001-2-04 勇者の闇

 終業の鐘が校内に響く。昼休みの始まりに合わせて、各教室にいた生徒たちがガヤガヤと移動を始めた。


 波渋はしぶ学園の生徒は、九割が学生寮を利用している。そのため、一部を除いた大半の者が学食を利用するのだ。


 一総かずさも学食利用者で、蒼生あおいもそうだろうが――


「蒼生ちゃん、私と一緒にごはん食べない? 学食だよね?」


「一緒に食べよ―よ」


「お話ししよ?」


 授業が終わるや否や、蒼生には幾人もの女子生徒が群がっていた。


 朝の一件からあの調子だ。休み時間の度に、ああして囲まれている。女子たちの反応からして、マスコットみたいに可愛がられているようだ。


「村瀬ちゃん、すっかり人気者だねぇ。小柄で言葉少なで美少女で。保護欲をかき立てる要素満載だから仕方ないけど」


「そんなもんか」


 蒼生の方を窺っていると、典治のりはるが自分の分析を語ってきた。一総としてはイジメがなければ何でも良いので、返事は適当に済ます。


 それを勘違いしたのか、典治はニヤァと意地の悪い笑みを浮かべた。


「おやおや、伊藤は大事なカノジョが取られちゃって寂しいんですかね?」


「は?」


 対する一総は極寒の一声。心胆凍るような瞳で典治をめつける。


「誰が誰のカノジョで、誰が寂しいって?」


 淡々とした口調だが、そこに込められた感情は強い。


 典治はしどろもどろ・・・・・・になりながら答える。


「い、いや、だってさ。村瀬ちゃん、なにかと伊藤に確認取るし、お前が移動するとトコトコ後ろについていくし。ほ、ほら、今もこっち見てるし」


 視線を向け直すと、彼の言う通り。蒼生が「どうすればいい?」といった様子でこちらを見ていた。まるで、飼い主に“待て”と指示された子犬のよう。


 一総は心内で溜息をく。


 典治の言葉は正しく、彼女はほとんどの行動で一総の許可を求めてくるし、一総が移動をすれば後を追ってくるのだ。今の視線は、おそらく、周囲の女子たちと食堂へ行って良いのかの許可を待っているのだろう。


 それくらい自分で判断してほしいところだが、蒼生としては“共に行動する”という政府のオーダーと、一総に言われた「何かあれば対処する」という言葉を信用して、それらを忠実に遂行しているにすぎなかった。明らかにやりすぎだが。


 蒼生はいくらか天然なのかもしれない。


 キョトンとしている彼女を見て、処置なしだなと思いつつも口を開く。


「あれは村瀬の天然が発動してるだけだと思うぞ。オレたちはそういう関係じゃない。……妙な噂を流すなよ?」


 念のため、最後に釘を刺しておく。典治の場合、面白がって噂を広める可能性があったからだ。


 予想通り、彼はビクッと体を震わせて青い顔をする。


「や、やだなぁ。そんなことしないってば。親友を信じてくれ」


「親友じゃないから信じないよ」


 典治の言葉をバッサリ切り捨てた一総は彼を一瞥もせず、蒼生の方へと歩く。ずっと無言でこちらを見つめている蒼生に、周りの女子たちが困惑し始めたからだ。


 面倒極まりないが、この程度はフォローしておかないといけないだろう。


 肩を竦めつつ、蒼生の前までやってくる。


 席に着いたままの彼女は、一総を見上げながら口を開いた。


「食堂、いってもいい?」


 思った通りの問い掛け。


 だから、用意していた台詞を返す。


「問題ない。オレも食堂に行くから目は届くよ」


 食堂はかなり広いが、同じフロアにいて一総が目標を失うことはない。何があっても対処に入れる。


 自信を持って答えた一総だったが、蒼生は小首を傾いだ。


「一緒に食べない、の?」


 心の底から不思議そうに尋ねてくる。


 これには一総も困った表情をした。


 周りにいる女子生徒たちの反応からして、蒼生の提案が歓迎されていないのは明らか。救世主セイヴァーだというのに様々な蔑称があり、協調性もほとんどない彼は、クラス内では腫れ物に近い扱いを受けている。そんな男と共に食事をするのは遠慮したいのだろう。


 一総としても、食事は雰囲気を良く進めたかったので断りたかったのだが、それには問題があった。


 彼女の提案を断った場合、依頼遂行を怠慢していると解釈されかねないからだ。一総自身は離れていても大丈夫だとしても、彼の実力が劣っていると思っている者がそうは考えない。他人の評価など気にしない一総だったが、それがキッカケで政府側から忠告を受けるのは面白くなかった。


 どう答えようか考えあぐねていると、周囲の女子たちを割って、一人の少女が姿を現した。


「みんな、これからお昼なんだから、そんな雰囲気じゃ食事がまずくなっちゃうよ?」


 少女は、その場の全員をたしなめる言葉を発する。


 蒼生に匹敵するだろう美少女だ。ただ、彼女の静謐な美に対して、こちらの少女は華やかな美といったところ。アップテールに結んだ金糸は光の加減で白く輝き、柔和な微笑みは空気を和ませる。制服に飾られた肢体は、完璧といって良い比率を保っている。まさに花形という言葉が相応しい容貌だ。


 彼女は天野あまのつかさ。フォースのメンバーの中でも優等生と評されるほどの“できた”人間だ。文武両道で人当たりも良く、見た通り容姿やスタイルも抜群。男の人気者トップが勇気ゆうきであれば、女の方は彼女で間違いない。


 ちなみに、典治同様に、一総へ好意的に接してくる数少ない人物でもある。


 司の登場により、場に漂っていた微妙な雰囲気が消し去った。彼女は後頭部の尾を軽く揺らし、周囲に目を配らせる。


「それに無理を言っちゃダメだよ。伊藤くんだって、救世主の依頼があるから引くに引けないんだし」


 ね? と司は一総に向かってウィンクをする。普通ならワザとらしく見えてしまう行為でも、彼女がやると自然に見えてしまうから不思議だ。


「お昼休みは有限なんだから、早く食べに行こう! ほら、みんな行くよ!」


「うわっ、天野さん!?」


「司、押さないでよ!」


「えっ、俺も!?」


「…………」


「……はぁ」


 慌てる女子たちに典治、無言の蒼生、溜息をく一総。


 司は有無を言わさない勢いで、その場にいた全員を押し出すように食堂へと促した。




 前述した通り、学食の規模は大きい。全生徒および教職員たちのほとんどが利用するのだから当然だろう。大量の長テーブルや椅子が並ぶ様は、食堂というよりも大型モールのフードコートと表現した方が適切かもしれない。


 その学食の一角、一総たちは昼食を取っていた。


 当初懸念していた空気の悪さだが、想定していたほどのことはなかった。お調子者の典治が場を盛り上げ、しっかり者の司が取りなす。そのような流れができ上がっていたため、一総は黙して空気となれたからだ。


 彼は決して無口ではないが、静かにしていることを苦痛と思わない人間なので、現状は非常に満足できるものだった。平穏無事に食事ができることの何と素晴らしいことか。典治と司の二人へ、珍しく素直に感謝の念を抱いているくらいだ。


 しかし、そうそう普通に終わらないのが“勇者”というものなのかもしれない。


 ひとつの怒号が、彼の平和を打ち砕いた。


シングル格下の分際で俺らの席に座るたぁ、いい度胸だな!」


 見れば、一総たちの近くの席に座る男子生徒を、別の男子生徒数人が取り囲んでいた。席に着く男子の方は食事を始めたばかりのようで、手元にある料理はほとんど手つかずだ。


 席に座っている方の少年が、おどおどと口を開く。


「お、『俺らの席』って、ここは全て自由席なんですけど……」


 彼の言う通り、学食に指定席など存在しない。空いている席を自由に使うことができる、要は早い者勝ちだ。ちなみに、他にも席は空いていたりする。


 だが、そんな少年の主張に、囲っていた男子たちはニヤニヤと嫌味な笑みを浮かべる。


「ああ、そうだな。同格ならそのルールも適応されるんだろうが、お前はシングル格下だろ? 俺らはトリプル格上。下の者が上の者に従うのは当然だよなぁ」


 露骨な見下した視線に、席に座る――シングルの少年は柳眉を上げた。


「何なんですか、その横暴な意見は! 僕たちはみんな勇者、上も下もないはずですよ!」


 格下とバカにされ続けたことが我慢ならなかったのか、声を張って立ち上がる。


 それを受けても、トリプルの少年たちは表情を変えない。むしろ、嬉々とした様子を表す。


「ほう、お前は楯突こうって言うんだな。シングル・・・・のお前が、トリプル・・・・の俺たちに」


「うっ……」


 言わんとしていることが理解できてしまったのだろう。シングルの少年は苦し気に言葉を詰まらせる。


 トリプル側はこう言いたいのだ、「俺たちに従わなかったらボコボコにするぞ」と。


 召喚回数の差は絶対の力量差だ。よほどの好相性、加えて入念な準備をしない限り、一回でも回数が上の者には絶対に・・・勝つことはできない。


 全てを悟ってしまったシングルの少年は、これ以上逆らうわけにもいかない。苦虫を噛み潰したような表情で、食事を持って席を立つ。そうして、トリプルの少年たちの脇を通り抜けようとしたところで、


「あっ」


 トリプルの一人が足を引っかけ、シングルの少年を転ばせた。


 結果、少年は上手く受け身を取ったため無事だが、手に持っていた料理が派手に散らばってしまった。


 トリプルたちがゲラゲラと下品に笑う。


「がははははは、盛大にぶちまけたなぁ。大丈夫かぁ?」


「シングルの勇者くんは、これくらいも上手く躱せないんだなぁ」


「もう一度、召喚され直した方がいいんじゃないかぁ?」


 あまりの態度に、周囲の生徒たちも眉を寄せるが、彼らは気にしない。誰も動かないと分かっているからだ。


 転ばされた少年は悔しそうに歯噛みしながら、散らばった料理を片付けていく。その様子を満足げに見たトリプルの少年たちは、席に着かず、笑いながらその場を離れていった。


「私、あの子を手伝ってくるね」


「……胸糞悪いな。俺も行ってくるわ」


 司と典治がそう言って、シングルの少年へと駆けていく。


「……なに、あれ」


 一連の出来事を見ていた蒼生がいてきた。無表情のため心意は窺えないが、どことなく声が固い気がする。


 一緒に食事をしていた女子生徒たちが苦笑いを浮かべる。


「あー、この学校の悪しき伝統っていうか」


「勇者の闇っていうか?」


「よくあることだから、気にしない方がいいよ?」


 彼女らの返事は曖昧で、答えになっていなかった。


 彼女たちからは求めている回答が得られないと判断したのだろう。蒼生はくらい瞳を一総の方へと向けてくる。


 先の一件など気にした様子なく一総は食事を続けていたが、蒼生の視線に気がつくと、仕方なしと手を止めた。


「勇者の中には結構いるんだよ。召喚された先で救世主だのなんだのって持てはやされてプライドを膨れ上がらせた勇者が。大抵の場合は帰還後にダブル以上の実力を知って心折られるんだけど、さっきの奴らみたいに、自分より弱い奴をなぶって自尊心を満たす連中も少なくない」


 勇者召喚が無差別で発生している以上、全てが正義の人というわけにはならないのだ。


 蒼生は「ふむ」と一度頷くと、再び疑問を呈する。


「なんで、誰も助け、ない?」


 シングルの少年に誰一人として手を貸さなかったことを怪訝に思ったのだろう。司や典治も、虐めていたトリプルの者たちが去ってから立ち上がった。


 一総は肩を竦める。


「逆効果だからだよ」


「逆、効果……?」


「そう、逆効果。あの場面で正義感に任せて仲裁すると、虐められてた奴は後日もっと酷い目に遭うんだよ。ああいうプライドの高い連中っていうのは、自尊心を満たす行為を邪魔されると、不満が膨れ上がって八つ当たりするんだ。そうだな……オレたちが仲裁に入った場合だと『フォースに媚を売る格下野郎が!』ってなるんじゃないかな。ずっと守り通せるわけもないから、相手のことを想うなら手を貸さない方がいいんだよ」


 どこぞの『勇者』はそんなの関係なしに止めに入るけど、と一総は苦笑する。


「……泣き寝入りするしか、ない?」


 先程の横暴に怒ってもいるのだろうか。無口で無表情の蒼生にしては、やけにグイグイと質問を投げてくる。意外と正義感が強いみたいだ。


 似た場面に出くわして、助けようとされたら厄介だな。義憤に駆られて異能を使い、世界が滅びたら目も当てられない。


 そんなことを考えながら、首を横に振る。


「いいや、ちゃんと罰は受けるよ。ああいった行為は風紀委員に連絡がいくからな」


「ふうきいいん?」


 風紀委員の知識がないのか、蒼生はキョトンと首を傾いだ。


 よくよく考えてみれば、彼女は記憶喪失。思い出のみの喪失とはいえ、幼少からずっと異世界にいた彼女が、風紀委員を知らなくても不思議ではなかった。


 どう説明したものかと口元に手を当てる一総。


「あー……一般的には学校の規律を守る組織だな。ただ、この学園の風紀委員は特殊だ。どっちかというと警察に近い。治安を乱す勇者を実力行使で捕縛したり、校則に則った罰を執行したりしてるよ」


 先程の一件のようなものに限らず、犯罪行為に手を染めた生徒を実力行使で捕まえるのも仕事だ。だから、風紀委員に入る者は性格面で厳しく精査される上、相当の実力が必至。基本的にフォースの人間で構成されている。


 一総の答えを聞いた蒼生は、しばらく黙考すると、静かに口を開く。


「いたちごっこ」


「まぁ、そうだな。でも、現状はそれくらいしか手が打てないんだよ」


 この問題はそれだけ根が深い。こちらの世界で対処しても、召喚先の世界での勇者の扱い方次第では無意味になってしまうのだ。一朝一夕で解決できることではない。


「言っておくが、同じような場面に出くわしても、間違っても手を出そうとするなよ?」


「………………」


「するなよ?」


「…………………………わかった」


 釘を刺しておいた甲斐はあったようだ。最初は沈黙していたが、何とか頷かせることに成功した。まだ納得はいっていないようなので、今後は一層目を光らせないといけないだろう。


 また面倒ごとが増えたな。


 もはや癖になりつつある溜息をいていると、ふと気づく。一緒に食事をしていた女子生徒たちの視線が妙に奇異なものだった。


「村瀬さんが喋ってる!?」


「私たちが話しかけても沈黙か短い返事しかないもんね……」


「私としては、伊藤が普通に答えを返してることに驚きなんですけど」


 とても失礼なことを言い合う彼女たち。


 そこまで言うことかと眉を寄せたが、よくよく考えてみれば順当な反応なので、反論をするのは憚られた。


 ただ、「二人が今日会ったばっかりって嘘だよね」「やっぱり付き合ってるとか?」などと、下世話で的外れな推論を語り合うのはやめてもらいたい。


 これまた癖になりつつある頭痛を覚えながら、憂鬱に昼食を再開する一総だった。

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