008-2-10 掌上に運らす

 つかさが天使人形に何をしたのか。簡潔に答えるのなら、錬成術を使った。


 とはいえ、錬成術を受けつけない相手だったため、当然ながら普通の錬成術を行使したわけではない。


 錬成術とは、物質マテリアルを操作する異能である。物質の構造を理解し、分解や再構築をするのが基本だ。だから、魂へ仕かけを施していた天使たちに、錬成術による介入ができなかった。


 では、どのようにして錬成術で天使に影響を与えたのかというと、『ワールド・インシュレイション』を応用した。自分の思い通りの世界を作り出す『断界』の規模を縮小し、錬成術単体に作用させたのだ。


 世界を創造するほどのエネルギーをひとつの異能に集約させたのだから、その錬成術に膨大な影響が発生するのは必然だろう。それにより『術の対象を自分の支配下に置き、自在に書き換えられる』という、概念を侵食する異能が誕生した。


 要するに、先の一連は、天使人形の魂を無理やりあばき、情報を奪えるだけ奪った後はバラバラに粉砕した。そういう流れだったわけだ。


 最初から使えば良いと考えるだろうが、そう簡単な話でもない。対象の構造を把握しているならまだしも、不明瞭な点──今回は魂──がある場合は、侵食に要する時間が増えてしまう欠点があった。しかも、事前に侵食の必要時間は把握できない。


 ゆえに、防御手段の確保──『神座』の地面である謎物質が錬成できるまで、この手を使えなかったのである。実際、侵食の完了はかなりギリギリだった。


 ともあれ、出たとこ勝負の部分はあったが、司は賭けに勝った。敵の攻撃が届く前に侵食し終え、無事に天使人形のすべてをあばけたのだ。


 それはつまり、彼女らの不死性をも把握したということ。司の手の内に、ついに不老不死の手段が舞い込んだ証左だった。






 先程まで全身に剣が突き刺さっていたのに、一切の傷がない。かの攻撃は精神汚染の類も付与されていたが、不死性を施した司の魂は、まるで汚れていなかった。


 さすがに不死身になっても痛覚はあるので、未だ痛みによる怠さが残っているが、念願を叶えた歓喜が勝っていた。それこそ、無駄に敵の一斉攻撃を受けてしまうくらい、司は心底から嬉笑をほとばしらせていた。


「やっと……やっと叶えたぞ、カイン」


 敵前にも関わらず、司はかつての友への言葉を溢す。


 過去からの悲願。そして、未来への愛。その両方を叶えた彼女は、間違いなく有頂天だった。








 ひとしきり笑っている最中さなか、彼女の様子を窺っていたヴァンが口を挟む。


「あなた、いったい何をしたのですか?」


 その声音は困惑に染まっていた。


 当然だろう。今まで圧倒していた敵が、突如として、気が狂ったかのように高笑いしているのだから。加えて、手駒の一斉攻撃を受けても平然としていれば、彼視点では、司は名状し難い何かである。戸惑うなという方が難しい。


 しかし、司は気に留めなかった。先まで激戦を繰り広げていた天使人形たちを含めて、敵対者の一切合切を無視した。


 いや、正確には違う。彼女は喜びのあまり、周囲の存在をまったく認知していなかった。この時に限って、過去への郷愁と一総への愛情以外を忘れ去っていたのだ。


 これに関して、司を責めるのは酷だろう。何せ、十年来の悲願である。文字通り、心血を注いで研究してきたモノが大成したのだから、周りが見えなくなる程度は無理からぬもの。


 とはいえ、敵対者たるヴァンは、そのような事情を忖度するはずがない。まったく反応を示さない彼女に対し、少なくない怒りを溜めていた。


 そして、痺れを切らした彼は、手駒の天使らに命令を下す。


「全軍に告ぐ。全力を以って彼女を殺しなさい!」


 一体のみとはいえ、自慢の天使を倒された事実を考慮しての判断だった。


 意志なき天使たちに躊躇ためらいはない。ヴァンの指示に従い、自身の全技術を用いて司を殺そうと動きだす。ある者は新たな剣を現出させ、その一本に全エネルギーを注ぎ。ある者は二本の剣を構え、もっともダメージを負わせられる軌道を計算し。ある者は魔法円を展開し、周囲の被害を顧みない最大威力の魔法を構築し。九百九十九の天使人形が、各々で最適だと判断した必殺の準備を始めた。


 数が数だけに、彼女らの発する殺気はうねりを上げる。ただの精神的高揚が、物理的な空間の歪みを生んでいた。それくらい天使たちの主人への忠誠は強く、命令の実行に対する気概は高かった。


 その渦中にいる司へ向かう圧力は、相当なものだろう。彼女の立つ地面はきしみを上げ、パラパラと破片を散らしている。


 だが、とうの司は平然としていた。ずっと笑い続けており、周囲の状況の変化をまったく感知していない。これほどまでに、すさまじい力場が誕生しているというのに。


 敵の全力を前にしても気に留めない司に、もはやヴァンのハラワタは煮えくり返っていた。


 自分の創造した、最高傑作である天使人形たち不死の軍団を無視するなど、彼のプライドが許さなかった。『ブランク』に入る前から研究し続けていた成果を侮られ、黙っていられるはずがない。


「死体は、後の研究材料にしましょう」


 ヴァンはそう溢した。


 先の回復速度を考慮すると、次の総攻撃でも消し飛ぶことはないと思われる。ならば、残った体は有効活用するべきだ。もしかしたら、天使人形の改良に役立つ、新しい発見があるかもしれない。


 遠からず訪れるだろう未来を夢想し、彼は少しだけ溜飲を下げる。


 その妄想が皮算用にすぎず、絶対に到来しない未来だとは微塵も考えていない。自分は世界で一番優秀な研究者であり、その自分が創造したモノなら世界でもっとも強くて当然と、心の底から信じているのだ。無意識ながら、自分らのリーダーである『始まりの勇者』よりも強者だと思っているほど、彼の誤想は根深かった。


「やりなさい!」


 天使たちの準備が整い、ヴァンの合図とともに総攻撃が行われる。約半数の天使が司の肉体を剣で斬り刻み、残りの半数が魔法で蹂躙する。


 最初の数秒以降、爆風によって視界不良になってしまったが、それでも問題はなかった。あれだけの攻撃を受けて無事でいられるはずはなく、ボロ雑巾になった司の姿を想像するのは容易だったから。


 天使たちの攻撃が終わり、それから十秒ほど置いて、司の立っていた場所への視界が開ける。


 そこに横たわっているだろう彼女の死体に胸を躍らせ、ヴァンは目を凝らした。


 しかし、そのような都合の良い妄想は、現実に存在しない。爆風の去ったその場にいたのは、総攻撃前と変わらぬ状態で立つ司だった。


 変わった点と言えば、彼女のまとう着衣がほとんど吹き飛んでいることと、真顔でヴァンを睨みつけていることか。ヴァンの望んだ変化ではないのは間違いなかった。


「ば、バカな!?」


 予想外の事態に彼はうろたえ、何歩か後退した。


 幻を見せられているのかとも思ったが、その痕跡はない。いくら凝視しようとも、司が無傷なのは紛れもない事実だった。


 混乱しつつも、何とか現状を分析しようと試みるヴァンだが、その努力は続かない。


 次の瞬間。何の脈略もなく、彼の両目は爆ぜた。


「ぐあああああああああああああああああああ!!!!!!!!!」


 眼孔から大量の血を流し、ヴァンはその場で這いつくばる。血を抑えようとまぶた・・・を閉じて両手でそこを抑えるが、まったく効果を得られない。ボタボタと滴る血は、止まることを知らなかった。


 痛みと暗転による混乱のせいで情けなくあえぐヴァンだったが、不意に声がかかった。


「ったく。おれの裸を見ていい男は、世界で一人だけだっての」


 目の前より聞こえてきた。乱れた口調ではあったが、その声色は紛うことなく司。すぐ傍で、こちらを見下しているのだろう。


 ヴァンは言葉に詰まる。


 色々と疑問はあるが、現状を作り出したのは司で間違いあるまい。彼の目を潰し、天使らの目を掻い潜って接近してきた。しかも、戦闘音が聞こえてこないことから、何らかの方法で天使の動きも封じていると予測できる。


 あっという間に立場は逆転していた。先程まで手の中にあった勝利は、今や司の元へ移動している。


 ヴァンの中に、勝利への渇望は残っていなかった。研究者としての客観視が、絶望的状況を悟らせてしまっていた。


 ゆえに、彼は無駄な悪あがきをせず、ひとつの疑問を口にする。


「あなたは……何をしたのですか?」


 震える声で問うたのは、先刻と同じ質問。だが、今の司は正気だった。


 彼女はイラ立たしそうな声色で返す。


「あん? お前、おれに尋ねられる立場だと思ってんの?」


「どうしても知りたいのですよ。あなたが何をしたのか」


 研究の道を歩んできた者として、未知の現象を解き明かしたくて仕方がなかった。死ぬ命なら尚のこと、その灯火が消える前に知りたかった。


 しばらく無言の時間が進む。


 すると、おもむろに司は語りだした。


「お前の人形たちの不死性を解析し、自分なりに改良してから、自分の魂に組み込んだ。お前は『神座』に存在する“不壊”の因子を取り込むことで不死を実現してたようだから、おれも似たアプローチを取った。『神座』に漂うエネルギーで魂を強化するっていう方法をな。幸い、類似した力の使い方は心得てた」


 空間魔法を覚えておいて正解だった、と司は言う。


 ヴァンは感嘆の息を吐いた。


「天使たちの魂にはプロテクトを施しておいたのですが……そうですか、突破されましたか」


「手間だったが、無理じゃなかった。おれがお前より強かっただけの話さ」


「ははは。倒すのに時間をかけたのが、私の敗因でしたか」


 苦笑いを溢すヴァン。


 司は怪訝そうな声を上げた。


「何言ってんだ? 時間をかけねーでも、お前は負けてたぞ。つーか、時間をかけるよう仕向けたんだから、敗因も何もねーだろ」


「……はい?」


 突拍子もない司のセリフに、ヴァンはポカンと口を開ける。


 それを受け、彼女は「嗚呼」と呆れた風に語りだした。


「お前、わざと戦いを長引かせてたの、気づいてなかったのか」


「は? 何故……そのようなことを……??」


「天使どもの不死性を解析するために決まってんだろ。そもそも、最初っから千体の敵が潜んでるのは把握してたんだ。チャッチャと片づける予定だったけど、不死の存在だと気づいたから、予定を変更したんだよ。じゃなきゃ、あんな雑魚どもに、こんだけ時間かけねーよ。仲間たちには悪いとは思ってるが……まぁ、あいつらなら分かってくれるだろ。きちんと謝る予定だけどな」


 あっけらかんと言う彼女に、ヴァンは何も言い返せなかった。


 自分の最高傑作を雑魚と評する。普通なら怒髪天に衝くところだが、相手の声音的に嘘を吐いている風には聞こえなかった。もはや、呆れる以外の感情が浮かばない。


「はは、ははははははは。最初から負け戦だったわけですね」


「今さらだな。じゃあ、質問には答えたし、お別れだ」


 冷徹に下された言葉の直後。身構える暇もなく、ヴァンの意識は途絶えた。

 

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