006-2-02 クーデター
何故なら、とある人物が到着するのを待っていたためだ。そしてその者が、どのようにして『ブランク』が王国と関わったかの情報をもたらしてくれると確信していた。
五分と経たず、目的の人物が視界の端に映る。
十二時の方向──王国兵が撤退した方角の上空より、何らかの小さな影が見えた。それは凄まじい速度で接近しており、徐々にシルエットを大きくしていく。同時に、影が上げる声も鮮明になってきた。
「ゆぅぅぅぅぅぅうぅぅぅぅぅしぁぁぁぁぁぁぁさぁぁぁぁぁぁまぁぁぁぁぁぁ!!!!!!!!!!!」
勇者さまと言っていた。どうやら、一総に呼びかけているらしい。声の高さから、年若い少女だと分かる。
ほどなくして、姿形がハッキリする距離まで近づいた。
ドレスを着た金髪碧眼の少女だ。将来性を感じさせる美貌だが、戦場では場違いな格好をしている上、その
一総は若干頬を引きつらせながら呟く。
「というか、あの子、こっちに突っ込んでこようとしてないか?」
すでに顔が見えるほど接近しているのに、微塵も減速する様子が見られない。時速二百キロメートルはありそうな速度のまま、彼の懐へ飛び込もうとしていた。
いくら年下の女の子が相手とはいえ、変態チックな表情の娘に超高速で抱きつかれるのは勘弁願いたい。
彼は突進から逃れようと、その軌道上から身を動かした。
ところが、少女は「標的はお前だ!」と言わんばかりに、進行方向を一総へと修正する。何度動こうと、正確にこちらを狙い定めてきた。
その執念に、さしもの一総も呆れる。
仕方なし。彼は回避するのを諦め、彼女との間に空間のたわみを作り出した。いわゆる、空気のクッションのような代物だ。吸収性抜群に作成したので、少女が一総に体当たりする心配はない。
風を切り裂き、ついに少女が到着する。
彼女は一総へ抱きつこうと両手を広げたが、それは叶わない。彼女が生み出した運動エネルギーはすべて空気のクッションに吸収され、指向性を失った彼女はボトリと彼の目前に落ちた。
「……」
「……」
沈黙が場を支配する。
──が、それも一瞬だけだった。
うつ伏せで伏していた少女はガバッと身を持ち上げると、恐ろしい速度で一総の腰へ抱きついた。
敵意がないかつ突然の行動だったために、彼は避ける機会を失する。
「えっ、ちょっ、いきなり何だ? は、離れてくれ」
「嗚呼、十年振りの勇者さまの温もり、勇者さまの匂い……くんくんすーはー」
「うわっ、匂い嗅いでるのか? い、いい加減にしろ!」
抱きつくだけでは飽き足らず、匂いまで嗅ぎ始めた少女に恐怖を覚える。
一総は結構本気で彼女を振り払い、ようやく引きはがすことに成功した。
「な、何なんだ、この子は……」
ベチャリとカエルのように地面へ沈む少女を見ながら、かなりドン引きする一総。
強引に吹き飛ばされたのに、「勇者さまに触っていただけた。し、幸せ」と呟いている辺り、さらにドン引きである。
正直、もう二度と関わり合いたくないのだが、何らかの情報を握っていることを考慮すると、無視するのは合理的ではない。
彼は自分の気持ちを押し殺して、彼女へ声をかけた。
「えーっと、いきなり吹き飛ばして申しわけない。大丈夫か?」
突然だったのは彼女の方だし、状況的に謝る必要性は低いのだが、話を進めるための足がかりとしておく。
すると少女は、気持ち悪いくらい不自然な挙動で立ち上がった。擬態語を当てはめるなら“ぬるり“だろうか。
「勇者さまからの謝罪など、我が身にはすぎたものでございます。
「あ、ああ、分かった」
どこぞの軍隊ばりのハキハキした言動に、一総はたじろぐ。
この少女は、彼が今までに出会ったことのないタイプの人間だ。自身へ好意を向けてくれているのは、さすがに理解できる。──が、その質は、真実たちが抱いているものとは些か異なるように思う。あの爛々と輝く瞳は、うっすらと覚えがあった。
(あー、思い出した)
数秒ほど記憶をさかのぼった一総は、少女への既視感の正体を把握する。
あの目は、狂信者のそれと同種のもの。盲目的に信仰対象に従う狂気の色に似ている。
まぁ、狂信者ほど危険度は高くなさそうだ。純粋な崇拝ではないからだろう。好意七割、崇拝三割といった感じか。
しかし、一総には崇拝される覚えがなかった。
世界を救っているのだから何度も経験しているのでないか、と思うかもしれないが、勇者は世界を救ってすぐに帰還してしまうのだ。たとえ勇者教みたいな宗教が生まれようと、それを目の当たりにする機会などありやしない。
当然、今いる世界でも同様──むしろ、恐怖の対象として有名であるため、なおさら見当がつかなかった。
加えて、目前の少女は十二、三歳。つまり、前回の召喚の時は二、三歳ということになる。身体が成長しているのは当たり前で、面影程度から思い出すのは難しかった。
精神系の異能を行使すれば記憶を引っ張り出せるが、そこまでするのは億劫。それよりも、直接尋ねた方が早い。
崇拝対象に顔を覚えてもらえていないと知れば彼女は傷つく可能性もあったが、そこまで気遣う義理もなかった。少女自身も遠慮するなと言っているし、大丈夫だろう。
「それで、キミは何者だ?」
「あっ、名乗るのが遅れまして、誠に申しわけございません!
一総は僅かに目を見開いた。
「身分の高い者だとは予想できてたが、まさか王族とは……」
まったく予期していなかったわけではない。だが、ここが戦場のど真ん中──それも王国にとっての敗戦地であるのを考慮すると、その確率が低いと考えていたのだ。
彼の内心を悟ってか、ナディアは苦笑を溢す。
「味方が皆無の戦場にノコノコと赴く王族がいるなど、普通は考えませんよね」
「……多少の驚きはあったが、それだけ緊急事態だってことだろう?」
迷いなく一総へ向かって飛来してきたのだから、彼に伝達事項があるのは明白。敗戦した王国軍ではなく一総を頼り、伝達要員が王族であることから、その内容が緊急性の高いものというのも推測できた。
彼の認識は正しく、ナディアは首肯した。
「さすがは勇者さま。ご理解が早くて助かります」
「それで、敵対してるオレに伝えなくちゃいけない緊急事態とは何なんだ?」
本題を問うと、彼女は一呼吸を置いてから口を開いた。
「実は王国でクーデターが発生し、陛下を含む王族のほとんどが殺されてしまったのです」
「は?」
「王国でクーデターが──」
「待て待て待て。別に聞こえなかったわけじゃないから、繰り返さなくていい」
慌ててナディアの言葉を遮り、一総は額に手を当てて天を仰ぐ。
一総を以ってしても、この内容は想像の埒外だった。まさか、大規模な戦争を行なっている最中に内乱を起こすバカがいるとは思わない。しかも、きっちりトップの殺害を成功させている辺り、計画的犯行であることを匂わせている。
起こってしまったものは仕方がない。王国で反乱があった事実は受け止めよう。問題はその先だ。
一総は尋ねる。
「どうしてオレを頼る?」
それは当然の疑問だった。霊魔国側に立つ彼にとって、王国の異常事態など対岸の火事だ。耳にしたところで、対処に動こうとするはずがない。
それなのに、ナディアは一総を頼った。壊滅的被害を被ったとはいえ、完全な味方である王国軍の元へは行かず、真っ先に彼を目指した。
ナディアの行動はかなり不自然で、別の思惑があるのではないかと疑ってしまう。
一総の鋭い視線を受けた彼女は、まっすぐ見つめ返した。
「
「英雄?」
「はい。勇者さまはお覚えではないようですが、
「三歳児が戦場を歩く──ああ!」
ナディアの語りを聞き、ようやく一総は彼女のことを思い出した。
確かに、二人は十年前に出会っている。彼が彼女の命を救ったというのも、間違いのない事実だった。
「キミは、戦場の外れで霊獣に襲われてた子供か!」
「その通りです。お恥ずかしい過ちですが」
そう。当時のナディアは道に迷って戦場の外れに出てしまい、そこで疲れ果てたところを野生の霊獣に襲われてしまったのだ。そこへ助けに入ったのが一総というわけである。
ナディアはうっとりとした笑顔を見せる。
「あの時の、勇者さまの勇姿は今でも忘れません。無論、その後に受けたお叱りの言葉も」
「あー、子供が戦場に来るんじゃないとか、自分の能力を過信するなとか言ったんだっけ?」
己のことを棚に上げて、説教をした覚えがある。七歳だった彼は今ほど荒んではおらず、彼女の愚行に熱くなってしまったのだ。振り返ってみると恥ずかしい限り。
「勇者さまが叱ってくださったからこそ、今の
「それは認めざるを得ないな」
大雑把に見ただけでも、ナディアは相当の力を有していると分かる。弱冠十三にして恐ろしい実力者だ。生来の才能と、たゆまぬ努力の結果だろう。
「ナディアがオレを英雄視する理由は分かった。だが、それだけじゃあ、オレが助力すると信じ切るには心許なくないか?」
ヒーローを盲目的に信用するのは簡単だが、それのみで解決するほど現実は甘くない。
一総が所属する国如何で助けるか否かを決めていないのは事実だ。かと言って、無条件に誰でも救うわけでもない。良くも悪くも、彼は己への利益の有無を重視する傾向にある。今回霊魔国に加担したのだって、ミュリエルの助力になるというメリットが存在したからだった。
その辺りをどう考えているのだろうか。試すような視線をナディアへ向ける。
彼女は小さく笑んだ。そこにあるのは幼い少女ではなく、王族の一員としての顔だ。
「勇者さまが手をお貸ししている霊魔国に、我が王国を救う義理がないのは承知しております。ですが、霊魔国にはなくとも、勇者さまには確かな利点が存在するでしょう」
「それは?」
「今回勇者さまが召喚された原因と、我が国のクーデターに繋がりがあるからです」
ナディアの言葉を聞き、一総は目を
「王国軍の強化をバックアップした連中がクーデターを起こした……いや、主犯に協力したのか」
「さすがは勇者さま、そこまでご存知でしたか」
「知っていたわけじゃないさ。これまで得ていた情報から推測しただけだ」
勇者の如き王国兵の短期的異常成長、空間魔法を行使した王国兵の存在、十年という短いスパンでの世界的危機の再来、狙ったような
それらの情報から、この世界で発生した危機が意図的に起こされたものであり、『ブランク』が関わっていると予想できていた。
一総という、自由に世界間を行き来する敵対者を想定していなかったのだろう。彼らの動きはあまりにも露骨だし、隠す気が一切ない。容易に背後関係を掴めた。
「勇者さまのおっしゃる通りです。王国の協力者だった連中が、今はクーデターの主犯に助力しています。奴らの真の目的は判然としませんが、この世界を混乱に陥れるのは明白です」
「だから、連中を止めれば元の世界に帰れると」
「はい。残念ながら向こうの実力が高く、明確な証拠は得られませんでしたが」
「ふーむ」
ナディアの言い分を聞き終えた一総は、口元に手を当てながら思考を巡らせる。
自分の感情だけではなく、こちらの利点を提唱した助力の要請は、特段の問題はないものだった。勇者なら食いつくであろう“帰還“を餌にしている点は、非常に強かと言える。
情報提供者が暗愚でないことに安堵しつつ、彼は一歩踏み込んで考えた。
元々王国へ偵察に向かう予定ではいたので、ナディアに協力するのは構わない。ただ、どのようにして解決するかが課題だった。
敵は『ブランク』を背後に抱えている。空間魔法使いの集団を侮ることはできないし、第一、彼らがこの世界で何を仕出かそうとしているのか不透明。それが不安をあおる。闇雲な突貫は自殺行為だ。
(まずは情報収集だろうな。祖国を案じてる彼女には悪いが)
ことを急いて仕損じては意味がない。最悪の場合は世界が滅亡する可能性もある。それを
結論を出した一総は頷く。
「ナディアに協力しよう。ただし、即座に反抗作戦を取らない点は許してくれ」
「ありがとうございます、十分すぎます!」
「じゃあ、仲間たちのところに戻るか。情報共有しないと」
「勇者さまのお仲間ですか。さぞ優秀な方々なのでしょうね!」
こうして、一総はナディアを伴って霊魔国軍本陣へと帰還した。
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