004-4-05 心の迷宮(2)

 人形との戦闘を始めて一刻ほど。敵は殲滅したが、一総かずさを除く三人は死屍累々だった。と言っても、大ケガを負ってしまったわけではない。単純に立ち上がる気力もないほど疲労困憊なだけだ。本気の一総が控えていながら彼女らが再起不能になるなど、あり得ない。


 声も上げられぬほど疲れ切った三人を見下ろしつつ、一総は周囲を見渡す。これ以上の援軍が来ないことを確認した後、一人ずつ順番に体へ触れていった。


 途端、ピクリとも動かなかった彼女たちが上半身を起こす。


「体が軽い」


「え、どうなってるんですか?」


「嘘でしょ。体力どころか、魔力含めた全エネルギーが回復してるよ!?」


 三者三様に仰天する蒼生あおい真実まみつかさ


 一総は思った通りのリアクションをする三人を見て頬笑んだ。


「オレの回復術だよ。様々な回復系異能をブレンドしたオリジナル。効果は、対象の上限から減っているエネルギーを全て完全回復させること。一応、『全力オールエナジー回復・リターン』って名称はつけてる」


 普段は使えない術だ。魔力だけ体力だけといった個別ではなく全部を回復させるのは、それだけ膨大な力が動く。下手に外で使えば一発で捕捉されてしまうのだ。あと、回帰系という伝説レベルに分類してしまうのも要因のひとつ。


 回復系異能に詳しくない蒼生と真実は、すごいと褒め称えてくるものの、驚きは少ないように見える。


 ところが、一等治癒師の資格を持つその道のプロ──司は愕然としていた。『全力回復』のデタラメさが理解できているみたいだ。一総自身は大してエネルギー消費していないのに、枯渇した三人を全快させてしまったのだから当然か。回復系異能の大原則である等価交換が守られていない。


 とはいえ、その辺を詳しく説明している時間もなかった。放っておけば、再び人形どもが押し寄せてきてしまう。それでは、いつまで経っても先へ進めない。


 一総は三人へ促す。


「そろそろ出発するぞ。この場に留まってたら、また化け物の軍勢と戦う羽目になる」


「うへぇ、それは勘弁願いたいです」


 一番死にもの狂いで戦っていた真実が涙目になり、急いで立ち上がった。他の二人も同感のようで、素早く身を起こした。


「よし。じゃあ、出発しよう。目指すは迷宮最深部だ」


「「「はい!」」」


 異口同音に返事をする三人。


 迷宮攻略が始まった。








 『心の迷宮』とは【空間魔法】を習得するための試練である。対象者の心を迷宮という形で具現化し、内部にはびこるモンスターを倒しながら条件を達成するか、ボスモンスターを討伐することで脱出ができる。


 ただし、心が人によって異なるように、『心の迷宮』も対象者によって千差万別となる。内部構造や全体の広さ、出現するモンスターの種類、達成条件など。その人の心のありようにより別ものとなるのだ。


「センパイの時はどうだったんですか?」


 道中、最初には語れなかった説明をし終えると、真実が尋ねてきた。


 一総は答える。


「薄い霧のかかった街だったな。モンスターは真っ黒な人型で、剣や弓、魔法といった多種多様な攻撃を仕かけてきたよ。広さは……正確には測ってないけど、日本の本州くらいはあったと思う。半年はさ迷ったから、ほぼ合ってるはず」


 当時の苦労を思い出し、彼は遠い目をした。


 この試練を受けた時はまだまだ未熟者だったゆえ、かなり追いつめられた。今でも鮮明に思い出せるほど、鮮烈に脳裏へ焼きついている。


 半年という言葉を聞き、他の三人がギョッとした表情をする。


「もしかして、私たちも半年を迷宮攻略に費やさなくちゃいけないの?」


「化け物が跳梁跋扈ちょうりょうばっこする、この中をですか?」


 周囲へ視線を巡らせる司と真実。そこにはゾロゾロとこちらへ近寄ってくる人形の群れがいた。


 実のところ、移動中も引っ切りなしにモンスターどもは湧いて出ていたのだ。迷宮のモンスターは数に上限がなく無制限に出現するがために、こうして一総たちに襲いかかっているわけだ。


 今は話をしているから一総が片手間に処理しているが、そのうち訓練として蒼生たちに任せる予定である。


 閑話休題。


 司と真実の心情は理解できる。いくら強くなりたいとはいえ、自分たちがあそこまで疲労しないと倒せない敵を、半年間も相手にはしたくないだろう。これは覚悟云々の問題ではなく、人間として当然の感情だ。


 すると、蒼生が二人よりも真っ青な顔で続いた。


「食べ物、ない」


「「あっ」」


 真実と司も声を漏らす。


 すぐさま食糧事情に目が向く辺り、蒼生らしいと言えば良いか。


 確かに、半年もこのような閉鎖空間に滞在するのなら、十分な食糧が必要だ。勇者でも半年飲まず食わずでは死んでしまう。


 とはいえ、今回はそんな心配はないのだが。


 いつまでもいらぬ憂慮を抱かせるつもりもないので、一総は間を置かず言った。


「その辺は気にしなくていい。たぶん、長くても三日程度で終わる」


 そも、『心の迷宮』は平均東京ドーム三個分、最大でも地方都市くらいの面積が精々なのだ。一総の場合が異例。事前説明で通例しか聞いていなかった彼も、試練を受けた時は大いに困惑した。


 それに、ここには一総がいる。彼の手にかかれば、『心の迷宮』も脅威ではない。


 迷宮の規模を最大級と想定かつ三人の訓練時間を鑑みれば、おおよそ三日以内に片づけられるわけである。むしろ、スムーズに進められたら、一日もかからない可能性だって存在した。


 その辺の事情を伝えると、三人は安堵の表情を浮かべた。特に、蒼生の安心具合が大きい。


「ちなみに、外では時間が経過してないから、戻った時の態度は気をつけた方がいいぞ」


 心の具現だからか、空間が歪められているからか。時間が進まない理由は定かではないが、下手に勘ぐられるのはマズイ。『心の迷宮』のことを知られれば、自動的に一総が空間魔法使いだと気づかれてしまう。【空間魔法】習得の試練を知るということは、それを乗り越えた者の証左だから。


「一緒に取り込まれた桐ヶ谷の人たちのことは、何て説明するんですか? 死んだら戻ってこれないんですよね」


 真実の中で、彼らはすでに死んだことになっているらしい。というより、この場の全員が同じ感想だ。一般人がモンスターに遭遇して生き残れるわけがない。


 一総は真実が何を懸念しているのかを察し、口を開く。


「正体不明の少年に連れ去られた、でいいんじゃないか? 詳細を省いただけで嘘はついてないだろう」


 真実は嘘を吐けない。ゆえに、灰色の答えを用意する必要があるのだ。


 しばらく「うーん」と唸る彼女だったが、


「それがベストアンサーみたいですね」


 と、後頭部をかきながら首肯した。


 一通り話が終わったので、一総は人形らを倒すため、しきりに動かしていた腕を止める。必然、モンスターはこちらへの進軍を再開した。


 蒼生たち三人に緊張が走る。


「じゃあ、これからオレが合図するまで戦闘訓練だ。頑張れ」


「ひとつ質問です」


 戦い始める前に、真実が軽く挙手をする。


「なんだ?」


「ずっと気になってたんですが、センパイはどうやって人形を倒してたんでしょう? 遠距離攻撃をしてたようですけど、ここだと外部干渉の異能は使えませんよね?」


 そう、一総は皆と話しながらモンスターを討伐していた。高速で移動していたのではなく、その場で遠方の敵を屠っていたのだ。


 彼は「嗚呼」と首を振る。


「【身体強化】を重ねがけして、指弾で空気を飛ばしてたんだよ。三桁の重複行使は君らにできないだろうから、参考にならないぞ」


「あはは……ですね」


 規格外は空気で侑姫ゆきの半分の実力者を倒せるらしい。真実は空笑いを溢す。


「私でも、得意の錬成術は数十の同時使用が限界だよ……。よく暴発しないね」


「かずさだから」


 司と蒼生も同様の反応だ。


 今に始まったことではないので、一総は気にせず促す。


「ほら、無駄話してないで行ってこい。支援はちゃんとするから」


 蒼生たちはそれぞれ返事をし、人形どもの討伐に向かっていく。


 それから半日。移動しながらの戦闘、適当なタイミングでの休憩、といったサイクルが続いた。








 迷宮の通路を右に左に移動してきた一総たちは、ようやく開けた場所に到着した。学校の体育館ぐらいの広さはあり、見通しも良いので侵入者にも即座に気づける。本来であれば休息するのに打ってつけの場所だっただろう。


 しかし、残念ながら、この場で休憩することは不可能だった。部屋は血と臓物にまみれていたからだ。床や壁、天井までもが赤色で埋め尽くされ、鉄の匂いを含む悪臭が立ち込めている。


 この程度で気分を損なうほど一総たちは柔ではないが、さすがに腰を落ち着けられない。


 メンバー内でもっとも耐性がない真実が顔をしかめる。


「うへぇ、部屋中がグチャグチャじゃないですか。今は平気ですけど、ずっといたら頭おかしくなりそう」


「どう考えても桐ヶ谷の人たちだよね。正確な人数は分からないけど、五十人くらいかなぁ。思ってたより、人がまとまってたんだね」


 人体のプロフェッショナルたる司の見積もりであるなら、間違いはないだろう。彼女の言うように、バラバラに転移させられたにしては大人数が集まっていたが。


 取り込まれた人数が多すぎたせいで初期地点が足りず、何グループかの集団転移になってしまったのではなかろうか。『心の迷宮』を大勢で挑む機会など希少すぎるため予想にすぎないが、おおよそ当たっている気がする。


「わかってたことだけど、惨い」


 鎮痛な声を漏らすのは蒼生だ。あれだけ痛烈な言葉を投げかけられていた相手でも、死んでしまったら心を揺らすらしい。


 それが彼女のどういった性質から来るものなのかは判然としないが、勇者としては珍しい感情の推移であることは確か。多くの存在と戦い、時には人間とも殺し合うのが勇者だ。いちいち人の死に心を痛めていては正気が保てない。


 記憶喪失だからこその反応だろうが、勇者時代の蒼生がとても苦労したのは分かる。彼女が記憶を失った理由が、何となく理解できてきた気がした。


 留まっていても仕方がないと、一総は口を開いた。


「休憩はもう少し先に進んでからにしよう。疲れてると思うが、我慢してくれ」


「まぁ、この惨状じゃあね。私は大丈夫だよ」


「私も問題ありません!」


「右に同じ」


 三人から承諾を得たので、一総一行は血塗れの部屋を超えようと歩き出す。グチャグチャと肉片を踏む感触が気持ち悪いが、足の踏み場もないのだから避けられない。


 血肉の絨毯を渡り切り、ようやく部屋を抜け出せるといったところで、周囲に変化が起こった。絨毯の下、迷宮の床が青白く発光を始めたのだ。いや、部屋の中だけではない。先の廊下も通ってきた方の廊下も光っている。迷宮全ての床が光り輝いているようだった。


 突然の事態に緊張感を高める蒼生たち。


 対して、一総は冷静に状況を把握していた。


(思ったより早いな)


 一総はこの変化を知っていた。自身も経験したことのある輝きを思い出す。


「みんな落ち着け。これはオレたちに害のあるものじゃない」


 淡々とした彼の言葉を聞き、体の余計な力を抜いていく三人。


 一総は説明を続ける。


「これは対象者──桐ヶ谷先輩が最終試練に挑んだという合図だ。彼女の成否如何で脱出の時間が縮まる」


 迷宮の発光は、試練を課された者が達成条件である試練に挑戦した時に起こる現象。成功すれば【空間魔法】を手に入れられ、失敗すれば死ぬ。今まさに、侑姫の運命の戦いが始まったのだ。


「急ごう」


 蒼生が端的に言う。


 何か自分たちが手助けできるかもしれないと思っての言葉だろう。そこには強い意志があった。


 他の二人も賛同する。


「ですね。何もしないっていうのは薄情ですし」


「手助けするかは別として、失敗した時のことを考慮すると、傍で見守ってた方がいいかもね」


「そう言われるとそうか」


 第三者が協力して条件を達成しても【空間魔法】は得られないから、急いで侑姫の元へ向かうつもりはなかった。


 しかし、司の意見はもっともである。失敗した場合に備えていた方が最善だ。見殺しにして平然としていられるほど彼女との仲は浅くないし、騒動の最後まで面倒を見ると決めていた。


「となると、訓練してる時間はないな。ここから先はオレが露払いするから、後ろをついてきてくれ」


「それは仕方ないよね。半日やっただけでも十分強くなった感じはするし、あとは帰ってから各々で鍛えようよ」


「それじゃあ、先を急ぐぞ」


 一総は体内の魔力を全開で回転させ、未だ踏破していない道へと駆け出す。


 光る道は、彼によって切り裂かれていった。

 

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