006-5-06 混戦

「何と言われようと、アタシはあなたを止める」


「チッ」


 彼女の堂々とした面持ちを見て、グインラースは舌を打った。


 おそらく、動揺させて戦いを有利に運ぶよう画策していたのだと思われる。使用する異能ではグインラースに軍配が上がるけれど、技量を含むその他により、戦況はミュリエルが優勢だったのだから。


 このまま戦い続けるのは望ましくないと考えているのだろう。巧妙に隠してはいるが、彼から微かな焦りが見られた。


 ミュリエルにとって絶好の機会。優勢といっても五分に等しい実力差なのだから、このチャンスを見すごす容赦はなかった。


 タイミングを見計らい、彼女は後詰めの術を発動する。


「【闇の帳ダーク・カーテン】」


 ミュリエルが口ずさむと共に、周囲一帯が闇に包まれた。ただ一片の他色を許さない黒が景色を塗り潰し、残るは術者たるミュリエルと敵対者のグインラースのみである。


 普通の闇ではない。もしそうであれば、二人の姿さえ掴めなかっただろう。この闇は外界遮断や闇精霊魔法の強化が主であって、視界を遮るものではなかった。


 わずらわしげに眉をひそめたグインラースは、羽虫を払うように手を振った。すると、手の軌跡の先の闇が一文字に斬り裂かれる。


 空間魔法による裂傷は周辺の闇を巻き込み、徐々に傷跡を広げていく。このまま放置したら、すべての闇が払われるに違いなかった。


 だが、ミュリエルの施した術が、そう簡単に打ち破られるはずがない。


「チッ、この程度じゃダメか」


 傷跡から外へ脱出しようとしたグインラースが、動かしかけていた足を止める。視線の先にあるのは、触手状の闇が編みものの如く傷跡をふさいでいく光景。彼が先程放った空間魔法は、いつの間にか消滅していた。


「あなたの攻撃がアタシのドレスを傷つけられなかった時点で分かっていたでしょう? あなたの魔法はアタシの魔法には勝てない」


 油断せず緊張感を湛えながらも、ミュリエルは勝利を確信した調子で言った。それからグインラースへと突貫し、再び戦闘を始める。


 勢いづいた彼女を止められず、致命傷は避けているものの、グインラースは刻一刻と体力を削られていった。もはや勝敗は見えていた。


 本来、さしもの『精霊化』と言えど、空間魔法には太刀打ちできないのが道理。それだけの格差が、ふたつの魔法の間にはあった。


 だが、今回の件に限っては、ふたつの勝利の条件が揃っていたのだ。


 ひとつは、当然ながら術者の練度の差。グインラースの腕は王国内でトップ──実力を隠蔽していたナディアを除く──だったかもしれないが、所詮はその程度。十年間も死にもの狂いで鍛錬を続け、魄法をも習得したミュリエルには遠く及ばない。切り札である空間魔法も、この一年で覚えたつけ焼き刃にすぎなかった。


 もうひとつは、ミュリエルの使うものが、普通の『精霊化』とは異なっていたこと。契約した精霊が女王なのは無論、彼女たちは魂合わせによりシンクロ率がほぼ百パーセントに至っている。倍の魂量──出力を以って、完璧に精霊魔法を扱えるというわけだ。精霊本人が行使する精霊魔法は別次元の強さで、霊術と魄法の関係に近い。


 加えて、ミュリエルは精霊魔法に魄法を混ぜて行使している。人の枠を超えた術を二種類も発動していたら、如何に空間魔法でも圧倒することは不可能だった。


 練度差と特殊な異能のかけ合わせ。この二点により、ミュリエルは僅かながらグインラースを上回れた。すべて、彼女の覚悟と努力ゆえの結果だ。


「【虚ろと帰せ爆ぜろ】!!!」


 実力で敵わず、逃亡も叶わず。一方的に傷を負っていく状況に業を煮やしたのか、グインラースは強行策に出た。【偽詠唱スペル・カバー】といった高等技術を駆使して、自分を巻き添いにした特攻を放ったのだ。


 彼を震源に、【闇の帳】全域の空間が破裂する。物質や非物質を問わず、一切合切を消滅させる滅びの爆発が発生した。


 これは、さすがのミュリエルも堪らない。【闇中転移ダーク・ウォーク】でグインラースから可能な限り距離を取ると、自身にできる最大限の防御術式を展開した。


 防御越しに強い衝撃が伝わってくる。完全に防ぐことはできず、いくらかのダメージも通ってきた。──が、素早い行動の甲斐もあり、最小限の被害に留めることに成功した。【闇の帳】の方も、かろうじて形を保っている。


 安堵の息を漏らしつつ、ミュリエルは自爆したグインラースを確認する。


 彼も生きていた。五体も揃っている。だが、ミュリエルとは違い防御できなかったため、満身創痍の重傷だった。体中の皮膚や筋肉が爆ぜ、大量の血を流している。意識を保っているどころか、両足で立ちながら憎悪の瞳で睨み続けられるのが不思議で仕方がない。


「もう決着はついたわ。これ以上の抵抗はやめなさい」


「ふざけるな! 俺はまだ戦える、負けちゃいない!」


 ここまでボロボロになっても収められない怒りや憎しみ。国を混乱させたことは許せないけれど、運命に翻弄された彼を不憫に思った。


 ミュリエルの感情の動きを悟ったようで、グインラースはさらに怒りを滾らせる。


「そんな目を俺に向けるな! 俺は同情されるほど落ちぶれちゃいない。負け犬じゃない──ゲホッゲホッ」


 叫びすぎたせいで吐血する彼。言葉で強がっていても、戦える状態にないのは明らかだ。


 このまま問答を続けても不毛なだけ。ミュリエルは大きく一呼吸をすると、グインラースへトドメの一撃を放とうとした。


 今のミュリエルに構えなどいらない。刹那の内に彼の命を刈り取れるはずだった。


 しかし──


「ごふッ」


 次の瞬間に致命傷を負っていたのはミュリエルの方だった。何故か胸に拳大の穴が開いており、背中まで貫通している。いや、まるで見えないが、今もなお、何かが自身の胸に刺さっているのを彼女は感じていた。


「こ、のッ……!!」


 襲い来る激痛を堪え、ミュリエルは自分を中心とした周囲へエネルギー波を放つ。


 すると、突き刺さっていた何かが抜けた感覚があった。


 急いで回復に努める。生身であれば死に直結していたが、『精霊化』のお陰で難を逃れた。一気に体力を削られてしまったけれども、まだ戦える。


 胸の治療を終えると同時に、グインラースではない男の声がかかる。


「いやはや、今の一撃で殺せないとは。さすがはミュリエル第二王女といったところでしょうか」


 声はフラフラのグインラースの側から聞こえる。だが、姿はまったく捉えられない。魄法による眼を行使しても、何者の魂も見えなかった。


 最悪の予想が脳裏をよぎり、ミュリエルは戦慄する。


 思い出すのは、一総からの報告にあった、この世界に残る『ブランク』幹部の存在。かの者は真実まみの魔眼をも誤魔化す記憶操作ができると言う。


 その能力がもし、記憶操作ではなく認識の操作であったら? それを用いれば、ミュリエルに悟られず重傷を負わせられるだろう。【闇の帳】が突破された感覚がないことからするに、もしかすると最初からこの場に潜んでいた可能性もある。


 油断──否、考えが足りなかった。まさか、敵の最強格がギリギリまで隠れているとは思うまい。そのせいで、勝敗が決する絶妙のタイミング、一番の無防備を狙われてしまった。


「さすがなのは、そちらでしょう。『ブランク』の幹部は、格下相手でも狡猾なのね」


 治療に大幅な力を削がれてしまい、【闇の帳】がガラスの如く砕け散っていく。そのような中、ミュリエルは己の内にある焦りを隠しながら、強気に発言をした。


「追い詰められた状況にも関わらず、冷静な分析と肝の座り具合。聞いていた情報以上に優秀な方のようですな」


「その優秀さに免じて、顔を見せてくださらない? それとも、格下相手にも圧倒的優位を築かないと安心できないくらい、あなたは度胸がないのかしら?」


「はっはっはっ。あおっても無駄ですぞ。一人を除き、私は決して自ら姿を現さないのです。私の情報を掴もうという腹積もりでしょうが、それは無駄な努力だと申しておきましょう」


「……」


 ミュリエルは無言で唇を噛む。


 口調や声の張りからして、敵は老齢の魔法使いだ。しかも、相当用心深く頭が切れるタイプ。先の一撃を考慮すると、暗殺寄りの近接攻撃もいける口だろう。あれは手刀の突きに似た感触だった。


 実に厄介だ。歳を食っている相手にはアオリが効きにくいし、奇策も通じにくい。姿を捕捉できないことから実力差は明白で──どう甘く見積もっても絶体絶命だった。


「……どうやら、私の素性を多少予想されてしまったようですね。これだから、頭の良い手合いは面倒です」


 顔色から察したのか、敵はそううそぶく。


 それはこっちのセリフだと返したかったが、そのような余裕はないので口をつぐんだ。今は、状況を打開する術を考えるのに思考を使いたい。


「……いたなら早く手を貸せ、グゼ」


 ミュリエルたちが頭脳戦を繰り広げていると、グインラースが口を挟んできた。


 相変わらず満身創痍だが、その声には大きな不満が乗っている。まぁ、殺される寸前まで見守られていたと知れば、当然の反応だった。


 ところが、姿なき敵──グゼは気にした様子もなく答える。


「助力する義理などありませんでしたから」


「なに?」


「私たちの協定は、つい先日に満了を迎えました。お忘れですかな?」


「……チッ」


 グインラースは舌打ちをしたものの反論しない。彼と『ブランク』との協力関係が終わったのは事実らしかった。


 その上で、とグゼは続ける。


「このように手をお貸ししたのは、私個人がミュリエル王女へ興味を抱いたからです。未熟な空間魔法とはいえ、それを圧倒する特殊な【精霊化】。実に興味深い観察対象だ。ぜひとも、彼女は私がいただきたい」


 どこか恍惚とした声音に、ミュリエルは背筋を凍らせる。


 興味というのが、男女のそれではないのは分かり切っている。だが、彼の手に落ちたら最後、非人道的な目に遭わされることは容易に想像できた。


 同じ帰結に至ったのか、グインラースも嫌そうな表情を浮かべる。


「知ってはいたが、気味の悪い奴だ。あいつは好きにしていいから手を貸せ。期間は……俺が霊魔国の首都を落とすまで」


「良いでしょう」


 今目前で、ミュリエルにとって最悪な契約が交わされてしまった。未だ、現状を乗り越える策を考えついていないというのに。


「ふふっ。覚悟を決めてください」


 一声の後、一瞬の内にグインラースのケガが全快した。グゼとやらは回復系の異能も扱えるようだ。逼迫した状況が、さらに悪化する。


 ただでさえ一人を相手するのも大変なのに、それが二人もいる。どう見ても戦力が足りなかった。


「せめて、あと一人でも味方がいればッ」


 追い詰められた末に溢れた一言。


 ないものねだり・・・・・・・にすぎない空虚な言葉のはずだったが、ふと、それに答える声があった。


「だったら、私が協力するわ」


「え?」


 予想外の返答に、思わず視線を向ける。


 すると、ミュリエルの隣に一人の少女が舞い降りた。長い黒髪を後頭部で束ね、一本の刀を手にした侍の如き少女。紛うことなき、王国の勇者と呼ばれた桐ヶ谷きりがや侑姫ゆき、その人であった。

 

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