006-4-03 滅亡の記憶

 気がつけば、村瀬むらせ蒼生あおいは街中に立っていた。日本ではない。レンガづくりの街並みやその中を走る馬車からして、どこかの異世界だと思われる。断言はできないが、バァカホ王国でもないだろう。


 しばらく呆然としていた蒼生だったが、ふと我に返る。まもなく、霊魔国が空間魔法使いの軍団に襲われてしまうのだ、こんなところで立ち尽くしている暇はない。


 意を決して、蒼生はどことも知れぬ街中を歩き始めた。


 そこは至って普通の街だった。住民らしき人々が物の売り買いをしたり、談笑したり、時には駆け回る子供たちも見られる。どこにでも見られる平凡な日常の一幕。


 彼らを眺めていると、何故か蒼生の胸中には痛みが走った。チクリ、チクリ。小さな針で薄皮をつつくような些細な痛みが、何度も何度も襲ってくる。


 疼痛とうつう自体は大したことない。普通であれば我慢できる範疇のものだった。だが、蒼生は謎の焦燥感を覚えた。この場に留まり続けたくない、目を背けたい、早くどこかへ去りたい。そういった衝動に駆られる。


 先を急いでることもあり、彼女はその感覚に身をゆだねて走りだした。周囲の目など気にせず、無我夢中で前へ進んでいった。


 不思議と、誰かとぶつかることはなかった。いくらか息が乱れ始めたところで足を止め、周りを確認する。


 街中というのは変わらなかったが、違う街に辿り着いていたようだ。


 ──が、どこかおかしい。先程までいた街とは文化形式が大きく異なるのだ。決して、蒼生が走って移動できる距離で生まれる差異ではない。見るからに、最低でも別の国に来てしまったような雰囲気があった。


「【転移】させられた?」


 思わず言葉を溢す。


 蒼生は今、『心の迷宮』で【空間魔法】を習得するための試練を受けている最中。であれば、その途中で【転移】させられる可能性もあるのではないか? そう考えついた。


 正解は分からないし、結論を導くには情報が足りない。結局のところ、歩を進める以外の選択肢はなかった。


 再び前進を始め、何気なく周囲を見渡す。


 文化こそ違えど、そこには前にいた街と変わらない日常が存在した。人々が様々な感情を湛え、各々の生活を営んでいる。


 チクリ。


 ホッと和む場面のはずなのに、彼女の胸中には覚えて間もない痛みが走った。


(どうして?)


 わけも分からず放心してしまう。


 だって、そうだろう? 先とは全然違う街並みを見てるのに、まったく同じ疼痛に襲われたのだから。原因に見当がつかないせいで、余計に思考が混乱してしまう。


 しかし、混乱していられるのも僅かな時間だけだった。ほどなくして蒼生に降りかかるのは、やはり先程と同様の焦燥感。一刻も早く逃げ出したいという正体不明の切迫感だった。


 ドクンドクンと心臓が脈打つ。その脈動は、いつもより早く感じられた。おそらく、彼女の精神状態が不安定なせい。それに加えて、疼痛も治る気配がない。


 不規則な心拍とジワジワあぶるような痛みは、蒼生の心を徐々に追い詰めていく。次第に、彼女の体からは気持ち悪い汗が流れ始め、呼吸も浅く短くなっていった。


 悪循環に陥ってしまった蒼生は、もはや正常ではいられない。普段の無表情をかなぐり捨て表情を歪める。それから、涙混じりに悲鳴を上げた。


「いや、いやああああああああああ!!!!!!!!!!!!」


 もうダメだった。ジッとしていられるはずがなかった。


 蒼生はなりふり構わず走りだす。頭を空っぽにして前にだけ進む。この不快感を払うことのみを考えて。




 試練を始めてから、どれくらい経っただろうか。数時間かもしれないし、一週間以上は経過しているかもしれない。さすがに数分しか経っていない、といったことはないだろうけれど、疲弊し切った蒼生に正しい時間感覚など存在しなかった。


 あれから心の平穏を求めて駆け回ったが、そんなものは一切手に入らなかった。


 走っては新しい街に到着するのだが、そこに住まう人々を見ては例の衝動が襲ってくるのだ。ひとつの例外もなく、走って、街について、疼痛を覚えて、のサイクルを延々と繰り返している。


 走っても走っても終わりが見えない。永遠とも思える地獄を前に、蒼生の心はとうとう折れてしまった。


 何度目かも判然としない街に到着して早々、彼女は頭を抱えてうずくまる。視覚と聴覚をふさぎ、謎の感覚が発生する原因を遮断した。


 これでは試練を突破することなどできないけれど、知ったことではなかった。試練の突破やその後の霊魔国への助力などが頭から吹き飛んでしまうくらい、今の蒼生は正気ではなかった。にじり寄ってくる恐怖に対して震える、ただの少女でしかなかった。


 どれくらい、そうしていただろう。不意に、周辺の気配が変化したのを察知した。


 最初こそジッと動かなかったが、次第に好奇心が頭をもたげた。


 まず、耳を覆ってた腕をどける。すると、にぎわってた民衆の声が聞こえなかった。


(人がいなくなった?)


 人を目視すると疼痛に襲われていたため、いなくなっているのなら朗報だ。


 蒼生は、恐る恐る膝に埋めていた顔を持ち上げる。


 はたして、そこに広がってた光景は、燃え盛る廃墟だった。少し暗い青緑色──蒼色の炎に侵された街だった。


 無事なものは何ひとつ存在しない。建物の一切合切は壊れ果てて炎に巻かれている。生き物も炭化して転がっているか、現在進行形で燃やされている者しかいなかった。


 ──いや、カケラでも残ってるのは良い方だろう。大半は、蒼色の炎によって一分も残さず燃やし尽くされているはずだから。


 そのような凄惨な景色を目にした瞬間、蒼生は強烈な頭痛に見舞われた。今まで感じたことのないほどの、頭が爆発するのではないかと思うくらいの激痛が襲った。


「あ、ああああああ、ああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!」


 絶叫する、叫喚する、啼泣ていきゅうする。


 最初は痛みに依って。後半は後悔と懺悔に依って。


 彼女は思い出した。思い出してしまった・・・・・・・・・


「嘘、嘘嘘嘘嘘嘘、嘘嘘嘘。嫌だ、嫌嫌嫌嫌嫌嫌。何で何で何で何で何で何で!」


 溢れる言葉が止まらない。意味をなさない羅列が次々と溢れていく。


 蒼生はその場で四つん這いになり、ボロボロと涙を流した。全身が震え、それでも紡ぐ声は止まない。体内の“力“は大いに乱れ、周囲の大地に亀裂を生じさせた。


 一向に落ち着く様子を見せない蒼生だったが、事態は変化の兆しを見せる。


「いつまで現実逃避を続けるつもり?」


 蒼生の啼泣のみが響く場に、新たな声が通る。


 それがただの第三者であれば、泣き叫ぶ蒼生の耳には届かなかっただろう。しかし、その正体は第三者などではなかった。


 怨霊に取り憑かれた如く動かしていた口を止め、蒼生は声の方へおもむろに顔を向ける。そして、正気の失せた瞳を見開いた。


 目前に立っていたのが、自分と瓜ふたつの姿をした少女だったゆえに。


「…………」


 今まで狂気に陥っていた彼女に、第二の自分の現れた事実を処理する能力が残っているはずがない。口をパクパクと開閉させるだけで、言葉は紡がれなかった。


 それを認めた第二の蒼生は溜息を吐いた。


「我ながら、本当に情けない女。ちょっと記憶を思い出したくらいで泣き喚いて。まぁ、そんな体たらくだから、記憶喪失になんてなるんだけど」


「……あなたは、なにもの?」


 たどたどしい口調ながら、何とか意味のある言葉を口にする蒼生。


 対して、第二の蒼生は鼻で笑った。彼女の浮かべる眼差しは酷く冷たい。


「私は記憶を失う前のあなた。今まであなたが見てきた光景を為したあなたであり、『心の迷宮』のボスモンスター」


「あ……うぅ……」


 “見てきた光景をなした“という発言の辺りで、蒼生は今のも死にそうな顔をする。そこに普段の冷静な彼女は存在しない。あまりにもちっぽけで弱々しい少女が突っ伏しているだけだった。


 第二の蒼生はそのような彼女を見て、やはり嘲笑する。


「そんな表情をしたって、過去は変えられないでしょうに。『心の迷宮』で通ってきたすべての街──それどころか世界そのものを今の光景みたいに滅したのは、紛れもなくあなた。百にも及ぶ異世界を跡形もなく消し去った破滅の魔女こそ、あなたの正体で、失われた記憶の真相なんだから」


「…………」


 蒼生は何も言い返せない。何せ、第二の蒼生が言う内容は、すべて事実だったから。


 これまで詳細が不明だった、彼女の異世界での経歴。それは、世界を滅ぼす異能を以って異世界を滅ぼしていく、というものだったのだ。


 異世界ごとに“世界を滅ぼす異能“を学び、その力を使って世界を抹消する。彼女は他の勇者とは根本的に異なる道を歩んでいた。世界を救うためではなく、世界を滅ぼすために異世界を渡っていた。


 丸ごとひとつの世界を滅ぼすことで失われる命の数は計り知れない。それが百ともなれば、天文学的数字を叩き出すことだろう。


 第二の蒼生は嘲るように問う。


「現地で仲良くなった友だちや家族同然の大人たちを自らの手で殺して回ったのが、そんなに耐えられなかった? 老若男女問わず、命乞いをされようと一顧だにせず、すべてを蹂躙して回ったのが辛すぎた? それが勇者としての役割だったとしても、割り切れなかった?」


 記憶を失う前の自身だと豪語するだけあって、彼女の言葉は的確に蒼生の心を穿った。問われる度に、蒼生は顔色を悪くしていく。もはや血が通っているのかも怪しいほど、彼女の肌は白い。


 しかし、第二の蒼生は容赦をしない。


あなたは薄情。つらいから、耐えられないから、心が痛いから。自分の保身のためだけに記憶を捨てた。あなたが背負わなくちゃいけない業を、呆気なく手放した。あなたの本質は自分勝手で自己中心的の卑怯者」


 言葉の刃が可視化されていたのなら、今の蒼生はハリネズミのようになっていたに違いない。情け容赦ない第二の蒼生の言葉は、彼女の心に致命傷を与えていった。


 結果、蒼生は地面に伏して身動ぎひとつしなくなる。息をしているのかも怪しいレベルだ。試練が続いているということは、まだ彼女が存命している証ではあるが。


 蒼生に試練を突破する気力はないだろう。だが、第二の蒼生はまったく手を緩めなかった。


あなたは逃げた。無限にも等しい命を奪った果てに今の立場があるのに、そのすべてを放り出して、かずさたちとの平和を享受してる。もし、死んでいった人たちが今のあなたを見たら、何て言うと思う?」


 その後も、第二の蒼生による口撃は続いた。言の葉ならぬ“言の刃“は衰えを知らず、グサグサと蒼生の心を傷つけていく。


 第二の蒼生が現れてから、数時間が経過した。未だ彼女による口撃は続いており、蒼生はうずくまっているだけだったが、ひとつ変化が生じた。


「…………い」


 蒼生が、何やら言葉を溢したのだ。


 それはあまりにも小さく儚い声で、普通なら聞き逃してしまっただろう。試練という特殊な環境下に加え、第二の蒼生がそれを見届けるボスモンスターだったゆえに、かろうじて聞き留めるに至った。


「なんて言った?」


 口撃を止め、第二の蒼生は聞き返す。


 しばらく沈黙が続いた後、蒼生は再び口を開いた。


「……うるさい」


 それは反抗だった。ただの一言だけれど、これまで受け止めるだけだった彼女の、初めての反論。


 やっと張り合いが出たとばかりに、第二の蒼生は言葉を綴る。


「ようやく口を利いたかと思えば、幼稚な反論だね。もっと言うべきセリフがあ────!?」


 ところが、彼女が最後まで続けることは叶わなかった。


 何故なら、うずくまる蒼生から膨大な“力“が爆発したから。


 第二の蒼生は周囲の一切合切を吹き飛ばす奔流を何とか耐え、蒼生の方を見る。


 そこには、『万物を抹消する蒼色の炎』と『存在そのものを消し飛ばす黒』を身にまとった蒼生がいた。


 ひとつでも世界を滅ぼせる異能を、ふたつも発動している。その事実に、第二の蒼生は頬を引きつらせる。


 蒼生が『心の迷宮』を滅しようとしているのは、火を見るより明らかだ。


 第二の蒼生が想定する以上に、彼女の記憶に関する沸点は低かったらしい。何としてでも地獄から逃れるため、なりふり構わなくなったのだろう。


 蒼生を止めるため動こうとする第二の蒼生だったが、その足はすぐに止まる。ふたつの異能が展開された現状、対抗手段などありはしなかったゆえに。彼女は記憶こそトレースしているが、能力までは写していないのだ。


 蒼色と純黒が一帯を埋め尽くす。


 『心の迷宮』が壊滅するまで、一分とかからなかった。

 

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