第1話 アルヴォン飛脚 2章 ニアの街4

 

 それだけのことを素早く見取って、七人の人相を覚えるとタギはさっさと退散した。たぶんあの男は『二つの暖炉亭』に戻ってきてタギとランを見張ることになるだろう。そして他の二つの旅籠にも少なくとも一人ずつ、あの男と同じ目的-宿泊客の監視-で、入り込んでいるだろう。そうすればあのグループは総勢九人から十人といったところだ。

 今晩襲ってくるだろうか?それは可能性が少ないとタギは考えた。アルヴォンの山人は自分たちの町でよそ者に騒動を起こされることを嫌う。下手なことをしたらニアの町の人々から袋だたきに合うことぐらい、彼らだって知っているだろう。目標を見つけてしまえば、町を出てからいくらでもやりようがある。たぶん明日、どこかで襲撃されるというのが一番ありそうなシナリオだった。

 部屋に戻って戸をノックした。すぐにランが戸を開けた。心配そうな顔をタギに向ける。変に隠し立てはしないことにした。


「追っ手の連中がこの町にいるようだ。全部で十人前後かな。マクセンティオという男、何が何でもランを始末したいと考えているようだな」


 ランが目を見張って、唇を噛んだ。子供と思えないほど暗い炎が瞳の中で燃えている。


「・・十人の追っ手・・・・」

「不意を襲われたら少し手に余るが、襲われることが分かっていれば対処の仕様がある」


 タギはわざと気楽そうに言った。事実相手が十人程度で、アルヴォンの山の中が舞台なら何とかする自信はあった。十人いてもニア街道の狭い道では一時に相手をするのは、多くて二、三人にすることができるし、足場の悪いところを選べば、慣れない人間では足元に気をとられて十分に技量を発揮できない。後は飛び道具に気を付ければいい。

 ランは唇を噛んだままタギをまっすぐに見つめた。なんとか追っ手から逃げることができるように自分に頼みたいのだ、タギはそう思った。だから次にランが言ったことはタギには意外だった。


「十人を相手にして何ができるの?カニニウスとゼリでも私を逃がすのが精一杯だったわ。タギ、私を見捨てても恨まない。・・・・私と一緒に死ぬことはないわ」


 ランの小さな身体が細かくふるえていた。ここで見つかってしまえば子供の足では逃げ切ることはできない。たとえタギがランのために戦ってくれても結果は見えている。何といっても十対一だ。無用の犠牲が増えるだけだ。ランは覚悟を決めた。


 タギは正直なところ驚いていた。とても十三の少女の言葉とは思えなかった。強い意志と、状況を客観的に判断する力を持っている。そしてそれをそのまま認める強さも。


「絶対大丈夫とは言えないけれどね、ラン、私は結構手強いぞ。そんなに気の早い覚悟を決めるものではない」

「タギ、だって相手は十人よ。タギがいくら強くたって、無理だわ。タギは私によくしてくれたもの。―もう充分よ」


 タギは腰を落としてランと視線の高さを合わせた。ランの両肩に手を置いた。


「そう決めつけたものでもない。それにここでランから離れたら、約束してくれた叔母様からの報酬ももらえない。私も自分の命を捨ててまでランを守ろうなどとは、思っていない。ちゃんと成算があるから、任せておきなさい」


 ランの眼からはタギは少し頼りなく見えていた。ゼリでさえ、タギよりずっと逞しく見えた。カニニウスなどタギの倍の幅があった。父の配下の兵士たちの中には、タギよりずっと身体の大きな男たちがたくさんいた。彼らが盾をそろえて行進していくのを見ると、その猛々しさにいつも体がふるえた。全身を鎧に覆われた騎士たちは、人間離れした死に神のように見えた。馬を連ねて突進する重騎兵は、邪魔するものすべてを蹂躙するという意志にあふれていた。それに比べるとタギはそれほど体も大きくはないし、隆々と盛り上がった筋肉を持っているわけでもない。父の部下たちが肌身離さず持っていた剣や槍も持っていない。見たところ携行している武器は少し長めのナイフだけのようだ。でも見かけより力が強いのかもしれない。大きな荷を平気で担いでいるし、崖の途中に引っかかっていた自分を軽々と上まで運び上げたのだから。タギの方から助力を申し出てくれている、それなら少し甘えてもいいかも知れない。


「ありがとう。でも無理はしないで。タギが一人で逃げても本当に恨んだりしないから。父様や、母様のところへ行くのも運命だもの」


 タギがにやっと笑った。いたずら小僧が何か新しいいたずらを思いついたような、少し意地の悪い、しかし奥では無邪気そうなそんな笑いだった。


「私はね、あきらめが悪いんだ。最後までじたばたするのが好きなのさ。ちょっと準備をしに行ってくるからね」

 

 タギはまた部屋を出て行った。今度は長い間帰ってこなかった。身じろぎもせずタギを待っていたランは、やっと約束どおりのノックの音が聞こえたとき急いで戸を開けた。階下の広間で酒を飲んで騒いでいた客たちの姿ももうなくなっていた。わずかな明かりが階下に見える。暖炉の中に薪の燃え残りの火がまだ見えた。

 タギはランに向かって片目をつぶってみせた。意外に器用なウィンクにランがくすっと笑った。


「準備完了、仕上げをご覧じろってところだな。さあ明日は忙しくなるぞ、もう寝よう」


 タギが譲ってくれた寝台に横になってもランはなかなか寝付けなかった。床に、毛布を巻き付けただけで横になったタギは、すやすやと安らかな寝息を立てていた。なんだか全然緊張感がないみたい、明日十人もの討手を相手にしなければならないのに、平気で寝ている。よほどの豪傑か、一本抜けているかだわ。大丈夫かしら。寝台に横になってとりとめもなくそんなことを考えているうちに、ランもいつしか眠り込んでいた。

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