004-4-08 人形を解放するために
しかし、後を追っていた他の面々は訝しまない。それどころか、彼の挙動の意図を完璧に察していた。
「一総くん、今のは?」
三人を代表して、
一総はすぐには答えず、口元に手を当てて考えを巡らせた。次第に表情を固くしていく彼は、おもむろに口を開く。
「オレもあんな状態は知らないから可能性の話になるが……たぶん、先輩が試練に失敗したんだと思う」
「そんな!」
一総の話は、あくまで推測にすぎない。彼自身は『心の迷宮』を突破しているし、この秘儀を管理している者からわざわざ失敗談を聞くこともなかった。だから、今の現象が試練失敗だと断言はできない。
ただ、他に状況を説明できる回答がないのも確かだ。この『心の迷宮』は本元とは異なるものゆえ、一総の思いもよらぬ何かという確率もあり得るが、下手に希望を持たせるのもよろしくない。
沈む三人を認めながら、一総は続けた。
「落ち込んでても仕方ない。先を急ごう。まだ、
気休めにもならない言葉だとは分かっていたけれど、これ以外の励まし方など思いつかなかった。これまで人との関わりを避けてきた弊害と言えよう。何とももどかしいことだ。
彼女たちも一総の心配りを察したようで、思うところはあれど、三者三様に頷いた。
再び駆ける一行。相変わらず、どこへ進めば良いのか分からない入り組んだ迷宮だが、一総は欠片の
そして、その異能による第六感が告げている。迷宮の最奥、試練の間は目と鼻の先だと。すなわち、事件の結末も目前ということだった。
一総の直感は正しく、走ること五分と経たずに一行は終点へと辿り着いた。
そこは、今まで通ったどこよりも広大な部屋だった。少なくとも一辺二百メートルはあろう広場で、最奥には古めかしい祭壇のようなものが存在している。
だが、一総たちが一番に注目したのは別――部屋の中央付近に
二人の状況は、とても異様だった。というのも、侑姫はドス黒いオーラを身にまとい、これまた黒々とした刀を手に持っている。対する久道は両腕を失っていて、腹からも大量の血を流す満身創痍の状態。
侑姫が久道を見下ろしている現状は、どう考えても彼女が父親を襲ったようにしか見えなかった。
蒼生たちが唖然とする中、一総は目を細める。
「呑まれたのか」
「どういうことですか?」
「かずさ、あれは何なの?」
囁く程度の声量だったが、それは他の三人の耳にも届いたらしい。バッと勢い良くこちらに視線を向けると、矢継ぎ早に質問をしてきた。言葉こそ発しなかったが、司もジッと彼を見つめている。
一総は落ち着くようになだめてから説いた。
「試練の途中で心が折れたから、ボスモンスターに乗っ取られたんだよ。先輩の背後をよく見てみろ。えっと、目に魔力を込めれば見えるはずだ」
目を
数秒して、三人の中で一番眼の良い
「気色悪い化け物がいます! 何か棒のようなものを複数本持っていて、それから伸びてる糸が風紀委員長に繋がってる?」
「私も見えた。あれがゆきを操ってる?」
「まるで人形遣いみたいだね。もしかして、道中のモンスターを操作してたのもアイツなのかな?」
どうやら三人とも確認できたようだ。
ずっと人形のように従順に生きてきたから、ボスが人形遣いになったのか。知っていたことだけれど、『心の迷宮』はずいぶんと性格の悪いことをする。
しかし、人形遣いだったからこそ、救いがあったとも言えた。試練に失敗すれば死ぬしかないのだが、ボスの特性ゆえに侑姫はまだ生きている。不幸中の幸いだった。
まぁ、このまま放っておいたらどの道死ぬので、早急に助けねばならないが。
侑姫が生存していることを伝えると、蒼生たちは安堵した様子を見せた。試練失敗の可能性を示唆され、彼女の身を心配していたのだから当然の反応だ。
安堵したのも束の間。真実が恐る恐る口を開く。
「あのー、風紀委員長が生きてくれてたのは良かったんですけど、そろそろ動かないと彼女の父親が死んでしまうのでは?」
見れば、今の今まで戦っていたのか、侑姫と久道は壁際まで移動していた。追いつめられた久道に対し、侑姫は黒刀を振り下ろそうとしている。
侑姫に親殺しの十字架を背負わせられないので、助けないわけにはいかない。それでも、すぐに救出をしなかったのは、皆、久道を率先して救助したくなかったからだ。侑姫の記憶を体験していたことが大きい。
一総は肩を竦める。
「先輩の相手はオレがするよ。心が折れてるだろうから対処に時間はかかるけど、心配しないで大丈夫だ。みんなにはあの男を任せる」
「わかった」
「任せてください!」
「止血くらいはしておくよ」
三人の快活な返事を聞いてから、一総は走り出す。
一歩、二歩、三歩。百メートル近くあった距離を瞬く間に詰め、一総は侑姫と久道の間に割り込んだ。それから愛刀の『
キンという冷たい金属音が響き、ふたつの刀は十字に硬直した。その細腕のどこから出ているのか、とんでもない腕力が刀越しに伝わってくる。
だが、一総も負けてはいない。同等の力を込め、攻撃の均衡を保った。
「邪魔だから、さっさと退避しろ」
背後の久道へ言葉を投げ捨ててから、一総はさらなる力を込める。刃の均衡は崩れ、彼は勢いそのままに刀を振り抜いた。
力負けすることを読んでいたのだろう。侑姫は下手な抵抗はせず、後ろへと跳び下がる。
彼我の距離は十メートル弱。二人ならば一瞬よりも短くゼロにできる間合いだが、両者とも即座には動かない。一総はただ倒すことが目的ではないためで、侑姫は相手が強者だと感じ取ったためだった。
痺れるくらい緊迫した空気が流れている間に、一総は現状の侑姫をつぶさに観察する。
侑姫の外見が大きく変化しているといったことはない。背後のボスに操られているだけで、肉体的に改造されているわけではないみたいだ。
しかし、普段の彼女と比較すれば異様。まとう黒いオーラは濃密な負の力を内包しているし、こちらに向く瞳も夜闇より暗い色を湛えていて、白目は真っ赤に染まっている。侑姫が完全に心を閉ざしているのは明白だった。
侑姫を無事に救出するためには、まずは彼女の心を表に引っ張り出す必要があった。単純にボスモンスターを切り離すだけでは、おそらく精神的に死んでしまうだろう。霊術を極め、精神系異能のエキスパートでもある一総だからこそ、正確に診断できた。
つまり、本気のフォース最強を相手にしながら、どうにかして引きこもりを引きずり出さなくてはいけないわけだ。しかも、できるだけ相手を傷つけないように。
大多数の者には不可能だ。
だが、一総であれば──本気を出せる彼ならば無理せず行える。それだけの力を一総は有していた。丁寧に処理をする必要があるので時間はかかるが、確実に助けられると太鼓判を押せた。
(とりあえずは様子見しよう)
ボスモンスターによって、どのように侑姫が操られているか確かめるべきだ。最初は変わったことはせず、普通に刃を交えることにする。ついついこちらから斬りつけないよう、防御重点でいく。
侑姫の筋肉と魔力の動きからタイミングを見計らい、同時に前方へ踏み出す。身体強化された一歩は大きく、一秒にも満たず二人は間合いをゼロにし、お互いに神速の一刀を振るった。
刀は音を置き去りにして二撃、三撃とぶつかり合う。他人からは目で追えないだろう速さで得物を幾度も繰り出し、ようやく二人は距離を置く。その瞬間、置いていかれていた剣撃の音が重なって鳴り響いた。雷鳴の如き轟音が広がる。
それに対し、一総も侑姫も怯まない。そのような時間は惜しいとばかりに横へ駆け出し、それぞれの刀を振るう。
次の剣撃では立ち止まらない。常に相手の死角に入り込むよう移動を続け、その都度に攻撃を仕かけた。
それでも両者は無傷を貫く。
侑姫は一総が本気の攻撃をしていないので当然だが、それを差し引いても目を見張る技術を有している。刀さばきのみならず、体術などの一挙手一投足全てを見逃せなかった。その姿は
そして、その神を超えるのが一総だ。全方位に目があるのか、どこから刃が迫ろうとも刀を滑り込ませる。次々と繰り出される桐ヶ谷流の妙技も、児戯を相手にする風に軽々と防いでいく。この戦闘を制しているのは、間違いなく一総だった。
凄絶な斬り合いを演じることいくらか。二人は合わせたように間合いを取った。お互いに大きな変化は見られないけれど、その実は異なる。侑姫の攻撃が全く通用しないがため、きっとボスモンスターは焦っているはずだ。このまま同じことを続けていれば、向こう側から何かを仕かけてくるだろう。
相手が主導というのは、あまり好ましいものではない。下手なことを起こされては、侑姫を傷つける事態を呼ぶ可能性もあるのだから。
幸い、ボスモンスターの特性は大体把握した。対象の能力を十全に発揮して操る、操作系の能力だと破格のモノだ。おまけに、外部干渉の異能も一部解禁されていると考えられる。剣撃の最中、こちらの刃が何度か不可視の力に邪魔されたことがあったので、確度の高い推測だ。
これ以上の様子見は悪手。相手が何かする前に、こちらから打って出よう。
正直、これからやることは気が進まないのだが、他に方法もないのだから文句を言っていられない。腹に力を入れ、一総はとある異能の発動と共に言葉を発する。
「そうやって誰かに従ってれば許されると、本当に思ってるのか?」
嘲りを声に含んだセリフは、心臓を直接ナイフでえぐるのと大差ないものだった。丁寧に心を開かせるよう行動していたとは思えない遠慮のなさだ。心を閉じている影響か、侑姫が無反応なのが救いだろうか。
ところが、彼はそれだけに留まらず、冷酷な言葉を吐き続ける。
「父親に植えつけられた
侑姫がこれまで何を命令されたかなど、一総はこれっぽっちも知らない。それでも、勇者という都合の良い戦力がありながら、桐ヶ谷家が何もしないとは到底考えられなかった。犯罪行為と断じられることは任せていないにしろ、自分たちの手に負えない汚れ仕事を押しつけていることは想像に難くない。
実際、彼の言は正しかった模様で、侑姫は虚だった瞳を大きく揺らす。今まで無反応だった彼女の初めて見せる感情の動きだった。
この事態に一番心動かしたのはボスモンスターだ。完全に侑姫を掌握していたはずなのに、いとも簡単に感情を発露させられてしまったのだから当然だろう。ボスの警戒の色がいっそう濃くなり、これ以上一総に口を開かせまいと斬りかかってくる。
一総は迫り来る侑姫を認め、内心で笑みを浮かべる。
(ここまでは想定通り)
精神掌握を受けた者を解放するというのは、ものすごく面倒なことだ。かかりかけならともかく、完全に術が決まってしまっている相手となると輪をかけて困難を極める。
まず、物理的に正気に戻すのは不可能。ともすれば、異能を行使するしかないのだが、単純に術を撃てば良い時と悪い時が存在する。
今回はまさに後者だった。ボスモンスターの
だからこそ、一総は口撃を仕かけた。侑姫のトラウマをわざと刺激することで心の傷を開き、僅かに猶予のできた隙間から繰り糸を引っ張り出す。そういう作戦を展開していた。
荒療治に思えるかもしれないが、ボスモンスターの洗脳の強さからして、これ以外の方法がないのだ。第一、精神系と
焦って突貫してきたところを見るに、ボスはこちらの思惑に気づいている。口を開かせなければ問題ないと考えているようだが、それは浅はかだと言わざるを得ない。
高速で、されど的確に一総の急所へ何度も迫る黒刀。しかし、数秒で数百にも届く斬撃は、ひとつも彼の身には到達しない。
それどころか、
「それだけじゃない、頼みごとを断れないっていうのも同じだ。死んでしまった友の顔がチラつくって言うが、結局のところ、誰かがケガしたり死んだりした時の責任を感じたくないだけだろう? 失敗しても『私は頼まれただけだから』って心の中で言いわけをして、心の安寧を保ちたいんだ。かつての友を死なせてしまった十字架と同じものを背負わないために」
侑姫の攻撃をさばきながら、情け容赦ない言葉を投げかける。
すでに一総は侑姫の動きを完璧に見切っており、もはや目隠しをしてでも回避できるレベルに達していた。
隙を突いて侑姫を吹き飛ばすと、一総は強烈なセリフを叩きつけた。
「何だかんだ言って、あなたは保身に走ってるだけだ。どうしようもなく弱い自分の心を守りたい一心で言葉を重ねてるにすぎない」
ゴロゴロと転がった侑姫は立ち上がらない。いや、背後のボスは立たせようと糸を引っ張っているが、彼女が頑に拒絶しているのだ。
ボスモンスターの支配が通用しなくなってきている。加えて、魂の傷も十分に開いた。最後の一手を打っても良いタイミングだろう。
一総は戦闘中に構築していた術式を発動する。
右手が青白く発光する。この手で侑姫に触れれば、洗脳は解けるはずだ。
本当は非接触でも可能な術にしたかったが、『心の迷宮』でそれは叶わないので妥協する。
一総は一瞬で侑姫の傍まで接近。術式を流し込もうと、彼女へ手をかざした。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます