002-4-04 暴露と絶望

 美波みなみの発言と共に魔法陣が煌めき、魔力が高まっていくのが見える。


 真実まみはボーっとしながらも、微かに思考を回していた。


 美波は彼女の心は折れたと判断していたが、実のところ辛うじて持ち堪えていたのだ。過去の経験や、彼女を受け入れた者が他にもいたことが大きな要因だった。


(センパイ……)


 真実が最初に頭に思い浮かべたのは、今では唯一となってしまった後者の要因。伊藤いとう一総かずさについてだった。


 態度は冷たく素っ気ない上、かなりの面倒くさがり。変な噂は絶えないし、困っている真実に一切の協力もしてくれない捻くれた性格の人。


 普通なら近づこうとも考えない相手だが、不思議と彼とは話の馬が合った。些細な会話でも大きく盛り上がり、時に口論になってしまうこともあったが、決して不快ではなかった。何より、ここまで嘘を一度も吐いていないというのは素晴らしい。


 だから、真実が一総を気に入るのに、それほど時間は要さなかった。おざなりな対応をされても離れなかったのは記者生命がかかっていたこともあるが、彼という人間に対して純粋な興味を抱いていたことも大きい。


 密着取材を続けていて気がついたことがある。一見薄情に思える一総だが、彼には全てを差し置いてでも守りたい何かがあるのだと分かった。それが具体的に何を指すかは判然としないが、平穏を楽しむ穏やかな笑顔と時折見せる苦悩の表情、そして蒼生あおいと交わした質疑応答から、何となくそう感じたのだ。


 自身の眼について尋ねたのは、何かを一心に大切にできる彼なら受け入れてくれるのではないかと考えたからだった。結果は言わずもがな。あの時は、思わず泣きそうになるくらい嬉しかった。


(そういえば)


 漠然と一総との思い出を振り返っていた真実は、今いる施設に侵入した本来の目的を思い出した。僅かに瞳の光が戻ってくる。


(センパイたちは無事なの?)


 美波のセリフから、一総たちとは別ルートを通ってきたことは察しがつく。そのせいで、彼らの安否が把握できていなかった。


 手を貸すために踏み出したはずなのに、逆に助けを請う状況に陥っている自分が不甲斐なくて仕方なかった。


 しかし、彼女にできることはない。力量を考えてもそうなのだが、何よりも立ち向かう精神力がなかった。細い糸で保たれている心にて、友人だった者をどうにかしようなどという気力が湧くわけがない。


 今の真実に残されたのは、一総たちの無事を祈ることのみだった。


 ところが、そんな健気な祈りすらも美波は嘲笑う。


「あらら、まだ心が折れてなかったんだ~? まだ、希望が残ってるのかな?」


 真実の瞳に光が戻ったことを敏感に察知した美波が、下卑げびた笑みを浮かべる。わざとらしい語調から、良からぬことを考えているのだと察することができた。


 彼女は粘っこい声音で続ける。


「……なんて、そんなのひとつしかないよね。『異端者ヘレティック』のことでしょう?」


「ッ!?」


 ずばり言い当てられてしまい、息を呑む。


 美波は嗤う。


「あははははは。わっかりやすいなぁ、真実ちゃんは。そっかそっか、自分の命が危うい状況で『異端者』のことを考えちゃうくらい、彼のことが大事なんだねー。いつの間に、そこまで仲良くなったことやら」


 意外と手が早いのかな、などと嘯く美波。


 彼女は魔法陣を動かす手を止め、顔を近づけてきた。


「そんな健気な真実ちゃんに敬意を表して、ひとつの真実しんじつを教えてあげるね」


「……」


 真実は眉を寄せる。


 口角を歪ませた美波の表情から、ロクでもないことを言い出すのは目に見えていた。だが、少しでも彼の無事を確認できる根拠が手に入るのであれば構わないと、無言を貫き通す。


 美波は簡潔に言い放った。


「『異端者』は真実まみちゃんを見捨てたんだよ」


「…………………………………………………………え?」


 反応をしたというよりも、自然と声が漏れてしまったという方が正しかった。それくらい、美波の発言は呑み込みがたいものだった。思考がフリーズしてしまい、いくら時間を置いても言葉の意味を理解できない――否、理解することを拒絶していた。


 とはいえ、いつまでも逃避できるわけがない。徐々に思考が回っていき、現実に直面することになる。


 口を開いては閉じるという行為を繰り返す真実。本当は嘘だと切り捨てたかったのだが、その言葉が実際に形になることはない。美波が嘘を吐いていないことが理解できてしまっているから。


 受け入れてくれたと思ったのに、あれは嘘だったのか。いや、あの時は嘘を吐いていなかった。でも、美波も嘘は吐いていない。ということは、心変わりしたのか。でも、彼は――――。


 でもでもでもでもでも。そう頭の中で繰り返す否定句。混乱して加速した思考は、難解な知恵の輪の如く絡まり捻じれていく。


 目を回しそうなほど考えを巡らせる真実を愉しそうに眺めながら、美波はさらに絶望の種を撒いていく。


「『異端者』が真実ちゃんに何をしたのかは知らないけど、見捨てたって根拠はちゃんとあるんだよ」


 彼女が取り出したのは紙束。文字が細かに並んでいるそれは、何かの資料のようだった。


「空間遮断装置を奪えって指示されてから色々と準備のために調べてたんだけど、これはその過程で見つけた政府の極秘資料なんだ。タイトルは『異端者の真の実力について』」


 思考の渦に飲まれていた真実がピクリと反応をする。


 そして、呆然と呟いた。


「真の、実力?」


「うん。風紀委員長や新米コンビが考えてたのと同様に、政府も『異端者』が本当はもっと強いんじゃないかって推測してたみたい。この資料はその推察をまとめた代物だよ。プロテクトが他の極秘資料よりも甘かったから、可能性のひとつ程度の重要度の低いものみたいだけど」


 美波は資料の一部を読み上げる。


 経緯としては、『異端者』の実力を下に見る噂が過剰に流れていたため、意図的に流されたものではないかという疑いの元、彼の実力を測る計画が立てられたらしい。大衆の印象を操作するほどの力は『勇者ブレイヴ』を持ってしても難しいからだ。


 結果は見事に空振り。何ひとつ成果は上げられなかった。


 ただ、疑念は残ったままであったゆえに、いくつかの推察を資料として残した。


 曰く、『異端者』は渡った異世界の数を偽っており、今もなお召喚され続けているのではないか。


 曰く、【空間】系の異能を所持しており、自由に異世界を行き来できるのではないか。


 曰く、異能を創造する異能を所持しているのではないか。


 などなど。荒唐無稽な考察が多いものの、様々な見解が記されていた。


 一通り読み終えると、彼女は指を立てる。


「こんな感じで『あり得ないでしょ』ってツッコミ入れたくなることが書かれてるんだけど、あながち最初の推察は間違ってないんじゃないかなぁって私は思うんだよねー。異世界に召喚されたことを隠蔽するって、一番現実的じゃない?」


「……あり得ない」


 真実は声を振り絞る。


 それは一総が自分を見捨てたという根拠を否定したい気持ちもあったが、実行が酷く難しいと本心で思っていたからだった。


 確かに、並べられた推察の中では最も可能性があるだろうが、長期的に行方不明になる勇者召喚を隠し通すなど無理に決まっているのだ。


 真実の否定を受けても、美波の表情は揺るがない。嫌らしい笑みが崩れることはない。


「そうかなぁ? 他の人なら無理だけど、『異端者』なら可能なんじゃない?」


「何を根拠に――」


「帰還速度、世界一位」


 なおも否定しようとする真実の言葉を遮って、美波は言葉を紡いだ。


「誰よりも早く帰還できる彼なら、他人に悟られない時間で帰ってくることくらい可能だとは思わない? 実際に『異端者』は毎週一日以上必ず学校を欠席してて、その際は一歩も外出をしていないっていう記録が残ってるもの」


「そ、そんなのこじつけじゃない!」


 一総であれば、召喚されたこと自体を隠蔽できる可能性があるのは確かだ。しかし、それは彼が週に何度も召喚されていること――元を辿れば、『勇者』以上の実力を隠し持っていることを前提にしなければ成立しない暴論だ。前提が虚構にすぎなければ、その推察は何の意味も持たないのだ。


 やはり一総に見捨てられたなど、事実ではない。


 曖昧な根拠を聞き、混乱していた心を落ち着かせる真実。危機的状況が去ったわけではなかったが、いくらか精神が安定した。


「そうだね。真実ちゃんの言う通り、こんな資料は仮定に仮定を重ねた妄想にすぎないよ。だから、重要度の低い保管場所にあったんだろうし」


 だが、しかし。真実の心が回復してしまったというのに、美波は笑みを絶やさない。フルコースでようやくメインディッシュが回ってきた時のように、嬉しそうに自分の唇を舐めた。


「でもね、仮定は実証されたんだよ」


 彼女はクツクツと笑った。


「テロってね、少しでも不安要素があるのなら潰しておくことが成功の秘訣なんだ。だから、この資料を読んだ時、念のために『異端者』を徹底的に殺しておこうと考えたの」


「それじゃあ、センパイは!?」


 殺されたのかと邪推した真実は、焦って声を上げる。


 美波は首を横に振る。


「ううん、『異端者』は生きてるよ。それどころか、一緒にいた新米コンビも無傷だし。誰にも悟られないよう遠隔操作で術式を付与したし、一番威力の高い爆弾を至近距離で爆発させたはずなのに、どうしてだろうねぇ」


 殺害が失敗したはずなのに、彼女は愉しそうに笑んでいる。


 その反応の意味が分からず、困惑を隠せない。


 真実の理解が及んでいないと悟った美波は、ゆっくり語ってみせた。


「私が用意した爆弾は人間の有する力の全て・・を圧縮し、爆散させるというもの。いわゆる人間爆弾なんだけど、これを無傷で抑え切るっていうのが、どういう意味を指すか分かる?」


 言葉を向けられるが、真実は答えられない。何を問われているのか、さっぱり理解できなかった。


 それを認めた美波は続ける。


「異能って、体内の力を動力源にするモノがほとんどじゃない? 体力、魔力、霊力、神力などなど、違う力を消費する異能はいくつもある。で、現在判明してる消費する力の数って十五を超えるんだよ」


「ッ!? そんな、じゃあ……」


「気づいたみたいだね。魔力は魔力で、霊力は霊力で防御するのが一番効率的。もちろん別の力で防ぐことも可能だけど、完全に封殺はできない。つまり、体内全ての力が混じった爆発を完璧に抑え込んだ『異端者』は、体内全ての力を行使できるだけの力量があるということ。判明してるだけでも十五を超える力を、ね」


 十五の異能を持つ『勇者』でさえ、行使できる力は十五未満だ。それは同じ力を消費する異能を複数持っているから。それなので、『勇者』は人間爆弾を無傷で凌ぎ切ることはできない。


 だというのに、一総が完全に防いでみせたというのならば、それは彼が『勇者』を超える実力を持っているという証左に他ならなかった。


 毎週異世界に行っていることは証明できていないが、少なくとも五回は勇者召喚された事実を隠蔽しているのは否定しようがなかった。


「さて、真実しんじつに近づいた真実まみちゃんに問題です」


 驚愕する真実を愉快そうに眺めながら、美波は最後のトドメの言葉を贈る。


「『勇者』以上の実力者なのに、真実ちゃんの危機的状況に駆けつけないのは何故でしょう?」


 実力者だからといって真実の危機を察知できるとも限らないし、そもそも助けてもらおうなどと傲慢なことを彼女は考えていなかったのだが、そのことへ思考を回す余裕はない。友人の裏切りに動揺し、突きつけられた事実の数々に驚愕した真実の頭は、何度も落ち着きを取り戻そうとも混乱したままだったのだ。美波が嘘を一切吐いていなかったことも要因のひとつだろう。


 ゆえに、真実は誘導された結論へと至ってしまう。


「センパイは……私を、見捨てた?」


 最悪の一言を呟いた瞬間。



 ――ピシリ。



 何かが砕ける音が、静かに響いた。

 

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