004-1-03 戦いの余波

 一週間が経った。あれから蒼生あおいの思い出の地(小学校や家族旅行で何度も訪問した場所など)をいくつも周ったが、彼女の記憶が掘り起こされることはなかった。記憶は跡形もなく消滅したのでは? と疑いたくなるほど、うんともすんとも反応が見られない。異能を使う時の拒絶反応から、どこかに記憶が残っているのは確かなのだけれども。


 何ひとつ成果を得られていないが、そろそろ島に戻らなくてはいけない。外出許可自体は月末まで確保してあるのだが、着替え等の荷物は一週間分しか用意していなかったからだ。


 迫り来るタイムリミットのせいで、蒼生は徐々に焦りを募らせていく。焦れば焦るほど記憶の想起は難しくなっていく。負のスパイラルだ。


 それを見かねた一総かずさは、気分転換を提供することにした。丸一日を休息に当て、買い物へと誘ったのだ。時間がないと渋っていた蒼生だったが、彼の強い勧めによって、最終的には折れることとなった。


 都内でも有数の繁華街を練り歩く二人。最初こそ乗り気でなかった蒼生だったが、様々な商品や景色を見るにつれて、夢中になっていく。島の外を知らない彼女にとって、ひとつひとつが珍しく映るのは当然だった。


 立ち食いをしたり、小物や洋服などを買ったり。ナンパを追い払う恒例の問題も起こったが、概ね有意義な休暇を楽しんでいく。そうして、十二分に繁華街を堪能した二人は、少し早めの夕食を取ることにした。


 お金の心配は無用なのだが、蒼生がここで良いと言うので、安価なファミリーレストランで食事を済ませる。


 食後、安くて不味いインスタントコーヒーを飲んでいると、デザートを口にしていた蒼生が疑問を投げかけてきた。


「ねぇ、かずさ」


「なんだ?」


「この街、どこか暗くない?」


「そうか?」


 一総はカップをテーブルに置き、窓外の景色を眺める。


 夕暮れと闇夜の中間、赤紫を彩る空は優美。その下に広がる街並みも人工の光で輝いていた。決して、暗いという印象は受けない。


 ということは、物理的な明暗ではなく雰囲気が暗いと言いたかったのだろうが、それも肯定しづらい。一総が振り返る限りでは、この繁華街に空気が悪いところなど見受けられなかったためだ。


 一総が釈然とせずにいると、蒼生が補足を始めた。


「はっきり暗いと感じたわけじゃない。何となく、盛り上がりに欠けてるような……そんな気がしただけ」


「なるほど」


 要するに、いつものやつか。


 稀に、蒼生は他人には分からない超感覚を発動することがある。それが何に由来しているのかは判明していないが、これまでの経験上、当たっていると考えるべきだ。


 重要なことに繋がるかもしれないので、一総は真剣に心当たりがないか思考していく。そして数分後、蒼生の言う原因に気がついた。


 額に片手を当て、溜息交じりに答える。


「村瀬が言ってるのは、不景気のせいだ」


「不景気なの?」


「ニュース見てないのか?」


 首を傾ぐ蒼生を見て、一総は彼女の質問には答えず、問い返した。


 そんな無作法を気に留めることなく、蒼生は首肯する。


「うん。あまり面白くないから」


 子供じみた返答であったが、然もありなん。記憶喪失の彼女にとって、世間の情勢など聞いてもチンプンカンプンなのだろう。


 とはいえ、一切情報を仕入れていないのは宜しくない。些細な情報の有無が生死を分かつこともあるのだから。


「一日一回でもいいから、見ておいた方がいいぞ」


「わかった」


 一総の指摘に対し、即座に頷く蒼生。こういう素直さは彼女の美点だ。


「っと、話が逸れたな」


 伝えるべきことを伝えたので、本来の話題へと軌道修正をする。


 一総は周囲に防諜結界を施してから、話を切り出した。


「今、世界は恐慌寸前までの不景気に陥ってる。最大の原因はイギリスの権威失墜だ」


「イギリス……」


 思うところがあったのか、蒼生は意味深げに呟いた。


 それも当然だろう。つい一ヶ月ほど前に、イギリス──というより、その背後に潜む者たちと衝突したのだ。


 一総は蒼生の反応を認めつつ、話を続ける。


「君の想像通り、この間のテロに英国アヴァロンが加担したことが影響してる。各国から糾弾を受け信用を失ったイギリスは、経済的に大打撃というわけだ」


「それだと不景気になるのはイギリスだけ」


 もっともな質問をする蒼生。


 確かに今の説明だけでは、不景気が日本にまで波及する理由にはならない。だが、きちんとした原因は存在した。


「イギリスは、アヴァロンという制度を一番初めに設立した国なんだ。そこから分かるように、あの国は異能の研究に積極的で、世界最先端を行っていると評しても過言じゃない。異能研究は誰もが注目する分野。だからこそ、あらゆる企業が多額の投資をしてたんだよ」


 勇者召喚が発生してから五十年。彼らが持ち帰ってきた異能により、現代社会には多くの異能の恩恵がもたらされている。最先端科学の後押しや軍事方面もそうだが、一般人の身近にある医学や家電のパーツなどにも生かされているのだ。もはや、異能抜きでは社会が回らないと言っても良い。


 必然、大企業のみならず、大多数の資産家がイギリスに投資するようになっていった。


 そこまでの説明を聞き、蒼生は得心がいったと頷く。


「つまり、イギリスの失墜イコール企業や資産家の大損?」


「そういうこと。金を回す者たちが破産すれば、不景気になって当然だろう」


 英国アヴァロンがテロに加担したことは公言されていない。しかし、人の口には戸を立てられないと言うし、一度でも相場が下降してしまうと歯止めが利かなくなる。結果、投資していた企業や投資家は破産ないし多くの資産を失ったのだ。


「大企業は、一社を除いて打撃を受けたみたいだ。どこも多額の投資をしてたってさ。そう考えると、村瀬の言ってた『街が暗い』っていうのも納得できる」


 一通り話し終え、一総はコーヒーで喉を潤す。


 蒼生は口元に指を当て、無表情ながらも感慨深そうな雰囲気を出していた。


「『三千世界』のテロは、あながち失敗に終わったわけでもなかったってこと?」


「まぁ、しばらく経済は停滞するだろうし、示威行為としてなら成功してるな」


 もし、誰か一人でも生き残っていたのなら、「この不景気は、異能者を縛りつける現社会構造がもたらしたものだ!」などと言って、テロ活動の後押しにしたに違いなかった。たらればにすぎないけれど。


 虎視眈々と準備を進めていたにも関わらず、たった二度の作戦で壊滅してしまったテロ組織。なんて憐れなのだろうか。


 そんな風に、今は亡き『三千世界』に想いを馳せていると、蒼生がふと呟いた。


「不景気を逃れたっていう大企業一社は、よっぽど経営上手」


 それは特に意味のない感想だったのだろう。彼女に、発言した内容以上の意図はなかった。


 だが、一総はそのセリフに過剰な反応をした。


「あれは経営上手とか、そういうんじゃないさ」


 珍しく感情を多分にこめた声音を出す一総。どことなく怨嗟にも似た情が見え隠れし、いつも冷静に振る舞う彼らしからぬ挙動だった。


 蒼生は瞠目しながら問う。


「どういうこと?」


「……いや、何でもない」


 ハッと我に返った一総は、手を軽く振って煙に巻こうとする。


 それからファミレスを退店するまで何度か同様の質問をしたが、彼が答えを口にすることは一切なかった。

 

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