006-5-05 ミュリエルの覚悟

 ところ変わって王城内。つい先刻まで謁見の間と呼ばれていた場所は、二人の戦士の激突によって、現在も景色を変貌させていっていた。


 飛び交う空間魔法と神罰の応酬。火花散る刃の煌めき。影も追えぬほど高速で駆ける二人の強者。穿ち、刻まれ、爆ぜる。破壊の風が間断なく吹き荒れる。


「チッ」


 激闘を繰り広げるうちの片方──グインラースが、弾かれたように後退した。当然、ミュリエルは後を追おうとするが、巧みな牽制により失敗。彼はかろうじて残っていた安全な足場に着地する。


 仕方なしとミュリエルも少ない足場に降り、戦闘が始まって以来の静寂が発生する。


 どちらが優勢かは明白な状況。お互いが相手の出方を警戒する中、グインラースは忌々しそうに吐き捨てた。


「貴様の姿を見てると、かつての怨敵を思い出す。反吐が出るな」


 そう語る彼の瞳には火傷してしまいそうなほどの怨念がこもっており、想像を絶するくらいの恨みが窺えた。


 今、ミュリエルは霊鎧をまとっていない。彼女が身につけているのは白銀とは真逆、深淵の如き濡羽ぬれば色のドレスだった。光の一切を吸収する黒は高貴な雰囲気を醸し出しており、とても戦闘をこなせそうな装いには見えない。しかし、これまでの激闘を潜り抜けても、その布切れひとつにも傷は入っていなかった。


 このドレスこそ、ミュリエルの奥の手である。名を『精霊化』という、精霊魔法における最奥の技だ。


 ミュリエルは怪訝に問う。


「今のアタシと似ているってことは、闇精霊使いである上に『精霊化』も修めているってこと? 自慢ではないけれど、アタシ以外にそこまで腕が立つ魔法使いが存在するとは考えられないわね」


 『精霊化』とは、契約した精霊と一体化し、人体を高密度の魔力と変化させる技。術者の肉体を、魔力の塊である精霊と等しい存在にするものだ。この技の発動中、術者はまったく予備動作なしで属するエレメントすべての精霊魔法を放て、外部から精霊魔法以外の干渉を受けなくなる。つまり、敵からダメージをもらうことなく、大技を撃ちまくれるというわけだ。


 最奥の術だけあって恐ろしく習得難易度が高く、失敗すれば自身の存在が消滅するリスクを負う。いくら優れた術式とはいえ、魔法文化の発展していないこの世界において、好き好んで習得する他者がいるとは思えなかった。


 加えて、ミュリエルの使う『精霊化』は通常のそれとは異なる。それこそ、霊魔国建国以来だと、彼女の他に一人しかいないだろう。同じ使い手がいる可能性は、万にひとつもあり得なかった。


 しかし、訝しむ彼女を嘲笑うように、グインラースは鼻で笑う。


「貴様の『精霊化』は闇精霊の女王とのシンクロゆえに、と言いたいのだろう?」


「理解した上での発言なのね」


 彼の言う通り、彼女の契約したのは闇精霊の女王。闇の精霊の頂点に君臨する伝説上の存在だった。敵がその事実を見破ったことに、些かの驚愕を覚える。


「であれば、いるではないか。一人だけ、貴様と同じことを成した人物が。霊魔国の王女ともあろう者が、知らぬとは言うまい?」


「……あの方のことを言っているの? あり得ないわ」


 ミュリエルの疑念が深まる。


 確かに、闇精霊の女王と『精霊化』を行った人物はいる。それも、霊魔国の民ならば誰もが既知とする有名人が。ただ、その人を指して『かつての怨敵を思い出す』などと、まるで顔見知りであるかのように語るのは不可能なのだ。何せ、その正体は──


「まさか、初代国王さまの妃であるユーティアさまと会ったことがある、なんてのたまわないでしょうね?」


 そう。歴史上、闇精霊の女王と『精霊化』をなした者は、霊魔国初代国王の妻であったユーティアたった一人。いや、闇精霊に限らず他の属性を含めても、女王と契約した偉業を果たしたのは彼女しかいなかった。


 しかし、再三言うが、その彼女と顔見知りなどあり得ないのだ。ユーティアは霊魔国の建国に立ち会った偉人。数百年生きる吸魂魔ソウル・サッカーでさえ、何代も重ねるくらいの過去をさすらった者。空間魔法使いであろうと、ただの人間にすぎないグインラースが出会えるはずがない。


 だが、グインラースは一切の躊躇ちゅうちょなく頷いた。


「その通りだ」


「バカにしているの?」


 ミュリエルはイラ立ちを覚えた。百年も生きられない人間が、万にも届く過去の人物と会ったことがあるなど、戯言を吐いているとしか考えられない。


 対し、グインラースは笑う。心底愉快そうにわらう。


「はっはっはっはっはっはっ。そうとしか捉えられないだろうな。俺があのクソ女と相対していたなど、普通の感性では受け入れられるわけがない」


 ひとしきり笑った後、彼は一息を吐く。それから、鋭い眼光をミュリエルへ向けた。


「貴様、契約した精霊女王の魂を使って、魄法はくほうを会得したな?」


「ッ!?」


 ミュリエルは息を呑んだ。グインラースが、先程までとは異なる冷淡な声を発したからではない。彼の指摘が正鵠せいこくを射ていたためだった。


 彼女の狼狽ろうばいなど意にも介さず、グインラースは語る。


「この世界に残る魄法使いは三人、貴様と双子の淫魔。後者は、お互いに魂を合わせたのだとすぐに察しがついた。双子であれば魂の形状も近いし、魂合わせの負担も少ないだろう。問題は貴様だよ。貴様──ミュリエル第二王女は、いったい誰の魂を使って魄法を得たのか。それが長らく疑問だった。だが、それも此度の戦闘で解明できたよ。まさか精霊を利用するとは、よく考えたものだ。あれらは純魔力の存在ゆえに波長を合わせやすい。もっとも負担の少ない相手だろうよ」


 前々からこちらの戦力を把握していたこと、女王には了承を得て魂を合わせたこと。色々と突っ込みたい部分はあったが、ミュリエルにそれらを気に留める余裕はなかった。それよりも聞き捨てならない内容を、彼は口にしていた。


「どうして魄法の習得方法を知っているの!?」


 彼女は鬼のような形相を浮かべる。


 魄法を得るには、他者と魂を合わせる必要がある。これは霊魔国の上層部でも一握りしか知らない真実だ。一総かずさの受けた実験の資料も念入りに廃棄している。王国の人間であるグインラースが知っているはずがなかった。


 必死なミュリエルを見て、グインラースはケラケラと笑う。貴族とは思えぬ軽薄な笑声。これまでとは異なる、性格の変貌を垣間見せる。


「あっはっはっはっはっ、そんなに必死になっちゃってウケるんですけど」


「なっ!?」


 激昂し、実力行使に出ようとするミュリエルだったが、それより前にグインラースは言葉を紡いだ。


「何故、習得方法を知ってるのかって? そりゃあ、俺が体験者だからだよ」


 そう言うや否や、彼はまとう。灰色と黒が入り混じった薄汚い霊鎧を。


 瞠目どうもくして固まるミュリエルを余所に、彼は続ける。


「俺は【転生者】。貴様らの先祖に転生したものの、呆気なく追い出された勇者のなれの果てさ」


 グインラースの告白は、ミュリエルの想像を大きく超えるものだった。


「かつて転生してきた勇者が、再びこの世界に戻ってきたって言うの?」


 一瞬思考が飛びそうになりつつも、ミュリエルは辛うじて言葉を発する。


 過去の勇者が転生したなど、普通は信じられない。転生者の存在が机上の空論であることは、一総から聞いていたために。


 しかし、一方的に否定もできなかった。何せ、向こうは葬り去った魄法の真実を知っていたのだから。


「その通り。偶然か必然かは分からないが、俺は舞い戻ってきた。だからこそ、こうして、せっかくの機会を生かしてる」


「自分を追い出した初代さまに復讐しようってこと?」


 先程は『何もかも壊したい』などと発言していたが、本当は怨讐目的なのではないかと疑問を呈した。


 ただ、ミュリエルはそう口にしつつも、この意見は違うだろうと半ば確信していた。霊魔国に復讐するだけなら、わざわざ王国で反乱を起こす必要はない。元々、あの国は霊魔国を滅ぼす方針だったのだ。それに先の狂った言動は、単純な復讐で収めて良い狂気の範疇を超えている気がした。


 案の定、彼は首を横に振った。


「さっきも言っただろう、壊したかったからと。というか、分かってて質問してるな?」


「だとしたら、あなたの真意は何なの? 転生者であることが関係しているのでしょうけれど……どうして、すべてを壊したいなどと考えるわけ?」


 全部を捨て去りたいという破滅思想自体は否定しない。それは誰もが持ち得るものだと思うから。しかし、グインラースのように、実際に大規模な行動へ移す者は稀だ。時折垣間見える狂気といい、彼の目指したいところが理解できなかった。


 すると、グインラースは両腕を大きく広げ、高らかに宣言した。


「俺は、この世界が果てしなく嫌いなんだよ。あいつ──初代国王だったか? の体を追い出されてから転生するまで、俺はこの世界で放浪してたんだ。魂のみで世界に留まる意味が理解できるか? この世界は莫大な霊力で溢れてる。それを肉体という鎧を持たずに浴び続けるのは、拷問以上の苦痛なんだよ。内臓を常に抉られるほどの激痛さ。魂だけだから気絶できず、死ぬのも許されない。そんな地獄を味わい続けた。どうして、俺がこんな目に合わなくちゃいけない? 俺は、頼まれたから勇者として転生しただけだぞ。日本では惨めな負け犬人生を送り、こっちでは成功目前で追放され、その後は拷問地獄。俺が何をしたっていうんだ! 俺は何もしちゃいない。ただただ勝ちたかっただけなのに!」


 過去を思い出したせいで昂ったのか、グインラースは呪詛の如く言葉を垂れ流す。その瞳は、様々な負の感情で濁っていた。


「だから、俺はこの世界を滅ぼす。俺を地獄に叩き落とした世界に、混沌と混乱を巻き起こしてやるのさ! 俺以上の苦痛をすべての者に味合わせてやるのさ!」


 同情する余地はある。彼の言い分が正しいのであれば、彼に運命を回避する手段はなく、被害者であったわけだ。


 とはいえ、今の所業を容認などできやしない。


「同情はする。でも、だからといって、その蛮行を見逃す選択肢は存在しないわ。関係のない多くの人々を巻き込む行いを、認められるはずないもの」


 決然とした意志の元、立ち向かう姿勢を見せるミュリエル。


 それをグインラースは嘲笑う。


「ハッ、よく言ったもんだな。貴様のその力は、多くの犠牲を生んだ末に手に入れたものだろうが。知ってるんだぞ。現代に伝わる魄法習得法は、『黒鬼こっき』とやらを実験に利用して確立したものだって。研究成果を破棄しておきながら、自分はそれを利用してるじゃないか。偽善も甚だしい」


「……」


 ミュリエルは言い返さない。彼の発言は正しいと認識しているがゆえに。


 彼女の力は罪の象徴だ。一総と数多の人間を生贄に捧げて立証された術式は、その存在自体が罪深い。二度と同じ過ちを犯さないよう一総が資料すべてを破棄したのに、それを利用しているというのも、余計に罪状を重くしていた。


 それでもこの・・力を使うのは、彼女の自戒。友でありながら魄法研究により苦しんでいた一総を助けられなかった。それどころか自分の家族が加担していた。その過去の罪を忘れないためだった。


 苦しむ一総を知りながら、彼の話し相手くらいにしかなれなかった当時の無力な自分。あの時の後悔は今でも鮮明に思い出せる。


 無論、一総は当時の彼女の行動を責めたことはない。むしろ、こちらを気遣う姿勢を見せるほど。


 だが、しかし、それに甘んじるのは許せなかった。愛する者を救えなかったミュリエルの悔いは、筆舌に尽くしがたいくらいに大きい。


 だから、それをいつまでも戒められるよう、自分は罪人だと自覚できるよう、ミュリエルは罪の象徴たる力を使い続ける道を選んだ。もう二度と無力な自分には戻らないと決意したのだ。


 これは、きっとミミとムムの姉妹も同様の考えだろう。直接問答してはいないが、間違いないと確信できた。


 ミュリエルはここまでの決心を持って、魄法を使っている。ゆえに、今さらグインラースの言葉程度で揺らぐわけがなかった。


「何と言われようと、アタシはあなたを止める」


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