006-2-01 第五王女

 草原には歓喜の声が響き渡っていた。それは霊魔国軍の勝鬨かちどきだった。


 まだ、この先も領土を取り戻す戦いが残っているのだが、この一年で初の勝利ということもあり、誰もが湧き上がる喜びを表現している。当然、その空気は本陣にも流れていた。


「ふぅぅぅ、無事終わったわ」


 大きく息を吐き、自分の椅子へ腰を沈めるミュリエル。そこには安堵の色があった。軍の総大将を務めていただけに、色々と気負っていた部分があったのだろう。


 そんな彼女へ、側に控えていた蒼生あおい真実まみが労いの言葉をかける。


「お疲れ様」


「お疲れ様でした!」


「ありがとう。あなたたちもご苦労さま。特に、マミの働きには助けられたわ」


「いえ、私にできることをしたまでですから」


 照れくさそうに謙遜を口にするが、真実が担った役割はとても大きいものだった。彼女が自陣営の戦場を監視してくれたお陰でミュリエルはより適切な指示を送れたし、いくらか出た負傷者の回収も手早く行えた。本陣を直接叩きにきた暗殺者討伐も、彼女がいなければスムーズには済まなかったはずだ。霊魔国民であったら貴族に取り立てられるくらい、真実は活躍したと思う。


 とはいえ、本人は一総かずさの役に立ちたいだけで、栄達を望んでいるわけではない。一総たち日本人は謙虚な国民性を感じるし、執拗に言葉をかけることはせず、一言二言感謝するに留めた方が良いだろう。


 ミュリエルは「本当に感謝しているわ」と追加で謝辞を述べてから話を変えた。


「ところで、カズサのその後の様子は?」


「残党を殲滅した後、何故か同じ場所に留まってるみたいです。私の監視範囲外なので詳細は不明ですけど、帰還に移ってないのは確かですね」


「そう。何をしているのかしら?」


 真美の報告を聞き、ミュリエルは口元に手を当てながら疑問を呈する。


 それは誰かに尋ねたのではなく、ただ言葉が溢れただけだった。だが、他の二人も同様の疑念を抱いていたようで、話に乗っかってきた。


「いつものセンパイなら、さっさと帰ってきそうですけどねぇ。やっぱり、桐ヶ谷きりがやセンパイとの戦闘中に、何かあったんでしょうか?」


「それもあるだろうけど、それ以外にも理由があると思う。少なくとも緊急事態じゃない」


「その心は?」


「緊急事態だったら、かずさが連絡を怠るわけない」


「ああ、納得です」


 蒼生の言に真実は首肯する。


 用意周到な一総が、必要性の高い情報の伝達をし忘れるなどあり得ない。となると、彼が帰ってこない理由は不測の事態等ではないだろう。では、何で戻らないのか、なおさら疑問が深まるが。


「ダメね。カズサの思惑が全然分からないわ」


「というか、センパイの思考を予測するなんて、できた試しがないんですよ」


「無理難題」


 幾分か頭を捻る彼女たちだったが、早々に全員がサジを投げた。結局、規格外の行動を読めるわけがないという結論に落ち着く。


 仕切り直すように、ミュリエルは両手を叩いた。


「カズサはそのうち戻ってくるでしょう。アタシたちは事後処理をしましょう」


 戦争は勝って終わりではない。自軍の消耗や敵軍のその後の動向の確認、取り戻した土地の精査、残党の捜索などなど。むしろ、これからが本番と言っても良かった。


 加えて、戦闘は今回だけではない。これまでに奪われた領土を取り返す戦が残っている。まだまだ休むには早いのだ。


「書類仕事は無理ですけど、それ以外なら手伝いますよ!」


「同じく」


「ありがとう、助かるわ」


 真実と蒼生に対し、ミュリエルは心から感謝する。


 正直、二人の申し出はありがたかった。というのも、今回の戦争の規模と比較して、事務仕事のできる人員が圧倒的に不足していたからだ。


 その理由は、ミュリエルの立場が関係している。


 彼女は一総の影響を強く受けているせいか、普通の霊魔国の王族とは価値観が些か異なる。身分差をあまり気にしないし、どちらかといえば清貧を好む。吸魂魔ソウル・サッカー至上主義ではない上、他種族に寛容的な姿勢の持ち主だ。


 他の王族からしたら異端と言っても良い彼女は、選民思想の強い王族や貴族から疎まれていた。誰よりも優秀だったから害されることはなかったが、細かい部分で嫌がらせは受けてきた。


 要するに、人員不足も嫌がらせの一環ということ。


 今までも似たような状況は何度もあった。優秀すぎるがゆえに、人手が足りなくてもミュリエルは何とかしてしまっていたのだが、人が多いに越したことはない。二人の心遣いは本当に助かった。


 早速ではあるが、今のうちにできる処理を済ませてしまおう。そう考え、ミュリエルが他の二人へ指示を出そうとした時だった。


 むっ? と、真実がそこそこ大きめな声を上げた。


 何ごとか尋ねる前に、彼女は続く言葉を発する。


「そこが【転移】の到着地点に設定されました。魔力からして、一総センパイで間違いありません」


 本陣の空きスペースを指差す真実。


 どうやら魔眼によって、一総の帰還を察知したらしい。ミュリエルも蒼生も一切感知できていないというのに……。やはり、真実の眼の力は破格だ。


 彼女は【転移】の到達点だという場所を注視しながら、首を傾ぐ。


「あれ? 見覚えのない人と一緒みたいです。んー、魂の形状的に、人間の女性でしょうか? 歳は十代前半くらい?」


「どういうこと?」


「さっぱり分かりません。私は『真破写覚の眼』による【存在認知】とコピーした魄法はくほうの【紅眼】を応用して、少し未来の情報を読み取ってるだけなんです。だから、何が転移してくるか以上の情報は不明です」


 ミュリエルが訊くと、真実は首を横に振った。


 さらっと未来が見えると言う辺り尋常ではないが、彼女の眼も万能とはいかないらしい。


 しかし、人間の少女が一総と共に来るとは、一体どういう状況なのだろうか。人間であるなら王国の関係者だろうが、一緒に転移してくる理由が考えつかない。


 眉間にシワを寄せて思考を巡らせるミュリエルだったが、その回答を出せる時間はなかった。


 真実が感知できなかった場合を想定したものだろう、目印となる魔法陣が地面に展開された。それから数秒と待たず、二人の人物が虚空から姿を現す。


 一人は言わずもがな、【転移】を発動した張本人である一総。もう一人は十二、三歳くらいの少女だった。


 少女の容姿は大変整っていた。日焼けを知らない白い肌にサファイアを思わせる青い瞳、黄金の如き豊かな金髪は一本の太い三つ編みでまとめている。顔立ちは可愛らしく儚げで、小柄な体躯と相まって愛らしい妖精を想起させた。


 ただ、可憐なのは見た目のみの話。彼女を目撃してすぐ、ミュリエルは警戒を跳ね上げた。


 少女の内包する魂の強度が、この世界で一番の強者であるミュリエルと同じレベルだったのだ。おそらく、他者の魂をぶつけ合えば、即座に魄法を習得できるだろう力量がある。


 正体不明の少女を前に、緊張感を湛えながら目を細めるミュリエル。


 だが、それは次の瞬間に断ち切られた。


「ミュリエル、そう敵意を向けないでくれ。村瀬むらせと真実も」


「「「……っ」」」


 一総の一言で、ミュリエルたち三人は息を呑む。


 思わぬ実力者の登場のせいで忘れていたが、少女は一総が連れてきたのだ。であれば、敵である可能性は皆無に等しい。警戒する必要性は薄かった。


 バツが悪そうに目を逸らす三人を見て、彼は苦笑いを浮かべる。


「まぁ、この子の実力に気づくのは優秀な証だし、すぐに警戒できるのはいいことだから、そこまで気にしなくていい。それよりも大事な話があるから、こっちを向いてくれ」


 一総に促され、ミュリエルたちは視線を戻す。


 三人を代表して、ミュリエルが問うた。


「大事な話って、その子が関係してるの?」


 こちらをキラキラした目で窺っている少女を指す。


 先程までは意識していなかったが、彼女が着用しているのは貴族風のドレスだった。ところどころ汚れてはいるが、戦場での着衣としてはあまりにも不自然。王族のミュリエルだって、今は軽鎧をまとっているのだ。王国の貴族だと予想はつくが、色々とチグハグだった。


「その通り。この子の名前はナディア・バァカホ、王国の第五王女だ」


「ご紹介に預かりました、ナディアと申します。以後お見知り置きを!」


 少女──ナディアは明快な笑顔を見せ、カーテシーを決める。その立ち振る舞いは堂に入ったものであり、第五王女という発言が嘘偽りではないと判断できた。


 霊魔国本陣に、敵国の王女がやってきた。その事実を認めた三人は驚愕に目を見開く。特にミュリエルの動揺は大きく、あわあわと口を動かしていた。


「な、ななな何て人物を連れてきてるのよ、あなたは!?」


「必要だから連れてきただけだが?」


 対し、一総は平然と言い放つ。


 一切悪びれた様子のない彼の態度に彼女は頭を沸騰しかけるが、寸でのところで踏み止まった。


 一総は意味のないことをするはずがない。これまでの彼の行動が、確かな信頼としてミュリエルの中に根づいていた。


 そも、一総が常識破りを仕出かすのは、今に始まった話ではないのだ。今さら慌てる必要もなかった。


 体内の熱を逃すように深呼吸をしてから、ミュリエルは問い直した。


「ナディア王女を連れてきた理由と経緯を教えてちょうだい」


「分かった」


 一総は首肯すると、王国兵の残党を倒してからの話を始めた。

 

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