003-1-03 勉強会

 救世主会議セイヴァー・テーブルが行われた日の放課後。一総かずさたち六人は、昼に交わした約束の通り勉強会を開いていた。


 真剣に取り組む理由がある真実まみ、寡黙な蒼生あおい、優等生のつかさというメンバーが揃っているせいか、勉強中の会話はとても少ない。時折、質疑応答が交わされる程度だ。


 そのような静謐な時間の中、一総は溜息を漏らす。呼吸と大差ない微かな挙動だったので気づく者はいなかったが、そこに混じる感情は暗澹たるものだった。


 というのも、彼らが勉強会を行っている場所は、一総と蒼生の住む部屋だったからだ。秘密主義の傾向がある一総にとって、ただのクラスメイトである司や三人娘を自宅に招くのは、大変好ましくないことだ。


 では、どうして一総らの家に集まっているのかと言えば、原因は真実にある。一総たちが救世主会議に臨んでいる間に、彼女が愛の告白をしたことを思わず漏らしてしまい、そのせいで新聞部や野次馬の生徒たちが引っ切りなしに質問してくるようになってしまったのだ。これでは勉強どころではないので、誰にも邪魔されない一総の家で行うことになったというわけだ。


 彼が真実や司、三人娘の家に上がるわけにもいかないので仕方のない結果なのだが、理性と感情は別物。溜息くらいは吐きたくなる。


 モヤモヤした気分を抱えながらも自分の勉強を進めていると、隣に座る真実が問うてきた。


「センパイ、この問題が分からないんですが……」


「どれどれ……。ああ、これは公式Bを利用した方が解きやすいんだ。ほら、ここがこうなってる問題は、大体同じ解き方ができる」


 チラリと彼女の手元を覗いた一総は、スラスラと解法を教えていく。


 続けて、蒼生も質問を投げかけてきた。


「かずさ、これがわからない」


「それはXに代入するものに注意を――」


 先程と同じく、淀みなく答えていく一総。


 その様子を眺めていた三人娘たちは、感嘆の息を吐いた。


「伊藤って教えるの上手くない?」


「まるで教師みたい」



「むしろ、先生より分かりやすいかもしれない」


 彼女たちの反応も当然だろう。勉強会が始まってから幾度か問答を繰り返しているが、一総の回答は安易に答えを教えるだけではなく、解きやすい方法や着眼点などを丁寧に教授しているのだ。


 こそこそ私語を挟む彼女たちへ集中するようと注意しようとした一総だったが、そろそろ勉強を始めて一時間が経過する。休憩には良い頃合いだろうと手を止め、口を開いた。


「さすがに言いすぎだ。本職には負ける」


「そんなことないですよ。学校で習うよりセンパイに教わる方がすっごい覚えやすいです!」


「それは学校では不特定多数に教えるから、どうしても一人一人に配慮がいかなくなってしまうからだよ。オレが特別教え上手ってわけじゃない」


 何も変わったことはしていない。ただ、問題の鍵になる部分をピックアップして指摘しているだけ。教えるという行為を何度もこなしている者であれば、誰だってできることだ。


「あと、私に教えるので慣れてる」


「どういうことです?」


 ぽつりと発した蒼生の言葉に、真実は首を傾ぐ。


 蒼生は返す。


「私が召喚されたのは五歳。学校に通ったことがなかったから、勉強も壊滅的だった」


 そう、彼女は勇者召喚されていた十二年間、一切勉学に触れていなかったのだ。加えて、記憶喪失という疾患も抱えている。そのため、帰還当初は“生きるために必要な知識”はともかく、数学や化学などの知識はほとんど有していなかった。


 しかし、


「でも、今ではギリギリ授業についていけてる。かずさのお陰」


「もしかして、一総センパイが蒼生センパイに勉強を教えてたんですか?」


「まぁな」


 一総は首肯する。


 二人は毎日勉強会を開いていた。面倒くさがりの彼にしては不可思議な行動かもしれないが、実のところ監視依頼に「村瀬蒼生に必要知識を授けること」といった風に含まれていたため、致し方なかったのだ。


「村瀬の物覚えがメチャクチャ良かったから、教える方も楽だったよ。まさか、二ヶ月ちょっとで赤点を回避できるレベルまで身につくとは思わなかった」


 十年分の勉強を二ヶ月で習得するなど、普通ならできはしない。それだけ、蒼生には勉学の才能があったのだろう。


 素直に感心する一総に、他の者も同意とばかりに頷く。


「じゃあ、蒼生ちゃんは次のテストは問題ないのかな?」


 今までニコニコと話を聞いていた司が、蒼生の進捗を尋ねてきた。


 一総は首を縦に振る。


「油断はできないが、大丈夫だろう」


「そっか。だとしたら、やっぱり懸念すべきは田中さんだね」


 全員の視線が真実へと向く。


 それを受け、彼女は居心地悪そうに身を竦めた。


 真実が最も勉強ができていないということは、この勉強会が始まってからの共通認識となっていた。それほどまでに酷いのだ。


「うぅ、テストに間に合うよう頑張りますぅ」


「うん。私たちも協力するから、頑張ろうね!」


「がんばろ、まみ」


「ファイト、田中さん!」


「一緒に頑張ろう!」


「質問があったら、何でも訊いてね?」


 涙目で真実が意気込むと、司や蒼生、三人娘が励ましの言葉を贈る。


 良い具合に話が途切れたところ、三人娘の一人が些細な疑問を口にした。


「テストと言えば、伊藤って毎回どれくらいの成績なわけ? 司ちゃんがベスト5に入ってるのは知ってるんだけど、あんたの順位は知らないんだよね」


 その言葉に、他のメンバーも「確かに」と同意を示す。


 波渋はしぶ学園のテスト結果は、上位五十位が全体へ公開される。本人が事前に申請を出していれば非公開にすることもできるが、手間をかけてまで上位の成績を隠す必要性がないため、ほとんど使われた試しのない権利である。


 一総の名前は上位組の中で見たことがない。ただ、一総の教え方の上手さを見るからに、どうにも五十位以下とは考えられない。ともすれば、非公開にしているということだ。具体的な順位がどれくらいなのか、気にならないと言えば嘘になる。


「ふむ」


 全員の視線が向けられる中、一総は逡巡する。


 彼がテストの順位を隠しているのは、偏に面倒ごとに発展しないようにするためである。決闘まで吹っかけられる彼のことだ。頭が良いと知られて、やっかみを受けないわけがない。


 とはいえ、どうしても隠し通したいほどでもない。有している異能の数を知られることに比べたら月とスッポンだ。


 三十秒ほど思考を巡らせて、彼は口を開いた。


「他言無用で頼むぞ」


 それはつまり、明かしても良いということ。


 そうこなくっちゃと言わんばかりに、皆は一様に頷いた。


 それを見届け、一総は答える。


「一位だ」


 簡潔に一言だけ述べる。


 それを聞いた蒼生たちはポッカーンと間抜けな表情で固まった。


「えっ、なんて?」


 あまりにあっさりと衝撃の発言を耳にしたため、思わず聞き返してしまう司。他の面子も同じの心境のようだ。


 このような反応は予想の範疇であったので、一総は肩を竦めて再び答える。


「学年一位だと言ったんだ」


 彼の返答を咀嚼すること一分。彼女たちは口を開いた。


「「「「「ええええええええええええええ!!!!!!!!!!!!!」」」」」


 阿鼻叫喚とはこのことか。それぞれが端正な顔立ちを歪めて、驚きを隠せずにいた。無表情がデフォルトである蒼生でさえも、瞳を大きくみはっているほどだ。


「ほ、本当なの? 伊藤くん」

 司が信じられないといった表情で問うてくる。


 一総は苦笑した。


「事実だ。高校入ってから、休んだせいで受けてないテストを除けば全部一位だな。テストなんて手元に残してないから、証拠を見せろと言われると困ってしまうけど」


「まぁ、嘘を吐く必要なんてないもんね。信じるよ」


 司は未だに驚きの顔をしながらも、小さく頷く。


 そこへ真実が興奮交じりに言葉を紡いだ。


「さすがセンパイです! 頭も良かったんですね。惚れ直しました!」


 彼女の向ける瞳は、憧れのヒーローに出会った少年のようにキラキラと輝いている。一総としては非常に照れくさい。


「学年一位に勉強教えてもらえるとか、レアだよね」


「もしかしたら、私たちの成績もアップしちゃうかも?」


「今回、上位五十位以内、狙ってみちゃう?」


 三人娘たちも、何やら興奮した様子でコソコソと話し合っていた。


 一総が想定していた以上に、学年一位という発言は衝撃的だったようだ。収拾がつかなくなってきている。


 休憩時間もそろそろ終わりにしたかったので、彼は無理やり空気を変えることにした。


 手に微量の魔力を通し、柏手を打つ。


 パアアアアンと乾いた大音声だいおんじょうが響き、ざわついていた雰囲気が一気に静まる。音に鎮静の魔力を混ぜ、皆を落ち着かせたのだ。


「ほら、時間がないんだから勉強に戻るぞ」


 一総の一言に皆が苦笑いを浮かべ、再び勉強へと戻っていった。






「じゃあ、また明日ね」


「ばいばーい」


「また明日」


「今日はありがとう」


「いや、こっちこそ助かった」


「お疲れ様」


 勉強会も終わり、三人娘と司が一総の家から帰っていく。それを一総と蒼生が見送っていた。真実は絶賛勉強中である。


 四人の背中が遠ざかっていくのを見届けた二人は、真実の監督役を再開すべく、部屋に戻ろうと踵を返す。


 蒼生を先に上がらせ、玄関を閉じようとした時、


「伊藤くん」


 彼を呼ぶ小さな声が聞こえた。


 振り向けば、すぐ後ろに司が立っていた。


 帰路についたはずの彼女が、どうしたのだろう?


 疑問符を浮かべる一総だったが、それを口にする暇なく彼女が接近してきた。司は一総の手を握り、何かの紙片を握らせる。


 用はそれだけだったようで、すぐさま身を離すと、「じゃあね」と言って去っていった。


 文句を言う隙もない怒涛の展開に、彼も訝しみながらも呆けてしまう。


「なんだったんだ、あれは」


 眉を寄せつつ、渡された紙片に目を通す。


 そこには彼女からのメッセージが書かれていた。


 時刻と場所、そして――




 ――待ってます。




 という一言が添えられていた。

 

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