第18話 王都争乱 1章 セシエ公館襲撃 1

 いきなり名前を呼ばれてミランダは目を覚ました。次の瞬間、ベッドから跳ね起きて枕の下にいつも用意してある短剣をつかんで、声のした方に対して身構えた。わずかに開けられたドアの隙間から、廊下の灯りがかすかに部屋の中に入り込んでいた。マギオの民でなければ自分の足下も見えないような薄闇の中に廊下からの光に浮かび上がって、黒い人影が立っていた。


「ミランダ!」


 小さいが緊迫した声が再度ミランダの名を呼んだ。ミランダは息をのんだ。声に聞き覚えがあった。


「姫様!?」


 大声を出しそうになってあわてて口を押さえた。人影が頭のかぶり物をとった。かぶり物の下から亜麻色の髪が出てきて顔の周りにふわりと広がった。セルフィオーナ王女だった。黒っぽい長袖のシンプルな服を着て、黒い手袋をしていた。スカートではなく、下には同じように黒い、裾を絞ったズボンをはいていた。柔らかそうな靴まで黒かった。その眼はまっすぐにミランダを見ていた。思いもかけないほど強い視線で、この薄闇の中にミランダをとらえていた。ミランダは混乱していた。


「姫様?何を一体?」


 セルフィオーナ王女はミランダの困惑に頓着しなかった。


「動き出したわよ、例のやつが。」


 一瞬何を言われているのか分からなかった。ミランダの暫時の沈黙に、いらだたしそうにセルフィオーナ王女が言葉を継いだ。


「カリキウスの手の者と近衛の一部が動き出したのよ!」


 ミランダが息を呑んだ。かってウルバヌスに城内のカリキウスの屋敷を見張れと言われていたことがある。なんでもシス・ペイロスに潜入したマギオの民が盗み聞きした会話の中に、カリキウスの名が出たからだと聞いた。真夜中にその屋敷から出てきた男を町はずれの百姓家までつけたこともある。それを報告してからは、見張りの役を解かれて、あとはどうなったのかミランダは知らなかった。


「でも・・・・一体なぜ?」


 何を目的にカリキウスが動き出したのかという疑問と、それよりも強く、なぜセルフィオーナ王女がそれを知っているのかという疑問を一緒にして出てきた言葉だった。セルフィオーナ王女は最初の疑問にだけ答えた。


「セシエ公の屋敷を襲うつもりよ」


 ミランダの目が丸くなった。右手に握りしめた短剣を落としそうになった。


「カリキウスの手の者が四百、少しずつアラウエから呼び寄せていたようね、それに近衛の跳ねっ返りが三百、合わせて七百ってところかしら」


 アラウエというのはカリキウスの領地だった。カリキウスは子爵の爵位を持っていた。その領地は王国の東、ダングラール伯爵領と接したオービ川沿いにある。カリキウス自身はずっとランドベリに居て、ほとんどアラウエへ帰ることはないため、その息子が領主として治めていた。大きな領地でもなかったこともあり、またカリキウスがフィオレンティーナ女王の側近でもあったので、セシエ公もまだ手を伸ばしてはいなかった。

 ミランダの顔色が変わった。今セシエ公の屋敷には、戦闘員としては直衛隊の百余りの手勢しかいないはずだった。親衛隊はサヴィニアーノに率いられて、蛮族と怪物に荒らされた地域の治安回復に出ているし、バルダッシュに動員された一般兵は、ランドベリで凱旋の行進をした後で解散している。セシエ公も二、三日内にヴェルタエに引き上げるつもりで、ランドベリの屋敷が一番手薄になっている時だった。あまりの事態に混乱したまま、考えをまとめることもできないミランダに、セルフィオーナ王女が強い口調で命令した。


「はやくセシエ公に報せなさい!すぐにでも出動しそうだったわ」


 首をかくかくと不器用に動かして命令を受領したことを示し、ミランダは着替え始めた。なぜここにセルフィオーナ王女がいるのか、なぜ王女がカリキウスの策動を知っているのか、訊きたいことは山ほどあったが、王女のもたらした情報が本当なら、何をおいてもまずセシエ公に報せなければならない。

 混乱しながらでも手早く、戦いのための装束にミランダは着替えた。暗色の上着の襟は、顎の下まで覆い、長めの袖は手甲を半ば隠している。ゆったりめに裁断してある同色の下穿きを、くるぶしの上部できつく締め、柔らかい布製の靴を履くと白い肌が露出しているところはほとんどない。服や靴と同じ真っ黒な頭巾をかぶる。短剣を背中側に回して帯に差すとマギオの民の闇装束のできあがりだった。


「姫様」


 闇装束に身を包んだミランダは、セルフィオーナ王女の前に片膝をついて軽く頭を下げた。そして自分の前に立っている王女の顔を見上げた。先ほどと同じ、きつい視線がミランダをとらえていた。それはまるで戦いを生業にしている者の眼だった。ミランダが一度も見たことがない、想像すらしたことがないセルフィオーナ王女の厳しい表情だった。


「行きなさい、できるだけ早くアンタール・フィリップ様にお報せして!」





 

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