002-2-01 真実は嘘を嫌う

 五月に入ってから何かと慌ただしい日々をすごしていた一総かずさだったが、今日も今日とていつも通りに午前中の授業が終わり、昼休みが始まる。


 一総のクラスでは昼食に向かう者と身支度を整える者の二種類が存在した。


 前者は午後の左坏祭準備に備えて休息を取るグループ。後者は調理担当の生徒プラス味見役だ。料理の修練で多くの試作を用意するため、昼餉ひるげはいらないのだ。


 一総と蒼生あおいの両名は当然後者。手早く荷物をまとめ、教室を後にしようと席を立つ。


 だが、二人を阻むひとつの影が現れた。


「待ってください、センパイ!」


 一総たちの前に出てきたのは田中たなか真実まみだった。


 彼女はトレンドマークのツインテールを揺らしながら口を開く。


「ついていくって言ったのに、先にどこかへ行こうとしないでくださいよ!」


 相変わらず姦しい彼女に、一総はどんよりとした気分で答える。


「あれ、本気だったのか」


 真実が堂々とストーカー宣言したのは今朝のこと。(無理やり)一緒に登校した後は姿を見ていなかったから冗談だと思っていたのだが、そうではなかったらしい。登校中も邪険に扱ったというのに、その忍耐強さだけは驚嘆の一言だ。


 真実は平らな胸を張る。


「もちろんです! センパイのいるところなら、たとえ火の中、水の中、草の中、森の中、あの子のスカートの中ですよ」


「いや、それは使いどころがおかしい」


「それくらいの気概ってことですよ。それでセンパイたちは、これからお昼ですか?」


 こちらのツッコミをサラッと無視して予定を聞き出そうとする彼女だが、容易く流される一総ではない。


「君に答える義理はないな」


 きっぱり断ると、真実は唇を尖らせた。


「ええー、いいじゃないですか、少しくらい。密着するって言ったじゃないですか。教えてくださいよー」


「オレは密着することを認めてないから」


「つれないですねぇ。いいですよ、どうせ後をつけますし」


「……ハァ」


 めげないどころか開き直る真実の態度を受け、一総は溜息をく。


 いくら拒否しようとも無駄な足掻きで終わることは予測できていた。この程度で断念してくれるなら、昨晩の時点で諦めてくれていただろう。このような心労も味わっていない。


 とはいえ、口だけでも断り続けなくてはいけない。こういう手合いは少しでも気を許せば、「あの時は許可した」などと都合の良い解釈をして、面倒な事態に発展すること請け合いなのだから。


「二人ともどうしたの? えっと、その子は?」


 真実との会話をしている間に、つかさが傍までやってきていた。


 彼女もこれから料理の修練なので、教師役の一総が絡まれているのを心配して窺いにきたようだ。


「どうもしないよ。しつこいパパラッチに捕まっただけだ。オレたちもすぐに行く」


 一総が脱力気味に返すと、真実は語気を強めた。


「誰がパパラッチですか! 私は清く正しい新聞記者ですよ!」


「清く正しい記者は、取材対象に許可なくついて回らないと思うぞ」


「そのうち許してくれるでしょうからいいんです。一種の先行投資です」


「絶対に許可は出さないから……」


 いけしゃあしゃあと言い放つ真実に対し、一総は半眼を向ける。


 言い合う二人を見て、司は苦笑した。


「あはは……新聞部の一年生かな? 確か左坏祭で外部向けの救世主セイヴァー特集を書くんだったよね。よく伊藤くんにアタックしたね。取材に成功した人、一人もいないって話なのに」


「この前勇者になったばっかりの新人らしい」


 蒼生が司の疑問に答えると、彼女は得心した表情をした。同時に、真実を同情する色が瞳に映る。


 それを受けて、真実は涙目になった。


「うぅ、新人なんだからアヴァロンの常識なんて知りませんよぉ。せっかく新聞部で成り上がるチャンスだと思ったのに、まさかの貧乏くじだなんて! しかも、部のセンパイ方へ無理を押し通して取材権を獲得したから、今さら成果なしで戻るなんてできません。絶対に干されます……」


「だからか」


 訊いてもいないことをペラペラと喋ってくれたので、真実がどうして必死なのか理解できた。部員たちに止められたけれど、挑発するようなことでも言って、口論の末に取材することになったといったところか。手ぶらで帰ることができないレベルとは、一体何をしたのだか。


 頭を抱えて嘆く真実へ、蒼生が最も的確な言葉を贈る。


「自業自得」


「ぐはっ」


 自覚はあるようで、その場で崩れ落ちる真実。蒼生の一言は強烈だったのか、四つん這いの状態で動かなくなった。何やらブツブツと呟いているのが不気味だ。


 目の前で美少女の後輩が四つん這いになる。あまりにシュールな光景が突如展開されたことで、周りが騒がしくなる。


 さすがに鬱陶しくなってきた。いつまでも茶番につき合っている暇はないし、いい加減調理室に行ってしまうか。


 蒼生に声をかけ、その場を後にしようと踵を返す一総。


 すると、司が「えっ」と驚きの声を漏らす。


「放っておくの?」


 一総は何てことない風に答える。


「当たり前だろう。つきまとわれて迷惑してる相手なんだから、構っても仕方がない」


 日常を壊しかねない者にかける温情など一切ない。むしろ、排除に動かないだけ感謝してほしいくらいだ。まぁ、それだけ真実には脅威を感じないということなのだが。


 冷酷に、今度こそ調理室へ向かおうと足を踏み出す。


 しかし、その時、またもや彼の行く手を遮る者が現れた。


 目前に立ち塞がる人物を見て、一総は眉を若干ひそめる。


師子王ししおう……」


 誰にも聞こえない声量で呟く。


 彼の進行を阻んだのは師子王勇気ゆうきだ。世界最強の勇者にして、他の勇者たちを押さえて『勇者ブレイヴ』の称号を持つ者。才色兼備で文武両道、困っている人は見捨てない性格の良さまで兼ね備えた完璧超人。


 今までの流れと彼の悪癖を鑑みて、どうして勇気が出てきたのかは容易に予想ができた。


 それを裏づけるように、勇気は口を開く。


「伊藤一総。女性を傷つけておいて放置するなんて、人としてどうなんだ?」


 剣呑な空気をまとい、一総の対応を非難する彼。


 それを聞き、一総は内心で「やはり」とぼやいた。


 無視して先へ進みたいところだが、勇気が簡単に通してくれるとは思えない。面倒ではあるが、ここは会話を続けるしかなかった。


「傷つけるも何も、そこの後輩が陥ってる状況は自業自得だ。オレの関知することじゃないな」


「そうなのかもしれないが、それでも困ってる人がいれば手を貸すのが、人としてすべきことだろう?」


 己を優先する者と他人を優先する者の主張は、どうしたって平行線を辿る。これは分かり切っていた流れなので、一総は勇気が求めている回答を尋ねることにした。


「手を貸すって、何をするんだよ」


「取材を受ければ全て解決だ」


 そんな簡単に引き受けられるなら、この状況は起こっていない。一総は悪態を吐きたくなったが、それを口に出すことはない。


 勇気は続ける。


「取材を受ければ新聞部の子は面子が保てる。伊藤一総、君にしたって、今回の取材を利用すれば、前々から広まっていた悪い噂を払拭できるかもしれない。お互いに利益があるはずだ」


 彼は瞳を真っ直ぐに向けてくる。そこには一片の悪意もなく、純粋な善意が宿っていた。


 これだから苦手なのだと一総は思う。


 こちらの事情を話していないせいでもあるが、自分の価値観に当てはめた間違った前提の元、汚れなき善意を押しつけてくる。何の迷いもない正義の押し売りは百パーセントこちらを気遣った行動であるため、良心の呵責から強く反発できなく、余計に質が悪かった。


「…………」


「…………」


 視線をぶつけ合っていた二人だったが、ふとした拍子に一総が顔を逸らす。それから未だに四つん這いの真実へ近づくと、ひょいと小脇に抱え上げた。彼女は小柄なので、苦もなく持ち上がる。


「ひゃあ!?」


「何をしてるんだ!?」


 突然の奇行に真実は短い悲鳴を上げ、勇気は目を見開く。


 周りの反応など気にすることもなく、一総はスタスタと教室の出口へ歩いて行った。


 そして、出口の手前で肩越しに振り返る。


「放っておかなければいいんだろう? 調理室までつれてくんだよ」


 そう言うと、彼は真実を抱えたまま退室してしまった。


 蒼生も平然と後に続く。


 しばらく呆然とする室内の面々だったが、自分たちも調理室に行かなくてはと我に返った司たち調理担当が行動し始めたことで、他の者たちも釈然としないながらも昼休みに戻っていった。




「なんですか、この美味しい料理は!?」


 調理室に、そんな真実の絶賛が響く。


 勇気との問答の後、一総たちはすぐさま・・・・料理の練習に入った。いつもの流れにより最初に一総がお手本の料理を作ったため、今はそれを一総と蒼生、真実の三人で食しているところだ。


 よっぽど口にあったのか、真実はモシャモシャと一総の料理を一心不乱に食べている。


「こんなに美味しいもの、今まで食べたことありません。もしゃもしゃ。めちゃくちゃ美味しいです。もしゃもしゃ」


「行儀悪いから食べながら話すな。どっちかにしろ」


「…………」


「……食べる方を優先するのな」


 取材したいんじゃなかったのか、と呆れながら、真実が食事を終えるのを待つことにする。


 ちなみに、すでに一総と蒼生は食べ終わっており、蒼生は隣で自慢げに胸を張っていた。おそらく、一総の料理を褒められて嬉しいのだろう。どうして彼女が嬉しがるのかは謎だが。


 ほどなくして真実の箸が止まり、ふぃぃと満足げな声を漏らす。


「ごちそうさまでした、本当に美味しかったです! 私の家は一般的な生活水準なので分かりませんが、もしかして星がつくレベルの料理なんじゃありませんか?」


「おそまつさま。作った身としては嬉しい賞賛だが、さすがに三ツ星とかは無理だ」


 興奮したように言う真実の言葉に、一総は苦笑する。


「そうなんですか? 異世界の王城で食べた宮廷料理より美味しかったんですが……」


「それって本当に宮廷料理なのか? 王族に仕える料理人はどんな世界でも凄まじい腕を持ってると思うんだが」


「そういえば、『勇者なんかに一流の料理はもったいない』とか、ほざいていましたね。たぶん、宮廷料理は宮廷料理でも二流三流の料理人が作ったものを出されていたんでしょう」


「なるほどな」


 一総は納得する。


 異世界によって勇者の扱いは様々だが、勇者を体の良い奴隷だと思っている世界は珍しくない。酷いところでは地下牢暮らしでクズ飯ということもあるから、なかなか勇者とは難儀なものだ。


「さて、本題に入ろうか。取材は受けないが、君の事情くらいは聞いてやる」


 食事も終わったので、真実を連れてきた本来の目的に移るとする。


 一総の言葉を聞き、真実はキョトンとした表情をした。


「あれ、取材を受けてくれるんじゃないんですか?」


「そんなこと、一言も言ってないが」


 何てことなく返す一総を見て、真実はその場から勢い良く立ち上がった。


「ええええええええええ!?!? 取材オッケーだから連れてきたんじゃないんですか!? 『勇者』センパイの意見を聞いて翻意してくれたんじゃないんですか!?」


「そんなわけないだろう。あいつの言葉くらいで意見を変えるわけがない。連れてきたのは面倒くさい師子王を煙に巻くためだ。まぁ、連れてきたんだから、愚痴くらいは聞いてやろうかなとは思うけど」


 やれやれと首を振る一総。


 真実はイラッと柳眉を上げる。


「愚痴を聞いて何になるっていうですか! そんな中途半端なことするなら取材受けてくださいよ、取材! せっかく『勇者』センパイを吹っかけたっていうのに」


「絶対に取材は受けない。というか、やっぱり狙ってあの状況を作ったのか、君は」


「当然じゃないですか。狙ってなきゃ、あのセンパイのいる場所で“困った人”は演じませんよ。……ああ、本当に困ってるので、演じてるというのは語弊がありますが」


「開き直りやがって。そういうのは誤魔化すものじゃないのか?」


「私は嘘が嫌いなんです。センパイとは違うんですよ」


「オレも嘘は吐いてないだろう。君も分ってると思うんだが」


「うぐっ。それはそうですけど……」


 やいのやいのと言い合いを続ける二人。とても昨晩顔を合わせたばかりとは思えない雰囲気だ。


 だからか、傍で静かに見守っていた蒼生がボソリと呟く。


「二人とも、仲がいい」


「別に仲良くありませんよ、こんな陰険なセンパイ! 村瀬センパイは、よく一緒に生活できますね」


 過剰反応したのは真実だ。溢れる感情を抑え切れていないようだ。


「かずさは、優しいよ?」


 蒼生は小首を傾ぐ。あどけない表情と相俟って、その仕草は愛らしさが溢れていた。


「な、なんてあざといポーズ! しかも、天然で行ってる感じなのがグッときますね」


 蒼生の可愛らしさに当てられた真実は、怯むと同時に落ち着きを取り戻す。


 すると、何か違和感を覚えたのか、「うん?」と怪訝な表情を浮かべた。


「どうして伊藤センパイは、“自分が嘘を吐いてないことを私が分かってる”って知ってるんですか?」


 真実は一回も『一総は嘘を吐いていないと思っている』と察せる言葉は口にしていない。むしろ、直前に嘘つき呼ばわりをしたくらいだ。そも、自分の嘘の有無を『君も分ってる』などと普通は断言しない。


 一総はごく自然に答える。


「だって、君の瞳は魔眼だろう? おそらく、風の精霊が宿ってるやつ。だから、嘘の感知ができると思ったんだけど」


「えっ、気づいてたんですか!?」


 真実は瞠目し、驚きの声を上げた。


 その大仰な反応に、一総はやや困惑した表情を浮かべる。


「気づいていたも何も、純日本人の顔立ちの少女が翡翠色の瞳をしてたら、普通は分かるだろう。魔力遮断眼鏡もかけてるし」


「言われてみれば……」


 言われて初めて気がついたらしく、真実は呆然と呟く。


 だが、疑念が完全に払われたわけではないようだ。慌てた様子で言葉を重ねる。


「で、でも、魔眼の特性まで分かるのはおかしくないですか?」


「それは結構簡単に読み取れるんだよね」


 真実の問いに、一総でも蒼生でもない声が答える。


「あっ、天野センパイ」


 いつの間にか近くまで寄ってきていた司が、微笑みながら説明を始めた。


「魔眼って色々あるんだけど、大体は瞳に映る紋様や色で特性を区別できるんだよ。中でも精霊系の魔眼は分かりやすくて、色が変わるだけだからね」


「翡翠色の魔眼だから、風の精霊の魔眼と分かったわけですか」


「その通り」


 司は満足げに頷く。


 そこへ蒼生が問いを投げかけた。


「つかさの髪の色も、何か特殊な能力を得た結果?」


 司は日本人にも関わらずホワイトブロンドの髪色をしている。だから、魔眼と似たような経緯があるのかと考えたようだ。


 違うよ、と司は首を横に振る。


「異世界で体質が変化する人は結構いるけど、私みたいに髪だけ・・変化した人の大体は色が変わっただけで、特殊な能力の結果じゃないね」


「そう」


「ん?」


 司の答えを聞いて反応したのは二人。前者は蒼生で、後者は真実だ。


 真実は何か新たな疑問を生んだらしく、口を開こうとする。


 しかし、彼女が発するよりも早く、一総が言葉を紡いだ。


「天野、何か用があって声をかけたんだろう? どうしたんだ?」


「あ、うん。今日の練習分の食材が足りなくなってきたから、それを伝えようと思って。どうしたらいいかな? 買い出しに行くなら人選するけど」


 一総は少しの間、思考を巡らす。


「いいや、人選はいらない。天野たちには練習を続けてほしいから、ちょうどここに三人いるし、オレたちが買い出しに行ってくる。足りないものをリストにまとめてくれないか?」


「うん、分かったよ」


 司は首肯すると、食材の確認のために、この場から離れていく。


 それを見送ると、蒼生が訊いてきた。


「買い物?」


「そうだ。三人で行くから、準備してくれ」


 今、この場にいるのは一総、蒼生、真実の三人。


 真実が声を上げる。


「ええっ、私もですか!?」


「当然。オレの料理を食べたんだから、少しくらいは手伝え」


「うぐっ、それを言われると断りづらい」


 渋々ながらも真実も手伝うことを了承する。


 そうして、司が買い物リストを持ってきた後、一総たちは買い出しへと出かけた。

 

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