006-6-02 終幕、答え(後)
光が収まると共に、人影のなかったリビングに七人の男女が現れる。当然、異世界から帰還した一総たちだった。
「ようやく帰って来られましたねー、我が家に」
「
「ここがカズサの家……」
「パスを通してみた通りですね、姉さん」
「そうッスね。あんまりお掃除のし甲斐はなさそうッス」
「一総くん、家事は一通りこなせるからねぇ。お掃除だって定期的にやってるもん」
「……おなかすいた」
和気藹々、思い思いに会話を繰り広げる一同。雑多だが、どこか温かみのある空気があった。それこそ、家族のような光景。
しばらく雑談が続くと、ふと真実が声を張る。
「一総センパイ、この後はもちろんアレですよね?」
爛々と期待のこもった瞳を、一総へ向ける彼女。
ただ、肝心の一総は、その言葉が示す意味を理解していなかった。
彼は小首を傾ぐ。
「アレって?」
「アレはアレですよ。もう、私の口から言わせないでください」
「いや、さっぱり分からんのだが」
両頬に手を当てて身をくねらせる真実に対し、一総は疑問符を浮かべるしかない。
すると、傍らにいたムムは感づいたようで、一総の耳元で何かを口ずさむ。
それを聞いた彼は、気の抜けた息を吐いた。
「恋人になって浮かれるのは分かるけど、帰ってきて早速ってのは、どうなんだ?」
その言葉で、今いる面子の大多数がアレとやらの正体に気がついた。一様に頬を赤らめ、些か呆然としてしまう。
一総の反応を受け、真実は慌てて手を振った。
「だ、だって、しょうがないじゃないですか。ここ数ヶ月の念願が叶ったんですよ? 色々妄想してたことを実行したいと思うのは当然ってものです!」
「色々妄想してたんッスね」
「うぐっ」
ミミの鋭いツッコミに、真実は黙り込む。ついでに、何名かも静かに目を逸らしていた。
ミミに悪気はないのだろう。何せ、彼女は淫魔。そういう事柄には、嬉々として食いついてしまうのだ。
気まずい空気が流れそうになる寸前。一総は口を挟む。
「別に責やしないさ。待たせたオレが悪いし、そのうちにキミたちには応えたいと思ってるよ。ただ、今晩──いや、一週間は無理だ」
「どういうことです?」
茶化している風ではなく、真剣味を帯びた声音だった。そのため、真実も真面目な顔つきで問う。
一総は肩を竦めた。
「ミュリエルたちの戸籍を作らなくちゃいけない」
「あー」
そういえばそうだった、と真実は得心する。
ミュリエル、ミミ、ムムは異世界の者であり、人外種だ。何の対策もせずに彼女たちを表に出せば、間違いなく世間に大混乱を招く。三人を実験体に欲するバカな輩も出現すること請け合いだった。
三人自身が注意するのにも限界があるので、根本的解決──元々この世界にいた事実を捏造しようというわけである。
「それって、今すぐやらないとダメなのかな。翌朝に回すとかできない?」
自分たちに応えたいなどと明言されたからか、司はソワソワした様子で訊いてくる。その目は肉食獣に似ていた。
それを知ってか知らずか。一総は気にした素振りを見せず、首を横に振る。
「無理だな。もう、オレたちの帰還は政府側に伝わってる。向こうが接触してくる前に、手を打たないとまずい」
戸籍等の捏造自体は、一総の手にかかれば数分で終わる。だのに、一週間は無理だと返したのは、政府に拘束される時間を見越してだった。
司は、怪訝そうに眉をひそめる。
「もうバレたの? いくら何でも早い気がするけど」
「
「納得できる理由ではあるけど……その監視って、一総くんは誤魔化せなかったの?」
「昼夜関係なく監視し続けてくる連中を誤魔化せって? いやだよ、疲れる。それに、オレは実力を偽ってるんだから、そっちの偽装工作もしなくちゃいけないし。そんな労力を割くくらいなら、素直に見つかった方が楽だ」
「あーうん。一総くんらしい理由だね」
諦観したように、司は苦笑いした。
異世界では全力で戦っていたから忘れていたが、本来の彼は面倒くさがりな性格をしている。手間のかからない選択をするのは当然だった。
「アタシたちのせいで、ごめんなさい」
「申しわけございません」
「申しわけないッス」
「わわっ、こんなことで頭を下げないでくださいよ。私のワガママより、ミュリエルたちの件の方が大事に決まってるんですから」
「そうそう。真実ちゃんがエッチな子だっただけなんだから」
「そんな言い方しないでください、司センパイ!」
このまま楽しい雑談を続けたいところではあるが、時間は有限だった。
ゆえに彼は、次いで対処しなくてはいけない人物へ声を向ける。
「ということで、あまり時間の余裕がないので、隠れてないで出てきてもらえますか? 手短に済む用事であれば今聞きますし、無理そうなら後で時間を作ります」
一総の視線の先はリビングの出入り口、暗がりに落ちた廊下の方だった。
彼の言葉を受けて数秒後、一人の少女が姿を現す。
それは、先に帰還していた
彼女はハハハと空笑いを溢しながら、一行の前まで歩み寄った。
「さすがに、一総には見つかっちゃったわね」
「オレだけじゃないですけどね」
「え?」
「えっと、私も気づいてました」
控えめに手を挙げる真実を認め、侑姫は目を見開く。
「これでも隠密には自信があったんだけど」
「相手が悪いですね。真実の眼は、オレの隠密も見通しますから」
「……すごいわね」
憮然と呟く侑姫。
真実の魔眼が破格であることは既知だったが、予想以上だったらしい。
一総は「話を戻しますが」と紡ぐ。
「何の用件でオレの家に侵入してたんでしょう? よっぽど重要なことだとは思いますが」
侑姫は、これからの一総たちと同じ立場だ。救世主入りが確定し、この数日間は政府からの問答や各説明などで多忙だったはず。
そこを押して、いつ帰るか分からない彼らを待っていたのだから、相当大事な話があるのだと察しがついた。
一総の質問に対し、彼女はしばし沈黙した。瞳は不安でゆらゆらと揺れており、今にも崩れ落ちそうな儚さが見える。
「場所を変えますか?」
他の者に聞かれたくない話かと推察した彼は、気を遣って尋ねる。
しかし、侑姫は
「いいえ、彼女たちにも聞いてほしいわ。あなたと恋人関係になったのなら、なおさらね」
その一言が決定的だった。彼女が何を言おうとしているのか、この場の全員が理解する。
ただ、誰も止めない。これから行われることの重要さを知っているがため。
侑姫は幾度と深呼吸を繰り返し、その艶やかな唇を動かす。
「まずは、異世界でのことを謝らせて。何度も怒鳴りつけ、本気の攻撃を向けてしまって、ごめんなさい」
「あれは、元々オレが悪かったので……」
「いいえ、私の責任でもあるわ。一総の言葉に傷ついたのは事実だけど、あなたは後日謝罪と弁解をしに来てくれた。少し考えれば後者の内容が本心だって分かったはずなのに、それを拒否したのは私の落ち度よ」
侑姫は一総を見据え、明確に自分が悪いと発言する。それから、改めて頭を下げた。
「私のために嫌いな戦闘をしてくれて、私の怒りを受け止めてくれて、私の心を治してくれて、本当にありがとう。理不尽に怒りをむけてしまって、ごめんなさい」
「分かりました。謝罪と謝意は受け入れます。頭をあげてください」
「ありがとう」
どこか困った様子も見られた一総だったが、最終的には受け入れてくれて安堵する。
それから、頭を上げた侑姫は言葉を続けた。ここからが本番だと、声に力を込める。
「こんな話の後に言うのは変でしょうけど、言わせてちょうだい。私は一総のことが好きよ」
カミラとの会話で気づいた本心。
依存相手から拒絶されただけではない、恋した相手から否定されたと思い込んでしまったゆえに、侑姫は心壊れるほど乱れたのだ。
「最初は、私より強い相手だからって理由で依存しただけだった。でも、あなたと触れ合ってくうちに、あなたの人柄を知ってくうちに、それ以外の感情が生まれたの」
学校の昇降口で出待ちしたら嫌そうな顔を向けられたこと。家まで押しかけたら驚かれたこと。押しかけるうちに遠慮がなくなってきたこと。徐々に雑談を交えるようになったこと。ぶっきらぼうな彼が表情を動かすと、密かにトキめいていたこと。
少しずつ募っていった思い出と感情は、侑姫にとって、かけがえのない宝物だった。
「始まりこそ歪だったけど、間違いなく、私は一総が好き」
キッカケは関係ない。今の自分の想いは恋に違いないのだから。
熱い心を込めた言葉を聞き届けた一総は、静かに瞑目する。その姿から、しっかり侑姫の想いを受け止め考えているのだと理解できる。
散々迷惑をかけたにも関わらず、彼は真剣に向き合ってくれている。その事実に、何度目か分からない恋の鼓動を感じつつ、侑姫は口を開いた。一総が答えを出す、その前に。
「今、答えはいらないわ」
「なに?」
彼女のセリフに、一総は目を開く。その表情は訝しげだった。周囲の少女たちからも同様の感情が窺える。
予想通りの反応だったため、気にせず侑姫は続けた。
「告白に対する答えは、今すぐいらないって言ったのよ。今回は私の気持ちを知ってもらうだけ」
「何故ですか?」
「少しは成長できたとは思うけど、まだまだ私は弱いから。ここで答えを聞いちゃうと、結果がどっちにしろダメ人間になると思うのよ」
カミラとの交流で、侑姫の依存体質は多少改善された。──が、所詮は多少なのだ。長年の性質を、ちょっとやそっとで変えられるわけがない。未だ侑姫の心は弱く、依存しやすい。
ゆえに、返事を聞けば、彼女は堕落する。拒絶されれば以前の二の舞。受け入れられても、きっと一総に頼り切る毎日を送るだろう。
それではダメだ。一総の横に立つには相応しくない。誰よりも強く、数多の困難を打ち破り、今や慕う人々に囲まれる彼。そのパートナーにはなれない。
せめて、自分の両足で立てる日まで、彼とは別の道で努力を続けようと決めたのだ。己の足で未来を歩もうと決意したのだ。
それなら告白もするなと言われるかもしれないが、一種の決意表明と捉えていただきたい。もう二度と逃げないという覚悟のあらわれだと。
お互いに見つめ合う一総と侑姫。
しばらくして、一総の方が目を逸らした。
「分かりました。先輩への返事は胸の中にしまっておきます。いつか聞きたくなった時にでも聞いてください」
「できるだけ早く来れるよう、頑張るわ」
彼の受諾を聞き、侑姫は笑顔を見せた。
彼女の気分は高揚していた。告白した余韻というのだろうか、緊張とは異なる心臓の鼓動を感じ、気を抜くと頬が緩みそうになる。
このやる気が削がれないうちに、行動に移したい。そう願った彼女は
「じゃあ、私はお暇するわね。時間を割いてくれてありがとう」
侑姫は軽やかな足取りで、一総の家から去っていった。未来の希望を信じる、明るい笑顔で。
侑姫の去ったリビングは静寂に包まれる。
その中、真実が呆れた風に呟いた。
「センパイ、あと何人増やす気ですか?」
何を、などと問うまでもない。
一総は溜息を吐く。
「人聞きの悪いこと言うなよ。増やす気はないって」
彼の返しに、真実は目をクワッと開く。
「嘘ですね! 絶対、センパイの恋人は増え続けますよ!」
「嘘吐いてないのは、その眼で分かってるだろう!? なんで真逆のことを言うんだよ」
「さっきの桐ヶ谷センパイを見れば、一目瞭然じゃないですか。あの人、将来的に私たちと同類になりますよ、一総センパイを死んでも諦めない恋魔神に! で、ああいう人を量産するのが、一総センパイの運命なんですよ」
「や、やめろよ。『真破写覚の眼』を持つキミが言うと、予言っぽく聞こえる」
「眼の力は使ってないですけど、この予想は自信があります。絶対に増えますね。司センパイとミュリエルだって、そう思いますよね?」
話を向けられた二人は、そろって苦笑する。
「まぁ、否定はできないかなぁ」
「アタシは気にしないわよ。アタシに変わらぬ愛を注いでくれるなら」
「キミたちまでッ」
恋人三人が同意見なことに、一総は絶句する。
何とか妙な誤解を解こうとするが、
「ほら、アタシたちの偽装工作をしてくれるのでしょう? さっさとやってしまいましょう」
「よろしくお願いします、ご主人さま」
「お願いしますッス」
急ぎの仕事が控えていたため、そのような猶予など残されていなかった。
「ああもう。あとでじっくり話し合うからな!」
こうして、異世界での事件は幕を下ろし、彼らの新たな日常が始まる。
素晴らしい恋人と友人、使い魔に囲まれた日々は華やかで、もはや過去に縛られるはずもない。
すべての問題が片づいたわけではなかった。だが一総は、確かに願い続けた『日常』を手に入れたのだった。
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