第17話 ランとタギの日々 5

  タギとランが『蒼い仔馬亭』に帰ったのはもうあたりが薄暗くなってからだった。扉を開けた二人をマルシアの笑顔が迎えた。


「お帰り、タギ。ついさっきまでおまえさんを待っている客がいたんだけれどね、クリオスとかいう若い男だったけれど。しびれを切らしたみたいで明日また来るとかいって帰ったよ」

「そうかい、マルシア。急いでいる様子でもあったかな、その男に?」

「そうでもないみたいだったよ。いつ帰ってくるんだなんて訊かずに、じっと座っていたからね」


 それなら単なる連絡だろう。シス・ペイロスへの遠征隊が、たとえマギオの民といっても短時日で編成できるわけがない。他の街から来る者もいるだろうし、荷物も整えなければならない。明日で十分だ。

 マルシアがタギの後ろにいるランに声を掛けた。


「疲れているところを悪いんだけれど、一、二曲歌ってくれないかい?ランの歌目当ての客も結構いるんでね」


 ランがどうすればいいのかと訊きたそうにタギを見た。タギが軽く頷くと、


「はい、マルシアさん。すぐ準備してきます」


 そう言って、軽快に階段を登っていった。


「ふむ、なるほどね」


 ランの後ろ姿を見送って、マルシアが心得顔に頷いた。


「何が『なるほど』なんだ?」


 タギの質問は、よだれを垂らした虎の前に新鮮な肉を放り投げたようなものだった。マルシアがかぶりついた。


「何がって、タギ。ランは元からタギには素直な娘だったけれど、昨日までのとまったく雰囲気が違うじゃないか。あんたに許可を得てなにかをするのが嬉しくたまらないって感じだよ。それにまあ、きれいになったこと!」

「きれいに?」

「そうだよ、タギ。分からないかい?女がこんな短時間できれいになるってのはつまり、今のランみたいなときさ。元々きれいな娘だったけれどね」


 タギも赤くなって俯いた。自分らしくないとは思ったが、顔が赤くなるのをどうしようもなかった。それを見てマルシアが嬉しそうに笑った。


「さっ、タギも荷物を降ろして、ランの歌を聴きにおいで。あの娘がどんなに人気があるか、タギは知らないだろうからびっくりするよ」




―ねえ、あなた。あたしを捜しに来て、

ひまわり畑の中に隠れるから。

私の背よりずっと高い、ひまわりの下に隠れるから。

―あたしを上手く見つけることができたら、

      あたしのキスはあなたのもの。


―ねえ、あなた。あたしを捜しに来て、

水車小屋の陰に隠れるから。

ごとんごとん音を立てている、水車小屋に隠れるから。

―あたしを上手く見つけることができたら、

      あたしのキスはあなたのもの。




 リュータンで軽快なリズムを刻んで、ランの歌が終わった。ほぼ満員の客が一斉に拍手をした。ぼうっと上気した顔でランを見つめている若い男もいた。ランがちらりとタギの方を見た。タギも決してお義理ではない拍手をしていた。それを見てランが嬉しそうに笑った。


 タギが注意していたのは、隅のテーブルについて、もそもそと料理を食べている痩せた男だった。さりげなく周囲に気を配り、自分はできるだけ目立たないようにしながら周りのことを何一つ見逃さないように窺っていた。マギオの民だった。タギが食堂へ姿を現してから、決してタギの方へ視線を向けないようにしながら、その実何一つタギのすることを見逃さないように注意していた。

 多分、アトーリからヤードローとランを付けてきたやつだ。周囲への気の配り方がマギオの民独特のものだった。昨日、いなかったのは確かだった。クリオスが引き上げて代わりにこいつが監視を命じられたのだろう。

 ランが立ち上がって丁寧に礼をして、リュータンを抱えてタギの方へ歩いてきた。ランの動きを食堂中の視線が追っていた。


「タギ、どうだった?私の歌」

「ますます上手になったね」

「本当?本当にそう思う?」


 タギが頷いた。ランがまた嬉しそうに笑った。タギがランの肩に手を回して食堂を出た。あちこちでため息が聞こえた。妬ましそうな視線が幾つもタギに突き刺さった。マギオの民の男がそっと立ち上がって出て行くのにタギは気づいていた。足音を殺して歩くのが癖になっているようで、それだけでもタギの眼にはその正体を大声で叫びながら歩いているようなものだった。


 タギはアティウスが現れるものと思って待っていたが、次の日『蒼い仔馬亭』にはアティウスも他のマギオの民も姿を見せなかった。多少眉をひそめて不審を覚えながらも、タギは久しぶりの無為を楽しんだ。『蒼い仔馬亭』の裏庭の木陰にロッキング・チェアを持ち出してのんびりと体をもたせかけ、すぐ横に自分も椅子を持ち出して行儀良く座ったランと、とりとめのない言葉を交わした。


「ねえ、タギ。この指輪、どこでいつ手に入れたの?」


 ランは左手の薬指(紅差し指というんだとタギはランに教えた)にはめた指輪を晴れ渡った空にかざしながら、訊いた。何の飾りもない金の指輪はランの細く長い指にぴったりと合っていた。

 タギはランが用意した果物の絞り汁を一口飲んで、曖昧に返事をした。


「う~ん、いつだったかな?」

「忘れたの?」


 忘れるはずがなかった。いつか使うことがあるなどと考えたわけではないが、前年の秋、ネッセラルのサナンヴィー商会で見つけたものだった。丁度ランのサイズだと思ったとき、どうしても欲しくなった。ランの目の前で買うのは何となく憚られて、ランを宿に残してサナンヴィー商会に行く機会があったときに買ったものだ。そのまま荷物の下の方に入れて持ち歩いた。そして指輪を買った自分の心の動きに当惑していた。いったい自分は何のためにこの指輪を買ったのだろう。ランを自分に結びつけたいのだろうか?そんな疑問への答えを出さないままずっと、持ち歩いていた。


「でも、その指輪、ランにぴったりだろう?」


 タギは唐突に話題を変えた。ランもそれ以上その話題に拘泥しなかった。知りたい気がないでもなかったが、タギが時々妙に依怙地になるのを知っていた。後からなら平気で話すことを、梃子でも口にしないことがあった。


―いつから私のことを、この指輪を渡す対象として考えていたのか知りたい気もするけれど、でも今は指輪をくれたことだけで十分だわ。


「うん、ぴったり。でもよく私の指のサイズが分かったわね」

「手をつないだことが何度もあったからね」


 もちろん、漫然と手をつないだだけで指の長さや太さが分かるわけではない。強く意識したわけではなくても、タギはランについてどんなことでも知りたいと思っていたのだ。

 ランも果物の絞り汁を一口飲んで菓子をつまみ上げた。小麦粉を牛乳で練って焼いただけの素朴な菓子だった。干しぶどうが混ぜ込んであり、表面に砂糖がまぶしてあった。タギと一緒に食べるものなら何でも美味しい。ランは空を見上げて思いっきり伸びをし、軽くため息をついた。眩しい夏の終わりの日が庭にくっきりした木の影を落とし、気まぐれな風がランの髪をなぶっていた。


 アティウスが『蒼い仔馬亭』に現れたのは五日後だった。疲れたような顔をタギに見せて、


「やっと上を説得できましたよ。全く頭が固いったらありませんね。マギオの民の中に他の人間を入れて行動したことなどないと、それだけを繰り返すのですから手に負えません。タギの助力なしではどうにもならないと納得させるに半日かかりましたよ」

「それでもうんと言わせたのか?」

「あなたの実績を強調して、それでやっとですね。実際にレーザー銃の威力を見てない人間に説明するのが、あんなに難しいとは思いませんでしたね」


 タギは肩をすくめるだけにした。これで方針が決まった。マギオの民、ひいてはセシエ公の軍を利用してアラクノイ-“敵”-を殲滅する。その目処がたった。あとはいつ行動を起こすか、だった。それはマギオの民に合わせるしかない。


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今日は長くなりました。これで一区切りです。次回からまた場面が変わります。





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