好戦的に構える。


 しかし、向こうの反応は淡白なものだった。


「いや、時間切れだ。オレたちは撤退する」


「逃げる気!?」


 静かなマイケルの言葉を受け、ミュリエルは飛び出そうとした。


 ――が、それは叶わなかった。走り出そうとした一瞬、全身に鉛をまとったような重さを感じたためだ。


 思わぬ抵抗に、ミュリエルの踏み出す一歩は大幅に遅れる。


 そして、その隙に乗じて、彼ら兄妹は【転移】を発動してしまった。景色に溶けるよう、二人の姿は消えていく。


 ミュリエルがやっとのことで飛び出した時には、ブラウン兄妹は影も形も見えなくなっていた。


「逃げられたッ」


 敵の逃亡を許してしまったことへの不甲斐なさに、ミュリエルは地団太を踏む。


 一総から任されたことを達成できなかった悔しさ、勇者召喚の真相に対する怒りなど、大きな感情が彼女の中に渦巻く。


 だが、後悔していられる時間は短かった。


 突然、上空から鐘の音が聴こえてきたのだ。ゴーンゴーンと、教会で鳴り響くモノに似た大音声だいおんじょうが。


 何ごとかと、その場にいた三人は空を見上げる。


 そこにあったのは、想像だにしないものだった。


「何ッスか、あれ……」


 呆然と呟くミミ。ミュリエルとムムも、驚きで声が出なかった。


 上空には、まるで天国への扉のような、荘厳で美しく重厚な扉が浮かんでいたのだった。

 

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