006-6-03 幕間、Answer:BLUE

 一総かずさ宅にある蒼生あおいの私室。ダルマとアニメ趣味の代物に彩られたそこに、部屋の主がポツンと立っていた。明かりをつけず、椅子やベッドに腰を下ろすことなく、ただただ薄暗い部屋で直立していた。


 ここ数日の間に行われた政府による事情聴取も終わり、ようやく落ち着いた生活に戻れたところ。


 しかし、それは同時に、蒼生へ考える暇を与えてしまう。多忙によって逃避できていた現実を向き合わせてしまう。己が数多の人間を――世界を滅ぼした大罪人なのだと。


 取り戻した記憶は、蒼生の望まぬ結晶だった。


 脳裏から次々と浮かぶのは、渡った異世界で邂逅した人々の怨嗟の声、表情、感情。滂沱の呪怨が彼女の心臓を縛りつけ、キリキリと鋭い痛みを走らせる。


 どうすれば良いのか、どうしたら良いのか。曖昧な疑問が、グルグルと頭の中を巡っては消えていく。


 そのうち、彼女はとある記憶に行き当たる。多くの世界を滅ぼし、心身共にボロボロだった頃。元の世界へ帰還する直前の記憶を。








          ○●○●○








 世界が燃えていた。人も、建物も、石も、森も、川も、海も、大地も、星も、そらも。ありとあらゆるものが蒼色の炎に包まれ、そのすべてが塵と化そうとしていた。


 もはや命の灯火の存在しない世界。唯一残る生命は、この惨状を招いた黒髪の少女――蒼生しか存在しなかった。


 彼女はその場でうずくまり、頭を抱え、泣き叫ぶ。


「また……またやっちゃったよ。どうして、どうして、いつもこうなるの!? 私はただ普通に生活したいだけなのに。日常を送りたいだけなのに! 私はいつまで殺し続けなくちゃいけないの。仲良くなった人たちを手にかけて、全然知らない人たちを葬って、世界を滅ぼして。もういやだよ。帰りたい……帰してよ、私をお母さんたちのところに帰してよぉ」


 罪悪感、喪失感、虚無感、憤怒、絶望感。これまでの経緯が幾多の感情を湧き上がらせ、それらがグチャグチャに絡み合う。


 心も体も悲鳴を上げ、蒼生はもう限界が近かった。十二年、幼女が年頃の少女に変わる間、百の世界を殺し続けたのだから当然だった。むしろ、かろうじてでも精神が保ってこられた方が奇跡だろう。


 だが、その奇跡も終わりを迎える。希望に輝いていた蒼い瞳はドス黒く染まり、魂はパラパラと崩れ始めている。彼女は着実に死へ誘われていた。


 どれくらい経ったか。世界の大半が燃え尽き、残るのは僅かな大地と蒼生のみ。そのふたつも、じきに消え去ろうとしている。


 終焉の世界といって相違ない場所に、どういうわけか新たな声が下りた。


「死者復活の方法に、興味はないかい?」


 それは年若い男の声。少年といって差し支えない人物だった。


 年の頃は十二くらい。いつの間にか蒼生の傍らに立つ彼は、終焉の世界に存在するとは思えない無邪気な笑みを湛えている。


「もし、キミが殺してしまった世界を、そこに住む人々を生き返らせる方法があるとしたら、どうする?」


「……」


 微動だにしなかった蒼生が動いた。緩慢に顔を持ち上げ、黒く濁った瞳で少年を見つめる。


 まだ心の崩壊は止まっていないが、彼の話に興味を持ったのは一目瞭然だった。


 それを認めた少年は満足そうに頷き、言葉を紡ぐ。


「ボクの『楽園計画』に乗ってくれれば、キミの望みを叶えよう。この計画が達成できれば、その程度のことは容易いからね」


 そう言って、少年は蒼生へ手を差し伸べてくる。


 彼の態度は自信に溢れていて、決断をゆだねてしまいたくなるカリスマが存在した。蒼生も、思わず手を取ってしまいそうになる。


 しかし、この十二年ですり切れた彼女は簡単に屈しない。甘言によって騙されたことは、これまで何度もあった。危うく貞操を汚されかける場面さえも。何の根拠も提示していないのに、信じることなどできやしない。


「……証拠は?」


 乾いた喉に鞭を打ち、何とか声を絞り出す蒼生。


 それを聞いた少年は、嗚呼と大仰に反応を示す。


「確かに、何の証拠もなく信じる方が無理あるよね。死者復活はともかく、世界の復活なんて難しいどころの話じゃない。世界を殺してきたキミなら、余計にそれが実感できるんだろうね」


 とても気に障る口調ではあったが、蒼生は耐えた。彼の話に希望があるかもしれないなら、この程度の我慢は安いもの。


 少年は続ける。


「今、ボクは神座しんざを手中に収めてる。文字通り、神の座する場所だ。これは数多の世界を管理する場所でね。そんな場所なら、世界を再生させるなんて簡単そうに思わないかい?」


「なんで、そんなもの持ってるの?」


「そりゃあ、神から奪ったのさ。どうしても、ボクの計画にあれが必要だったから」


「神を倒したの?」


「そうだ……と言いたいけど、倒してはないよ。腐っても神みたいで、倒す前に逃げられちゃったんだよね」


「……うさんくさい」


 蒼生はうろんげな目を少年へ向ける。


 そも、神の実在自体が疑わしい。もし神様がいるのであれば、どうして自分は理不尽な目にあっているのか。そう問い質したいくらいだ。


 彼女の内心を察してか、少年は肩を竦める。


「まぁ、すぐに信じてもらう必要はないよ。早急にキミの力が欲しいわけじゃないし。そうだね……時が来たら、キミを迎えに行く。それまでに答えを出していてくれればいいかな」


 言うや否や、少年は世界へ溶け込むように消えてしまう。止める暇もなかった。


 再び、世界に静寂が舞い戻った。


 自分の都合だけ一方的に話して、それが終わったら早々に帰ってしまう。何とも自分勝手な輩だった。


 ただ、蒼生の心の崩壊が止まるという、明確な影響を与えていた。


 少年の言に一切の信憑性はない。しかし、もし本当だったら、と考えてしまうのだ。自分の犯した過ちを正せるのではないかと、期待を持ってしまうのだ。とうに、希望など捨て去っていたはずなのに。


「あっ……」


 突然体中の力が抜け、蒼生は地面に横たわる。視界もぶれ、徐々に思考が闇へ染まっていく。


 彼女の心は死の寸前だったため、意識を保つ限界を迎えていた。


 暗転する視界の端に、見慣れた勇者召喚の光が映り込む。


(ゆっくり考えよう。どうせ、時間はいくらでもあるんだ)


 意識が途切れていく中、蒼生はそう心中でうそぶいた。


 この気絶以降は記憶が欠落するゆえに、そのような悠長な時間など残されていないとは知らずに。








          ○●○●○








「思い出した……」


 その場で呆然と崩折れる蒼生。


 彼女は、ようやくすべての記憶を取り戻した。


 邂逅かいこうしていたのだ、蒼生と敵の総大将――『始まりの勇者』は。かの少年は名乗っていなかったが、神座を奪った者が何人もいるはずがない。間違いなかった。


 そして、自身が『ブランク』から狙われるのも合点がいった。彼らは蒼生の力が必要だから、彼女の身を欲していたのだ。殺しても構わない姿勢である理由は定かではないけれど、全部が自分の責任なのは確信した。


「あ、ああああ」


 か細い悲鳴が漏れる。


 せっかく世界を滅ぼす旅が終わったというのに、再び自分が原因で、多くの人々が傷ついている。一総たち仲間が望まぬ戦を強いられ、霊魔国や王国は甚大な被害を受けた。『ブランク』の規模を考慮したら、まだ知らぬ人々が傷ついている可能性もある。


 ――すべては自分のせいで。


 その考えが脳裏をよぎると、ギシギシと久しい異音が聞こえてくる。心の、魂の悲鳴がひしめいていた。


「どうしよう、どうしようどうしようどうしようどうしようどうしようどうしようどうしようどうしようどうしようどうしようどうしようどうしようどうしようどうしようどうしようどうしようどうしようどうしようどうしようどうしようどうしようどうしようどうしようどうしようどうしようどうしようどうしようどうしようどうしようどうしようどうしようどうしようどうしようどうしようどうしよう」


 いつかのように、蒼生は頭を抱えてうずくまってしまう。壊れたレコードの如く、何度も何度も何度も自問を続ける。


 幾分も幾時間も不毛な問答を続け、ついには陽が明ける。今日から学校生活に戻るため、ゆっくりしていられる時間は残されていなかった。


 焦りが募る蒼生だったが、ふと脳裏によぎる言葉があった。


『ボクの『楽園計画』に乗ってくれれば、キミの望みを叶えよう』


 それは『始まりの勇者』が彼女へ送った言葉。


 それと同時に、真実まみつかさ、ミュリエル、侑姫、ミミ、ムム、三人娘など。この世界に戻ってからできた、大切な友人たちの笑顔が想起される。そして、一総と共にすごしてきた“半年間の毎日”が浮かんでいく。どれも大切で、かけがえがなくて、心温まる思い出。彼の存在が、彼らとの絆が、彼女の心を強く支えていた。


「……決めた」


 目元に深いクマを作った蒼生は結論を下した。


 ふらふらと覚束ない足取りで立ち上がり、ギュッと両拳を握り締める。


「私が……終わらせる」


 あとは時を待つのみ、と蒼生は意気込む。


 彼女の見据える未来は、はたして、どういったものなのか。その内容を知るのは蒼生のみである。

 

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