002-4-05 過去と救済

 田中たなか真美まみは一般家庭の生まれだ。裕福でも貧しいわけでもない、大衆がイメージするだろう普通の家にて、両親と共に生活を送っていた。彼女自身も、愛らしい容姿と勉強の不出来以外は、特筆することのない平凡な能力の少女だった。


 変わることのない日々をすごすのは年頃の少女にとって退屈だと感じることもあったが、心から不満を抱くことはなかった。愛する両親がいて、仲の良い友人に囲まれた毎日は、確かに幸せだったから。


 しかし、そんな彼女の幸せは脆くも崩れ去ることになる。中学一年の夏、真実は勇者召喚によって異世界に飛ばされたのだ。


 異世界での生活は、平和に生きてきた彼女にとって地獄だった。召喚早々に盗賊に追われるわ。奇跡的に風の精霊と契約して盗賊を撃退するも、偶然居合わせた王侯貴族に拘束されるわ。勇者と分かるや否や軟禁生活を送らされるわ。本当にロクな目に遭わなかった。


 そして何より、真実を一番苦しめたのが貴族の粛清。嘘を看破する魔眼を利用して、彼女を軟禁していた王国の不正を取り締まることを命令されたのだ。


 思い出すのも嫌になる。国のために奔走していた大臣が、他国に情報を漏洩していた裏切り者だったり。笑顔で孤児たちの世話をしていた聖女が、裏では子供らを虐待していたり。色々と親身に相談に乗ってくれていた勇者つきの侍女が、実は国に命令されただけで、本音では真実のことを気味悪がっていたり。


 これらは序の口で、もっと胸糞悪くなる嘘が大量に蔓延していた。真実が心底嘘を嫌うようになっても仕方ないほどに。あのような環境で生活して、よく正気が保っていられたものだと、我が身のことながら感心する。


 そうして嘘を見破り続けること二年近く。未だに何がキッカケだったかは判然としないが、真実は元の世界へ帰ることが叶った。


 ようやく、ドロドロした嘘と対面しなくて良くなることに歓喜し、大好きな両親や友人に再び会えることに心を躍らせた。心配かけただろう父母に、何と謝ったら良いだろうか。そんなことを考えながら、彼女は異世界から帰還していった。


 ――だが、真実にとっての真の地獄は、ここからだったのだ。


 彼女が帰還したポイントは自宅のリビング。そこにはテレビを見ながら茶を飲む両親の姿があった。最初は驚愕した表情をする二人だったが、すぐに笑顔になった。真実も二年振りの再会とあって、涙を流しながら両親へと駆け寄った。


 感動の再会となるはずだった。


 抱擁し合う三人だったが、両親が紡ぐ言葉に彼女は凍りつくことになる。


「この二年、どれだけ心配したことか」


「帰ってきてくれて嬉しいわ」


 普通ならば、娘の帰還を喜ぶ親のセリフに聞こえるだろう。ところが、真実は普通ではなく勇者だった。彼女の魔眼は否応なく虚偽を見極めてしまう。


 二人の発言は真っ赤な嘘だった。それも誤魔化した程度ではなく、正反対のことを言った時の強い反応を示していた。つまり、両親は娘のことなどこれっぽっちも・・・・・・・心配しておらず、帰還したことを一切喜んでいないことになる。


 真実は青ざめた。全身の血の気が引くのを実感した。


 両親の顔をまじまじと見つめ、問うてしまう。目をつむっていれば壊れないモノを、嘘が許せない彼女は尋ねてしまう。


「ふ、二人は、私のこと……好きだよね?」


 声が震えた。先程の反応は勘違いであってほしいと願った。


 しかし、現実はいつだって無情なのだ。


「もちろんだとも」


「娘だもの。愛してるわ」


「!!??」


 全て・・が嘘だった。今までにない強い反応が見られた。


 二人は真実のことを強烈に嫌悪していて、加えて娘でもないことが発覚した。後日調べて判明したことだが、両親だと信じていた二人は叔父夫婦で、本当の両親は事故で亡くなっていたらしい。二人は真実のことを疎ましく思っていたが、亡くなった両親の遺産を好き勝手に使えることと、世間体を気にしていたがために表立って邪険にすることはなかったようだ。


 友人たちも同じだった。顔さえ合わせてくれない者もいたし、会ってくれた者も嘘しか発さなかった。


 ショックだった。真実の帰りを望む者どころか、生き残ったことを喜ぶ者さえ一人もいなかったことに。


 自分に向けられていた愛情が、友情が、全て偽りであったなど信じたくなかった。それでも信じざるを得なかった。根拠となる眼が存在してしまったがゆえに、彼女は自分の抱いていた幸せが張りぼてであることを認めるしかなかった。


 家族や友のために必死で頑張ってきたというのに、あの異世界での努力は何だったのだろうか。


 考えるだけで心が張り裂けそうになる。意識が混濁し、今にも嘔吐しそうになる。無駄だと断ずるには、彼女は異世界で精神を消耗しすぎていた。あれだけの苦痛を受けておいて徒労で終わるなど、真実には認められなかった。妄想であっても良いから、自分の帰還を望んでいる誰かが世界のどこかにいるはずと思い込まなければ、心を保てそうになかった。


 この時の痛みは、真実に一生癒えぬ傷を刻み込んだ。


 本来は発動の有無を切り替えられるはずの魔眼を常時行使してしまうのは、無意識下で他人のことを信用し切れていないから。美波みなみの裏切りに歯向かう気力を失うほど動揺し、一総かずさに見捨てられたと認識したことで心折れるほど絶望したのも、このトラウマが存在したからだ。


 真実という人間は、人一倍他人を疑いつつも、誰よりも自分を受け入れてほしいと願うか弱い・・・少女だったのだ。





 極上の笑みを浮かべる美波。至高の料理に舌鼓を打つ美食家の如く、表情を大きく歪めて嗤う。


「あははははははははは、最っ高だよ! 絶望に染まる瞳はいつ見ても綺麗だ! これだから他人をおとしめるのは止められない!」


 酷く残忍なことを宣っているが、真実に反応する力は残っていない。ただただ光のない瞳で虚空を眺めるのみ。


 親友だと思っていた者に裏切られ、受け入れてくれると信じていた者に見捨てられた。それは『誰かが自分の帰還を望んでいるはず』という思い込みを壊すには十分の破壊力で、そのせいで彼女の心は均衡を崩していた。


(誰も私の帰還を望んでなかった)


 かつての友人たちが浮かべた「今さら帰ってきたのか」という表情を思い出す。


(誰も私を愛してなかった)


 育ての両親が放った虚言を反芻しては、胸に強烈な痛みを感じる。


(誰も私を受け入れてなかった)


 一総に質問を投げかけた時のことを振り返ると、これまで以上の苦痛が襲ってくる。辛くて悲しくて虚しくて遣る瀬なくて……やっぱり一番は悲しくて。どうしてこんなにも感情が溢れてくるのかは分からないけれど、どうしようもなく胸が苦しかった。


 そうこうしているうちに、目の前に掲げられた魔法陣が煌々と輝き始める。美波がトドメを刺そうというのだろう。残された時間は、もうない。


 ――ピシリ。


 先に聞こえた何かが崩れる音が、再び耳に届く。


 この音は自分の心が砕ける幻聴なのだろうか、いよいよ限界なのかもしれない。そう内心自嘲しつつ、己が人生を顧みる。


 どれもこれも偽りの幸せだった日常。本当の幸福など、何ひとつなかった。


 嗚呼、と彼女は頷く。


「……私の人生、なんて無意味だったんだろう」


 口内で溶けて消えてしまいそうなほど弱々しい声。


 誰にも聞こえるはずがなかった。現に、目前にいる美波は反応していないのだから。


 しかし、


『無意味なんかじゃない』


 返答が確かにあった。ここにいないはずの彼の声が、はっきりと聞こえた。


 ――ピシリ。


 驚愕した真実が辺りを見渡そうとするのと同時、ひと際大きい音が響く。それは室内全体に反響するほどの音量だ。


「なっ、そんなバカな!?」


 美波が何かを目撃し、動揺を見せる。


 真実は状況が把握できていなかったが、先程まで聞こえていた音が幻聴でなかったことは理解した。


 真実と美波の二人が行動を移す暇もなく、事態は一転する。


 真実の背後にあったコンテナが吹き飛んだ。彼女の陰以外、その他一切を残さずに破砕音を鳴らして部屋の奥へと飛んでいった。それに巻き込まれ、美波も後方へと転がっていく。真実の陰に残った部分も、大部分を失ったために形を保てず崩れ去った。


 拘束されていた魔力と壁が急に消えたせいで、真実はフラリと倒れてしまう。――が、それは何者かによって支えられた。


 呆然とする真実。彼女の視線は、彼女を支えた者に向けられていた。


 その者は、この場にいないはずの人物。この場に来るはずのない人物だった。


「センパイ……」


 零れる言葉。


 そう、突如として現れたのは、見捨てたと思っていた一総だったのだ。


「全く。こんなに突破が面倒な結界張りやがって。……無事か、田中?」


「え、あっ、はい」


 いきなり声をかけられ、真実は思わず頷いてしまう。


 彼はいつもと変わらぬ面倒くさそうな表情をしていた。ケガも一切見られない。まるで、つい先程まで日常の中にいましたと言わんばかりの様子だった。


 一総の無事を確認できてホッと胸を撫で下ろす彼女だったが、すぐにかぶりを振る。それよりも尋ねなくてはいけないことがあった。


「せ、センパイ。ど、どうしてここに……?」


 震える声で問う。見捨てたはずでは、などとは聞けなかった。肯定されてしまうのが怖かったのだ。


 問われた一総は一瞬キョトンとしたが、すぐに肩を竦めて答える。


「どうしてって、君を助けに来たんだよ。まぁ、ガラじゃないのは分ってるけどさ」


 何てことない風に言う彼はどこまでも自然体だった。


 魔眼は判別している、嘘はないと。


 一総は自分を見捨ててなどいなかったと確信した。助けに来てくれた嬉しさと、彼を疑っていた恥ずかしさで、気持ちがぐるぐると空回る。


 そんな彼女へ、一総は告げる。


「田中の人生は無意味なんかじゃないぞ」


「ッ!?」


 息を呑んで硬直する真実。


 その反応を受けて、一総は苦笑する。


「会話の一部始終は聞いてたんだ。君がどういった経験をしてきたのかは知らないが、それが無意味だったとは思わない。これは恩人の受け売りだけど、誰か一人でも――自分でも他人でもいいけれど、それを認めてくれる者がいるなら、それは価値あるモノなんだ。少なくとも、田中のことはオレが認めよう。何だかんだ言って君と話すのは楽しかったからな。君のこれまでがあったからこそ、オレたちは今の形で関係があるんだろう?」


「…………」


 真実は言葉を返せなかった。


 一総が語ったことは、まさに彼女が一番求めていたこと。


 自分の進んできた道が無駄ではなかったと、自分のことを受け入れてくれると、そう彼は言ってくれたのだ。


 両親の愛は、友人の絆は偽物だったけれど、真実の人生そのものは偽物ではなかった。こうして、認めてくれる人が現れたのだから。


 待ち望んだ言葉を受けて感情が溢れ返ってしまい、とうとう真実は涙を流してしまう。とめどなく零れる雫を止める術はなく、赴くままに泣くしかなかった。


「お、おい。大丈夫か?」


 珍しく焦った様子の一総。


 真実は首を振る。


「ず、ずみまぜん。じ、自分でも止められなぐで……少じじだら止まりまずがら」


「そうか? だったら、邪魔にならないよう下がっててくれ。村瀬、頼む」


「わかった」


 背後――出入り口の方へ声をかける一総。


 すると、短い返事があり、すぐに蒼生あおいが姿を現した。どうやら、隠れて様子を窺っていたらしい。


 一総は支えていた真実を蒼生に渡すと、部屋の奥の方へと視線を向ける。


「これから戦闘になるから、巻き込まれないところで隠れててくれ」


「わかった」


 蒼生はコクリと頷くと、真実を連れて部屋の外へと歩き出す。


 真実は焦った。


「えっ、センパイは!?」


「オレはエヴァンズを抑えておく。心配しなくても、ちゃんと後で合流する」


 心配を多分に含んだ声音に対し、一総はおざなりに片手を振って返した。


 何とも不安になる気楽さだが、彼女は唇を噛んで、それ以上は追及をしなかった。自分を認めてくれた人を、少しは信用してみようと思ったのだ。いつまでも他人を疑い続けるだけではいたくないという、真実の覚悟の現れでもあった。


 蒼生に肩を貸してもらいながら、部屋の外へと脱出する。


 そのまま無言で進んでいく二人。時折、一総のことが気になったが、振り返ることはなかった。


 しばらくして、ようやく落ち着ける場所まで辿り着いたところ、ふと蒼生が口を開く。


「私も」


「え?」


「私もまみ・・のこと、認めてる」


 無表情の少女が先程の一総と同じことを語っているのだと理解した。


「あ、ありがどうございまず」


 再び溢れ出す涙。


 真実が泣き止むのは、まだまだ先のことになりそうだった。

 

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