001-2-01 記憶喪失の同居人
政府にまんまとしてやられた翌朝。
彼の現在の住居は学生寮だ。十階建てのマンションで、一目では寮だと判断できないくらい立派な外観をしている。
立派なのは見た目だけではない。基本四人部屋で作られた室内は広く、トイレや風呂、キッチンも完備。普通の不動産であれば、かなり家賃が高くなる物件だ。
そんな部屋を、一総は一人で使用している。一総自身がそう望んだからだ。
友人がいないという理由もあるが、彼には誰かと共にすごすことに不都合があった。だから、
物が少なく殺風景なリビングで一総はパパッと準備を終えると、通学へ乗り出そうと玄関を開いた。
すると、扉を開いた状態で固まってしまった。
彼の表情を見ると、頬を引きつらせていた。頭痛も覚えているのか、眉間にシワも寄せている。
原因は分かり切っている、玄関先にあった。
一人の少女が段ボールをひとつ抱えて、ポツンと突っ立っていたのだ。
少女の容姿は大変優れていた。大きな瞳にスッと通った鼻梁、瑞々しく張りのある唇。腰まで流れる黒髪は白い肌と対比になり、一層映えて見えた。身長は百四十半ばと小柄だが、均整の取れたスタイルをしている。
あり体に言えば美少女である彼女は、深海を覗き込んでいるような
段ボールを抱え無表情なその様子は、どことなく捨てられた子犬を連想させた。
さて、逃避気味に少女の姿を眺めていた一総だったが、そろそろ現実に向き合わなくてはいけない。
改めて少女の顔を確認するが、彼の記憶に引っかかる者はいない。訪問のアポイントメントはなかったし、大体自室を訪ねてくるほど仲の良い友人などいないのだ。
(となると……)
ひとつの可能性が脳裏を
その予想に嫌な気分を味わいつつ、一総はここまでずっと無言で佇む少女へ誰何することにした。
「君は誰なんだ?」
瞳に宿る色から、人形のような無表情から、発する雰囲気から。少女から、今にも溶けてなくなってしまいそうな儚さを感じた一総は、彼にしては珍しく気遣った風に問いかける。
少女は小さく口を開く。
「……
自分の名前だというのに、どこか滑舌悪く答える蒼生。
やはり聞き覚えのない名前だった。
「なんでオレの部屋の前にいたんだ?」
続けて目的を尋ねる。
察しはついているが、確認を取ることは大事だ。
すると、今まで彫像のようだった彼女が動いた。腕の中にある段ボールを開け、一番上にあった紙を取り出す。そのまま、それを一総へ差し出した。
「……これを渡せば分かる、らしい」
名乗りの時と同様に、蒼生は歯切れ悪く話す。
「『らしい』って」
まるで他人事のような発言に、何とも言えない表情をしながら紙を受け取った。すぐに目を通す。
紙は政府発行の依頼書だった。簡潔に内容をまとめると、「例の同僚候補を君と同室にしたから、世話をよろしく頼む」ということらしい。新たな同僚の――村瀬蒼生の詳細情報も書かれている。
要するに、目の前の無表情美少女が、昨日の話題に出た記憶喪失の救世主候補。世話を見る依頼に
政府側の嫌らしい策略が透けて見える。
政府から救世主への依頼には順序が定められている。通常であれば、
男女で寮が分かれているというのに一緒にするというのも、強引にもほどがある。
指名依頼された時点で怪しくはあったが、この一件には裏があると考えて然るべきだろう。
真っ先に思いつく可能性は、目の前の少女の情報が全てデタラメで、実は一総を監視するための政府の工作員というもの。やや陰謀論めいているが、彼の立場を考慮すると切って捨てられるものではなかった。
とはいえ、証拠は何ひとつない。決めてかかることはやめておこう。
飛躍しかけた思考を一旦落ち着かせ、一総は蒼生との会話を続けることにした。
「村瀬はオレのところへ向かわせられた理由は分かってるのか?」
念のための確認をすると、蒼生はコクリと頷く。
「あなたと、共に行動するようにって、言われた」
「前提は理解してるんだな。いいのか? オレと――同い年の男子と同じ屋根の下で暮らすなんて。強引に押し通せば、隣の部屋にしてもらうくらいはできると思うぞ?」
「…………」
蒼生はジッとこちらの顔を見上げてくる。真っ直ぐ貫く視線は、一総の内面を探っているように感じられ、瞳を逸らすことは憚られた。
そうして一分近く見つめ合う二人。
そのうち、蒼生がゆっくりと瞬きをし、小さく頭を振る。
「だい、じょうぶ。あなたは、いい人」
妙に確信した言動に、一総は冷や汗を流す。
「人の本質を見抜く異能でも持ってるのか?」
「たぶんちがう」
否定する蒼生に対し、一総は安堵を浮かべる。
実験中断の影響で彼女の異能は何ひとつ分っていない。それは異能を行使しただけで世界が滅ぶ可能性があるからで、確認するどころか異能自体使わせない方針なのだ。一総が面倒見ることになったのも、異能を使わせないようフォローするため。異能が使われたかどうかに過敏になるのは仕方のないことだった。
幸い、異能を使ったわけではないようだが、そうなると何故、一総が「いい人」なのか分からなかった。
一総は断じて正義の人ではない。勇気のように困った人に手を差し伸べたり、自ら事件へ首を突っ込んだりしない。逆だ。面倒ごとに巻き込まれないよう立ち回り、自分の平穏な日常を守るためなら何だってする。他人から見れば自己中心的な人間だろう。
それなのに、蒼生は異能を使わず、彼を「いい人」と断言した。それが不思議でならなかった。
ただ、それを彼女に問うても、「何となく」とか「よくわからない」としか返ってこなかった。
気にはなるが、訊き続けても時間の無駄か。
そう結論づけ、一旦思考の片隅に片付けた。次は別の問題に着手しなくてはいけない。
「話を戻すけど、本当にオレと同じ部屋でいいのか? 救世主の二人がかけ合えば、強引でも部屋を分けることはできると思うが」
「一緒で、いい」
即座に首を横に振る蒼生。
よく分かっていないのに、「いい人」判定は相当信頼を置いてしまっているらしい。最初から変わらぬ無表情だが、ジッとこちらを見る彼女の瞳には、翻意が望めない確かな意思を感じた。
一総は思わず渋い顔をしそうになる。
彼としては、彼女と部屋を共にすることは好ましくなかった。思春期の男子とした理由もゼロではないが、それよりも重要なわけがあった。四六時中一緒というのは色々と困るのだ。
とはいえ、蒼生の様子を見るに、同部屋を覆すことは難しい。
「……仕方ない」
口の中で言葉を|溢(こぼ)す。
最善が無理なら次善策。同部屋が避けられないのなら、それでも問題ないように対策を立てれば良い。不毛なことに頭を悩ませるだけ時間の無駄だ。
あっさり思考を切り替えた一総は、目下、依頼をこなすことにした。
当然、蒼生の世話を焼くことだ。内心面倒くさいと思っていても、たとえ無理やり押しつけられたことでも、依頼は依頼。きちんと遂行しなくてはいけない。
「いつまでも玄関で突っ立ってるわけにもいかない。その段ボールが荷物だろう? 部屋に案内するから、整理してしまおう」
年頃の少女が引っ越しに持つ荷物としては些か――いや、かなり少量だが、それに不思議はない。彼女は長年異世界にいたため私物は皆無だろうし、記憶喪失でもあるから必要最低限のモノで問題ないのだろう。
手招きをし、踵を返す一総。肩越しにチラリと振り返ると、しっかり蒼生はついてきていた。
そうして、空き部屋のひとつまで案内する。
一総の住む寮は四人部屋なのだが、それぞれの個室が存在する。小さなクローゼットしかなく、ベッドを入れたら少しのスペースしか残らない大きさだが、学生寮の設備としては十分。最低限のプライバシーは守られる。
一総は部屋の扉を開け、中に入るよう促す。
「ここが村瀬の個室だ。この中は好きに使って構わない。他の説明は……そういえば、村瀬は今日の学校はどうするんだ?」
室内の説明を全部行うには時間が足りないと考えたのと同時、彼女は学校をどうするのか疑問に思ったので、質問を投げかけた。
蒼生は一総の前で立ち止まり、ほんの少し首を傾ぐと、言葉を紡ぐ。
「あなたと一緒に、いく」
「そうか。だったら、部屋に荷物置いたら、学校に必要なものをまとめてくれ。オレは準備が終わるまで玄関で待ってるから」
荷物の量が少ないから登校の準備もすぐに終わるだろう。そう考え、一総は表で待つことにした。
すると、
「うん? どうした?」
玄関へ向かおうとした彼は、一歩踏み出したところで振り返る。見れば、蒼生が彼の服の袖を小さく摘まんでいた。
彼女は相変わらず無感情の顔を向け、小さく呟くように喋る。
「あなたの名前、おしえて」
「ああ、そういえば」
今更ながら自分が名乗っていないことに気がついた。彼女の様子から、事前に一総のことを教えられていないことも分かる。
厄介ごとの塊である蒼生に名前を告げるのは若干抵抗があったが、それはそれで狭量だし、
「オレの名前は伊藤一総だ」
「いとう、かずさ?」
「そう。伊藤が苗字で、一総が名前」
「かずさ……」
一総の名前を反芻するように呟く蒼生。
そして、彼女は少し――本当に少しだが、頬を上げ、
「これからよろしく、かずさ」
と、微笑んできた。
対して一総は、「いきなり下の名前で呼ぶのか」とか「村瀬って無表情だけじゃないのな」とか、そんな意見は一切吹き飛び、彼女の儚くも綺麗な笑顔に、ただただ見惚れてしまったのだった。
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