005-4-05 司の全身全霊
図書館で発見した資料の内容を
それほどまでの感情を抱いたのは、一万にも及ぶ命が犠牲になった事実に胸を痛めたというのもあるが、最たる原因は別のところにあった。
それは一総の境遇だ。一ヶ月の間で調べ上げた魂の知識と見つけ出したふたつの資料、長年研鑽した錬成術の知識を鑑みた結果、万の命を使った
このような仕打ちに合わされた一総への同情や悲しみ、霊魔国上層部と研究者らへの怒り、今まで彼の心を慮ってあげられなかった自分への後悔。そういった様々な情動が、司の胸の内を暴れ回る。
それらを何とか抑え切った後、彼女の中にはひとつの気持ちだけが残った。
“一総の隣に立ち続けたい”
共に歩み、同じ景色を眺め、お互いを支え合い、時には立ち止まりもする。そんなパートナーになりたいと思った。好いた相手に抱く当然の衝動を、より強く実感した。
ただ、それを実行するためには、両者の立ち位置はあまりにもかけ離れている。現状のままでは、近いうちに自分が脱落することは目に見えていた。司だけではない、誰一人として彼の隣を歩み続けられる者はいないと断言できた。
だからこそ、司は一総と決闘すると決めた。自身の全力をぶつけることで、己がどれほどの覚悟を有しているか、どれだけ大きな気持ちを抱いているのか、それらを彼の心の奥深くまで伝えようとした。そうすることで、彼と並び立つために必要なピースを手に入れようとした。
ところが、そう上手く物事は進まない。司の全力は、まるで一総に通用しなかったのだ。殺し合いではないのだからと手心を加えてもらい、適当な理由を持ち出して使用する異能を制限してもらったのにも関わらず、一総の実力のカケラほどしか見ることが叶わなかった。
フォースでも五指──いや、かの
だのに、普通なら破格の実力を持ってしても、目前に立つ異端なる勇者には手も足も出ない。彼が使用していた異能数は常識の範囲内、フォースほどだというのに。
今までは戦う一総の後ろ姿しか見てこなかったが、相対して初めて分かった。彼が『異端者』と呼ばれる意味を真に理解できた。
一総と対決するのは、底の見えない深淵へ身ひとつで飛び込もうとする感覚に似ている。その力は、人を超越したと言われる勇者の枠組さえも大きく逸脱している。彼と渡り合える存在は、神か悪魔といった次元の異なる存在しかいないのではないだろうか。
もし、そうだとすれば、この決闘は無意味なものになってしまう。人間に虫の訴える心情が伝わらないように、次元の劣る司の覚悟は一総へ伝わらない。
彼の横に立ちたいのなら、このままではいけない。勇者という人間の枠組の端から、異なる何かの端へと飛び移らなければダメだ。『異端者』のパートナーもまた、異端でなければならない。
そうして、司はさらなる覚悟を決めた。今いる場所から一歩を踏み出すことを。
手がないわけではない。全力を尽くしたと言ったが、実はひとつだけ奥の手が残されていた。霊術を学び魂への造詣が深まったお陰で、自身の錬成術を昇華できる術式を開発できたのだ。
何故、それを温存していたのかと言うと、その術式は不完全だったから。発動まで恐ろしく時間がかかるし、出力が不安定なせいで暴発する危険性もある。もう少し研究する時間があれば改善もできるのだが、現段階では到底実戦投入できる代物ではなかった。
しかし、もはや四の五の言ってはいられない。自分のすべてを懸けてでも、この決闘は成功を収めたかった。
「断界、開門」
司の術式は成功した。彼女の目指すモノに比べると効果範囲は劣っているが、それでも術は成立した。
本来なら歓喜するところだが、残念ながらそれもお預け。本番はこれからだった。今度こそ、正面にいる一総へ自身の想いを伝え切らなければならない。これ以上の手が残っていない以上、もう失敗は許されなかった。
司が心の裡で気合を入れ直していると、周囲を軽く見渡した一総が口を開いた。
「『
どうやら、司が何をしたのか見破ってしまったらしい。術を展開してから一分も経過していないのに。さすがと言う評価は、彼へ向けるべきではなかろうか。
司が内心で渋い表情をしていることから分かる通り、彼女が発動した術は『固有世界』の創造だ。術式名は『
固有世界というのは読んで字の如く、術者が有する独自の世界を指す。その実態は『いくつかある異空間と契約し、それを自在に展開する』というモノだったり、『自身の心象風景を具現化する』だったり、『自らの所有する能力を補強する』モノだったりと、異世界ごとに様々な効果が存在した。
司が発動したのはそれらと同義であり、上位の代物だ。というのも、通常の固有世界は元あるものを現実世界へ顕現させるのに対し、彼女が行ったのは思い描いた世界の創造。要するに、一から世界を作り出したわけだ。展開か創造か、どちらの方が難しいのかは言うまでもないだろう。
錬成術で
「どんな法則の『固有世界』なのか、お手並み拝見かな」
一総は、どこか楽しそうに呟く。
固有世界とは一種の異世界である。そこには当然、その世界ならではの法則が存在した。勇者がこの異能を用いる場合、自身が持つ異能のポテンシャルを最大限発揮できる環境を展開することが多い。たとえば、火魔法を得手としていたら火山地帯、魔法が苦手だったら魔法の存在しない空間など。
ゆえに、この白くて狭い世界も独自の法則が存在する。創造主の司が思い描いた通りのものが。
先の言動からして、まだ『断界』の法則までは分かっていないようだ。まぁ、普通の世界とほとんど変わらない現状で見抜かれてしまったら、司の立つ瀬がないのだが。
一総の姿勢は、どこからでもどうぞという風に自然体。圧倒的強者の余裕──否、それだけではなく、司の本気を受け止めようとしてくれているのだろう。その心遣いに感謝しつつ、彼女は攻勢に打って出る。
司の一手は無論、錬成術である。
一総の周囲三百六十度の宙が、錬成光によって煌めいた。そして、光で形成された大剣が無数に生まれ、その刃を彼の体へと振り下ろす。
「おお……むっ?」
最初、感心したように声を上げた一総だったが、すぐさま眉をひそめた。
一総は、彼らしくない慌てた調子でその場から飛び退く。紙一重、本当にギリギリのタイミングで光剣による攻撃を回避した。
未だ困惑した表情を一総は浮かべていたが、司は攻撃の手を緩めない。白き空が星々の如く
それもまた、彼は間一髪で避けていく。反撃の余裕どころか回避で手いっぱいの様子だった。
司は彼の身に何が起こっているのか正確に把握していた。彼はこの固有世界、『断界』の洗礼を受けていたのだ。
断界の法則は三つ。錬成術以外の異能の使用不可、大気中の魔力を錬成術に用いる素材に代用可能とすること、術者以外の力──魔力や霊力など──の霧散。
つまり、司は普段より自由度の高い錬成術で攻められる一方、一総は純粋な体術しか行使できない状況にあった。身体強化さえ使えないので、彼の動きがぎこちないのも当たり前だった。
異能どころか魔力もなしに一流の錬成術を避け続ける、ましてや司を撃破するなど不可能。まさに、司にとって都合の良い世界だ。
(素の状態で私の術を避けるなんて、普通は一回もできないはずなんだけどね)
千を超える異世界を救った経験からか、それとも別の要因が存在するのか。現在進行形で司の攻撃を避け続ける一総のスペックは、驚きを通り越して呆れ返ってしまう。
とはいえ、徐々に彼を追い詰めているのは事実だ。霊術を学び、非物質(魔力や霊力など)を錬成術の対象にできるようになったお陰で、際限なく攻撃を繰り出せている。前から『連世の門』で魔力の分解はできていたが、それを超える技術の習得は、確実に司の実力を底上げしていた。
このまま押し切ってやろう。そう意気込み、彼女はいっそう攻撃を苛烈にする。
しかし、司の優勢は一時の
地面に作られた拘束具に捕まり動きの止まった一総へ、一気呵成と光矢の大群が押し寄せる。
一総が蜂の巣に成り果てるように見えた次の瞬間。見慣れた発光現象と共に、大量の光矢と足の拘束は霞のように消え去ってしまった。
「えっ!?」
まったく予想をしていなかった事態の発生に、司は思わず声を上げる。今の現象は、間違いなく錬成術による分解だった。
だが、彼女は腐っても勇者。驚愕に思考を染めながらも、続く攻撃を繰り出していた。
再び襲いかかる光矢だったが、やはり先程と同じ結末を迎える。その切っ先が一総に触れることなく、完全に消滅してしまった。
その後も司は攻撃を続けた。光矢以外の様々な攻め方を試していく。──が、どれも結果は同じ。すべて無に帰した。
ここまでくれば、一総が何をしたのか予想がつく。彼は『断界』の法則を打ち破ったのだ。力が霧散されるという現象を克服したのだと考えられた。
いくら固有世界──限定的な異世界とはいえ、ひとつの世界の理をねじ曲げるなど、簡単に信じられるものではない。しかし、相手は普通の存在ではなかった。それに、下した結論以外の説明のしようもない。
一総の力が復活したことで、司によるワンサイドゲームは終了した。これより始まるは、第二ラウンドの焼き増し。
固有世界により錬成術の威力が増していると言えど、向こうも錬成術しか扱えないとしても、二人の自力は違いすぎた。一見、錬成術の技量が優っている司が有利に感じられるが、戦闘はそれだけで決着がつくほど甘くない。
何より、自身の集大成である『断界』を部分的に破られたというのが、司へ精神的負荷を与えていた。
カツン、カツンと絶望の足音が聞こえる。
司は肩を震わせた。同時に歯を食いしばる。
(私は覚悟を示し切れてない、想いを伝え切れてない…………まだまだ全部ぶつけられてない!)
自分の力不足に対する怒り、悲しみ、後悔。それらの感情がグチャグチャに混ざり合って、混沌とした焦燥感を生み出す。
司は衝動の赴くがままに叫んだ。
「私は……おれは! まだ、負けてない!」
口調が崩れるほどの昂りを吐き出すと共に、司は術を行使する。
彼女が敗北を喫するまで、五分とかからなかった。
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