003-2-08 穏便な取り引き

 蒼生あおいの目の前に降り立った一総かずさは、抱きかかえていたつかさを脇に降ろしながら安堵の息を吐く。


 彼女に渡していた異能具いのうぐを以ってすれば、先に放たれようとしていた攻撃でも受け切れていただろうが、守れるのは一人だけ。真実まみたちは無事では済まなかった。


 当の真実と三人娘だが、外見から異常は見られない。即席の走査魔法で調べても無事は確認できたため安心だ。


(出し惜しみしてる場合じゃなかったか)


 ここに到着するまで一分とかかっていないのだが、全力を尽くせば、もっと早く辿り着けたらしい。一総の本来の実力が底知れない。


 心の内で反省をしつつ、敵を見据える。


 前方に佇むのは一人の偉丈夫。見るからに戦いを得手としていそうな体格の者だった。


 一総は、その男に見覚えがあった。――否、正しくは男を見た記憶・・・・・・を知っていた。


 そう。先日にテロを引き起こしたエヴァンズ美波みなみの記憶に登場した人物だ。確か、テロ組織『三千世界』に所属していて、英国アヴァロンを襲撃する役目を負っていたか。『三千世界』のメンバーを軒並み倒すに当たって、リーダー以外で唯一足跡が辿れなかった男だ。


「繋がったな」


 口の中に言葉を溢す。


 空間遮断装置アーティファクトを奪われた各国アヴァロン、英国救世主セイヴァーの襲来、その際の闖入者、目の前にいる『三千世界』の残党。そして、一総だけが気づいた最悪の不測の事態。


 それらのピースを合わせ、一総はひとつの解を導いた。その答えはとてつもなく面倒かつ厄介なもので、彼の表情は思いっ切り渋いものとなる。


 できればこの場は手早く収めて、今後の対策を練っておきたいところだけれど……。


 周囲の状況を確認した一総は、迅速な事態の解決が不可能であることを悟る。


 敵の実力に関しては問題ない。一総が軽く本気を出せば、文字通り一瞬で片がつく程度の差はある。


 では、何が焦点なのかといえば、やはりと言うべきか、周囲の目があることだった。


 現在位置は人通りこそ少ないけれど、建物内には人気がいくらか存在する。それも気配から察するに、ほとんどの者がこちらの様子を窺っている始末。


 このような大通りで戦闘が繰り広げられれば仕方のないことではあるが、一総にとっては迷惑この上なかった。


 無論、隠蔽はできる。しかし、後々バレないために多重の術を施さなければならず、そういった手間を鑑みると、手加減して戦うのとして変わらないのだ。


 さて、どうしたものか。


 次の一手を考えながら、相手の動向を窺う。


 すると、男がこちらに目を合わせて言った。


「提案がある。俺が即時撤退をする代わりに、後を追わないでもらいたい」


「何?」


 想定していなかった言葉に、眉を寄せる一総。


 どうして、そのような取引を持ちかけてくるのか、男の意図が読めなかった。


「そちらに何のメリットがある?」


 アルテロの襲来から始まった一連の出来事は繋がっている。そうでなければ、こうもタイミング良く襲撃が重なるわけがない。大胆かつ綿密な作戦だったはずだ。それを二人の乱入があった程度で諦めるなど、理解できなかった。


 少なくとも、一総たちの実力が知れるまで攻撃くらいはするのが普通だろう。出会い頭の申し出ではない。


 どんな裏があるのか、真意を探るように睨む。


 鋭利な視線が向けられる男だが、その態度に揺らぎはなかった。


「我々の思惑を語る義理はない」


 にべもない一言だが、どうしようもなく正論だった。わざわざ敵に情報を与えるバカはいない。


 視線を交え、微動だにしない二人。


 その間、一総は取引に応じることの利点と難点を考察する。


 この場を素早く収束できることが最大の利点だろう。戦わないことが一番被害の出ない方法だし、己の実力が露見するリスクをゼロにもできる。


 難点は情報を持ち返られることと、再び襲撃を受ける覚悟を持たなくてはいけないこと。


 他にいくつもの損得を挙げ、どちらを取る方が自分にとって有益であるかを熟考する。


 十分以上の睨み合いの後、一総は結論を出した。


「いいだろう、提案を呑む。さっさと行け」


 そも、デメリットがそれほど大きくないのだ。持ち返られる情報は、一総にとって小指の爪の先にも満たないものだし、誰に襲われるかが分かっているのなら、彼は完璧に防衛網を敷くことができる。


 そして何より、


アレ・・が関わってるのだとしたら、泳がせておいた方が得られるものが大きい)


 と判断したところが最たる理由。


 要するに、逃がすことがローリスクハイリターンに繋がるわけだ。


「……」


 男は何秒か無言で一総を見つめてから、踵を返して街の闇へと消えていった。






 脅威が去り、張り詰めていた空気が若干緩まるのを感じる。


 一総は振り返り、背後に控えていた蒼生と司へ声をかけた。


「二人共、大丈夫か?」


「私は大丈夫だよ」


「かずさ……」


 司はすぐに返答したが、蒼生は不安そうに視線を向けてくる。その後に倒れる真実たちを見たことから、彼女の心情は理解できた。


 できるだけ優しく説く。


「真実たちなら無事だ。ここに来たのと同時に調べたが、命に別状はないし、後遺症の残るようなケガはしてない」


 軽い火傷や筋肉への多大な負荷は受けているが、全て治癒魔法で瞬時に回復できる程度のものだった。


 それを聞いた蒼生の緊張が、あからさまに解けたのが分かる。そして、力が抜けてしまったのか、足元をふらつかせた。


 それを一総は柔らかく抱き留める。


「おっと」


「あ、ごめん」


「気にするな」


 感情があまり表に出ない彼女ではあるが、決して心がないわけではない。友人が倒されてしまってから、ずっと気を張り詰めていたのだろう。


 もう大丈夫だと言う彼女から離れ、一総は気絶しているメンバーを見る。そのまま、ノーモーションで魔法を発動した。


 行使したのは【浮遊】。真実たちの体が宙に浮く。全員を担ぐことはできないから、浮かべて運ぶつもりなのだ。


 運搬が問題ないことを確かめてから、司へと顔を向ける。


 彼女は男が去ってからというもの、非常に複雑な表情をしていた。


 アルテロに襲われる前にしていた会話を思い返せばもありなん。今までは怒涛の展開で考える暇もなかったが、落ち着いてから色々と悩んでしまっているのだと思われる。


 司の過去に何があったかは知らない。だが、不老不死の研究などに手を出す状況というのは、自身の経験から察せるところがいくらかあった。


 ――とはいえ、そのようなことを気にかける時間さえ惜しいのが現状だ。


 一総は一切の感情を排し、現実的に対処する。


「司、オレの家で今後の話し合いをする。思うところはあるんだろうが、今日は泊ってくれ」


「……」


 彼女は無言で見つめてくる。


 その瞳に宿るのは暗い感情。恨みや妬みといったドロドロとしたもの。


 しばし視線を交差させる二人だったが、不意に司が目を閉じた。それから、ゆっくりとまぶた・・・を上げる。


 開かれた瞳には、もう先の感情は残っていなかった。


「分かった。今日は一総くんの家でお世話になるよ」


 いつもの明るい声音に綺麗な金の瞳。


 しかし、浮かぶ自嘲気味な表情までは抑え切れていなかった。

 

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