xSS-x-05 閑話、最強の乙女【100話達成記念】

 八月某日。私――田中たなか真実まみは、いつものように一総かずさセンパイの家にいた。リビングにて読書をするセンパイを、対面のソファーからジッと眺めている。


 伊藤一総センパイ。私を、私が歩いた道を初めて肯定してくれた人。私の愛しい人。顔は普通で面倒くさがりなところはあるけど、強くて頭が良くて頼りになるカッコイイ男性だ。こうやってその姿を見つめているだけでも心が満たされるほど、私は彼へ好意を抱いている。我ながら呆れるくらいベタ惚れしていた。


 センパイへ告白をしてから二ヶ月が経つ。彼の事情を聴いてから猛アピールを続けているけれど、未だに良い成果は出せていない。それどころか、強力なライバルが出現するありさまだ。


 ライバルの名は天野あまのつかさセンパイ。一総センパイの同級生で、金髪をアップテールにした超絶美少女だ。体型も女さえ見惚れるレベルであり、眼鏡でちんちくりんの私とは対極の存在と言えよう。元男という衝撃の事実はあったが、一総センパイは気にする様子はないから、男の望むことを熟知しているという利点にしかなっていないと思う。ぐぬぬ、ライバルが強すぎる。


 しかも、偽りとはいえ、彼女はセンパイの恋人ポジションに収まっていた。仕方のないこととは理解しているが、私はひっじょーに納得がいっていない。好きな人の隣が私以外で埋まってしまうのが、それがたとえ偽物だったとしても許せなかった。


 そもそも、司センパイは下心込みで今の立ち位置を続けている節がある。本人は口にしていないが、彼女は絶対に一総センパイのことが好きだ。同じ恋する乙女だから分かる。私に近いレベルで惚れている、あれは。


 色々と司センパイの方が優勢ではあるけど、負けるわけにはいかない。自分を認めてくれた一総センパイを、私は逃すわけにはいかないのだ。




 ……っと、せっかくセンパイのカッコイイ姿を見つめてニヤニヤするという至高の時間をすごしていたのに、変な方向に考えが飛んでしまっていた。彼は自室にこもることが多いから、この貴重な時間は一秒でも無駄にはできない。しかも、今日は蒼生あおいセンパイも司センパイもこの場に居合わせていないので、絶好のチャンス。よりいっそう時間を大事にしたかった。


 私がセンパイ眺めを再開すると、当の本人と目が合った。ふわぁ、幸せ。


「何かオレの顔についてるか?」


 彼が私に尋ねてくる。どうやら、ジッと見ていたことを悟られてしまったらしい。


 キョトンとした表情をするセンパイも非常に愛らしいのだが、身悶えている時間はない。怪しまれないよう、すぐに応答しなくては。


 とはいえ、正直に話すわけにはいかない。そんなことすれば、絶対にドン引きされる。それくらいの常識は、私だって備えていた。


 私はあらかじめ用意していた言いわけを口にした。


「センパイが読んでる本が気になりまして」


 センパイ眺めを誤魔化す定番の文句だ。センパイはかなりの読書家で、リビングにいる時のほとんどを読書に費やしている。今だってそう、装丁の豪華な本を読んでいる。だから、その本について訊くのが一番安全。


 まぁ、本の内容が気になるというのも、あながち間違いではないし。センパイの趣味であるなら私も共有したいから、尋ねた本は私も読むようにしているのだ。今のところ、何ひとつ内容が理解できていないけど。頭のデキの差を実感してしまう。


 一総センパイは一瞬だけ手に持つ本へ視線を落とし、こちらを見つめる。それから悩ましげに眉を寄せたかと思うと、おもむろに口を開いた。


「聞いたら驚くだろうが……まぁ、真実なら問題ないか。この本は『魔導書』だよ」


「へぇ、『魔導書』ですか。……まどうしょ? まどうしょ…………え、ハァ!? 魔導書ぉおおおおおおお!!!???」


 最初はさらっと内容を流してしまった私だが、そのうち彼の発した言葉の意味を理解してしまい、驚愕と共にその場を立ち上がった。


 え、嘘でしょ!? いや、センパイが嘘を言ってないのは私が一番分かってることだけども。……うわぁ、本当だ。あの本から強力な魔力を感じる。マジで『魔導書』だよ。


 驚嘆に染まっていた心が、次第に呆れへ転換していった。何というか、センパイは何でもありだなと感心してしまう。


 魔導書というのは、文字通り魔導を記した書物。魔法の入門書から秘術の研究レポートまで幅広いが、共通して言えるのは異世界の代物・・・・・・だということ。つまりは、異世界のモノをこちらへ持ち込めないという性質上、『魔導書』がこの場にあるのは本来あり得ないのだ。


 だから、その事実を聞いた瞬間は驚いてしまったけど、程なくして「センパイだもんなぁ」と納得してしまう自分がいるのは恐ろしいところ。彼が規格外なことを起こし続けていたとはいえ、感覚が麻痺している気がする。少し気をつけないと。


 顔色が次々と変わる私と見て、一総センパイはカラカラと笑っていた。


 私は唇を尖らせる。


「センパイ、笑わないでくださいよ」


「ははは、ごめんごめん。あまりにも予想通りの反応を見せてくれるからさ」


 そう笑顔を向けてくる彼はとても無邪気で愛らしく、まぶしかった。私の心臓はドキンと跳ね、頬が朱色に染まるのを感じる。嗚呼……センパイの笑顔、好き。


 深呼吸で高鳴る鼓動を収めてから、私は問う。


「どうして、センパイは『魔導書』なんて持ってるんですか?」


 訊かなければならない質問だ。答えてくれるかは分からないけど、出どころが気になって仕方ない。


 センパイは何てことない調子で返す。


「そりゃもちろん、召喚された先からクスねてきたんだよ。タダ働きするのもバカらしいし、報酬としてね。あっ、王族貴族からしか取ってないからな? さすがに無辜の民からは盗んでない」


「いえ、そこら辺は心配してないですが、センパイって異世界からモノを持ち出せるんですね」


「【空間魔法】を使えば難なくできるよ。おかげで、即帰還しても異能の習得ができるんだ」


 さすが伝説の異能と言うべきか。私たちの常識を簡単にひっくり返してくれる。


「センパイって数時間で帰ってこれるんでしたっけ。なるほど、そういった世界の異能は『魔導書』とかの書物を持ち帰って学んでるんですね」


 彼の帰還速度を聞いた時、どうやって新しい異能を覚えているんだろうと不思議に思ってたけれど、謎の一端が解けた。帰ってからであれば、いくらでも覚える時間くらいある。


「そうそう。覚えるだけじゃなくて専門書を用いた研究を行ったり、すでに所持してる異能と組み合わせ実験を行ったり、さらに腕を磨くために修行をしたり。色々試行錯誤してる」


「すごいですね……」


 私は頬を引きつらせた。


 というのも、センパイの探求心に呆れた――ということではない。所持している異能の数だけでも敵を圧倒できるのに、彼はそれで満足せず研鑽を積んでいるというのだ。これを聞いて絶句しないはずがなかった。


 それと同時に、ふと疑問が湧く。


「センパイって異能が嫌いだと思ってました。普通に修行とかするんですね」


 彼は日常を愛する者だ。非日常の権化である異能を良く思っていないと考えていたが、研究や研鑽を積んでいるとなると、そうではないのだろう。


 一総センパイは肩を竦める。


「新しい物事を覚えたり調べたり、自分の腕を磨くのは好きなんだよ。そりゃあ、勇者召喚は嫌いだけど、自分の身につけたものにまでケチをつけるつもりはないさ。それに――」


 一旦言葉を切るセンパイ。何か言い淀んでいるようだが、私は黙して続きを待つ。


 数秒の時間を置いて、彼は言葉を再開した。


「――それに不安なんだよ、できることをやらないっていうのは。やらなかったせいで後悔した、なんて経験が五万とあるからね」


「センパイ……」


 哀愁を含んだ声音を漏らすセンパイに、私は声をかけられなかった。


 彼は幾百の異世界を渡ってきた。その間に抱いてきた後悔は、きっと一回しか召喚されていない私には想像もできないモノに違いない。好きな人に慰めの言葉ひとつかけられない自分が歯がゆいけれど、こればっかりは気軽にして良いことではなかった。


 すると、一総センパイが小さく頬笑んだ。


「そんな心配そうな顔しなくても大丈夫だよ。別に過去を引きずってるわけじゃない。ただ、同じことを繰り返したくないってだけさ。これでもオレは今を満足してるんだぞ、君らのおかげでさ」


 言葉に嘘はなかった。気遣った気配は見られたけど、センパイは本心から今を楽しんでいると分かる。それが自分たちの影響だというのなら、嬉しさもヒトシオだった。


 私は両拳を握って宣言する。


「それなら、私がずっとセンパイを満足させてあげます。なんせ、私はセンパイが大好きですからね!」


 一総センパイは私の背中を押してくれた。だったら、今度は私がセンパイが先へ進むのを手助けしてあげたい。


 きっと私ならできる。だって、恋する乙女は最強なのだから。

 

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