005-x-01 閑章、剣姫の行く先(1)

 バァカホ王国とカルムスド霊魔国の戦争の最前線。それは本来の両国の国境線から百キロメートル近く霊魔国側に進んだ地点だった。王都までの距離はまだ遠いが、たった二週間で最前線より後ろの地域全てを王国が占領してしている。それを考慮すれば、恐ろしいまでの侵攻速度と言えよう。


 これまで拮抗──いや、霊魔国の方が戦力優位だったというのに、それが覆ってしまったのには大きくふたつの理由がある。


 ひとつは、王国に技術提供をした組織の存在。かの組織によって大幅に兵力が──特に将軍などの幹部連中の力が増大した。それにより、霊魔国の軍では太刀打ちできなくなったのだ。


 そしてもうひとつは、勇者の存在だ。勇者の強さはすさまじく、彼女が投入されるだけで戦局がひっくり返された。下手をすれば、一人で万の軍隊を蹴散らせるだろう。


 そんな戦略兵器級の勇者は今、最前線に敷かれた王国陣地内にいた。自身の天幕の中で一人、静かに瞑想をしている。


 彼女は美しかった。整った目鼻立ち、うるおいのある唇、ポニーテールに結んだ艶やかな黒髪。高めの身長とバランスの良い肢体は、シュッと伸ばした背筋と相まって戦女神を連想させた。


 彼女の名は桐ヶ谷きりがや侑姫ゆき。一総たちの先輩にあたる人物であり、二ヶ月前に彼らと気まずい別れ方をした人だった。


 侑姫がこれまで行ってきたことは至ってシンプルだ。王国に頼まれたから戦っている、それだけ。ただ、過去の四回に比べると、従順の度合いがエスカレートしている気がする。


 暴走の影響で、一総との間にあったことは全然覚えていないのだが、多少は影響しているように思えた。


 静まり返るテントに、ひとつの声が響く。


「勇者さま、ご休憩中に失礼いたします。司令部からの伝言を携えて参りました!」


「入ってください」


 侑姫の要望により侍女等はいないので、彼女自身が入室の許可を出す。


 入ってきたのは若い男の兵士だ。彼は緊張した面持ちで敬礼をし、伝達事項を話す。


「総司令官閣下から、作戦本部へお越しいただくよう命令を受けて参りました!」


「それは今すぐ?」


「はい、最優先事項と窺っております!」


「そう、分かったわ。待たせても悪いし、すぐに行きましょう」


「ご案内いたします!」


 ハキハキと喋る彼の先導の元、侑姫は作戦本部となっている天幕へ足を運ぶ。本当は案内などなくても良いのだが、これも彼の仕事の内なので余計な口は出さない。


 侑姫へ敬礼をしてくる軍人が溢れる陣内を渡り、彼女らは一際大きな天幕へと辿り着いた。入り口には護衛の者たちがおり、案内役の彼が何やら話すと、護衛の一人が天幕の中へ入っていく。


 数秒ほどで外へ出てきた護衛は、天幕の入り口をまくりながら侑姫へ入室を促した。


「閣下方が中でお待ちです」


「分かったわ。あなたも案内ありがとう」


「もったいないお言葉です!」


 礼を述べつつ、侑姫は作戦本部内へと入る。


 内部には一辺二、三メートルはあるテーブルと黒板に似たボードが置かれており、それらを囲むように十数人の男女が立っていた。大半の人間は部隊長などを務める将軍で侑姫との関係性は薄いが、二人だけ彼女との関わりが深い者がいた。


 その二人のうち一人、最奥に立つ女性が声を上げる。


「勇者さま、ご足労いただき感謝いたしますわ。どうぞ、わたくしの傍までお越しください」


 二十代半ばくらいの美女だ。華やかな金の長髪を背中に流し、頭頂部には小さめのティアラを乗せている。戦場ということで鎧を身にまとっているが、見るからに高貴な家の出身だろう。


 実際、彼女は王家の一族だ。バァカホ王国第一王女のエリザベート・バァカホその人であり、今回の軍の総司令官でもある。


 王族ゆえにお飾りと思われるだろうが、そうではない。彼女は王国一の策士で、軍からも信頼を寄せられてこの場にいるのだ。


 侑姫は天幕内の皆に一礼してから、エリザベートの隣へと立った。


 すると、彼女の知人であるもう一人の男が話しかけてくる。


「相変わらず、ユキ殿はお美しい。戦場を舞う女神とは、あなたのことを指すのでしょう」


 こうキザったらしいセリフを吐く彼の名はグインラース・フェムルガ。侯爵家の次期当主で、侑姫が召喚される前は王国一の実力者だった。今の言葉から分かる通り侑姫に惚れており、顔を合わせてはナンパまがいのことをしてくる。


 侑姫は溢れそうになる溜息を堪えつつ、エリザベートへ問いかけた。


「どういった状況なのでしょうか? 私が呼ばれたということは、何か問題があったのですよね?」


 事前に知らされていた予定では、侑姫が戦場に投入されるのは、まだ先のはずだった。ということは、予定を変更せざるを得ない何かが起こったと推測できる。天幕にくすぶる奇妙な空気も、その推論を補強していた。


 エリザベートは眉尻を下げ、軽く首肯した。


「問題といえば問題ですが……正直なところ、詳細は不明なのです」


 彼女はテーブルに広げられた周辺地図の一箇所を、指揮棒を使って指し示す。そこは国境線付近にある占領済みの村だった。補給路のひとつとして一小隊が守りを固めていることは、この場にいる皆が知るところ。


「実は、この村に待機していた小隊からの連絡が途絶えました」


 その言葉に、一同揃って眉を寄せた。


 件の村は、補給路の中継地点とはいえ、重要地というわけではない。経路の再設定は容易いし、そのような場所を警備していた部隊の代わりなど多数にある。


 だが、連絡が取れない理由如何では大きな問題に発展する。特に、何者かに襲われたとなれば、正体を探り対策を立てねばなるまい。


 将軍の一人が問う。


「何かしらの不手際では? もしくは、待機しているという小隊の怠慢か」


 楽観的すぎる考えだ。誤報の類であるのなら、重鎮の集まるこの場に上がってくるはずがない。ましてや、議題を取り上げているのは総司令官であるエリザベートなのだから。


 周囲の者が白けた目で質問を投じた将軍を見るが、問われた王女は素直に返答をした。


「いいえ、定時連絡が途切れたのは事実ですし、怠慢という線もあり得ないでしょう。何故なら、あの小隊を任されていた隊長は、十年前の戦争経験者ですもの」


 彼女のセリフによって、各自の反応は半々に分かれた。片や意図を読み取り渋面を作る者、片やそれが今関係あるのかと首を傾げる者。奇妙にも、前者は三十を超えるベテランが多く、後者はそれ以下の若輩の面々がほとんどだった。この世界に来て日の浅い侑姫も、後ろに分類される。


 それぞれの反応を目にし、エリザベートは軽く息を吐いた。


「十年前の話が通じないというのは、急激な軍拡の弊害と言えますね」


 王国の軍事力が飛躍的に上昇したのは直一年でのこと。それにより、実力者の大半が十代や二十代の若者で構成されていた。今回の戦争は国も本気で取り組んでいるため、必然的に上役の年齢層も若い。


 戦力が向上するのは良いことなのだが、若さゆえの血の気の多さが軍の問題として浮上している。侑姫も、召喚直後は頻繁に絡まれる面倒を被った記憶があった。


 また、経験を共有できていないのも危うい点だろう。現在も、エリザベートの言う『十年前の戦争』について、認識を同じにできていない。


 エリザベートはしばし瞑目し、目を見開くと溜息混じりに指示を出した。


「十年前のことに関しては、それを知る者が知らぬ者へ説明しておくように。これは最優先事項です」


「「「「「はっ!」」」」」


 詳細を知るベテランたちが敬礼をする。


 それを見届けてから、彼女は説明を続けた。


「ということで詳細は省きますが、小隊の連絡途絶は隊員の怠慢ではないとだけ申しておきます。かの小隊の現状は派遣した偵察部隊の報告待ちですが……わたくしとしては、『黒鬼こっき』が再臨したのではないかと予想していますわ」


 エリザベートが溢した言葉に対する周囲の反応は劇的だった。大半の者──多くの若者──は瞠目どうもくする程度なのだが、その他が狂的な態度だ。その場に尻もちをつく者、全身を激しく震わせる者、奇声を上げてその場にうずくまる者、顔を真っ青にして何やらブツブツと呟き始める者。まさに、阿鼻叫喚の図が目前で展開していた。


 侑姫は突然起こった事態に困惑する。これまでの情報から察するに、コッキとやらが十年前の戦争で何かを仕出かしたとは分かるのだが。


 狂乱しているベテランは言うに及ばず、比較的反応の薄かった者も呆然としてしまっているし、言い出した当人のエリザベートも顔を青くして固まっている。このままでは会議が進まないため、侑姫は仕方なしと口を開いた。


「取り乱しているところ申しわけないのですが、コッキとは何なのですか?」


 ただ問うただけでは意味がないので、声にスキルの効果を乗せておく。残念ながら精神魔法の心得はないため、【鼓舞】という戦闘高揚を促す異能を使用した。


 多少の効果があればと考えての行使だったが、皆はしっかり落ち着きを取り戻してくれた。少なくとも、口をつぐんで直立するくらいの冷静さは返った。


「申しわけございません、勇者さま。お見苦しいところをお見せしました」


「気にしないでください。それよりも会議を続けましょう」


 エリザベートの謝罪を軽く受け止め、侑姫は話の進行を促す。


 本来の領分ではない【鼓舞】の効力がどこまで保てるか分からない。再び場が混沌と化す前に会議を終わらせたかった。


 侑姫の内心を悟ったのか、エリザベートは首肯する。


「そうですね、今は話し合いを進めなくては。……えっと、勇者さまは『黒鬼』をご存知ないのでしたね。では、その辺りの説明を交えて、今後の対策を練っていきましょう」


 そう前置きをし、彼女は『黒鬼』が何たるかを説いていく。完全に落ち着いていないのか回りくどい部分もあったが、おおむねの内容は理解できた。


 『黒鬼』とは、十年前に召喚された勇者の通称らしい。かの者は霊魔国側に立ち、その暴威を王国へ振るった。勇者の力量はすさまじいもので、当時戦争へ赴いた王国軍を一人で半壊させたという。その被害数は三万以上で、惨状を目の当たりにした者たちに深いトラウマを植えつけた。


 十年が経った今でもその伝説は色濃く残っており、『悪い子は黒鬼に襲われちゃうぞ』といった教育にも使われるほど広まっている。お陰で『黒鬼』の名を知らない人間は、王国に存在しなかった。


(なるほど。単独でそれほどの味方が殺されたのなら、あの反応も無理はないのかも)


 名前を聞いただけで狂うのは行きすぎている気もするが、と侑姫は複雑な心情を抱く。


 ちなみに、『黒鬼』の由来は、その勇者が黒髪であったからだとか。侑姫も黒髪なので勘違いされていないかと尋ねれば、『黒鬼』は男だったため問題ないとのこと。


 情報が揃ってくると、何となく『黒鬼』の正体が定まってくるような気がした。


 いくら勇者でも、単独で万単位の敵を薙ぎ払うのは難しい。できるとすれば、救世主セイヴァーの面々か、己を含めたフォース上位の勇者。加えて黒髪の男性とくれば、おのずと人数は絞れる。


 この時点で、侑姫は『黒鬼』イコール一総かずさではないかと睨んでいた。


 だが、辻褄の合わない点もある。時期がネックだった。十年前ということは、一総は当時七歳。前に調べた記録によると、彼が初召喚された日取りとかぶる。


 さすがに、初召喚の勇者が万の敵をほふるのは不可能だ。そういった常識が、侑姫の仮説を否定していた。


 『黒鬼』の正体は置いておいて、とりあえず話を続けよう。


 侑姫はグルグルと巡っていた考察を一度放棄し、エリザベートとの会話へ復帰する。


「『黒鬼』が何者かは理解しました。それでは、どうして『黒鬼』が再臨したなどと考えたのですか?」


 複数の勇者が同時召喚されることはあるが、勇者が一度召喚された世界に舞い戻るという話は耳にしたことがない。


 そも、侑姫の前に他の勇者が召喚されていたこと自体、信じられない話なのだ。同一世界が何度も滅亡の危機に陥るなど、普通はあり得ないのだから。


「根拠はありますわ。実は、小隊との連絡が途切れる少し前に、その近辺で謎の膨大な霊力が観測されました。これは、かつて『黒鬼』がこの世界に現れたであろう時と同様の現象であり、勇者さま──ユキさまが召喚された時にも類似したものが見られました」


「確かに、それは強い根拠になりますね。でも、それだと勇者が出現したことは証明できても、それが『黒鬼』であるとは断言できないのでは?」


 そう侑姫が問うと、エリザベートは頬笑んだ。ただの笑みではない。歴戦の猛者たる侑姫でもたじろぐほど、仄暗い感情を湛えていた。


「申し上げましたよね、『黒鬼』の時と同様・・であると。あ奴の霊力を間違うなどあり得ません。あれは間違いなく『黒鬼』の霊力でしたとも」


 感情の正体は憤怒か、あるいは憎悪や嫉妬。どちらにしても、宜しくない執着を抱いているのは確かだった。彼女は二十半ばではあるが、『黒鬼』と対面したことがあるらしい。


「我々は今後、どのように動くのでしょうか?」


 侑姫が息を呑んでいると、ようやく平静を取り戻した将軍の一人が尋ねてきた。


 それに合わせてエリザベートの暗さが嘘のように晴れ、端然とした様子で返す。


「軍の侵攻は一時中断しましょう。『黒鬼』がどのように動くか見極める必要があります。いくら我が軍が強くなったとはいえ、あれを倒すのは不可能でしょうから」


 エリザベートの言に、この場にいた若者のほとんどが眉を曇らせた。彼らは王国軍でもエリート中のエリート。敵わないと言われれば、高く積もった自尊心も傷つく。


 しかし、その不満を口にすることはなかった。相手は司令官であり王女。立場を弁えるくらいの分別はあるのだ。


「見極めた後はどうするのですか? 敵対するのは確実でしょう。あれに対抗できる者がいますか?」


 弱気な発言をするのは、先の戦争を知る将軍の一人。


 対し、エリザベートは笑う。今度は、暗さのない純粋な笑みだった。


「目には目を、ですよ。『黒鬼』の相手は、勇者さまに担ってもらいましょう」


「私が?」


「はい。わたくしの見込みが正しければ、勇者さまも我が軍を容易く壊滅できるのではないでしょうか?」


「……はい、おそらくできます」


 僅かな間を置いてから、侑姫は首肯した。


 この世界に来てから本気を出したことはないが、この二ヶ月で観察してきた限りの王国軍であれば、彼女単独で全滅させられる。まぁ、範囲攻撃をあまり有していないので、それなりに時間はかかるだろうが。


 侑姫の答えに、場の空気が騒ついた。自軍を一人でほふれると発言したのだから当然だ。頼もしそうに見る者もいるが、異質なモノを眺める視線もチラホラ存在した。


 侑姫──勇者にとっては慣れた目であるため、彼女は特に気にはしない。


 エリザベートは続ける。


「それでは話を整理しましょう。この世界に推定『黒鬼』が出現したため、作戦を一時凍結。情報収集を主軸に活動をします。その間、関係のない者はいつ戦闘が始まっても良いように休息を十分とること。『黒鬼』との戦いが発生した場合、主戦力は勇者さまの担当とします。他の者は足手まといにならぬよう気をつけること。以上でよろしいですわね?」


 一同から異論は出ない。


 それを認めたエリザベートは、満足そうに頷いた。


「緊急会議はこれにて終了です。各々の仕事を全うしなさい」


「「「「「「「はっ」」」」」」」


 将軍らは異口同音に唱和し、作戦司令部の天幕を後にしていく。


 侑姫も彼らに続いて外へ出ようとすると、エリザベートから声をかけられた。


「勇者さま、少しよろしいですか?」


「何でしょうか?」


 何かの密命を任されるのだろうか。侑姫は表情を引き締め、彼女の方へと振り返る。


 エリザベートは苦笑を浮かべた。


「ご安心ください、仕事ではありません。この後、事態が大きく動くまでは、自由にすごしてもらって構わないとお伝えようとしただけです」


「自由行動をしてもいいと?」


「ええ。あまり本陣から離れられるのは困りますが、外出していただいても大丈夫です」


「それは願ったりな提案ですが……」


 『黒鬼』という強者に当てがうのだから、それまで無駄な体力を使わせないためだと分かる。しかし、外出も許可されるとは思ってもみなかった。普通、主戦力は手元に置いておきたいはずだ。


 表情から彼女の内心を読み取ったのか、フフフとエリザベートは笑みを溢す。


「ずっと引きこもっていては気が滅入ってしまうでしょう? この世界にお越しくださってから、自由に歩き回っていないと思いまして。大丈夫、たとえ突発的な問題が起こっても、最悪、勇者さまが駆けつけてくださるまでの時間は稼げます。わたくしは勇者さまのことを信頼しておりますよ」


「……そこまで仰ってくださるのなら、お言葉に甘えさせてもらいます」


「はい。良い気分転換をなさってください」


 侑姫はエリザベートから視線を切り、天幕の外へ出る。


 思ってもなかった休暇が湧いてきた。正直、命令された仕事に没頭していた方が気が紛れるのだが、せっかくの厚意は無下にできない。といっても、やることなど何も思い浮かばないのだが。


「とりあえず、周辺の散策でもしてみよう」


 自身の天幕へ向かう道すがら、彼女はそう小さく呟いた。

 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る