006-4-02 理想
放課後、私はカインと共に帰路につく。本当は
まぁ、たまにはカインと帰るのも良いだろう、何せ一緒に暮らす幼馴染みなんだから。
しかし、こうして二人並んで歩いてると、酷く懐かしい感覚に襲われる。一総くんと恋人になってから機会が減ったとはいえ、一緒に帰る頻度は少なくないというのに、何故か今の状況に違和感を覚える。懐かしさと共に大きなズレを感じる。
この感覚は、今日一日で何度も実感した代物だった。特に、カインや彼の両親が関わる時によく感じる気がする。いったい、どうしたというのか。
考えれば考えるほど、齟齬は増大していく。何と比べてズレていくのかは分からないが、何か大事な問題を忘れているような……そんな焦燥感が胸中で膨れ上がってた。
何なの? 私は何を忘れている? 何か、忘れてはいけない大事な何かを忘れている気が…………。
「ツカサ!」
「ッ!?」
カインに大声で呼ばれ、私は
「大丈夫? いくら話しかけても無反応だったけど、体調でも悪いの?」
カインは心配そうに私の顔を覗いてくる。その瞳は
「それとも、何か心配事でもあるのかな? だったら、遠慮なくボクを頼ってよ。何たって生まれてからずっと一緒にすごしてきた親友なんだからさ」
曇っていた表情に僅かな喜色が混じる、まるで私との関係が誇らしいかのように。
カインの振る舞いは、心底私を案じていると感じさせるものだった。そこに一片の疑念さえ入り込む余地はないだろう。本来であれば、と注釈はつくが。
「少し黙って」
「え……?」
私の口から、
だが、今の私に構ってる余裕はない。否、構ってしまえば、
私はカインから距離を置きつつ、思考を回す。
よく考えると、おかしいんだ。私が違和感について深く思考を巡らせる度に、カインはそれを阻止してきた。偶然と片づけられる程度のものだったし、実際に大して気にしていなかったが、今さっき確信した。
──目前にいるカインは偽物だ。
容姿も立ち振る舞いも性格も──すべて本物そっくりだが、アレは絶対に偽物だ。
私の知る親友は、どんな困難が立ちはだかっても目を逸らさず、友が挫けそうになった時は勇気を掲げられる男だった。
決して、私を心配しているからといって、内心の不安を私に悟られるようなミスを犯すはずがないんだ。
となれば、偶然は必然に変わる。目の前の男は、私に違和感の正体を探らせたくないんだろう。それが致命的な何かに繋がるから。
偽物の動きに警戒しながら、私は違和感について探っていく。頭痛と吐き気が酷くなっていくが、構やしない。この先に大事な何かがあるのは確かなんだから。
とはいえ、私が先に進もうとするのを指をくわえて眺めてくれるほど、偽物は優しくないらしい。
「どうしたの、ツカサ。そんなに怖い顔をして。何かあったのなら相談に乗るよ?」
彼の声を聞くと思考が乱れ、組み立ていた考察を崩したくなる。その甘言に乗っかりそうになってしまう。先程から襲っている頭痛と嘔吐感も相まり、心が屈しそうだった。
私は歯を食いしばり、一歩を踏み止まる。
「黙れ、偽物。私の親友の顔で、声で、言葉で、それ以上喋るな!」
「本当にどうしたの? ボクが偽物だなんて、悲しいこと言わないでよ」
「黙れと言ってるだろう!」
悲しそうな表情を浮かべる偽物を見て、私の言葉が荒れる。かつて
彼が本物なら、こういった時にこそ自信満々な顔をする。そんな情けない表情なんて見せるわけがない。これ以上、
「ツカサ……」
偽物が歩み寄ってくる。離れたとはいえ、私たちの距離は数メートルほど。一分も経たず埋まってしまう。
「来るな!」
両の手を前に出して拒絶するが、そこに力はこもってない。先から心身ともにダメージが継続してたせいで、思うように体が動かない。
そして、とうとう偽物の抱擁を許してしまった。彼の腕が背中に回り、私の頭が彼の胸の中に収まる。
「……ッ」
もはや抵抗する力はない。ただただ、なされるがままだった。
偽物は言う。
「何があったのか分からないけど、ボクは……ボクだけはツカサの味方だよ。だから、拒絶しないで。安心して身をゆだねて」
彼の温かい体温と優しい言葉が身に染みる。ダメだと頭では理解してても、本能が危険だと警鐘を鳴らしてたとしても、抗い難い誘惑がそこにあった。
徐々に体の力が抜けていく。最後の抵抗が、少しずつ削られていく。
「そう、そのままボクに全部ゆだねて。そうすれば、すべて理想通りだから」
「理想、通り?」
「そうだよ。ここはキミの理想郷。キミの望み通りに物事が進み、キミの望むすべてが手に入る」
「すべてが……」
私は茫洋と顔を上げた。目と鼻の先に、偽物──カインの顔があった。
彼は柔和に微笑む。
「だから、ボクの愛を受け入れてほしい」
「愛……?」
「うん。今まで黙っていたけど、ボクはツカサのことを
親友のまさかの告白。その言葉を聞いた瞬間、私の心はフッと軽くなった。
私は目を見開き、それから徐ろに目を閉じた。それは彼の提案を受け入れた風に見えただろう。
実際、彼はそう受け取った。私のアゴを手で取り、キスをしようと顔を寄せてくる。
唇が触れるか触れないか。あと一秒もせずにキスしてしまう距離に迫ったところ。私は閉じていた瞳を開け、そして
「なっ!?」
お互いを巻き込む爆発が起き、吹き飛んだ土埃が周囲を舞う。偽物の姿は見えないが、耳に届いた声からして、相当驚いているのは間違いなかった。
ようやく反撃できた達成感から、私は自然と笑みを溢した。
爆風によって十メートルほど飛んだ私は、ひらりと地面へ着地する。
偽物の方へ目を向けると、ちょうど爆煙が収まったタイミングだった。向こうも私と同じくらい吹き飛ばされてたようで、爆発地点から約十メートル後退してた。ただ、予期していなかった事態だったせいで、彼は体の前面が些か傷ついてる。
口の中を切ったらしく、彼は口内の血を吐き出した。
「どうやら、完全に術が解けちゃったみたいだね」
顔や口調、声は親友のそれだが、先までとは異なり雰囲気が一変した。本物であれば私に向けるはずのない、怨嗟と憎悪に満ちた殺気を発してる。
私は顔をしかめながら返す。
「いい加減、その姿で喋るのはやめてくれない? 反吐が出るんだけど」
「それは無理な相談だ。ボクに本来の姿というものはなくてね。キミと相対する場合、この似姿しか形取れない」
「チッ」
嫌悪感は隠さない。それくらい、カインの格好を取られるのが嫌で仕方なかった。私が犠牲にしてしまった最愛の親友が、このような形で汚されるのが我慢ならないんだ。
「じゃあ、さっさと決着をつけましょう」
一秒でも早く終わらせたいと、私は攻勢の構えを取る。
すると、偽物は応じるように構えつつも、ひとつの質問を投じてきた。
「戦うのはいいんだけど、ひとつ質問に答えてほしい。どうして、キミは正気に戻ったんだい? 先も言った通り、ここはキミの理想で創り上げた世界。何ひとつ不満はなかったはずだ」
そう。今まで現実だと信じ込んでた世界は、すべて私の思い描く理想から生まれた虚構だった。
叶わぬ理想に溺れず、現実をしっかり見つめる。それこそ、『心の迷宮』が私に下した試練だったんだろう。まだまだ未熟な精神面を攻め、底なし沼の如く沈めていく嫌らしい試練だ。
「そうだね。ほとんど文句のつけようがない優しい世界だったよ。実際、ついさっきまで術中にハマってたし」
答える義理はなかった。だが、偽物とはいえ、
「だったら何故?」
「あなたの最後の言葉があり得なかった」
「最後の?」
見当がつかないと言いたげに、偽物は首を傾ぐ。
私は心のうちで溜息を吐く。
そんな体たらくだから偽物だというんだ。どのようにして私の理想を読み取っているのかは知らないが、完璧に理想を再現できるわけじゃないみたい。まぁ、その欠点を突いて攻略しろということだったのかもしれない。
「カインが私に告白するなんて、天地がひっくり返ってもあり得ないんだよ。私と彼の関係は、どこまでいっても親友。深い愛を抱いているのは確かだけど、それが恋に発展する未来はない」
カインから愛の告白を受けたのが決定打だった。絶対にあり得ない事態が発生すれば、心地良かった夢も覚めるというもの。
私の答えに納得がいかなかったのか、偽物は質問を重ねる。
「どうして言い切れる? 人の関係なんて、どう変わるか断言できるものじゃないだろう?」
「私とカインに関しては断言できるんだよ。これは私たちにしか理解できない感覚だから、何を言っても共感できないと思う」
「理解不能だ」
「でしょうね」
憮然とした表情をする偽物に、私は肩を竦めた。
そこでふと、私は思いつく。
「まぁ、強いていうなら、カインの知る私は男だってことかな」
私が女になったのはカインの死後。お互いに異性愛者だったため、そこに恋愛感情が入るわけがない。たとえカインの生前に女になっていたとしても、関係は変わらなかっただろうが、あえて理由をつけ加えるなら、それになるか。
一瞬呆けた偽物は、次の瞬間には笑い出した。
「はははははは。なるほど、彼は女のキミを知らなかったか。それは盲点だったよ」
どうやら納得したようだ。
であれば、いつまでも話をしてる場合じゃない。さっさと見るも不快な偽物を排除しなければ。
こちらの雰囲気が変わったのを察知したようで、偽物は笑いの質を変えた。好戦的な笑みを浮かべる。
「貴重な時間をありがとう。じゃあ、最後の戦いを始めようとしよう…………か」
偽物がセリフを言い終えるか否かのタイミング。彼はバラバラに崩れ、最終的に目視もできない粒子まで分解された。
「ふぅ、やっと不愉快な偽物が消え去った」
私は満足げな表情で呟く。
ここまで我慢してたけれど、悠長に戦う時間までは我慢できなかったんだ。何やら覚悟を決めていた偽物には悪いが、一瞬で終わらせてもらった。
偽物の討伐により試練が完了したのか、世界がヒビ割れていく。同時に、脳裏へ【空間魔法】の情報が流れ込んできた。
ああ、やっと帰れるのか。
安堵の息が漏れる。
体感としては丸一日だったけれど、精神的疲労度で言えば、一ヶ月休まず働いた気分だった。戻った後もやることは残っているが、せめて心を休ませる自分への褒美を用意しておきたいところ。
ふと、思考が少しずつ薄らいでいくのを感じた。
帰還の影響かな? そう思った時には、私の意識は完全に途絶えていた。
「あっ、司センパイが戻ってきましたよ」
そんな聞き覚えのある声により、私の意識は覚醒した。
おぼろげだった視界がクリアになると、目の前に
たぶん本物だろう。今いるのは、『心の迷宮』を開く前に来ていた白い部屋。試練は二段構えだなんて底意地の悪さがなければ、無事に突破したはずだ。
「お疲れさま、司」
横から、私が今もっとも聞きたかった声が届く。
もう我慢できなかった。
私は相手の姿を確認する余裕もなく駆け出し、声の主である一総くんに抱きついた。幻とは違う、本物の彼の感触や体温が伝わってくる。好きで好きで仕方がない一総くんが、確かにそこにはいた。
「お、おい、どうしたんだ?」
一総くんの困惑した声が聞こえてくるけれど、無視を決め込む。今の私は彼の匂いを嗅ぎ、筋肉の感触を確認するので忙しいんだ。
あー、幸せ。一生抱きついてたい。
しかし、現実はいつだって無慈悲だ。
「何やってんですか!」
カン高い怒声とともに、一総くんから引きはがされてしまう。
そんな愚行を仕出かしたのは、言うまでもなく真実ちゃんだった。
彼女は頬を膨らませながら怒る。
「いきなり一総センパイに抱きつくなんて、うらやましい……じゃなくて、非常識ですよ!」
本音を全然隠し切れてないところが、真実ちゃんの可愛い点だと思う。
膨らんだ頬を突きたい衝動に駆られるが、彼女が大激怒しそうなので自重しておこう。お陰で、いくらか精神的に落ち着いたし。
私は両手を合わせて謝る。
「ごめんなさい。試練で一総くんの偽物が現れたから、本物が恋しくなっちゃって」
先の行動を冷静に自己分析すると、そういった見解ができた。思っていた以上に、あの理想の世界は私の心を追い詰めてたらしい。
それから腕を組んで、言葉を返した。
「司センパイはそういう試練だったんですね。私は『嘘を認めないのは、他人を信用できない心の弱さだ!』って問い詰められました」
「帰って来てるってことは、クリアしたんだね」
「いいえ。ムカついたので、一撃でボスを沈めました」
「あ、そう」
あっけらかんと答える真実ちゃんを見て、私は頬を引きつらせる。
確かに、ボスを倒しても『心の迷宮』は攻略できるけど、ためらいなく試練を無視するのは、さすがとしか言いようがなかった。
「ってことは、待たせちゃったかな? 私は時間かけて試練に臨んだから」
「そんなことないですよ、私が一分ほど早かった程度です。『心の迷宮』内での時間経過はほぼゼロなのは知ってましたが、二度目でも慣れませんね」
「それは同感だよ」
色々あったせいか、時間経過がないのを忘れてた。真実ちゃんの言う通り、勇者をしていても希少な経験のため、実感が薄い部分はある。
「となると、そろそろ全員そろうのかな?」
未だ姿を見てない
ところが、その私の予想を否定する者がいた。
「いや、ちと雲行きが怪しいのぅ」
今まで黙していたエロジジイだった。その面立ちは私にセクハラをした時と異なり、幾重にもシワを刻んだ渋面。
それに続いて、一総くんも口を開く。
「……やばいな」
たった一言。しかし、彼が呟くと、途端に重みが変わる。
世界最強の一総くんがやばいと漏らす事態なんて、想像もつかなかった。
ゴクリと生唾を呑み、私は二人が視線を向ける方を見る。
少し前まで蒼生ちゃんが立ってた場所。そこには、指先くらいの黒点が浮かんでた。
一面を白で埋め尽くされた空間に発生した異物。それは明らかな異常であり、近寄りがたい不気味な気配を放っていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます