004-1-02 生家

 蒼生あおいの生家は、街中でも富裕層寄りの区画に建っていた。敷地も一般家庭のそれより広く、彼女の両親が金持ちであったことが窺える。


 静謐な空気が流れる街並み。自身がかつて暮らした家を前にして、蒼生はジッと立ち尽くしていた。


 彼女はこの建物のことを覚えていないはずだが、それでも感じ入るところがあるのだろう。一総かずさは口を挟むことはせず、黙って背後で待つ。


 どれくらい経過したか。炎天下の中、ずっと棒立ちしていたせいで、滝のように汗をかいてしまっている二人。そろそろ健康を害するかもしれない。


 アヴァロンでならまだしも、一般人の前で異能を使うのは混乱を招くと自重していたが、さすがに解禁すべきか。


 一総は冷却の魔法を行使しようとする。


 だが、発動の前に蒼生が動いた。


「待たせてゴメン。中に入ろう」


 鍵を片手に、玄関へ向かう彼女。


 操作し始めた魔力を止め、一総も後を追った。




 当たり前だが、家の中に人が生活していた気配は感じられなかった。電気が通っていないため薄暗く、床や家具には埃がかぶってしまっている。


 このまま探索をしては埃塗れになってしまうので、流した汗を綺麗にするついでに、家の清掃も異能で済ませてしまうことにした。瞬く間に汚れが消え去り、新築の如き輝きを取り戻す。


「ありがとう」


「気にするな」


 礼を言う蒼生に、一総は片手を振って返した。


 家中が綺麗になったので、気兼ねすることなく探索を開始する。


 最初に入ったのはリビングだ。家族団欒を重視していたのか、ゆとりある広いスペースが確保されており、そこに暖色系で統一されたソファやテーブルなどのインテリアが置かれていた。そして、テーブルや戸棚の上には、いくつもの家族写真が並べられていた。


「……」


 写真のひとつを手に取り、無言で見つめる蒼生。


 その一枚には当然、幼い蒼生と両親が写っていた。遊園地へ遊びに行った時のもののようで、アトラクションを背景に仲睦まじい様子の三者が写っている。蒼生に至っては、今では決して見られない無邪気な笑みが浮かんでいた。


 しばらく写真を眺めていた蒼生は、元の場所にそれを戻すと、その後も同じように他の写真を手に取っていく。


 手にした写真をジッと見つめる動作を繰り返していき、とうとう最後の一枚を戸棚に戻した。


 蒼生の表情は一片も変わらなかった。懐かしさに笑むことも、喪失感に嘆き悲しむこともない。ただただ、『見る』という動作をしたにすぎなかった。


 彼女が何も覚えていないからだろう。紙に写るそれが過去の思い出だとしても、記憶がない蒼生にとっては、赤の他人の記録映像を眺めるのと大差ない。自分に似た誰かの思い出を覗いている風にしか感じられないのだ。


 見守っていた一総はそんな蒼生の心情を察し、憂いの気持ちを抱く。自分にとって過去は嘆かわしい代物だが、嘆くこともできない彼女は、如何なる心境なのだろうかと。


「次、行こう」


 無表情のまま、蒼生は移動を促す。


 拒否する理由もないので、一総は黙って頷いた。






 それから数時間。家を隅々調べまわったが、蒼生に変化はなかった。母の趣味だったのだろう自作の洋服を見ても、父が収集した推理小説の山を前にしても、昔の自分の私室へ入っても、彼女は何の感慨も抱かない。記憶が想起する兆しなど全くなかった。


「そろそろホテルへ向かおう」


 陽が傾き始め、室内は赤く染め上がっている。移動時間を考慮すれば、もう出発した方が良い。


 一総の提案はマトモなものだったが、蒼生は返事を返さなかった。虚空を──家の中を呆然と眺めて立ち尽くしている。


 自分の記憶を取り戻すために訪れたと言うのに、最有力候補だった生家の全てが空振りで終わってしまったのだ。彼女がここへ来た理由を考えれば無理もない反応だった。また、自分の覚えていない過去を目撃したことも、少なくない衝撃を与えているだろう。はたで見ているだけの一総でさえ、沈痛な気持ちを湛えているのだから。


 しかし、いつまでも立ち止まっているわけにはいかない。この家にライフラインは通っていないゆえ、宿泊することはできないからだ。勇者である二人に夜道の危険性などありはしないけれど、心情的には明るいうちにホテルへ入っておきたいところだった。


 蒼生の内心を察しつつも、再度声をかける。


「村瀬、家から出よう」


 先よりも少し強めの口調のお陰か、蒼生から反応が見られた。緩慢な動きながらも、チラリとこちらへ視線を向けてくる。


 一総は続ける。


「気持ちは分かるけど、今日はここまでだ。明日以降に周る場所で何か思い出すかも知れないし、ここには再び来ればいい」


 蒼生の思い出の地は、何も生家だけではない。一番思い出深いのは確かにここだが、他にも記憶を想起させられそうな候補は存在する。加えて、この家の管理権は委譲される予定なのだから、何度でも訪問できる。今に固執する必要は皆無なのだ。


 そこら辺の説明を丁寧にすると蒼生も気が落ち着いたのか、静かに息を吐いた。


「ごめん。焦ってた」


 落ち込んでいるようで、彼女は僅かに目を伏せる。


 それに対し、一総は肩を竦めた。


「気にするな。村瀬の気持ちも理解できる」


「ありがとう」


「どういたしまして。じゃあ、ホテルに向かうか」


「待って。これを持ってきたいんだけど、いい?」


 家の外に出ようとした一総を、蒼生は呼び止める。


 彼女の手には数冊の分厚い本が握られていた。それはアルバム。一人娘として大切に育てられていたことが理解できる、事細かな蒼生の成長過程が記された代物だ。


「村瀬のものなんだから、いちいちオレに確認を取る必要はないぞ。好きにしてくれ。でもまぁ……根を詰めすぎるなよ?」


「うん、無理はしない」


 最近表に出始めた、一総の身内に対する不器用な優しさ。ぶっきら棒ながらも、しっかりそれを感じた蒼生は、微かに口角を上げた。


 そうして、二人は夕暮れの街へ繰り出す。


 蒼生の記憶を取り戻す旅は始まったばかり。

 

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