008-2-07 復讐者の終着点

 エリザベートの婚約者に直接手を下したのは一総かずさだった。しかし、一総を戦場へ送り出したのはカルムスド王家だ。死の根本である戦争を始めたのは、両国の下らないエゴだ。その後始末を請け負うのは、カルムスドかバァカホの王家であってしかるべきだろう。


 ゆえに、一族の元を離れたとはいえ、これはミュリエル・ノウル・カルムスドが果たさなくてはならない。復讐者エリザベートを聴き、彼女の恨みのすべてを受け止めるのは、他ならぬ彼女の仕事。そうミュリエルは決意していた。


 にごった眼でこちらを睨むエリザベートへ、ミュリエルはおもむろに口を開く。


「あなたの婚約者を殺したのは戦争よ。アタシの祖国とあなたの祖国が、彼を殺したの。決して、カズサのせいではないわ」


 感情を悟らせない平坦な声で語りかけた。こちらに私情はないと信じてもらえるよう。


 しかし、エリザベートにはミュリエルの真意など伝わらない。目を血走らせ、狂った音程で叫び上げる。


「うるさいッ。そんな裏の話など知ったことではないわ! わたくしが復讐をするのは『黒鬼こっき』ただ一人!」


 喉が張り裂けんばかりに言うと、エリザベートのまとう霊力が大幅に増した。まるで彼女の怒りに呼応したかのように、普通ならあり得ない増量を見せる。


 ドス黒い霊力だ。憎悪によって引き出されているからか。エリザベートの体から湧き出る波動は、コールタールの如き漆黒の深さを持つ。触れたこちらの霊力まで汚染されてしまいそうだった。


 おぞましい力を目の当たりにし、ミュリエルは目をすがめる。


「彼は命令されたにすぎない。そんなこと、聡明なあなたなら理解しているでしょう? 自分たちに非があると……自らが婚約者の死の一助を担ったと認めたくないから、そうやって目を背けているの──」


 言葉は途絶える。エリザベートが般若の形相で攻撃を仕かけてきたからだった。ご丁寧に、先程よりさらに霊力を増幅させて。


「デタラメを言うな! わたくしはッ、彼をッ、愛していたのですッ!!」


 互いの距離を瞬く間に詰めたエリザベートは、魄法の【穿刃ボーレン】と空間魔法の【穿うがち】を付与した両拳で、ミュリエルへラッシュを繰り出す。霊力と魔力を螺旋状にまとった拳が生み出す火力は凄まじく、一発命中するごとに、ミュリエルがとっさに展開した【神罰コード隔絶フィーア】をきしませた。


 このまま攻撃が続けば、じきに【隔絶】は破壊されるだろう。そこは驚嘆に値する。


 だが同時に、この戦いは自分が勝つだろうことを、ミュリエルは確信した。


 ゆえに、残りの消化試合を、彼女は己の一族の不始末を解消することに充てる。


「あなたが、かの者を愛していたのは事実なのでしょう。けれど、それとこれとは話が異なるわ。あなたやアタシの一族は、あなたの婚約者を死地に送った。これは拭えぬ事実よ」


「うるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさい」


 よりいっそう霊力を爆発させ、エリザベートは連打を続ける。


 彼女も心の底では理解しているはずだ。そうでなければ、このように必死になって否定はしない。直視できない事実があるからこそ、手足や感情を振り回し、周囲を散らかすのだ。


 でも、そのような駄々を、いつまでも許すミュリエルではなかった。


 どれだけ力を増やされても突破されない【隔絶】越しに、彼女は言の葉を綴る。


「ハッキリ言いましょう。あなたが復讐したがっているカズサは被害者にすぎないわ。真に咎められるべきなのは、自尊心を満たすためだけに戦争を長年続けてきた両国の王族。つまり、アタシやあなたは加害者なのよ」


 やむにやまれぬ戦ならともかく、くだらない誇りプライドの戦争。長年続いていたとはいえ、努力を重ねれば止められた可能性はあった。それほどまでに愛し合っていたのなら、婚約者を引き留めることもできたはずだ。


 それらを怠り、あまつさえ加担しておいて、いざ自分が害を被ったら被害者面して憎悪を撒き散らす。その辺の一兵卒であれば復讐半ばで野垂れ死ぬが、なまじ実力者だから余計に大ごとになってしまう。子供の駄々よりタチが悪かった。


 被害者とは、とんでもない。すべては自業自得の加害者だった。


 無論、全部がエリザベートの責任とは言わない。前より語っているように、これは両王家の負の遺産であり、ミュリエルにも責任の一端はある。


 ただ、彼女が求める一総には何の責もない、という話だ。


 目を逸らし続けた現実を突きつけられ、エリザベートは攻撃を止める。いや、攻撃だけではない。棒立ちになり、すべての動きを停止させた。


「ッ!?」


 嫌な気配を感じ取り、ミュリエルは距離を取った。後方へ十数メートル跳び、俯いてたたずむエリザベートの様子を窺う。


 一秒、五秒、十秒、二十秒──。緊張感の漂う中、二人は微動だにしない。


 しかし、一分が経過し、先の気配は勘違いかと考え始めた時だった。事態は動きを見せる。


「……………………」


 エリザベートが、何かを小声で呟き始めた。耳を澄ませても聞き取れない、囁きにも近い声量。


 訝しむミュリエルだったが、すぐにその疑念は解決する。何故なら、エリザベートの声量は、徐々に大きくなっていったのだから。


「……殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す──」


 背筋が凍った。


 エリザベートが呟いていたのは普通の言葉ではない。確かな怨念が込められた呪言だったのだ。


 事前に【隔絶】を展開していたから無事だったものの、彼女ほどの実力者でも直接耳にすれば呪われてしまう。それほどの呪いが、エリザベートの言葉には詰まっていた。


 よく見れば、彼女を中心に砂漠化が始まっている。あまりに強すぎる呪いが、無機物にまで死を与えていた。


 明らかにおかしい。この異変は常軌を逸していた。


 いくらエリザベートが『ブランク』に手を施されていようと、彼女がここまでの呪いを扱えるとは考えられない。呪術とは、素養と修練時間に大きく左右される異能だと一総から聞いている。素養はまだしも、時間が圧倒的に不足していた。


(手をこまねいている場合ではないわね)


 ミュリエルは、序盤以来使用を控えていた魄法の眼を開く。


 その瞬間──


「おぇぇぇ」


 吐瀉した。恥も外聞もなく、ミュリエルはその場で嗚咽した。


 彼女が目にしたモノは、この世にある究極の不浄だった。醜悪で、混沌で、汚濁で、奇怪で、無惨で、嫌悪感溢れる代物。とうてい直視できるモノではなく、視界の端にも収めたくないおぞましい存在。


 エリザベート・バァカホの魂は、すでに生物のそれを逸脱していた。


 そう。ミュリエルは、エリザベートの魂を見たがゆえに吐いたのだ。今の彼女の魂は、正気を削るほどの何かに変容していたのだ。喩えるなら……あらゆる生物の内臓を縫い合わせた怪物レギオンと言うべきか。


 ミュリエルは魄法の眼を閉じ汚れた口元を拭うと、未だ呪詛を吐き続けるエリザベートを眺める。


 得心した。あれだけ凄惨な魂を擁しているのなら、強力な呪言のひとつ・・・ふたつ・・・、容易に紡ぎ出せるだろう。むしろ、この程度の被害で済んでいるのが奇跡と言えた。


 だが、現状が崩壊するのも時間の問題。あの魂を見てしまうと、この先の破綻は想像に難くない。放置すれば、世界中へ一気に呪いが拡散する。


 そも、あの忌避すべき魂は、どうやって生まれたのか。誠に遺憾ながら、ミュリエルには心当たりがあった。


 魄法、それしかない。


 かの術は、自分の魂と他者の魂を合わせることで習得できる。合わせる魂が多ければ多いほど習得までの時間は短縮でき、比例して死亡リスクも高まる。


 エリザベートの魂は、一総の魂に酷似していた。


 もちろん、彼のそれは彼女ほど酷くない。直視はできるし、汚泥の如き薄汚さはなかった。だが、どうしても比べてしまう類似点が存在した。混沌としているという一点において、二人の魂は同類だった。


 こうなると、嫌でも想像がついてしまう。エリザベートが如何にして魄法を習得したのかを。彼女は数多の──おそらく一総の時以上の魂を取り込み、魄法を会得したのだ。


 それほどの魂を飲み込んだとなれば、自我を保つのもやっとだろう。憎悪や復讐心以外へ感情を向ける余力がなさそうだったのも納得できた。


 そして今、自分では抱え切れない現実を前に、エリザベートの自我は崩壊したのだと思う。ギリギリだった魂の均衡が失われ、数多の魂の混ざり合った“何か”に飲み込まれたのだろう。殺意という感情のみが残った、木偶人形におとしめられてしまったのだ。


 これが魄法を習得した者の成れの果てだと考えるとゾッとする。特に、会得の過程が似通う一総が同じ運命を辿る可能性を思うと、心が張り裂けそうになる。


 彼が同様の末路を迎えないよう、自分たちがり所にならなければいけない。


 ミュリエルは改めて誓いを立てた。

 

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